第二話 大敗事象

伊織:あら。呆気ねえなあ。でも、命を大事にできたようだ。


(屍となった自陣の武人を見下ろして、伊織いおりは無感情に呟いた。つい半月前に伊織が負かし、手当までをした優秀な武人。名前は知らず顔も忘れていたのだが、屍を見て、苦い味が舌に沁みたのだ。常人にとっての“印象”と言うもので、伊織は味でそれを認識し格下も識別する。どういう訳か死人にも通じるので、彼の最期の想いを読み取ることができた。)


伊織:上等なものだよ。儚い命のついに納得できて、ちょっと羨ましいくらいだ。


(屍の目に手を当て閉じる。そして忘れる。過去は切り捨て先へ進むだけだ。荒野にて刃を交える幾万の兵達。伊織が悼む間、彼等は怯んで襲い掛かって来なかったが、やがて一人の武人が覚悟を決した様に斬り掛かった。)


伊織:戦意や見事。応えようとも。


(素手を突き上げて武人の斬撃を受け止める。当然の事肉が裂かれる筈であったが、剛腕で振るわれた刀は掴み止められ、そのままし折られてしまう。間髪入れず体を捻り、薙ぎ払うような蹴りを武人に見舞う。一撃で圧勝となったのは言うまでもないこと。数十人もの兵を衝撃に巻き込んで吹き飛ばしておきながら、伊織は自身の手を見て不満を表す。)


伊織:未だ未だかよわいな俺は。この程度じゃあ遠征は無理だぞ。


てのひらから一筋の流血。英傑たる伊織に掠り傷を負わせたのだ。今の武人はかなりの手練れと評していいだろう。)


伊織:もっと試練を。これだけ大規模な戦だ、強敵もいるだろう。


(獰猛に口角を吊り上げ疾走する。進行方向にいた武人達を雑兵も将も関係なく蹴散らし、鋭敏な味覚で強者の気配を探る。人が無意味に死ぬのは好きじゃない。常人のつまらない戦など、すぐに終わらせてくれる。敵陣の奥を目指し駆け抜け――否、斬り掛かった。)


―――  ―――   ―――


鋼刀の英傑:可愛らしい奴がれ付いて来たな。


(距離を無視した極限高速の襲撃。開いた扇子による伊織の斬撃は、盾の様にすら見える大刀で防がれた。)


紅縄の英傑:くびって滅茶に喘がせてあげましょう。


(鮮血で染め上げられた縄が片腕に絡み付く。咄嗟に腕を斬り落として逃れ、再生を待たずに次の攻勢に移った。)


虚喰の英傑:馳走ちそうに感謝致す。


(空中を足場に身を舞わせ、物理を逸した運動で振るわれた伊織の蹴りに対し、形成された大顎が、凶器じみた牙を以て伊織の下半身を噛み千切った。それでも攻撃は終わらない。)


風球の英傑:活きの良い若人わこうどよ。


(残るは腕の一本のみとなっても、扇子に颶風ぐふうまとわせ斬り掛かる。迎え撃つは破裂した風船から吹き出す、同じく鋭い風の斬撃。結果、扇子が斬り裂けることはなかったが、突破も拮抗もあたわなかった。斬り飛ばされた伊織のくびが地を転がる。)


伊織:あんたらは敵、でいいのかな?是非とも相手をしてもらいたいのだけど。


(辛く息を吐きながらも、伊織は頸から下の全身を衣服ごと再生させる。)


風球の英傑:鍛錬の相手にはならんよ。地獄を見る覚悟があるなら混ぜてやる。


紅縄の英傑:襦袢じゅばんを見られる覚悟もねえ。身の熟しが成ってないから、蹴った時なんかに。


いん水行すいぎょう風葬朽骨ふうそうきゅうこつ】)


(扇子を振るい起こすは、全てを朽ち果たす猛毒の暴風。全霊の力は伊織自身にも制御できない程の威力を発揮する。対する四人の英傑は何の防御も無く、それどころか伊織から視線を逸らし他へ移した。四人で共闘するつもりはなく、乱戦が望みのようだ。)


伊織:舐めやがって...でも、面白い!


(激突する五つの猛威。常人の理解を超えた極限の戦いが始まる。)


???:路傍に何か微動しているな。


(始まった直後のこと。伊織の意識が朦朧もうろうと途絶える。うつつとは思えぬ程軽々と宙を飛ばされる。地に堕ち、身体が動かない。目を開けば、ここはもう戦場でも、荒野ですらない破壊の跡であった。大勢の兵は消し飛び、英傑四人の姿も無い。自分が生きている以上、彼らも死んではいないだろうが。)


???:可憐な小花こばなよ、君を愛でること許してはくれないか。


(英傑の格すら絶した超越者の威圧。それだけで細胞が蒸発し、魂魄こんぱくが霧散していく錯覚に襲われる。見上げればそこには、黄昏たそがれの空を切り取ったかの如き濃紺の披肩ひけんを纏った女が佇んでいた。)


???:私のような存在は退屈で仕方がなくてね。ちっぽけな一輪にさえ慰みを見出す。


伊織:いやっ、やめて...。


小燕:下界では小燕しょうえんと名乗る。君は何と称するのかな。


(膝を着いた女の指が伊織の頬を撫でる。少し力を込められたなら自分の渾身が砕けてしまうという危うさに震え、涙が流れ出す。戦うことも、逃げることも何もできない。恐ろしく掛け離れた存在に、従う事しかできないが、それでは常人と変わらない。伊織は意志を通したかった。)


伊織:一介の英傑だ。あんたに名乗る程の器じゃない。


(己を一として彼女の力は如何いか程だろう?京であろうと知ったことか。格上に対し臆さず向かってこそ真の英傑だろう。)


伊織:触るなよ。俺は未だ奪われていないぞ。好きにしたいなら、俺と戦え。


(言い放ったのは愚かの畢竟ひっきょう戯言ざれごとにもなっていない、意味を成さないとすら断じられる文字列は、女のかおを瞬刻凍り付かせた。)


小燕:愛らしい花と見たのだけど、稀覯きこう極まる怪華かいかの芽と出会ったのか。宇宙に絶対は無いとは言え、君が私に敵うなど、那由他なゆたに一つの可能性だ。それでもやるかね?


伊織:ここで終わるくらいならな。


小燕:―――!


(微笑みと、一息でありながら森羅しんらを揺るがす笑声しょうせい。)


小燕:道端で葬るには惜しい。逃がしてあげよう。だが何時いつか、是非とも勝敗を決したいところだ。万年、億年先か、私の前に来るがいい。


伊織:勝手なことを。


小燕:随意になさい。しかし、先ず在り得ないが、君が私を倒したのなら――


(透徹する視線が伊織の目を、心を深奥まで侵す。)


小燕:■■から褒称ほうしょうされるかもしれないぞ。


伊織:...へえ。


(静かな感嘆だったが、伊織の目の色が変わる。話は終わりと言う様に、女は伊織から視線を外した。)


小燕:左様ならば。邪魔をして御免なさいね。


(女の姿が揺らめいて消え去る。圧倒的な存在感を後に残すこともなく、まるで幻覚だったかのように。実際そうであって、矮小な自分如きが出会ったのは実体の無い分身に過ぎなかったのではないかと推察する。)


伊織:彼奴あいつ、何だったんだ?否、何でもないこと、散歩でもしていたんだろう。


兵一:いたぞ!伊織だ。生きてるが重傷を負ってる。


(暫しの間地に伏して休んでいると、自陣の兵達が駆け付けて来た。一人が伊織を腕に抱え上げると、突然に彼は頬を赤らめる。)


伊織:帰ったら、服、直さなきゃ...。


兵二:阿呆!お前死に掛けなんだぞ。先ず生きることを考えろ。


伊織:着物が襤褸ぼろになってしまった。肌を見られるのはずい。嫌。


兵三:面倒な野郎めが。この状況で誰も気にしねえよ。英傑ってのは螺子ねじの飛んだ奴ばかりなのか。


(常識あらずの言葉で救助者達を賑わせ、伊織は目を閉じ、深い眠りの快楽に身を委ねた。)

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