第11話 笑顔の練習

教室の照明をつけるのは、一番乗りの特権だ。普段は蜂の巣のようにうるさいこの部屋も、早朝だけは暖かい光を纏って、この場所で数十年続いている歴史の末端を感じさせてくれる。


「そういえばお前、意外に早起きなんだな」


「うん、遅くても九時までには寝てるからねー」


「九時?」


思わず聞き返してしまった。弥隼は早い時でも就寝は午後十時で、気分次第では十二時に寝ているのだが。吉田の言葉をそのまま受け取ると、彼はふだん八時台に寝ているということだ。さぞや低学年の小学生のような生活リズムを送っていることなのだろう。


「それで、柚月どーすんの?水上さんと友達になりたいって言ってたけど、教室に来たらいきなり話しかけるとかする?」


「や、それじゃあ絶対怖がられるし……さりげなく警戒を解かないと」


「ふむ。どうやって?」


「それを今考えてんだよっ」


と、口では強く言って見せるが本当に何もアイデアが思い浮かばない。今まで喧嘩を絶やさなかったうえに性加害の噂が流れている弥隼を彼女が怖がらないでいてくれる方法なんてあるのだろうか。脳内で羽虫を渦巻かせながら、息を飲んだ。


「あのねぇ、まずはそのむすっとした顔をなんとかしたほうがいいと思うけどなー?」


「へ?顔……か。」


確かに、あまり意識したことがなかったかもしれない。弥隼は男の時からあまり人前で笑ったりしないし、挨拶する相手も少なかった。要するに、愛想が悪いのだ。吉田のくせに的確な指摘だなぁ、と胸のどこかで彼を見直してやる。


「じゃ、トイレで笑顔の練習してくるか」


「ちょっと待ってよ。鏡も持ってないの? ほれ、貸すよ」


吉田はそう言ってスクールバッグの中から木製の手鏡を取り出す。吉田は吉田のくせに小綺麗なところがあるから、手鏡や櫛は常日頃から持ち歩いているようだ。


「柚月ってほんと、びっくりするくらい笑わないよね。自覚してる?」


「そんなにか?」


弥隼はそう言って、受け取った手鏡の前であどけなく口角をあげてみせる。しかし鏡に映っていたのは満面の笑みではなく、どこかニヒルな笑みを浮かべた自分自身の顔だった。


「まだ、迷いがあるね」


「……笑顔が映えないって言いたいのか」


「違うよ! 柚月には表情筋をありのままに動かす勇気がないんだ」


「いや、俺は元々こういう顔だからぬぁ……って、ふぇっえ!?」


弥隼がため息をつこうとしたその瞬間、吉田が背後から忍び寄り、弥隼の脇腹を両手で包み込んでくる。そのままワイシャツの上から肉をもみほぐすように吉田の指が何度も往復し、丁度良い力加減でくすぐられていく。


「あはは! なんだ、ちゃんと笑えるじゃん! その顔だよ!」

手鏡の向こう側には、目を細めて思い切り笑いながら体をよじる自分の姿があった。


「ひゃうっ! わわわわかったから! もうひゃめろっ!」


「おもしろいからやめなーい! こちょこちょ~」


弥隼がいくら体をよじっても、くすぐりは止まらない。吉田は楽しそうにしながら弥隼の下腹部を撫でつけ、こねるように肉を揉んでいく。そして弥隼が体をのけぞらせながら「あはぁ」と叫んだその時、教室の扉が音をたてて開いた。


バタン。


それに気づいた吉田は、くすぐりの手を静止させた。

「……あ、水上さん!おはよう。」


教室の扉の前で口をぽかんと開きながら弥隼たちを見ていた少女は、瞳孔を思い切り開かせて自分のこめかみを撫でた。晩秋の楓のような深い赤茶のポニーテールを水玉模様のシュシュで縛り、学校指定の紺のセーターを纏っている。適度に潤んだ小豆色の唇はふっくらとしていて、切れ長の瞳には長い睫毛のカーテンが降りる。少女の名前は水上みずかみ芽玖瑠めぐる。まさに弥隼の友達候補の人物だった。


彼女は吉田に脇腹を触られている弥隼を見ると困惑した声で「お、おはよう……?」と吉田に返す。弥隼はそんな今の状況に顔を紅くさせながら咳払いをする。


「吉田、友達だからって急にくすぐっちゃダメだぞ」弥隼はそう言うことで、一応異性同士である弥隼と吉田の関係を勘違いされないよう、さりげなく水上に情報を与えておく。


「柚月が氷の国の王子様みたいな顔してるから、ちゃんと笑えるように手助けしてあげただけなんだけどな」


弥隼たちのそんな掛け合いを見て、水上は苦笑いを浮かべた。そんな彼女の顔を見て、弥隼も精一杯の苦笑い・兼・愛想笑いを返した。










今回は短めの更新です(汗)


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