羇旅甘露之郷

Hurtmark

第一話 振袖の参戦者

武人一:仕舞いか。嗚呼、最期には一人くらい、助けたかったんだが。


(焼け落ちていく摩天楼の下で叫喚が飛び交っている。何処を見ても人間の屍が目に入り、中には彼が顔を知る者も含まれていた。)


武人一:助けられない俺なんて、何の価値があるんだよ...。


(獣毛に包まれた燃え盛る車輪や、平たく長大な身体に夥しい目を持つ飛翔生物など、魑魅魍魎ちみもうりょうさくの闇夜に跋扈ばっこする。誰も救えない。百鬼を駆逐できる上位の武人達が駆け付ける頃には、この区画は壊滅している。一人でも安全な場所へ逃がそうと、彼は奮闘したが、市民は皆恐慌して誘導できる状態ではない。そんな中、彼はかすかな光明を見つけた。一人の女が厄災に動じることなく、呑気にも夜空を見上げて佇んでいるではないか。)


武人一:そこの嬢さん!突っ立ってないで避難しろ!この区画はもう駄目だ。


(恐慌ではないにしろ危機感が無さすぎる彼女に駆け寄る。桜色、花柄の振袖をまとい、濃い茶髪と金色の瞳が対比している。)


???:ねえ、まさかとは思うが、この辺りに『地上甘露』って店があるか?この惨事で潰れてないよな?


(女性にしては低い声で、場違いな問い掛けをされる。どうやら恐怖の余り気がほうけてしまっているようだ。)


武人一:...正気じゃねえな。大丈夫、助けてやるからよ。


(彼女なら助けられるかもしれない。そう判断した彼は女の腕を掴み走り出す。)


???:ちょっ、あんた、触るな!


武人一:だったら自分で走るんだな。君を逃がせれば手柄なんだよ。俺は死ぬかもしれんがね。


(女が手を振り解いた。男に触られるのが嫌なのは分かるが、言っていられる場合だろうか。しかし、女の目は拒否ではなく怒りと憐憫れんびんの意を示しているように見える。)


???:あんたは優しい奴だがな、自分の命を大事にしろよ。俺のことはどうだっていいだろう。


武人一:何を言い出す。人を救えない俺なんて屑でしかないんだよ。


(そうだ。他者の命を護ることでしか生きた心地がしない。己の命を喜んで他の一人のため犠牲にするだろう。そんな最期ならば良いと、ずっと思って生きて来たのだ。女は溜息を吐き、自身の不愉快を全て見事に表現してみせた。)


???:何奴どいつ此奴こいつも苛立たしい。そうだ、一つ踊ってみよう。何時もみたいに、それで全部解決するでしょう。


(女の手に金属製の扇子が現れる。彼に視認できたのはそこまでだった。一瞬の後、殺戮の颶風ぐふうが吹き荒れた。烈風が無数の刃と成って、魑魅魍魎を一つと逃さず斬り刻んでいく。それも、人間や建物は傷付けずに、妖魔だけを対象としている。阿鼻叫喚は人間から妖魔へと移ろい、殲滅されるのは数厘刻すうりんこくの間の事だった。)


おののき倒れ込んだ彼の前に、人間離れの業を振るった者は佇んでいる。かよわさを感じさせるこの身体で、何をしたというのか。彼が驚異に打ち震える間に、女の身体がふらりと倒れてしまった。)


武人一:君は何なんだ?これから何をするつもりだ?


???:絶命の危機は過ぎた。今こそ俺を助けてくれ。


武人一:俺なんかに頼みがあるのか。


???:激しく踊り過ぎた。柔らかな布団で休ませてほしい。地に転がって寝るのは勘弁。


武人一:近場の署に来てもらおう。これだけの事をやったんだ、聴取は長くなるぞ。


???:俺も聞きたいことがある。さっき言った店のことだが。


(はて何だったかと想起すると、とある喫茶の名を思い出す。だがあの店は異邦へ移ってしまった。帝国は商売賑わう場所だが、混乱も多いからだろう。)


武人一:ああ、あの店なら別の都に移転したよ。繁盛してたからな。


(女の表情が失意で凍り付く。)


武人一:そうがっかりすんな。君は大勢を救ってくれた。報酬は有る筈だぜ。


不満気な表情を最後に目を閉じた女を腕に抱え、彼は崩壊した街の跡を歩いて行った。


―――  ―――  ―――


(帝国軍にまた一人、英傑が加わった)


武人二:噂では、先の百鬼を一人で殺戮したそうだぞ。


武人三:きっと俺達が見習うべき、漢の中の漢に違いない。


(都の軍署ぐんしょはその話で持ち切りだった。どんな姿か、能力か、如何なる強さか。要するに、自分達にどれ程の衝撃を与えてくれるのか。格上に畏怖を覚えることは、誰しも浪漫心ろまんごころくすぐられる。)


武人二:なあ、どう思うよ?


武人一:何と言えたものでもないだろ。


(友人から予想を求められ、彼は適当に返した。他と同じく英傑について気になってはいるが、そう呼ばれる者は常識を外れているのだと知った故に、陳腐な想像を巡らせることはしない。それに、誰が参じて来るのか最小限の事実は分かっている。)


武人四:静粛にしろ貴様等。これより新参者を迎え入れる。


(やって来た上官の言葉に、稽古場の一同は背筋を正した。英傑は各軍署に姿を見せて回るそうで、ここが最初になるのだ。)


武人四:自己紹介でもしてもらおうか。


(未だその人物は部屋に入っていないというのに、上官は命令する。すると虚空に影が揺らめき、人物は姿を現した。可憐な花柄の振袖が特徴的な麗人だ。想像から掛け離れた軟弱な容態に、怪訝に満ちた視線が注がれる。)


伊織:俺はあんたらの顔も名前も覚えないんで、そっちも伊織いおりって名前は聞き流してくれて結構だ。好きなものは花と菓子。就職理由は無上の甘味を食すための都合だ。他に望みは無いけれどまあ、宜しく願い致す。


(不遜な態度で頭を下げた麗人の声は、男性のそれだった。大半の武人達は相変わらず納得がいっていない様子だ。豪気な威圧が感じられず、世人が語る武勇伝の主役とは思えない。)


武人五:そいつが今日いらっしゃる英傑で間違いないのですか?


(一人が手を上げて尋ねる。彼はこの場に居る下級の武人達の中で最も実力ある者だ。侮りを越して不愉快さえ滲ませた目で新参者を睨む。女子おなごの晴れ着で戦場に立とうというのか。武人にも風雅は大切だが、非常識も甚だしい。ふざけるなと、精神のなぎを乱される彼へ、上官は冷徹に返答する。)


武人四:気に喰わぬなら、彼を殴ってよいぞ。許可する。


(暫しの後)


武人五:手加減しねえからなあ。英傑ってのが偽りなら、泣きを見るぜ。


(一等の武人と伊織は稽古場で相対していた。周囲は好奇に眺めり、上官はより真剣な面持ちで臨んでいる。)


伊織:その意気に対して失礼になるが、こちらは手を抜かせてもらう。でないと控えめに言って、あんたの命に関わるから。


武人五:はっ、舐められたもんだな。


(二人は辞儀を交わし、高慢な口調とは裏腹に丁寧な礼節を見せた伊織に武人達は意外の感を抱いた。上官が始めと宣告し、瞬間、一等の武人は先攻を動いた。)


(“擬神憑ぎしんがかり”によって強化された彼は獣の如き勢いを初速から発揮。一糸刻いっしこくの内に距離を詰め、戦いにおいて無駄の極まった衣服と孅い身体に掴み掛る。伊織が攻撃に反応することはない。)


(このまま呆気なく決着するのか。やはりあの様に可憐な英傑など冗談に過ぎなかったのかと多くが思った。武人の手が伊織に触れるまで、一寸の距離を切った時だった。)


(目で追えぬ威力。辛うじて、伊織の腕が柔術の様に振るわれたのが見えた。至近距離にありながら攻撃をかわし、一瞬に満たぬ時間の中で無防備を晒す武人の体幹をてのひらで殴り付けたのだ。肉と肉の衝突とは思えぬ轟音が響く。)


武人四:そこまで!


(吹き飛び壁に激突した武人は、木端こっぱを浴びて気絶している。)


武人四:伊織、壁の修理代はこちらで持つが、そいつの手当を頼む。


伊織:分かった。負けた相手に治療されるというのは、さぞ恥ずかしいだろうけど。


(伊織が見せたのは総力の欠片に過ぎない。されどこの場に居る皆が彼を武人と認めつつあった。只のそれではなく、修羅と言うべきか。決着の瞬間に溢れ出した殺意は、人間として達してはいけない境地にあったから。倒れた武人を引き摺って去って行く麗人の異様を、常人達は望んだ衝撃と共に見送った。)


(暫しの後)


武人五:さっきは悪かったな、見た目で疑うなんてして。


伊織:いいよ。俺は天才だから、常識から外れていて当然のことさ。


(医務室で武人の身体に包帯を巻こうとしている伊織は、中々苦労していた。包帯を使った経験が無いのか、端を上手く留められない。恥ずかし気もない自負と、それに似合わない不器用さには、後輩を思わせる可愛げがある。武人は苦笑して彼を気遣う。)


武人五:もういいぞ。自分で巻くって。


伊織:駄目だ。格下をいつくしむことは礼儀だから。敗者は黙って身を任せろ。


武人五:でもなあ、周りを見てみろよ、恥ずかしいだろ。


(周囲からは見守るような視線が向けられている。看護師や治療中の武人たちからのものだ。事情を知らない彼らからすれば、献身的な女性が傷ついた武人を癒しているように見えるだろう。しかし、振袖の麗人は百戦錬磨の益荒男すら恐れるに足らぬ強靭な男である。)


伊織:俺だって平気じゃあない。人肌を触ると背を駆け上るものがあるんだ。女でも男でも。


武人五:そうだったか。配慮できることがあれば言ってくれ。


伊織:弱いあんたらが俺に?冗談は止めろ。


(伊織が包帯をきつく締め、痣が圧迫される痛みに武人は小さく呻く。)


伊織:処置は終わりだ。だが、あんた如きが次に俺を憐れんだなら、血を吐く怪我を負わせてやる。


武人五:いや、憐れむなんてつもりは...。


伊織:ふんっ...。


(そっぽを向いてしまった伊織に、どうしたものかと武人は考える。一先ず、気不味い空気を変えるために話題を挙げる。)


武人五:甘い物を食べるために参入したと言ったよな。どういうことなんだ?


伊織:行きたい場所があってね。この都の軍は、其処そこへの遠征を出すと聞いた。


武人五:全く回答になっていないな?


伊織:常人には想像も付かない話だ。機密事項だし、聞かない方が身のためだぞ。


(立ち上がった伊織は、去り行きながら言葉を残す。)


伊織:戦場では、俺は誰も護らないからな。精々命を大事にしろよ。


(“命を大事に”その言葉が武人の頭を巡る。有り触れた言葉だが、深遠な戒めのように思えた。)

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