第十章―忠誠―#5


※※※



 自室に戻ったルガレドは、満ち足りた思いで一息いた。


 今朝、この部屋を出るときは、あんなに絶望的な心境だったのに────今は、幸福感だけが胸を満たしていた。


 今なら───あの二人とも、冷静に話せるだろう。


 わざと気配を放っている二人に向かって、ルガレドは呼びかけた。


「俺に用事があるのだろう────ジグ、レナス」


 間を置かずに、ジグとレナスが現れる。


「夜分に申し訳ございません。ですが───お互いのためにも、きちんと話をしておいた方がよろしいかと思いまして」

「申し訳ありませんが…、お時間をいただきたいのです」

「解った」



 ソファにルガレドが座り、ジグとレナスは少しだけ間を開けて佇む。


 以前、同じようにリゼラと話をしたときは、ソファに座ったが───それは、リゼラが自分だけが座り二人は立っていることを気にしたからだ。


 通常は、主とは同席しない。


「それで、話とは────リゼのことか?」


 表情を落として冷淡に話すルガレドは、皇子としての威厳が覗える。


 リゼラが傍にいるときの態度が例外なのであって、これがルガレドの本来の姿なのだ。


「はい。正直に申しますと────自分は、リゼラ様に惹かれております」

「オレもです」


「……それで?」


 ルガレドの返す声が、低く凍てつく。


「ですが───だからといって、リゼラ様とどうにかなりたいとは思いません」

「オレたちは“影”です。一生を主に捧げ、そのお傍を離れることなどありえません。よって、家庭を築くことなど範疇にないのです」

「我々は、幼いうちに───子を成せないように施されております。性行為自体は情報収集に当たって色仕掛けの一環として必要なため、子種が出来ないように施されているのです」


 そんな話は初耳だったため、ルガレドは目を見開いた。


「では…、“影”はどうやって存続させていたんだ?」

「“影”を担っていたのは分家筋の三家で、跡取りと予備を残し、それ以外の子供はすべて───男も女も例外なく“影”にします。跡取りと予備は子種を取り上げられない代わりに、子を複数持つことが義務となっているのです」


「だが、何故、子を成せないようにする?」

「それは、家庭を築くことを諦めさせるためです。昔は、主に忠誠を誓っておきながら、駆け落ちする者が絶えなかったそうです。子種を取り上げると、多くの者は────妻帯すら諦める」

「これは、女も例外ではありません」


 淡々と説明するジグとレナスに、ルガレドは眉をひそめる。


「だから────リゼのことも諦められるとでも言うのか?」


「いいえ。諦めるのとは少し違います」


 ジグが返した言葉を受け、ルガレドは二人を睨みつけた。


「…どういうつもりだ?」


 ジグもレナスも、ルガレドの怒りに怯むことなく、薄く笑う。


「オレたちは────本当に運がいい」

「恋をした相手が主の伴侶となる方だから────心置きなくお護りすることが出来る」


 ルガレドは、再度、目を見開いた。


「過去────敵に恋をして、悲惨な末路を辿った者もいたそうです」

「城下に住む町娘に恋をし、病気に倒れたその娘の死に際に駆け付けられず、そのことを気に病み、残りの人生を苦しんだという者もいました」


「でも、オレたちは違う。敵対することもなく───リゼラ様が死地に向かうならば共に行ける」


「我々の“真の主”はルガレド様です。この忠誠は、生涯、変わることはありません。万が一、ルガレド様とリゼラ様のどちらかを助けなければならないとなったら、迷うことなくルガレド様をお助けするでしょう」


 ルガレドを優先すること────これは、現雇い主であるリゼラからの命令でもある。


「ですが───もしリゼラ様が危機に晒されたとしても、リゼラ様を生かすことがルガレド様をお護りすることに繋がる現状───見殺すことなく、この命をかけてリゼラ様をお護りすることが許されるのです。本当に…、幸運だと思わずにいられない」


 本来ならば───“真の主”以外の者に命を捧げることなど、許されないのだから─────


「ですから、ルガレド様がご心配なさることなど何もありません」

「リゼラ様が我々に笑いかけ、それに我々が見惚れたとしても、どうかお目溢しいただきたい」

「その代わり、オレたちは────リゼラ様を…、この命をかけてお護り致します」


「………」


 リゼラと話す前のルガレドだったら────きっと許さなかっただろう。だけど、今はリゼラがくれた言葉が胸にある。


 この二人は、それを見越して持ち掛けたのだろう。おそらくは────ルガレドとリゼラのために。


「いいだろう。お前たちを…、信じる。だから────その言葉、決して違えるな」


 ジグとレナスは片膝をつき、こうべを垂れる。


「「御意」」



◇◇◇



「ところで…、お前たちは、リゼの何処に惹かれたんだ?」


 ルガレドの問いに、先にレナスが答える。


「オレは────ギャップですかね」

「ギャップ?」


「佇まいとか───真剣な表情は、あんなに凛として綺麗なのに────無邪気に楽しむ顔とか───嬉しそうな笑顔とか、あんなに可愛いなんて反則じゃないですか?

今朝だって、パントリーの話をしたときのあの顔なんて可愛すぎて────本気でどうしようかと思いましたよ。顔に出さないように、もう必死でした」


 あのときのリゼラの表情を思い浮かべたのか、レナスが目元を赤く染めた。


「ああ…、あれは確かに可愛かった。そうなんだよな…。剣を振るうときや何かを考えているときは綺麗としか言いようがないのに────はしゃいだり嬉しそうに微笑むときのリゼは…、本当に────可愛い」


 しみじみと────噛み締めるように、ルガレドはレナスの言葉に頷く。



「ジグは、どうなんだ?」

「一目惚れです」


 ジグはきっぱりと答える。


「契約の儀では、自分がルガレド様の護衛として紛れ込んでいたんですが…、女性を美しいと思ったのは────あのときが初めてでした」


「何か…、意外だな」

「ジグは言動だけ見ると理性的に見えますが、結構、直感的ですよ」


「ですが、ルガレド様も一目惚れだったのでは?完全に見惚れていましたよね」

「ああ、その通りだ。俺も────誰かを美しいと思ったのは、あのときが初めてかもしれない…。だが…、確かに始まりはそうだったが────今はそれだけじゃない」

「ええ、解っています。自分もそうですから。あんなに才覚があるのに───無防備で、すごく真面目で────使用人でしかない我々のことにも一生懸命で────あんな人、他に見たことない。

それに、レナスではないが────あの笑顔は…、本当に反則です」


 存在を明かした夜、事情を打ち明けるために訪ねたとき、リゼラが見せた花開くようなあの笑顔────ジグにとっては、あれがとどめだった。



「……どちらも────本当にリゼに惚れているんだな」


 ジグとレナスの答えと表情を窺っていたルガレドが、ぽつりと呟く。


「信じていなかったんですか?」

「いや…、信じていなかったというか───半信半疑だった。もしかして、俺が疑心暗鬼になっているのを考慮して、否定せずにああいう話の流れに持っていったのではないか、と」


「ああ、それ───ちょっとオレも思いました。一人だけ違うと言ってもルガレド様が信じそうにないから、ジグはオレに付き合って言っているだけなのではないかと」

「自分はレナスの方がそうなのではないかと思っていましたが」


「「「…………」」」


 つまりは、ここにいる三人ともが────本気でリゼラに想いを寄せているということだ。


 ルガレドは溜息をくと、ジグとレナスに向かって口を開いた。


「まあ、いい。俺はお前たちを信じるとすでに宣言した。それに───お前たちが本気でリゼラを想っているのというのなら、先程の言葉、違えることはないと信じられる」


 ルガレドはそこで言葉を切ると、一層真剣な表情になり、ジグとレナスを見据える。


「…お前たちには────任せたいことがある」


 ジグとレナスは、ルガレドの言わんとしていることを理解しているようで、重々しく頷く。


「リゼラ様を────不逞ふていの輩から護ることですね?」

「そうだ。リゼは何故か無自覚で───物凄く無防備だ。変な輩を近づけさせたくない。リゼに近づく男はさりげなく遠ざけろ」

「かしこまりました」

「ご命令とあらば」


 ジグとレナスは、ほくそ笑む。雇い主であるリゼラの交友関係に、立場上、口を出すわけにはいかなかったが、これは主からの命令である。


 これで、堂々と────リゼラに近づく男どもを排除できる。


 不敵な笑いを浮かべる二人を見て、ルガレドも満足げに笑う。



 ここに、“リゼラを不逞の輩男どもから護る会”なるものが発足されてしまったことを────この三人が、『報告会』と称して、夜な夜なリゼラの惚気話で盛り上がるようになることなど────リゼラには知るよしもなかった。

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