第46話 【Side:シュワイゼン】生殺し

「クソッ、クソッ……アイツ、どこまで追ってくるんだっ!?」



王国軍情報部中佐のヤコフ・シュワイゼンはひた走る。夜明け前であり、点灯時間にもなっていない収容所内の廊下を、一心不乱に。



「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」



でなければ追いつかれてしまう。

俺の後ろをまるで影か何かのようにくっついて迫ってくる包帯をぐるぐる巻きにした、ミイラのようなソイツに。



……でも、これだけ全力で走ればもう振り切っただろうか。



走りながら背後を振り返る。

やはり、もうそこにミイラの影はなかった。

ホッと一息を吐きつつ、



「キウイ・アラヤめ……! なぜやつがゾンビを使役していたっ? やはり、やつはただのダークヒーラーというだけではないのか……!」



シュワイゼンは息を整えてから、辺りを見渡した。

ここは収容所の建物の三階だ。

あのゾンビから逃げきれたのはよかった。しかし現在位置は聖職者たちのいる場所からはずいぶんと離れてしまっている。



「もっ、戻らなくては……」



シュワイゼンは走ってきたこれまでの通路へと向き直る。その先は、とても暗い。



「……ッ」



一歩目がなかなか踏み出せない。



「……誰かっ、いないのかっ?」



試しに闇の中へと声をかけてみるも、やはり返事はない。おかしい。たとえこの時間であっても、何人かの王国兵は夜を徹して詰めているはずなのに。



……まさか、みんなもう……!



「そ、そんなわけっ、あるかっ!」



シュワイゼンは自分を鼓舞するように言うと、それからようやく一歩前に踏み出した。

大丈夫、大丈夫だ。

もう誰も追ってきたりなどしていないさ。

小隊のみんなが助けを待っている。だから早く聖職者の元まで行って、あの憎きゾンビたちを倒してもらうのだ──



「──ん?」



シュワイゼンは目を見張る。

数メートル先の通路の壁、そこに設置されているランタン型の魔力灯が、パチンという音とともに突然青白く光ったかと思うと、消える。それを繰り返し、怪しく点滅し始めた。



「な、何が起こっている……」



パチンパチンと小さな音が立つたびに魔力灯は点いたり消えたり。まるで、そこに「おいでよ」とシュワイゼンを誘うようだ。



「わ……罠だろうっ? そうなんだろうっ!?」



自分でも、いったい誰に向かって叫んでいるのかはわからなかった。しかし、声を大にせずにはいられない。



「行かないぞ、俺は罠だとわかってるんだからな! そうだ、迂回すればいい。反対の通路の先の角を曲がれば……」



自然と荒くなる息を抑えつつ、顔だけそちらの方向へと振り返る。

足を踏み出しかけて、しかし。

その角の壁から、ゆっくりと丸い影が。



「ヒッ──」



これまで逃げてきたその相手、ミイラの顔がのぞいていた。



「──なっ、何で後ろにいるんだよぉっ!?」



とっさにシュワイゼンは足を前に踏み出した。先ほど進むのを拒んだ魔力灯の点滅する通路を全速力で駆け始める。

もう、そちらにしか道はない。

後ろから、ノスッノスッとした足音が響く。

ミイラが、迫り来ていた。



「ぁぁぁあっ!」



声にならない声を絞り出しながら、シュワイゼンは走る。その体をピタリと追うように、横の壁の魔力灯がパチンパチンと点いていく。まるで彼のことを逃がさないとでも言わんばかりに。



「くそっくそっくそっくそっ!」



シュワイゼンは通路の突き当たりまでやってくると、そのままの勢いで角を曲がる。

しかしツルッと、何かに足を取られてバランスを崩したかと思うと、そのまま横倒しに転んでしまう。

ただ、痛みはない。

体は地面ではなく、ナニカ柔らかなモノの上に着地したようだ──



「ウッ、ウァァァァァ──ッ!?」



シュワイゼンの下敷きなっていたのは、人。

王国兵だ。首が捻じれて、頭部がきっちり百八十度回転し、アゴ先が天井へと向いていた。



「うっ、うっ、ウッ……」



見開いたままのその真っ赤に充血した目から逃れるように、シュワイゼンは思わず這って後ずさる。



──ヌチャリ。



地面に着いた手が温く、ねっとりとした液体に触れる。糸を引くそれは、赤く、生臭く。今もなお死体から広がっていく鮮血だった。



「うぁぁ、うぁっ、うぅっ!!!」



自分の足を滑らしたものが、床一面に広がる血液だとしってシュワイゼンは胃液のこみ上げる喉を押さえた。ウッとえずく。だが、そうしている間にも、後ろからはミイラの足音が聞こえていた。



「いやだっ、いやだっ」



……こんなふうに、死にたくなんてないっ!



シュワイゼンは腰で血のついた手を拭い、履いていた軍用ブーツを投げ捨てると、再び走り始める。



「誰かっ、助けてっ! 誰かぁっ!」



アチコチの部屋のドアをやたらに叩きながら駆けるその両目からは涙が溢れ出していた。必死の問いに、しかし応じる者は誰もいない。



「っ!」



ガタッ、と。叩いた際にドアの一つが開いた。どうやら鍵がかかっておらず、元々開きかけだったらしい。



……ここに、隠れよう!



シュワイゼンは自らの体を押し込むようにしてその部屋に入り、静かにドアを閉める。



「……フゥッ、フゥッ、フゥッ」



息が荒く、鼓動も速い。

歯は噛み合うことなくガチガチとやかましく音を立てている。

シュワイゼンは自分の腕を噛みしめることでそれを止めた。



……静かに、音を立てるな……!



息も殺して、閉じたドアの前を足音が通り過ぎていってくれるのを願った。



──ノスッノスッノスッ。



──ノスッノスッノスッ。



──ノスッ……。



足音が止まる。

それとともに、シュワイゼンの体中の毛穴という毛穴から冷や汗が湧き出した。



……バレたっ? いや、そんなまさか! 血のついたブーツは捨てた! 血もぬぐった! 靴下も履いているのだから、通路には足跡だって残っていないはず!



震えながら、しゃがみ込んで極限まで身を縮め、アザになるほどに自らの肩を掴んで祈る。



……神よ、ああ、神よ! 私は今日まで従順なるあなたのしもべとして、清く正しく、善なる人間としての務めを果たし、王国のためにこの身を尽くして生きてまいりました! ですからどうかっ、どうか私をお救いください!!!



すると、しばらくして、



──ノスッノスッノスッ。



──ノスッノスッノスッ。



再び聞こえてくる足音。それはこの部屋の前を通り過ぎて、しだいに遠く離れていった。

それから一分ほどおいて、



「ハァァァァ……!」



大きく息を吐き出した。

思わずその場にヘタリと座り込む。



「たす……助かった……?」



こんなところに隠れられる場所があって本当によかった。やはり、神はいる。真なる信仰者には、それなりの報いがあるものなのだ。



「感謝します、神よ……」



しかし、ここはどういう部屋なのだろう?

もしや、ライフルの一つでも置いていないだろうか。そうでなくても使えるものが何かあればうれしいのだが。

シュワイゼンは振り向いた。



──そこに、ミイラがいた。



「くぁッ!?!?!?」



飛び退いた拍子に、ドアへと頭を打ちつけてしまう。

部屋の奥にあった窓がいつの間にか開いて、風が吹き込んできていた。

窓から、入ってきたのかっ!?

しかし、そんなこと考察しているヒマはない。

ミイラの手が伸びてくる。



「はぅあっ! ぅあぅあぅあぁっ!!!」



必死でドアノブを引いて開けて、シュワイゼンは再び廊下へと走り出る。



「なんなんだ、なんなんだっ、なんなんだよっ!!! さっきからっ!!!」



ミイラはなおもシュワイゼンの後を追いかけてくる……そんな気がする。しかしもう振り返れもしない。そして、いま自分がどちらに向いて走っているのかさえもわからない。



「いやだっ! もういやだっ! 何で殺さないっ!?」



涙も、鼻水も、ヨダレも、全てを垂れ流しにしてシュワイゼンはただ走った。

失禁しながら走った。

わからなかった。

後ろのミイラのゾンビの思考がまったくわからない。

いつでも殺せたはずの自分をなぜ殺さないのか、



……もしや、あのゾンビ、俺のことを殺せないのでは?



「ふへ、ふへへっ、そうだっ、そうに違いないっ」



シュワイゼンは狂気の笑みを浮かべて立ち止まると、ミイラへと振り返る。



「おまえっ、実はそうなんだろうっ!? 俺のことを殺せないからって、そうやって俺を怖がらせようとすることしかできな──」



ガシリ、と。

シュワイゼンの首がミイラに掴まれた。

そしてそのまま、廊下の窓ガラスへと叩きつけられて、



「──えっ?」



彼は直後、空中にいた。

三階の窓を突き破って、そして背中から落ちていく。



……あ、死んだ。



そう思ったが、しかし。



「がはっ!?」



背中に走ったのは地面との激突の衝撃ではない。それよりも比較的柔らかな反発力。軍用車のルーフの上にシュワイゼンは叩きつけられていた。



「死んで……ない……!? ぐっ!」



落ち方が悪かったのか、片腕の関節がおかしかった。たぶん折れている。足も捻挫かなにかしているようだ。それにガラスでまぶたの上を切ってしまい血が目に入って痛い……だが、それだけ。まだ動けた。

シュワイゼンは車の上から降りると、そこで見つけた奇跡に目を丸くした。



「キーが……刺さっているっ!?」



何を考えるヒマもない。速やかにその車へと乗り込んだ。

キーを回す。エンジンがかかる。



「よしっ、これでっ──ひぃっ!?」



突然の強烈な光と、落雷に勝る轟音がシュワイゼンをすくませる。

車内から空を見上げれば、禍々しい巨大な闇をまとう魔国幹部と、それに勝るとも劣らない聖なる光を宿した勇者がぶつかり合って、その力の余波が周囲の建物を打ち壊していた。



「もっ──もうたくさんだっ!」



シュワイゼンはアクセルを踏み込んだ。



「これ以上ここにいたら死ぬ! 絶対に死ぬっ!」



車を走らせる。

エルデン南門……王国へと向けて。



「こんなところで死にたくないっ! エリィ……エリィに会いたい……!」



シュワイゼンは胸元の佐官バッジをむしり取ると、後部座席へと投げ捨てた。






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ここまでお読みいただきありがとうございます!

次のエピソードは「第47話 空の戦い」です。

明日もよろしくお願いします!



※次タイトル変更しました。

「アギトの元へ」

「空の戦い」


リアルタイムで毎日書いているので、以降もちょこちょこタイトル変わるかもです、すみません・・・!

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