第十章―忠誠―#4


「それで…、どうするつもりなんだ?リゼ」

「勿論、ジグとレナスの食事は私が用意します」


 レド様に訊かれ、私がきっぱり答えると、ジグとレナスはまたもや驚いた様子を見せた。


「当然じゃないですか。私たちの大事な護衛に、あんな粗末な食事をさせておくわけにはいきませんから。貴方たちが食糧を調達できないのは、私たちの護衛で手が空かないからでしょう?それなら────雇い主である私が用意するのが当たり前です」


「ですが、リゼラ様の手を煩わせるわけには────昨夕はあのような失態を見せてしまいましたが、我々は食堂で大丈夫ですので」

「そうです。ラムルとカデアが戻ってくるからといって、人手不足には変わりないのですから。本当にお気になさらないでください、リゼラ様」


 ああ…、やっぱり。ジグもレナスも────私の負担を考えてしまって、食事のことを言い出さなかったんだ。


「大丈夫です。…レド様、ジグとレナスの分の食事を一緒に作ることを許可していただけますか?」


 昨日、二人の食事を用意してもいいとは言われているけれど、あんな状態ではなく、今の冷静なレド様から許可をもらいたかった。


「ああ、勿論だ。だが、どうする気なんだ?俺の予算から、二人の食費を出すわけにはいかないのだろう?」

「ええ。ですから、調理自体は私たちの分とまとめて作りますが、今まで通りレド様と私の食材は街で購入して、二人の食材は別に購入するつもりです」

「別に?」

「はい。肉類は狩りで調達できますし、その他の食糧や食材は───そうですね。【転移テレポーテーション】で他の街に買い出しに行くか、もしくは孤児院の分にこっそり便乗して仕入れるか────やりようはいくらでもありますから。…あ、パントリーを間借りしても構いませんか?」

「それは、構わないが…。結局────労力だけでなく、金銭面でもリゼの負担になってしまうのではないか?」


「ふふ、レド様、お忘れになったんですか?このお邸のパントリーの凄さを。工夫すれば、2人分の食費なんて大した出費にはなりませんから、大丈夫です。それに、2人分も4人分も作る手間は同じですから、特に負担ではありませんよ」


 相変わらず私を思いやってくれるレド様に、私は嬉しくて笑みで返す。


「いえ、食費は給金に含まれているんですから、自分たちで払います」

「そうです。調理代もきちんと払わせていただきます」


 ジグとレナスが、生真面目に言う。


「いえ、いりません。その代わり、二人にはお願いがあります」

「お願い───ですか?」

「はい。食事はしなくても、食堂には情報収集のために通ってもらいたいのです。それと、今まで通り、使用人用の浴場にも。噂話というのは案外馬鹿に出来ませんから、使用人や官吏の噂を出来るだけ拾ってきて欲しいのです」

「それは───食事と引き換えでなくとも、引き受けますが」

「いいえ。二人は護衛なんですから、それ以外の仕事をするなら報酬も別にするのは当然です」


 私が引かないことを、ジグもレナスも察したのだろう。二人は、レド様の方を助けを求めるように伺い見る。


「…こういうときのリゼが頑固なのは知っているだろう?」


 レド様がそう言って苦笑すると、ジグとレナスも諦めたのか───苦笑を浮かべた。




 レド様と仲直りして、ジグとレナスの食事の問題を話し合って────結局、下級兵士用調練場でいつも行っている朝の鍛練には間に合わなかった。


 案の定、朝食も作っている暇がなかったので、昨晩のうちに作っておいたカツサンドとミネストローネをアイテムボックスからお出ししたら、レド様に驚かれてしまった。


「これ、ジグとレナスの昼食です。朝食と同じもので申し訳ないですが。…それと、昨日は昼食、食べられなかったですよね?思い至らなくて、本当にごめんなさい…」


 ロウェルダ公爵邸に向かう前に、ジグとレナスに、魔力でコーティングした布巾で包んだカツサンドとミネストローネを入れた蓋つきのスープマグが入った小さめのトートバッグを、それぞれに渡す。


 蓋つきのスープマグは支援システムの支給品、トートバッグは前世の記憶から創り出したものだ。


 二人にはマジックバッグを渡してあるので、それに入れれば荷物にはならないはずだ。


「いえ、ありがとうございます。“カツサンド”も“ミネストローネ”も美味しかったので嬉しいです」

「オレもです。それにこの“サンドウィッチ”、そのまま齧りついて食べられるので助かります」


 ジグもレナスも、そう言って───本当に嬉しそうに受け取ってくれたので良かった。



◇◇◇



 夕方────昨日よりも少し遅い時間にロウェルダ公爵邸から帰ると、レド様は昨日に増して酷くお疲れのようだった。


「レド様…、大丈夫ですか?」

「あ、いや。ロルスの授業はためにはなるが…、何と言うか────ちょっと厳しくてな」


 そのときのことを思い出しているのか、レド様は遠い目になる。


 ちなみに私の方は、孤児院についての届け出と助成金の申請書の書式を教えてもらった。教えてもらいながら書き上げてきたので、明日、おじ様に提出に行く予定だ。もうアポもとってある。


「少し休まれてはいかがですか?」

「いや、本当に大丈夫だ。それより、今日も前世で食していた料理にするのか?」

「はい」


 今日はコカトリスの肉で親子丼ならぬ“他人丼”にしようと思っている。


 昨日はトンカツだったので、連日肉料理はどうかなと───前世で献立を考えていたときの習性が甦り一瞬思ったけれど、考えてみれば、皇都は内陸のため新鮮な魚は珍しく、肉料理ばかりお出ししていたので今更だった。


 それに、レド様もジグもレナスも、やはりがっつり食べたいようだし、今日も狩りに出かけてお腹が空いているので、私としても精のつく料理がいい。


 お味噌汁の具は何にしようかな…。お味噌汁じゃなくて、澄まし汁でもいいかも。




「今日も美味しかった。ありがとう、リゼ」

「いえ、気に入ってくださったなら、嬉しいです。レド様もお手伝い、ありがとうございました」


 仲直りはしたものの────二人きりになると、レド様も私も、お互いに対する態度に何だかぎこちなさが残ってしまっていて、何処かよそよそしい。


 ジグとレナスはこの場にはいない。


 二人には出来上がった夕食を取りにきてもらい、隠し部屋で食事を摂ってもらっている。


 これからずっと、ジグとレナスに隠し部屋で食事を摂ってもらうなら、テーブルを用意しないといけないな────なんて、現状から意識を逸らすように考える。


 隠し通路を案内してもらったときに知ったのだが、ジグもレナスも、家具だけではなく、ベッドすら持っていないのだ。


 下手にそんなものを置いておくと、レド様に隠し通路と隠し部屋の存在を気づかれる恐れがあったので、必需品は分散してお邸のあちこちに隠し、眠るときは精霊樹のマントに包まるだけで、硬い床で寝ていたのだという。


 さすがに、それでは身体が休めないだろうと思い、レド様にももう隠す必要がないのだから、ベッドや家具を置くことを勧めたのだけど、二人は首を縦に振らない。


 曰く、家具を置いてしまうとそれに遮られて気配を感じ取るのに支障を来たすし、さらに何かあったとき降下するのに邪魔になるとのこと。


 仕方がないので、私は二人に前世の記憶から創り出した“布団”一式をプレゼントした。“布団”ならベッドと違い、すぐに移動できるし、しまっておけるから大丈夫なはずだ。


 それとマジックバッグも一つずつ渡してある。マジックバッグに入れておければ、家具がなくても困らないだろう。


 テーブルもきっと断られるだろうけど───折り畳み式のミニテーブルなら受け取ってくれるのではないかと思う。


 “座布団”とかも、あってもいいかもしれない。




「その…、リゼ」

「…っはい」


 レド様に呼ばれ、我に返る。気づけば、もう後片付けまで終えていた。


「……サンルームでも歩かないか?」

「っ!」


 レド様の提案に、私は昨夜のこと────レド様の怒りを湛えた声音や表情────それから壁に押し付けられ───何度もキスされた感触を思い出し、あからさまに動揺してしまった。


 私の動揺に気づいたレド様は、それを拒絶と受け取ったようだった。


「すまない…。昨日、あんなことがあった場所に────俺と行くのは嫌だよな」


 レド様の表情が陰って────レド様にそんな表情をさせてしまったことに、私は焦る。


「…っ、違います───違うんです…!」

「いや、無理しなくていい。あんなことして────怖がらせたよな…」


 自嘲気味に言葉を続けるレド様に、私は縋りつく。


「本当に───本当に、違うんです。私は───確かに、昨日のレド様は怖かったけど────だって、あれは…、その、私を好きだからこそ怒っていたのでしょう…?

それに────行くのが嫌なわけではなくて…、あの場所に行けば昨日のことを思い出して───は、恥ずかしくなるというか────きっと醜態を晒してしまうから……」


 レド様の眼が見開かれる。


 今までになく火照っている顔を見られたくなくて、私はレド様の両腕を掴んでいた両手を放して、自分の顔を覆う。


「その…、いつもの───優しく笑ってくれるレド様も、楽しそうなレド様も好きですけど────昨日の、怒っているレド様も…、何て言うか…、すごく凛々しくて───素敵というか────ごめんなさい、不快ですよね…。レド様は、あのとき嫌な思いをしていたのに、こんな風に思うなんて…、私───色ボケし過ぎですよね…」


 そう、結局のところ、惚れた欲目か────ああいうレド様さえ、私には魅力的に映るのだ。


 レド様は何も言わない。呆れられてしまったかな、と思って、恐る恐る顔を上げたそのとき────私はレド様に抱き込まれた。


「だから…、あまり煽らないでくれと言っただろう…。そういう────そういう可愛い顔をして可愛いことを言わないでくれ…。本当に我慢できなくなる……」


 絞り出すように言われたその言葉に驚いて、レド様の方へ視線をやると、私の肩に顔を押し付けているレド様の耳が、真っ赤に染まっている。


「色ボケしているというなら────それは俺の方だ。リゼと出会ってから、ずっと色ボケしっ放しだ…。俺は、リゼが────愛しくて仕方がない。俺のために一生懸命なところも、少し抜けているところも、楽しそうにはしゃぐ姿も、嬉しそうに笑う顔も…、本当に可愛くて────だけど、それだけじゃなくて…、剣を振るう姿も、何かを一心に考える顔も────見惚れるくらい綺麗で……」


 レド様の私を抱く腕に力が入り、もっと深く抱き込まれ、私はレド様の胸にうずまる。


「あんなことをして────もう嫌われてしまったかと思った…」

「レド様…」


「本当に色ボケしているのは俺の方だ。リゼには俺以外にも大事にしている者がたくさんいて───リゼを大事にしている者もたくさんいて……、リゼが他人を大事に出来るところは好ましいと思うし、今の俺はそれに助けられているというのに───時々、無性にリゼを独占できないことに苛立ってしまう…。

ジグとレナスが────8年もの間押し込められた生活を送りながらも、俺を陰から護ってくれて────俺に仕えたいと言ってくれた大事な護衛ということも解っているのに────それでも…、どうしても────リゼがあの二人を気にかけて…、気を許していることに苛立ってしまうんだ……」


 そう話すレド様の声音が苦し気に聞こえて、私は焦燥に駆られた。


 私はもがいて、レド様の胸から顔を離し、両手を抜き出した。そして、レド様の頬を両手で包み、レド様の顔を覗き込む。


 陰りを帯びたレド様の表情に、胸を締め付けられる思いがして────私は口を開く。


「レド様の言う通り────確かに、私には大事な人がたくさんいます。私を迎え入れてくれた孤児院のラドア院長先生や…、ぼろぼろだった私を面倒見てくれたラナ姉さん、会いに行くと喜んでくれる孤児院の子供たち────それに、初めてすべてを話すことが出来た親友のシェリア、親身になってくれるおじ様やおば様、懐いてくれる弟のようなシルム────そして、レド様を一緒に護ってくれるジグとレナス。皆───私にとって本当に大事で、私は気にかけずにはいられない。

だけど────私が一番大事なのは、レド様です。私が一番大事なのは貴方なんです、レド様。私は、貴方が望んでくれる限り、ずっと貴方の傍にいます。私は…、他の誰でもなく───貴方と生涯を共にしたいんです、レド様。私に大事な人がどんなにいようと、それは変わらない」


「リゼ…」


「だから────だから、不安になる必要などないんです、レド様」


 私はそう告げて、レド様の唇にそっと口づける。


 レド様は、私を抱いていた両腕を放して、頬に当てたままの私の両手を掴むと、くしゃりと顔を歪めた。


「どうして…、そうやって────いつだって俺が求めているものをくれるんだ…、お前は────」


「ふふ、そんなの決まっています。レド様が────好きだからです」


 笑って欲しくて、私は、軽く───明るく、でも自分の想いを込めて返す。


 レド様は、右眼の目元と耳を赤くして、何だか拗ねたような───そんな表情を浮かべた。笑ってはくれなかったけど、さっきの表情よりずっといい。


 レド様の顔が近づいてきたので、私は反射的に瞼を閉じる。すぐに、温かく柔らかいものが、唇に優しく押し当てられた。

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