光れヒデト

李徴

光れヒデト

ヒデトは激怒した。政治は長年この問題に向き合わず、行政は適切な対応をしてこなかった。その愚策の煽りを受け我々は苦難の道を歩くことを強いられてきた。ことあるごとに様々な迫害を受けてきた。この問題を放置し続けた為政者に役人どもに社会の者たちに激しい憤りを覚えた。状況を打破しなければならない。正義の鉄槌を加えなければならない。同じ宿痾に苦しむ者たちを今こそ解放し救わねばならない。それが自分に課せられた使命なのだと固く心に誓った。

早速ヒデトは行動に移した。まずは全国の同志諸氏に呼びかけ組織作りを行った。ネット時代である。SNSで告知し結集を訴えた。「我々は団結しなければならない。一人の力は弱いが団結することによって社会を変えることができる。世界を動かすことができるのだ。三本の矢の例えもあるではないか。我々には何千何万もの仲間がいる。同志諸君、今こそ結集せよ。共に戦おうではないか!」この檄文は早々に拡散し、ほどなくして全国各地から賛同者が呼びかけに応え、参加者は瞬く間に1000人を越えた。全国の同志が新たな一歩を踏み出した瞬間であった。

東京都江東区 トシキ「私も長年苦しんできました。もう後ろは見ない。共に戦いましょう」北海道札幌市 ユウジ「高校生の時から今に至るまでずっと後ろ指を差され生きてきました。この結社は希望の光です。頑張ってください。いや他人事(ひとごと)ではなく自分も頑張ります。仲間に加えてください。よろしくお願いします」沖縄県那覇市 アゲハ「私は女性ですが、同じように苦しんできました。今も社会の偏見に晒されています。引き籠っていた時期もありました。ずっと隠して生きてきました。でもこれからは違います。しっかりと自分の足で立ち上がります。一緒に戦ってください」

声に応え早速ヒデトは組織作りに着手した。代表には発起人であるヒデト自らが就任した。副代表には東京のトシキと沖縄のアゲハが就任し、会計は大阪のテルアキ、会計監査は北海道のユウジ、庶務一般は愛媛のマサオが担当することとなった。また地域組織の基盤固めにも注力した。北海道、東北、関東、中部、中国、四国、九州各ブロックに支部を置いた。最も重要なのは資金運営である。過大な会費を徴収することは会員数の拡大に水を差すことになるのを案じ、会費は月500円とし、その他はクラウドファンディングで広く資金を集めることにした。

趣意書「我々の苦難の歴史に目を向けてください。我々は長く虐げられてきました。しかしこの度我々は立ち上がりました。今行動を起こさなければこれからもたくさんの犠牲者が出ることは火を見るよりも明らかです。我々の名誉回復・地位保全に向けて寄附を募ります。我々の活動に対して賛同をいただける方は幾らからでも結構ですので浄財をご恵与ください。ここに深く伏してお願する次第です」この呼び掛けに対し全国から寄附が寄せられ、金額は1ヶ月で200万円を超えた。

Zoomでの決起集会の席上ヒデトは同志諸氏に力強く訴えた。「我々は長く社会の偏見に晒され茨の道を歩いてきた。ある者は屈伏し屈折し屈辱的な人生を歩まざるを得なかった。ある者はルサンチマン(弱者が持つ、敵わない強者に対する怨み)を募らせ社会の転覆を企図したが果たせなかった。ある者は笑いに昇華させ社会と馴れ合い、ある者は身を隠して日陰暮らしを続けてきた。社会の連中は俺たちのことを簡単に一言で片付ける。その一言が俺たちをどれほど傷つけるかを彼らは知らない。栄栄と築いてきたものを一瞬で破壊する言葉。それが「ハゲ」だ。この一言で全てが脆くも瓦解し我々の努力は無に帰する。「ハゲ」それは悪魔の言葉だ。全てを破壊し尽くす最終兵器だ。我々は今こそ立ち上がらなくてはならない。この問題を後世に残してはいけない。この問題に苦しむ者をこれ以上増やすわけにはいかない。これからは堂々と表通りを歩くのだ。歩かねばならないのだ。子々孫々までこの災禍を引きずることは我々の罪だとさえ言える。断じてこの状況は打破されねばならない。我々の情熱をぶつけ社会を政治を行政を司法を変革しなくてはならない。今こそ、その時である。機は熟した。我々の力で変革を実現させよう。我々の力を見せつけてやろうではないか。今こそ立ち上がるのだ。同志諸君よ、決起せよ!」

この演説に聴衆は歓喜した。熱狂がZoom会場を支配した。鉄は熱い内に打て。ヒデトはすぐさま次の行動を開始した。まず広く国民に知らしめるため示威行動を企画した。全国の主要都市でデモ行進をするのだ。札幌大通公園で銀座で御堂筋で福岡親不孝通りで四条河原町で広島平和公園前で高松県庁前でデモ行進を行った。参加者は各々「ハゲにも人権を」「ハゲに自由を」「ハゲに愛を」などと書かれた横断幕やプラカードを持ち、拳を突き上げシュプレヒコールを上げながら公道を歩んだ。「もっとハゲに優しい社会を!ハゲでも生きやすい社会を!自由を愛を!Power To The HAGE!」その数はどの会場でも100名を越える規模となった。この運動は「H・A・G・E・Q+」(ハー・ゲー・キュー・プラス)運動と呼ばれ、その後全国的な潮流となっていく。

またYouTubeとニコニコ動画で独自のチャンネルを開設した。「希望のヒカリエ」と名付けられたそのサイトで代表の演説は日々重ねられる。番組には代表自らが出演するのはもとより毎週会員の中から数名が出演し議論を重ねた。YouTubeのチャンネル登録者数は瞬く間に1万人を超え、ニコニコ動画での「いいね」も6千を越えた。

ヒデトの演説は日々更新される。「ダイバーシティの新時代だ。多様性は尊重されなくてはならない。我々は決して剛毛をロン毛を否定するものではない。彼らの存在も認める。だが同時に我々ハゲの存在も最大限に尊重されなくてはならない。我々は共存共栄すべきだ。できるはずだ。お互いがお互いの存在を認め、尊重し合える。我々の目指すのはそんな社会なのだ」

日々重ねられる演説のなかでも、ある日のスピーチは多くの感動を持って広く会員に受け入れられた。「 I have a dream.(私には夢がある)ハゲがハゲとして尊重され社会の人々と手を取り合える日が来ることを。私には夢がある。ハゲが帽子やカツラで隠さずに堂々と生きて行ける日が来ることを。私には夢がある。ハゲがメインストリートを大手を振って歩ける日が来ることを。私には夢がある。人類皆が愛と許しを持って共に歩める日が来ることを」この歴史に残る名演説を境に、会員数はうなぎのぼりに増えていった。

H・A・G・E・Q+運動が徐々に一般国民にも知られるようになるとSNSの世界だけではなく地上波テレビからの引き合いも来るようになった。カメラの前でヒデトは力強く訴えた。「我々は共存しなければなりません。共に生きることができるはずです。共生社会を作っていきましょう」「敵対ではなく親和を」「真の民主主義を実現するためには我々の存在が不可欠なのです」この放映を機に一般大衆の間にもヒデトの名は広く知られるようになり認知度は飛躍的に上昇した。

増加する会員の持つ様々な課題に対処するため、会には幾つかの審議会・協議会・制作部会が設置された。その内のひとつ「境界審議会」では顔面と頭部の境界に関する問題が協議された。「我々の頭はシームレス仕様になっている。そのことが現在の混乱を招いている。この問題にはっきりと決着をつけなければならない。協議委員各位の自由闊達なご意見を頂戴したい」この会の議長を務めるユウジの挨拶が終わると会員間で熱い議論が戦わされた。「髪の毛が生えている、若しくは生えていた痕跡がある部分を頭部とすべきである」「いや眉毛の上5cmからを頭部と規定するべきだ」「いやそれでは個人差があるため一般的な規範とはなりにくい」「いやいや、毛の痕跡では曖昧過ぎるだろう」「そんなことはない!」「いや、ある!」「何を言うか、若ハゲが」「何だとこのツルッパゲ」「ウスラハゲは黙ってろ」「この中途半端ハゲ」「貴様の頭はバーコードか」「お前こそハゲ散らかしてんじゃねーよ。平家の落武者か?」子供の喧嘩である。議論はますます加熱し最後には殴りあいの喧嘩にまで発展した。

また「映画制作部会」では「ハゲしいのはお好き」「ドント・タッチ・マイヘッド」などの作品が創られ大ヒットした。中でも「SHOGUN 将軍照光」の通算興業収入は400億円を越え、アカデミー賞最優秀作品賞を受賞し併せて主演俳優・鶴山光治が主演男優賞を受賞した。

「ドラマ制作部会」では「抜け過ぎるにもほどがある」「禿鷹の夜」などの番組が高視聴率を誇り「若禿物語」はその年のエミー賞作品賞・映像部門賞の二冠を達成した。

「美術制作部会」では「眩しき青春」「ハ・ゲルニカ」などの作品が制作され、それらを展示した「光の森美術館」の入館者数は年間370万人に達するなど活況を呈した。

 「言語研究協議会」では回文の研究が進められ「カツラが落下(かつらがらつか)」「似合うカツラ使う兄(にあうかつらつかうあに)」「ヅラかワカメか分からず(づらかわかめかわからず)」などの名作回文が創られた。

 また「文学協議会」では元詩人の男性が小説「吾輩は禿げである」を執筆した。「吾輩は禿げである。髪の毛はもうない」で書き始められるこの物語は後世に残る名作となった。その吟遊詩人は他にも「君の髪の毛を食べたい」「世界の中心でハゲが叫ぶ」などのベストセラーを著した。

 「音楽協議会」ではムソルグスキーの「はげ山の一夜」を会歌とすることが満場一致で決定され、また様々なアーティストがテーマに沿った作品を競いあい「ハゲの讃歌」「若ハゲが止まらない」などの曲が空前の大ヒットを記録した。中でもジョリーが歌って踊った「勝手にはげやがれ」はトリプルミリオンを達成し、その年のレコード大賞を受賞した。

 その後も代表の演説は日々行われる。「私がこの運動のファーストペンギンとなった。今後ますますミーツゥーを表明する者が増えるだろう。その事によって我々の運動はますます活況を呈してくる。強く大きな潮流となってこの国を席巻するであろう」

ヒデトは次の行動目標を政界進出と定め政党を結成し党名は「光頭党」とした。党の綱領には「我が党はすべての差別に反対する。すべての差別を世界からなくするために、あらゆる反ルッキズム勢力層を結集し政治の場から広く国民を啓蒙し一日も早く自由で平等な社会の実現を目指す」と記した。また党是を「反差別主義・反グローバリズム・反ポピュリズム」と定め「自由平等・世界平和・民主主義・光り輝く日本の確立」のスローガンの下、広く党員を募り中央・地方政界へ候補者を擁立し、その後光頭党の議員は急速に数を増やしていった。

党首の訴えは日々続けられる。「法を変えることはむしろ容易い。難しいのは人の心を変えることだ」「万一世界を変えることはできなくても我々は行動し続けなければならない。それは世界を変えるためではなく、我々が世界によって変えられないためだ」「政治が司法が行政が変わっても人々の心が変わらなければ問題の解決にはならぬ」「変革の時代だ。我々は変わり続けなければならない、転がる石のように」

一方ヒデトは経済界でも手腕を発揮した。広告代理店「禿報堂(とくほうどう)」を設立し「女性ホルモンが支配する頭部の毛が薄いということは、男性ホルモンが優位である証拠であり、それは正に男らしさの証明だと言える」という基本的考え方に基づき様々な「禿げは美徳なり戦略」を展開し、その活動は多岐に渡った。地上波TVやYouTubeなどの番組のスポンサーになり、「禿が似合う男」や「板についた禿」を起用したアーバントレンディなCMは好評を持って受け入れられた。またHageCジャパン(ハーゲーシージャパン)の正会員となり「多様性」「公共マナー」「ネットモラル」などの普及促進にも力を注いだ。

更には「毛髪が薄くなるのは頭を良く使うからであり、よって禿げている人間は知能が優れている」と言う論理も盛んに繰り広げられるようになり、次第に「ハゲ=高等種」と言う思想が拡散していった。

また傘下の製薬会社・HA&GE(ハー・アンド・ゲー)は遺伝子工学に基づいたDNA組換え実験を重ね、薄毛改善治療薬(ハーゲナ・オース)を開発した。同じく再生医療に熱心に取り組んでいた傘下の病院・禿州会(とくしゅうかい)では早速試薬を採用し治験を行った。この薬は高い有効性を発揮し薄毛に悩む患者の福音となった。

これら医療界での一連の動向は禿報堂が主導した「ハゲ=高等種説」と矛盾すると言われたが、医療従事者たちは一顧だにせず研究を進めた。それに対する国民の需要も拡大して行き収益はますます増大した。

その後更に禿報堂を中心としたグループ企業はM&A(企業合併・買収)を繰り返しコングロマリット化し、ヒデトカンパニーと呼ばれるようになった。傘下には、インターネットサービス(ピッカリ光ネット)、、光電話、動画配信サービスなどのIT関連事業にとどまらず、デパート.・百貨店、コンビニ、スーパーマーケット、旅行代理店(近畿日本ツルーリスト)、ホテル、遊園地、フィットネスクラブ、エステサロン、アイスクリーム店(ハゲーン・ダッツ)、洋食店、イタリアンレストラン、フレンチレストラン、中華料理店、和食料理店、讃岐うどん店(丸ハゲ製麺)、居酒屋チェーン店(養毛の滝)、金融・保険、新聞、週刊誌などを収め、更には禿習院(とくしゅういん)大学を頂点とする幼稚園から小中高等学校一貫校の運営にまで手を広げヒデトは名誉学長の座に就いた。一大巨大企業となったヒデトカンパニーはその後もますます収益を拡大し全国各地に支店を持ち、その数は153に達し従業員は 134,783人に及んだ。ここでもヒデトはCEO(最高経営責任者)として組織の頂点に立つ。

同時に各地で裁判闘争も繰り広げた。東京ではトシキたちが損害賠償請求訴訟を起こした。これまでの育毛剤購入費5,500円×12月×27年=1,782,000円及びウイッグ購入費378,000円×4セット=1,512,000円、合計3,294,000円の補償を求めて訴えを起こしたのだった。また愛媛ではマサオが精神的苦痛に対する慰謝料5,460,000円を求めて訴えを起こした。東京での裁判は一審二審で勝訴し、被告の地方自治体は即日上告し最高裁判所で審議されたが、最高裁はこれを棄却し原告の勝訴が確定、自治体に2,105,579円の支払い命令が下された。愛媛での裁判も一審二審で勝訴、被告自治体が上告し最高裁で審議中であったが棄却されるのは時間の問題だと噂された。

ヒデトの演説はより先鋭的なものとなっていく。「この闘争はジハードである。正義の聖戦なのだ。諸君、胸を張ろう。もう後ろは見なくて良いのだ。正義のために前進あるのみ。共に立ち、共に進み、共に闘おう」「ルッキズムは排除されなくてはいけない。黒人も白人も黄色人種も、剛毛もうすらハゲも中途半端ハゲもズルムケも、共に生きられる世界を実現しなければならない。この戦いはハルマゲドンの日まで継続せねばならない」

やがて一連の動きは日本だけでなく世界各国に飛び火した。賛同者は増え続け光頭党(欧米での登録名Shining Head Party)は世界各国に支部を設立し代表者を置いた。代表はウクライナのツルリンスキー、アメリカのハゲンディー、イタリアのツルピカーノ、イランのハゲネイ、スペインのハゲラッチ、ロシアのツルコビッチ、ハンガリーのズルムケリアーノ、南アフリカのハーゲ・チョビン、フランスのツルン・ドロン、中国の毛寧(ケー・ネー)、台湾の鶴林根(ツル・リンコン)、韓国の金生禿(キム・チョンツル、キン・ナマハゲ)が務め、日本では羽毛田鶴蔵(はげたつるぞう)と臼井上吉(うすいかみきち)が共同代表を務めた。

日を追う毎に党首の演説は冴え渡り、同志のみならず一般大衆までをも飲み込んだ。「我々は今ここに宣言する。ハゲのハゲによるハゲのための政治を実現させるのだ。Government Of The Hage, By The Hage, For The Hage.」党首のこの言葉は広く国民に浸透し、その後党のスローガンとなり、光頭党の勢いはとどまるところを知らなかった。国会では衆議院87議席、参議院38議席を獲得、野党第一党の地位を占めるようになり、その勢力は与党に肉薄するまでになった。また光頭党の外郭団体は社会福祉活動にも力を注いだ。国内はもとより海外の難民救済・貧困対策・医療支援・インフラ整備などの活動を行い、彼らは「髪の毛なきハゲ団」と呼ばれ人々から敬愛された。

だが次第に「ハゲ」という言葉を公式の場で使用することを疑問視する者も現れてきた。早速幹部を招集し協議を行った。「この言葉は駆逐されなければならない。この言葉を差別用語として認定し、その使用を禁止させよう。代替の言葉としては『髪の毛の不自由な人』若しくは『毛髪障害者』『毛髪欠損者』が良いだろうか?」ここでも議長を務めたユウジの挨拶の後、幹部間で議論が戦わされた。しかし問題が大きすぎてこの場だけでは決めかねると、後日全国有志による討論会を開催することになった。討論会は紛糾した。議論百出、侃々諤々のやり取りが続き会議は10時間経っても収束をみなかった。「『髪の毛の不自由な人』では、まるで我々が自由ではないようではないか。毎日の整髪の必要もなくなり、我々は毛髪から解放されて自由になったのだ。このような言葉は使用すべきではない」「『毛髪障害者』の害という字は害悪を連想させる。障がい者と表記すべきだ」「いや、ハゲという言葉は今や親しみを持って使われている。単なる言葉刈りは意味がない」「いや。これまでハゲという言葉で我々の魂はズタズタに切り刻まれてきた。断じてハゲは使用すべきではない」こうして「ハゲ」という言葉の使用を巡る議論は尽きることがなかった。結局この日だけでは決着せず今後の最重要課題として持ち越されることとなった。

しかし一連の波はますます大きな広がりを見せ、多くの聴衆がヒデトの演説に心を高揚させた。「聞け、同志諸君。人類は600万年前の猿人から原人へと進化し、原人から旧人・ホモネアンデルターレンシスへ、そして新人・ホモサピエンスへと進化する度に体毛を捨ててきた。体毛を捨てることによって、叡智を獲得してきたのだ。諸君、心に刻むが良い。その意味で我々は進化の最先端・最前線にあると言える。誇って良いのだ。我々が進化の象徴なのだ。我々は選ばれた民なのだ。これからの未来は我々が主導するのだ」聴衆は熱狂に包まれた。盛大な拍手と喚声が沸き起こり、多くの者が歓喜の涙を流した。

次第にヒデトの言葉は宗教色を帯びるようになり、その言葉は箴言集としてまとめられ出版された。「幸いなるもの、汝の名はハゲ」「禿げゆく者は救われる」「神は死んだ。ハゲて死んだのだ」「武士道とはハゲることと見つけたり」「死に至る病、それはハゲだ」「人間は考えるハゲである」「つるハゲとなるも、うすらハゲとなるなかれ」「生きよ。ハゲよ」「ハゲはハゲの上にハゲを作らずハゲの下にハゲを作らず」ここまでくると一般の者には何が何やらさっぱり訳が分からなくなってくるのだが、党員は熱狂し箴言集は家々の神棚に祀られ、毎日朝夕二回、深く頭を垂れ党首のお言葉を三度ずつ唱えるのが常となってきた。これが宗教団体結成の嚆矢となり、熱心なヒデト信奉者たちは宗教団体「ハーゲ真理教」を結成し、「毛髪の薄い人種は進化の最前線にいる」という優生思想に基づき様々な活動を活発化させた。その活動は多岐に渡り、機関誌の発行、学習集会の開催、個別訪問による集会への勧誘、街頭での宣伝活動、各種商品の開発・販売、また「毛が薄ければ薄いほど人は美しいのだ」という美の価値観の推進など信者は休日を返上して布教に奔走した。その後「ハーゲ真理教」は宗教法人の認可を受け、政治団体「光頭党」の支持母体となる。口さがない人々は「ハーゲ真理教」と「光頭党」の歪(いびつ)な癒着ぶりを噂し合ったが、信者の数は加速度的に増えていった。ヒデトはここでも教祖として組織の頂点に就いた。党首であり司祭でもあるという政教分離に反する行為ではあるが、会員は誰も疑問に思わなかった。

ヒデトは我が世の春を謳歌した。人生の絶頂だった。全てがうまく行っていた・・・恐いくらいに。


ある日、経営するグループ企業で会計責任者の粉飾決済が発覚し捜査の手が及ぶこととなった。設立当初から会計を務めたテルアキは数年前から会社の帳簿を操作し、裏金1億7千万円を自分の遊興費に使っていた。それを機に次第に暗雲が立ち込め始める。本店人事部でのパワハラが発覚したことを皮切りに、連鎖的に全国各支店での談合・不正献金・二重帳簿・データ改竄・誇大広告などの腐敗が表面化し社会問題に発展した。会社の経営はうまく立ち行かなくなり、売り上げは激減した。折からの人手不足も相まって破綻する会社が少しずつ増えていった。翌年、本部会計課での法人税虚偽申告が発覚し、追徴課税49億7千万円が課せられるに至ってグループ企業の衰退は決定的なものとなった。

また「ハーゲ真理教」は、信者の洗脳、教団への高額献金、霊感商法などの疑惑が次々と明らかになり、醜聞好きなマスコミの絶好の標的となった。教団はその後、教祖の言葉は一言一句正しいとする原理主義組織「ピッカ派」と比較的自由な解釈を許す「ツール派」に分派し互いに牽制し合い、その後武力衝突を繰り返すようになった。初期には徒手空拳での戦いだったのが、次第に武器を手にするようになり、拳銃・ライフル銃から大量虐殺兵器をも使用するようになる。武力闘争は熾烈を窮めた。肉親憎悪とでも言うべき、血で血を洗う争いが繰り広げられることとなる。戦いは「ピッカ派」が次第に力を付け、ジェノサイドと評された悲劇的殺戮が繰り返されるようになった。こうして民衆の心は次第に彼らから離れるようになる。

政治の舞台でも光頭党は幾つかの派閥に別れ権力闘争を繰り広げる。当初の理念は忘れ去られ、政治家たちは私腹を肥やすことにのみ心血を注ぐようになった。企業や宗教団体・海外資本からも多額の闇献金を受け、それに対して政治的便宜を図る癒着体質は強固なものとなっていく。また彼らは親族を公設秘書・地元事務所幹部などに登用し、自らの地盤を子供に譲ることを画策し世襲体制を築こうとした。それらに対する様々な批判も、知らぬ存ぜぬでやり過ごせばすぐに世間は忘れるだろうと高をくくり虚偽答弁を繰り返すばかりだった。そのような腐敗ぶりが顕著になり、国民の怒りが噴出した翌年の総選挙で光頭党は議席を半数以下に減らす。ここでも急速に民衆の心は彼らから離れていった。最盛期には100万人を越えていた党員数も激減し凋落の一途を辿った。

またかつて破竹の勢いで勝利を積み重ねた裁判でも敗訴が相次ぐ。逆に党の政治姿勢・政治理念は逆差別に当たると訴えられていた裁判で敗訴が確定するなど逆風の勢いはとどまるところを知らなかった。

更に追い討ちをかけるように飛びきりのスキャンダルが発覚する。初期の構成メンバーだったアゲハとヒデトの密会写真が「週間文秋」によってスクープされた。ヒデトには妻と3人の子どもがおり、アゲハも数ヶ月前に結婚したばかりだったのだが、ふたりが歌舞伎町のホテルに真っ赤なベンツで入っていくところを激写された。ふたりはそれぞれ「今後の活動方針の打ち合わせ」だったと不倫疑惑を否定したが、それを信じる者は誰もいなかった。ヒデトは名誉毀損で週刊誌側を訴えたが裁判は長期化が予想され行方は不透明だった。裁判の帰結はさておき、この一件によりヒデトのイメージが著しく失墜したことに疑いの余地はない。

宗教法人、ハーゲ真理教はその後も「ピッカ派」が覇権を握り続けていたが、その「ピッカ派」も人民の支持を得られなくなり孤立化を深めていった。とうとう彼らは地下に潜らざるを得なくなり表舞台から姿を消した。政治の世界でも光頭党は腐敗構造を改革できず、とうとう議員数は衆議院1参議院1地方議員2を残すのみとなり、更には党首自らも落選の憂き目に会い、その後ついに党は解体した。グループ企業も連鎖倒産が相次ぎ、赤字体質に陥っていた東京本社はついに会社更生法の申請に至った。

アゲハとの醜聞後、家族との関係は冷え込み独り暮らしを余儀なくされていたヒデトは、住んでいたタワーマンションも手放し預金も底をついた。かつて栄華を窮めた雄姿は跡形もなく、名声は地に堕ち人々の心は彼から遠く離れてしまった。

ヒデトは全てを失った。権力も財産も名声も地位も名誉も人望も、家族も愛も夢も希望も未来も、何もかも。ヒデトには何も残されていなかった。

「何故俺が髪の毛ばかりでなく地位も名誉も財産も失わなければならないのだ。何がいけなかったのだ。どこで間違ったのか」

ヒデトは初めこのような事態を招いた自分自身を呪った。次には世を呪い人を呪った。

そしてとうとう尾羽うち枯らした秀人は生み育ててくれた両親に対してさえも怒りの矛先を向けた。

「そもそも両親が俺にこんな名前をつけたからいけないのだ!」

秀人の「秀」は「禿」に似ている。


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光れヒデト 李徴 @golddragon777333

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