第3話 不思議なおばかさん
「ねぇ、そこ柚月の席だから。座っちゃダメだぞ!」
まだ変声期を終えてない少年のどこかあどけない声色が、俺の背中を刺す。
「いや……ここ俺の席だよ……」
「何言ってんの?ここは柚月の席だもん!僕、毎日見張ってたからわかるよ!柚月もそろそろ学校に行きたくなる頃だろうから、勝手に使っちゃだめ!」
始業前、弥隼のところに来てそう突っかかってきたのは、吉田という男子生徒。まんまるでつぶらな瞳を半開きにしてこちらを見つめる彼は、ほっぺたをまんじゅうのように膨らませている。
「いや、だから俺が柚月で……」
弥隼が顔を引きつらせながらそう言うと、吉田は「えぇ?」と声を唸らせながら机に覆いかぶさるようにして弥隼の顔を覗きこんでくる。
「たしかに、柚月に似てる……そっくりさん?それとも妹さん?」
「じゃなくて!本物だ!」
「ウソついても無駄だよ?たしかに、柚月にもスカートを履きたくなる日はあるかもしれないけど、おっぱいはついてないもん」
「スカートを履きたい日なんてないからな!?」
目の前で腰に手を当て、説教でもするかのような体勢でくちびるをとんがらせる少年。日焼けのない頬は白桃のようにふっくらとしていて、校則ギリギリまで伸びた髪はふんわりとまとまり、丁寧に手入れされているようだった。
こいつは、誤解をしている。そりゃ、弥隼がさせられた性別変更手術の事情をしらないのだからこういう反応をするのは分かるけど、今は逐一説明をしたいようなマインドではないのだ。
「いいから、ほっといてくれよ……」
「でも、柚月に帰ってきてほしいから。ここにキミが座ってちゃ困るんだよぅ」
吉田はどこか寂しそうな顔をして、そう言った。
こいつとは二年生になってから停学になるまでの限られた期間しかクラスメイトではないので、正直あまり仲が良いと思っていなかったのだが。
「はぁ……じゃあ、百歩譲ってさ、俺が柚月じゃないって仮定してやるよ。それでどうしておまえはそんなに、柚月にこだわるんだよ」
「んー?だって、柚月は僕を無視しないでくれたんだもん」
彼はそう言って、どこか物悲しそうに苦笑いする。
吉田
ここまでの会話から察せられると思うが、吉田は空気が読めない。空気が読めないのに、相手との距離感を無視して食い入るように自分本位で会話をしてしまう、そんな男だった。
それが原因で彼はクラスメイトから無視され、完全に孤立していたのだ。
弥隼の口からは、なぜかため息が漏れていた。
「はぁ分かった。事情話すよ。ちっと長くなるけどさ──」
「あ!もしかして君、ほんとに柚月?」
「……へ?なんで急にわかった!?おま、さっきまで全然信じてなかったのに……」
「だって、無視しないでくれるじゃん!無視せずにこんなに話してくれるってことは、本物の柚月だ!」彼は目を輝かせるようにして、言った。
「えぇ……」
そんなことを言われても、普通に対話をしていただけなのだが。俺がいない間、こいつはどれだけ煙たがられていたのだろう。
「それで、おっぱいがついてるってことは…………あ!柚月、もしかして手術して女の子になったの?まだ若いのにやるねぇ、おつかれさま、声もかわいくなったねぇ」
「そうだけど、まだちょっと誤解がある気が……」
「なんで三か月も休んでたの?てゆーか、なんで手術したの?おしえてよ」
「……その、いろいろあって」
「えーっそのいろいろを教えてくれるんじゃないの?」
「わかったから、一気に全部話そうとするなっ」
「でも手術したってことは、柚月も僕と同じで女の子になりたかったんだよね?」
「だーかーら……って、はぁ?」
矢継ぎ早に放たれる吉田の言葉を捌いてる間、一瞬聞こえた彼の言葉に、耳を疑った。
『僕と同じで女の子になりたかったんだよね』だって?その言葉の衝撃に突き飛ばされ、目の奥がぐらぐらと揺れる。弥隼が望んで手術を受けたと勘違いしているのはまだしも、吉田、女になりたがってたのか? そんなこと初めて聞いた。
「そ、その……どこから話せばいいのかわからないけど……ってか一度冷静に聞け……そもそも俺は自分の意思で手術したんじゃないんだ」
「えーっ?じゃあなんで?」
「……裁判できまったんだよ」
「さいばん?……あっ、悪いことしたの?」
「……してない。無実の罪を着せられたんだよ」
弥隼がそう言うと、吉田はそのまんまるの瞳をさらにまるくさせ、こっちを見た。
「えーっ!悪いことしてないのに罪になっちゃったってこと?」
大声で叫ぶ吉田の声が、クラス中に響く。自分の周りで騒がれてあまり良い気はしないが、それでも俺が冤罪だという主張を素直に信じてくれたのは吉田が初めてで、弥隼はちょっとだけほっとしてもいた。
「……その、大変だったんだね……?」
「う、うぅ……まあな……」
吉田はしんみりとした声色になり、心配するように言った。吉田のことを内心馬鹿にしている弥隼でも、ひとりでいるよりかは少しだけ心が楽になれる気がした。ただ、それでも弥隼の心は大きな針に引っ掛かっていた。その原因はさっきの吉田の発言にあった。
「……ところで、さっきお前、女になりたいって言ったよな?」
さっき聞いた、吉田の爆弾発言。冗談で言ったのか、それとも深く考えもせず漏れてしまった言葉なのか。その真意を確かめないと気が済まない状態だった。
「うん。そう言ったね」吉田は、清々しく目を細めて笑いながら、言った。
「……本気で言ってんのか?」
確かに、世間には望んで性転換手術を行う人もいる。でも、中学生のうちからそれを考えたりするものなのだろうか。一度削ってしまった骨格や移植した人工性器を元に戻すのは難しいと聞いた。吉田は深く考えずに行動してしまうところがあるから、手術のことを何も調べずに言ってるのではないのだろうか、と懸念がよぎってしまう。
「本気だよ。だって僕、女の子になってアイドルになりたいんだ」
「は、はぁ?」
またも飛び出した吉田の爆弾発言に耳を疑う。……『アイドルになりたい』だって?意味がまったくわからない。どこまでがマジで、どこまでが冗談なのか。弥隼は吉田の言葉を喰らって、冷凍庫で三か月放置した鶏むね肉のように、カチカチに固まってしまった。
「お、おい。自分がどれだけバカなことを言ってるのか、わかってるのか?」
「ばかなこと、って?」吉田は弥隼の反応を見て、きょとんとした目で見つめ返す。自分の発言がいかにショッキングなのか、理解しているのだろうか。
「そ、そりゃ……おまえ、自分がアイドルになるなんて、本気で言ってるのかってことだよ!」
「……え?本気だよ?」
吉田の平然とした応答を聞いて、弥隼は無意識に前髪をさわりながら俯いた。
吉田が、性転換手術を受けてアイドルになりたいだって?狂ってる。そもそも吉田はあんまりイケてるやつじゃないのに。夢の見すぎにもほどがある。手術のデメリットに関しても理解しているのだろうか。どれだけ本気で言ってるのか知らないが、目を覚ましてやらないと。
「そんなの、なれるわけないだろ!」喉から、精一杯の黄色い声を捻り出す。
「え?なれると思うよ?僕いろんなアイドルのファンだから、それを研究することでアイドルの魅力とはなんなのか知り尽くしてるんだよね。それに、僕男でいるメリットもあんまり感じてないから大丈夫だよ」
口をぽかんと開けてしまう。おばかすぎて、話にならない。自分は女になってこんなに苦しんでいるのに、そんな雑な考えで憧れてしまうなんて。
「お前な、もう少しよく考えて────」
キーンコーンカーンコーン……
弥隼が必死な形相でそう諭そうとした瞬間、教室に大きなチャイムの音が鳴り響いた。
「あっ、席に戻らないと!」吉田はその呑気でのびやかな声で呟き、自席へと歩み始める。そして、去り際にもう一度振り返って「こんど手術のこと、もっと聞かせてね」という言葉を残していった。
************************************************
ここまで読んでいただき、嬉しいです
こんな感じで3000~4000字で、続く限り毎日更新していく予定です
更新は16時ごろを予定してます
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます