第2話 『異様な存在』


「殺して…。」



そう言うと、少女は再び気を失った。



年端もいかない少女の口からとは思えない言葉に、サクソンは困惑する。外ではハーピーたちが血眼になり、彼を捜索していた。



「俺の勘は外れたことがないんだけどなぁ。でも、グウィバーには面倒ごとは避けろって言われているし、悪いな…。」



他人を助ければ厄介ごとが増えると日頃からグウィバーに釘を刺されていたサクソンは心苦しいが少女を見捨てることにした。背を向け洞穴を去ろうとした時。



「ぐふっ、がはぁっ…。」



苦しげに吐血する少女。その声に、洞穴の出口に向かっていたサクソンの足がゆっくりと止まる。



何かを思い出すように唇を噛み締め、己の気持ちと葛藤する。しばらく考えた末、彼は肩の力を抜いてため息をつく。



「はぁ…。くそっ!」



少女の方を振り向き、気だるそうに言葉をかける。



「行くぞ。死ぬのは後だ。」



そう言って、サクソンは優しく少女を背負う。慎重に背中に触れないようにしながら、洞穴の外へと向かう。



「なに…してるの…?」



「自分に聞きたいよ。」



厄介ごとに巻き込まれると覚悟しながらも、少女を見捨てることはできなかった。



「少しうるさくなる。耳を塞いでおけ。」



朦朧とする意識の中で、少女は言われるままに耳を塞ぐ。サクソンは腰に下げていた角笛を手に取り、深く息を吸い込むと、一気に吹き鳴らした。



洞穴の反響もあって、角笛の音は峡谷全体に響き渡る。



「ようやくお呼びだな。」



上空を旋回していたグウィバーがその音を聞きつけ、すぐにサクソンのもとへ向かう。



角笛の音はハーピーたちを再び刺激し、さらに峡谷の地下に眠る『異様な存在』にも影響を及ぼしていた。



「今の音はなんだっ!?」



薄暗い地下で異様な存在を守護していた数匹のハーピーが、外で何かが起きていることに気づく。



「『あの方』はまだお目覚めになっていないかっ!?」



一匹のハーピーが息を切らしながら慌てて地上から繋がるトンネルを抜け、地下へと飛び込んで来た。



『あの方』と呼ばれる異様な存在は全身が石化しており、目覚めるまで数匹のハーピーがその周りを守護している状態だった。



まだ石化したままであることを確認したハーピーは、峡谷での騒ぎを知らせに来たものの、少し安堵する。



「どうしたんだい、そんなに慌てて。」



「人間だ! あの方への捧げ物を奪っていきやがった!」



その言葉を聞いて青ざめるハーピーたち。すると、石化していた異様な存在の身体にピキッと亀裂が入る。



「まさか……。もうお目覚めに……!!」



守護していたハーピーが言葉を発し終える前に、石化していたはずの腕が動き、一瞬でハーピーの首を掴む。



腕の石化だけが解けた状態で、ハーピーの首を鷲掴みにする。



「がはっ! あがぁっ!」



首を掴まれたハーピーは泡を吹きながら悶絶する。次第に石化した部分がボロボロと剥がれ落ち、目元を覆っていた石化も解けていく。



黒く染まった眼球に黄金の輝きを放つ瞳が現れ、その目がハーピーを鋭く睨みつけた。



ボキッ!地下に首の骨が折れる音が鳴り響く。異様な存在は掴んでいたハーピーを投げ捨てると同時に、全身の石化が解かれた。



「今の話、詳しく聞かせてもらおう

か。」



人間のような体格に、ゴツゴツとした岩のような皮膚。下顎から突き出した大きな犬歯が剥き出しになっている。太く長い尻尾で体を支え、所々に穴の開いた大きな翼を広げた異形の存在、『ガーゴイル』が石化から目覚めた。



ガーゴイルは、全身を自由に石化させることができる魔物だ。しかし、呪いによって約半月もの間、完全に石化し動けなくなる。その間、彼は主にハーピーなどの下等な魔物を従わせ、石化の間自分を守護させていた。



「ひぃっ!!申し訳ありません!どこからか人間が侵入して、小娘が攫われました。」



報告しに来たハーピーは、翼を広げて地面に遍いつくばり、必死に服従の姿勢を見せた。しかし、守護していた他のハーピーたちは事態を把握できず、呆然と立ち尽くしていた。



ガーゴイルは首をコキコキと鳴らし石化で強ばった体をほぐすと突然、守護していたハーピーたちの首を次々と鋭い爪で切り裂いた。



「目覚めてすぐは腹が減る。無能でも腹の足しにはなるだろう。」



仲間が切り裂かれる光景に、服従するハーピーは恐怖で支配される。



「その人間はどこへ向かった?」



目の前で仲間が貪られる音を聞きながら、サクソンの行方を問われたハーピーは、恐怖に震えながら慎重に言葉を選んだ。



「そ、その人間は、小娘を抱えたまま洞穴から出てきて、糸の様なもので仲間が数匹やられました。そ、その直後、上空からし、白い大きな竜が現れ、炎の息で仲間がさらに、多く焼き殺されました。」



「すべて一瞬のできごとで...、ほ、炎と煙が消えた後、姿を見失いました。」



身震いしながら報告するハーピーの耳には、仲間が食われる音だけが響く。



ガーゴイルは黙って動き出し、報告を終えたハーピーの横を通り過ぎた。



「助かった…。」



一瞬、安堵したハーピー。だが次の瞬間、世界が反転した。ドスッという音と共に、自分の体が視界に入る。



「役に立たぬ。」



通り過ぎる際、ガーゴイルは無造作にその首を切り落とした。不甲斐ないハーピーたちへの呆れと怒りが、彼の中で渦巻いている。



「人間ごときが…。」



何よりも大事な捧げ物を奪ったサクソンに対する怒りが、ガーゴイルの中で沸騰する。



「ギャィィィィ!!」



切り裂くような甲高い金切り声が峡谷中に響き渡る。穴の空いた大きな翼を広げ、勢いよく飛び立ったガーゴイルは、地下から外に繋がるトンネルを通り、サクソンを追った。



その頃、叫びの峡谷を後にしたサクソンは、グウィバーの背中で少女の治療を行っていた。



「この傷…。ハーピーの仕業ではないな。」



少女の背中の傷は、釣爪で引き裂かれたというよりも、鋭利な刃物で切られたような痕だった。



ひとまず傷口を清潔な布で消毒し、包帯を巻いて簡単な応急処置を施す。何か言いたげに横目で見守るグウィバー。



「そんな目で見るな。どうしようもなかったんだ。」



「…そいつは人間じゃない。ハーピーが殺さずに生かしておいたのにも、理由があるはずだ?」



「ハーピーが『あの方への捧げ物』があるとか言ってたが…まさかこんなボロボロの娘な訳ないよな…。」



「ハーピーが今まで利己的な理由で捕らえたものを生かしておいた事があったか?」



「それに叫びの峡谷で異様な気配を感じた。もしそいつが捧げ物だとすれば、厄介なことになるぞ。」



「捧げ物なんて相場は財宝じゃないのか…。」



小声で自信なさげに発するサクソン。魔物の特殊な行動は人間には理解し難い理由があることを知る。



「それにしてもこんな傷だらけの娘をどうしようってんだ?」



「!!?」



何かの気配を感じたグウィバー。



「さぁ、どうするかは知らないが、悪いことに元の持ち主が取り返しに来たみたいだぞ。」



「え…?」



グウィバーは、後ろから異様な気配が物凄い速さで迫ってくるのを察知し、サクソンに警戒を促す。



「自分で蒔いた種だ。なんとかしろ。」



「まったく、竜ってのは非情だな。本心は違うんだろうに。」



サクソンは気だるそうに立ち上がり、腕の装備を調整し始める。腰に付けていた短剣を抜き、ランタン用の油を剣に塗った。



「ちょっと炎を貸してくれ。」



グウィバーが少し息を吹きかけると、短剣は轟々と燃え上がる。グウィバーの協力に微笑みながら、ゆっくりと少女のそばを離れ、尾の方へと向かって歩き出した。



敵を迎え撃つ準備は整った。

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からくりの竜 風雲 @KA_ZE

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