第5話 クラスメイトが突然女装姿で現れた時の対処法なんて知らない

「お前っ……吉田なのかっ!?」


弥隼の背後に回り込んだ吉田は、弥隼の肩の上に顔をぽんと乗せた。そのままふっくらした柔肌を弥隼の体に沈みこませると、挑発的な視線を送ってぷぷぷと笑いだす。


「あっはははは!僕のこと女の子だと勘違いしちゃったおばかがいる!」

                     

「むむぅ……」


吉田は弥隼の悔しそうな顔を至近距離で楽しみ、両手で口を軽く押さえて笑いをこらえるような仕草をする。


この女みたいな長い髪は、おそらくウィッグだろう。吉田が距離感ガン無視で弥隼に近づいてくるものだから、動くたびに弥隼のほっぺたの上をサラサラの髪がなぞり、くすぐったくなる。


(くそっ……やられた……)


弥隼の心は、完全にぐちゃぐちゃ。


吉田が突然女装姿で現れた衝撃と、彼のことをほんものの女の子だと勘違いして声をかけてしまった恥じらいで卒倒しそうだ。まるで吉田に心臓を直接“ふーふー”されてるかのようにドキドキしていた。


吉田の女装なんかで完全に騙されてしまった自分の頭に、咎めのグーパンチを一発。


「もう、なんなんだよっ、その恰好!」弥隼は顔をほんのり赤らめながら、黄色い声で怒鳴りつける。


「あー、これ?女子用の制服、ママに買ってもらったんだよ。あとこれはウィッグで……」


吉田はそう言いながら、自分の服をごそごそといじる。

彼が着ているのは学校指定の制服。銀灰ぎんかい色と黒の織りなすチェック柄のスカートに、大きなボタンがついた紺のブレザーと、胸元に結ばれた深い薔薇色のリボン。頭に被ったさらさらの黒いウィッグは、絹のようにひらひらと風を纏っていた。


「柚月とおそろいだねっ!」


吉田は口をⅤの字にして笑い、弥隼の頬を人差し指でつついてきた。

ムダに顔が整っているから、そのへんの女子よりもかわ……いや、サマになっているのが憎い。


「あのなっ……そういうことじゃなくてっ……そんな恰好、おかしいだろっ……」


弥隼は顔を引きつらせ、言い放つ。


しかし、その発言が吉田の地雷だった。


「……え、おかしい?」

その言葉が教室に響き渡った刹那、時間が止まったように音が消え、吉田の顔が突然、まっくろな雲でいっぱいになる。


「ん、ふーん。そっか……やっぱ僕、おかしいんだ。女の子の服が着たくて、柚月にだけなら見せれるかもって思って、ここなら他の人に見られないかもって、呼んだんだけど……僕、やっぱキモいんだ……」


いままで見たことのない、吉田の深刻そうな顔。いつも単細胞で呑気に笑うだけの吉田がこんなにもネガティブな反応をするなんて思いもしなかったので、弥隼は焦燥感と罪悪感でいっぱいになる。


「いや、ちがっ……そういう意味で言ったんじゃ……っなくてだなぁ……」


つかみどころのない吉田の気分は、まるで山の天気のよう。急に雨が降ったり突風に吹き飛ばされたり、たまには虹がかかったり。この不思議な生き物のごきげんは本当に読めないなぁ、と心の中で息をつく。


「じゃあ、どういう意味なの……?僕、キモい?」


「違うわ……キモいなんて、一言も言ってないし……」


吉田は俯いていた顔を上げ、警戒する子犬のように弥隼を見上げる。

「じゃ、僕かわいいってコト?」


「へ……へぇえっ!?、それは……っ」


危ない。今一瞬、『かわいい』って言いかけてしまった。

そもそも、俺はさっきこの扉を開いた時一瞬コイツのことを“美少女”だと思って……じゃない!そんな感情ない!くそっ、なんなんだこいつ……


「別にっ!お前のことかわいいなんて1ミリも思ってないし!……でも、おかしいって言ったのは撤回する。その、お前は元々変なやつだけど、別にその恰好は変じゃないってゆーか……ごめん……」


弥隼の精一杯の弁解を受け入れると、吉田はほっと胸をなでおろし、机に覆いかぶさる。夕日がさらつやの黒髪にキラリと反射して、消えゆく水平線のようなノスタルジーを想起させた。

「そっか。安心したぁ。僕、柚月にまで嫌われたら終わりだからさ」


どうやら吉田は機嫌を治してくれたようで、そのおかげで弥隼の肩の力も緩和される。


(はぁ……なんで俺がこんなやつの機嫌取らなきゃいけねーんだ……)


吉田は机に身体を任せたまま、だらんとしすぎてそのまま液体になった。完全に糸の切れた彼は上目遣いで弥隼の呆れた表情を確認すると、目を半開きにしてからかい気味に目配せする。


「てか、柚月って謝れるんだね。ヤンキーのくせに」


「はぁ!?てゆーかっ、そもそも俺はちょっと喧嘩するのが多いだけで、お前と違って常識あるんだよ!ヤンキーでもない!」


「……それがヤンキーなんじゃないの?」


「違う!俺は不良仲間とかもいないし。いたって健全な日本男児なんだよ」


「今は女児だけどね」


「うるせ」


弥隼は「そろそろ帰りたいんだけど」と言いながら荷物に目をやり、スカートのポケットに手を入れる。

その中には、吉田から受け取った可愛らしい付箋の手紙がくしゃくしゃになって入っていた。


「てか、この手紙結局なんだったんだよ、名前も書いてないから無視して帰るとこだったぞ」


「あ、その付箋?100均で買ったんだよ。それで、ラブレターと勘違いした間抜けな柚月が見れるかなって思って、敢えて名前は書かなかった」


しょうもない悪戯の手口を堂々と語る吉田を見ていると、呆れてため息が出てしまう。

「なんなんだお前」


「それで、ちゃんと勘違いしてくれた?」


「してねーよ……この手紙受け取った時からお前のだって分かってたし」

これは、全くの嘘だった。

弥隼は、この手紙の送り主が因縁の不良たちであると思っていた。だから、本当はこの教室の扉を開けるのがものすごく怖かった。でも、実際は中にいたのが吉田で……正直今、すごくほっとしている。


「これ書いたのがお前だって、バレバレだったぞ」


「あ、なんかわからないけどそれ照れ隠しでしょ?バレバレだよ」


「うるせっ!」


弥隼は吉田の背中めがけ、照れ隠しのデコピンをおみまいする。指の先端が沈んでいくのと同時に「へへっ」という抜けた声が聞こえた。


脱力しきった吉田の背を見ながら、弥隼は考える。


そもそも、なぜこいつは女装しているのだろう?さっきボソッと『柚月に見せたい』なんてこぼしていたけど、元々そういう趣味なのか?

そういえば吉田は昼休み、性転換手術をやりたいって言っていた。……こいつ本当に、オンナになりたいのか?


全く。生きてる世界が違いすぎて、理解のしようがない。


なんか、めんどいやつに懐かれてしまった気がするなぁ。

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