第4話 名無しさんからの手紙なんて冷やかしに決まってるでしょ
学校生活において最もましな時間は、授業中だ。
それは重苦しいクラスメイトどもの視線を気にする必要もなく、黙々と学びの世界に入り込むことができる時間。
弥隼は勉強は得意じゃないけど、休み時間になると騒ぎ出す猿どもが苦手だからどうしても授業開始のチャイムに救いを求めてしまう。
……誰かさんが一緒にいてくれる時は、休み時間でもちょっとだけ心に余裕ができるけど、それは例外。
ほとんどの休み時間は嫌い。
ちなみに、休み時間よりも嫌いなのは放課後。
放課後が嫌いな理由は、面談のせいだった。
職員室の隣にある個室で、どこかうんざりした面持ちで座っているのは担任の岸本。水面下では
というのも、性転換刑受刑者にはメンタルケアとして定期的に面談の時間が設けられることになっているのだ。ただ、『メンタルケア』だなんて名ばかりで、弥隼にとっては単に苦痛の時間でしかなかった。
岸本は腕の太い、がっしりとした体格の男だ。問題児揃いのクラスを制御する力強い雰囲気の教師だが、明確な欠点として、彼は生徒の話をよく聞かない。彼は自分の信じたい真実だけを知ろうとしているような人間で、例のごとく何度も繰り返してきた弥隼の冤罪の訴えも、全く受け入れようとせず、『証拠は揃ってるんだ』『みっともないぞ』の一点張りで、弥隼に寄り添おうなんていう気持ちはかけらも感じられなかった。
そんな岸本は太い眉をひそめて弥隼を見つめ、「やっていけそうか?」と尋ねる。
「……嫌なことも多いですけど……がんばります……」
岸本の前では、自分の主張は封印される。だから、彼の求めている答えを捻り出さないといけない。弥隼はこうやって自分を曲げるのが本当に苦手だし、嘘も大嫌いだから、自分の罪を認めるのが本当に辛かった。でも、仕方なかった。
「過ごしづらいかもしれないが、身から出た錆だからな。しっかり受け入れて反省しろよ」
自分の今感じてる辛さはすべて『身から出た錆』らしい。そうか、ぜんぶ俺が悪いんだ。大人はみんな俺の冤罪を知らないのだから、そういうことになるのか。
これのどこがカウンセリングなのだろうか。ただの一方的な説教じゃないか。
先生たちからすれば、自分は単なる犯罪者。いつ弱い者を襲うかわからない、危険人物。きっと彼らは弥隼に正当な対話なんて試みる気もなく、ただ面倒ごとを起こさぬようにコントロールすることしか頭にないのだろう。
弥隼は先生たちに冤罪を主張するのは、もうあきらめていた。いくら言っても、もうどうにもならないって、分かってきたからだ。結局、自分の言うことを信じてくれる人間なんて、一人もいない。
……そう思った時、ふと吉田の顔が頭によぎった。吉田があのマヌケな声で『大変だったね……』と言った時の声が、一瞬だけ脳内で聞こえた。
(そういえば、吉田は俺の言うこと信じてくれたっけ)
でもあいつはバカで、なんでも信じちゃうところがあるからなぁ。
たとえば俺がUFOを見たって言ってもたぶん信じちゃうだろうし、そのUFOにティラノサウルスが乗って地球を侵略しに来たって言ってもきっと信じる。そういうやつなんだ、あいつは。
だから別に、吉田がいくら俺の言うことを信じても、別に救われたりはしない。あいつと話しててわかるけど、どうなっても心が通じ合えるって感じがしない。吉田とは見ている世界が違う。包まずに言うと、知能が違いすぎて話が通じないんだ。
俺ってあいつに友達だと思われてるのかな。だとすれば陰でこんなこと考えててサイテーだよな。
でも、こういう性格だから仕方ないか。
***
面談から解放された弥隼の心は、『さっさと帰りたい』という感情だけに支配されきっていた。
女になってから、はじめての学校。
内心、会う人間みんな怖かった。ただ近くに人がいるだけで『どんなふうにみられているんだろう』という恐怖でいっぱいになって、心がもみくちゃにされる。
ただここにいるだけなのに、いつもの五倍疲れた。
弥隼は置いてきた荷物を取るために、教室へと戻る。
(かーえーろ……)
「……ん?なんだよこれ」
机の上に置きっぱなしにした荷物の上には、付箋のような紙切れがぺたんと貼り付けられていた。幅の広い形をしたそれは、いちごやうさぎのイラストで彩られた、かわいらしいデザインの付箋だった。
(メッセージ……?)
『柚月君へ』
『面談が終わったら、2号館3階の304教室で待っています。』
送り主の名前は、どこにも書いていなかった。
弥隼はこの手紙を一読し、内容を理解し終えると、ため息を漏らしていた。
女の子が好きそうなデザインの付箋でかつ、丁寧に書こうとした筆跡が見られるけれど、字はあまり綺麗ではないし、宛名と本文の行頭がズレている。
これ、もしかしなくても男の文字だろ。
ピュアな男子中学生であれば、こんな手紙を貰ったら告白かと思って舞い上がってしまうのだろう。けども、弥隼は普通ではない。
弥隼は今でこそ体の弱い女子だけれど、元・不良少年。それに、美人局でひどい目にあったこともある。その上いろんな人間の因縁を買っていたから、疑心暗鬼に染まり切っていた。そんな背景もあって、この手紙を警戒するのは当然のことだった。
それに……もう今日は、人に会いたくなんてない。
たぶん、普通の人間であればこんな手紙は無視して帰ってしまうべきなんだろう。
でも、弥隼にはルールがある。『男らしくどんな時も逃げない』と、少年だった頃自分に言い聞かせたのだ。そのルールは破りたくない。
すでに男としてのプライドは折れかけていたけど、ここで逃げたら人間として何もかもダメになってしまうような気がした。
(疲れてるのに……誰なんだよ)
中身がイタズラされてないか確認し終わると、リュックサックをだるそうに肩に掛け、舌打ちする。
二号館は授業用の校舎。補修もない今日は、ここには誰もいない。裏を返せば、ここで何が起こっても先生たちが駆けつけることはないのだ。
要するに、弥隼に因縁を抱いていた問題児たちが喧嘩をふっかけるには、もってこいの場所ということだ。
階段を登って移動している時、心臓が高鳴っているのが聞こえるほどに静かだった。やがて指定された教室の前にたどり着くと、弥隼は取っ手に指をかける。
(この中にいるのが、
そりゃ、弥隼だってちょっとは期待してしまった。あんなかわいい付箋の手紙を貰ったのだから、もしかすればかわいい女の子がラブレター片手に待っているかもって、男なら期待したくなるものだろう。
(でも、俺はもう人間なんて信用してないし!どーせ中にいるのはキモい男だよ!)
扉には覗き窓はついていなくて、中の様子は確認できない構造になっていた。
弥隼はそんな重い扉を、ゆっくり、そして堂々と開いた。
そして中にいる人間の姿をみて……… 弥隼は、絶句していた。
(え……?)
まさか。ありえない。俺なんかを待つなんて。
教室の中にいたのは、問題児たち……ではなくスカートを履いた女の子の後ろ姿だった。カーテンと一緒に綺麗な黒髪を揺らしながら、儚そうに窓の外の景色を眺めている。
「あ、あの……」
一目見る限り、彼女は、知り合いではなかった。
そもそも女子の知り合いなんて、人生においてほとんどいたことがない。
こんな少女が俺を呼ぶなんて、おかしい。きっと何かの間違いだ。そうだ、これはきっと誰かの陰謀でからかわれているんだ、弥隼はそう確信しながら喉を震わせる。
「おっ、やっと来た?」
謎の少女は背中を向けたまま、陽気ながらもどこかあどけない声色で返事をする。
「あの……誰、ですか?大事な用がないなら俺帰るんで……」
弥隼がぼそぼそとそう言うと、彼女は横に広がった黒髪をかきあげ、振り返る。
琥珀色の瞳に、まんまるでぷっくらとした鼻が夕日をバックに映える。クリーム色のおでこに走る少し太めの眉は、アグレッシブな印象を抱かせていた。
(かっ、かわい…………)
どこからどう見ても、美少女。名前も知らない儚げで、でも明るい雰囲気の謎の少女。
でも、どこかで彼女に会ったことがあるような、懐かしさとは違う謎の違和感が胸の中でもわもわと広がる。
──彼女は一体、誰なんだ。
弥隼が色々な疑念に揉まれていると、彼女は口を開いた。
「ふふっ、もしかして、女の子だと思っちゃってる?かわいい女の子だ!って~。僕だよ?」
「……へ?」
謎の少女にいきなり呼ばれてわけのわからないことを言われたので、さすがに錯乱してしまう。
『女の子だと思っちゃってる?』だって?まるで自分が女子じゃないみたいに言うじゃないか。でも確かに彼女の声色はどこか男子のような、聞いたことのあるような声で……いや、まさか。
弥隼の胸をがっちりと縛り付ける、疑念。
えぇ……でも、そうに違いない……のか。よく見たら間違いなく……じゃないか。逆になんで気づかなかったのだろう。だって、今目の前にいる彼女の姿は、完全に……でも……
「ほら、ゆーづきっ!」
少女の姿をしたそれは小走りで弥隼との距離を詰め、そのまま軽く肩をぶつけてきた。
「お前っ……吉田かよ……」
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