第17話 【Side:魔国】キウイを取り巻く状況は
「……まだ何か言いたげだな、ヒヒ爺よ」
ダークヒーラーのキウイ・アラヤ、そして魔王の娘のアミルタが去った魔王城玉座の間にて。
魔王は再び玉座に腰かけると、真一文字に口を結んでいるサル顔の老魔族へとそう声をかける。
「いえ、ワシはなにも」
「本音を申すがよい。許す」
「……ワシは、人間それ自体が信用なりませぬ」
ヒヒ爺はボソリと言う。
「ヤツらはワシら魔族以上に狡猾で、力に対して貪欲な種族ですじゃ。それは魔王様もご存じのはず」
「うむ。もちろんだ」
「ならば、どうして信用なさったのですじゃっ」
ヒヒ爺は体を支える杖に力を込め、
「確かに今の魔国は魔族不足! 戦争によるケガ人の増加もあり、魔王城内の清掃員すらも他の仕事に回さざるを得ない現状で、ダークヒーラーが貴重だということも分かりまする。ですが……」
「ヒヒ爺よ、誰が誰を信用したと?」
「……はっ?」
「いつ私がキウイ・アラヤを信用すると言った? 私は『あやつが国益になる、だから魔国へと迎え入れよう』とそう言ったつもりだが」
「ま、魔王様……」
「おまえはいつも極端な思考をするな、ヒヒ爺よ。キウイ・アラヤが "信用できる/信用できない" ということと、"優秀か/優秀でないか"、そして"有益か/有益でないか" ということは、それぞれまったく別の話だろう」
ポカンと口を開けたままのヒヒ爺へと、魔王は凍りつくのではないかというほどに冷静なまなざしと、口元だけの微笑を向けた。
「私はこの国を治める者として、たやすく誰かを信じることなどない。しかし、『完全には信用できないから』などというくだらない理由で、優秀な者をあえて使わないなんて馬鹿げた判断をするつもりもない」
「……は。魔王陛下のご判断として、非常に正しいものかと思いますじゃ」
「うむ。アギトらと相談し、キウイ・アラヤにはエルデンを奪還するために必要ないくつかの仕事を手伝ってもらうつもりだ。問題ないな?」
「
ヒヒ爺は頭を下げる。
「ですが、魔王陛下、十分に信用できない人間を魔王城内に置いておくのはいかがなものですじゃ? あやつは先ほどもアミルタ様に接触していたご様子……」
「その点については問題ない。"ミョル" がいる」
「 "ミョル" ?」
ヒヒ爺は首を傾げ、それから思い出したように、
「ああ、あのアミルタ様のペットの……そのミョルが、いったいなんだというのですじゃ?」
「あのダークヒーラーに邪念があったならば、触れた者の心を読み取れるミョルが食い殺していたことだろう。馴染みの錬金術師にそういう風に造らせたのだから」
「なっ……そうだったのですかっ!」
ヒヒ爺はうめくように感嘆の声を上げた。
「まさかっ、中庭でアミルタ様があのダークヒーラーと接触したのは、魔王様がそこまでのことを考えて仕組んで……!?」
「いいや。私が娘を危険な目に遭わせるわけがあるまい。それについては偶然だ。アミルタが侍女の目を盗んで勝手に部屋を抜け出しただけのこと。困ったものだ」
魔王は深くため息を吐いた。
大事な娘なのだから時にはもっと強く𠮟った方がいいのでは、と誰もが言いたげだったが、しかし口に出す者はいない。
「まあ結果として、現時点においては、キウイ・アラヤがわれわれを害する存在ではないということがわかってよかった。しばらくは様子見でよかろう」
「……魔王様がそうおっしゃるのであれば」
完全には納得していない様子ではあったが、ヒヒ爺はひとまずはうなずいた。
魔王はそれに満足げにうなずくと、それから玉座の横に控える美女の悪魔へと向く。
「では "エメラルダ" よ」
「なんでございましょう、魔王陛下」
エメラルダと呼ばれたその美女は静かにその場で腰を落として応じた。
その青い長髪が覆う背中からは六枚の黒い翼が生えており、それらもまたお辞儀するかのように水平に倒される。
「魔王城内でキウイ・アラヤの世話をするための "使い魔" を手配せよ。人型の魔族がいいとは思うが、最終的な人選はおまえに任せる」
「ハッ、
その返事を聞くと魔王は立ち上がり、マントをひるがえそうとして、
「エメラルダよ。これは私の直観なのだが、キウイ・アラヤは "風" だ」
「……は?」
突然の話に目を丸くする見開くエメラルダへと、魔王はニヤリとして言葉を続ける。
「私はな、もしやすると今のこの魔国のひっ迫して重い空気を、すっかりと押し流す "新しい風" がようやく吹き始めたのではないかと思っているぞ」
「新しい風、ですか」
「そうなれば、われわれが忙殺されているこの状況も少しはマシになるかもな」
「……であれば、どれだけうれしいことか」
「だな」
魔王とエメラルダは互いに嘆息をしつつ、呆れ笑いをする。
「では、後のことは任せたぞ。私は公務へと戻る」
魔王はそう言い残し、今度こそマントをひるがえすとその姿を消した。
* * *
魔王城、魔王秘書官エメラルダの私室にて。
「──よく来たわね、 "ミルフォビア" 」
そう名前を呼ばれ、エメラルダの前でうやうやしく礼をしたのはこれまた一人の美女の悪魔だった。
褐色の肌へと、肩にかかる程度の赤髪がよく映えた、紺色スーツ姿の若い女だ。
豊満な胸のせいで、そのジャケットの前は開け放たれている。
「エメラルダ様の指定通り、"使い魔" としての職務を全うするにふさわしい装いで参りました」
「よく似合っているわ」
「ありがとうございます」
ミルフォビアはエメラルダの部下だった。
というよりも、エメラルダこそが魔王城内の "悪魔種族" の取りまとめをする実質的なトップのため、魔王城の悪魔は全て彼女の部下なのだ。
「それでエメラルダ様、わたくしをお呼びになったということは、ただの世話係としての仕事以外にも何か任務があってのことでしょうか?」
エメラルダはその問いにニコリと微笑んで、
「今晩からさっそくキウイ・アラヤの "使い魔" となり、"抱かれて" きなさい」
そう、事もなげに言った。
そう命じられたミルフォビアも表情をいっさい変えなかった。
「 "
ミルフォビアは聞いた。
「いいえ、"
エメラルダは答える。
そのやり取りに、やはり二人にはいっさいのためらいもない。
「ルマク様……魔王陛下はおっしゃったわ。『キウイ・アラヤは国益になる』と。ならばわれわれもそのお考えに沿うように動く必要があります。しかし、その言葉をそのまま受け止めるだけで、"いざという時" の対策を取らないのは
「そのための籠絡なのですか?」
「ええ。ミルフォビア、あなたの "サキュバス" としての力があれば、キウイ・アラヤを快楽に溺れさせ、身も心もあなたのものにさせることは可能……そうでしょう?」
「はい」
ミルフォビアはうなずいた。
「男でわたくしの体に溺れぬ者はおりません。今晩の内にでも、キウイ・アラヤをわが
サキュバス……別名は
それは男の "精力" を搾り取りエサとする種族の悪魔だ。
男の性欲をあおり、発情させ、性交により身も心も支配することができる。
「ええ、期待してるわ」
エメラルダは微笑んで言う。
「これはキウイ・アラヤへのアギトらを救ってくれたことに対する "恩返し" となり、敵に寝返ることを防ぐ "予防" にもなる……我ながら良い一手ね」
「ええ、さすがのご
ミルフォビアはチロリと赤い舌を出し、その唇を舐めた。
やる気は充分である。
なにせこの任務は同時に、ミルフォビア自身への褒美でもあった。
人間の男の "精力" はサキュバスにとっての良質なエサだ。
しかし今の魔国ではなかなか手に入るものではない。
「では行きなさい」
ミルフォビアは一礼すると、エメラルダの私室から出ていった。
さっそくキウイ・アラヤの部屋へと向かうのだろう。
「……さて、こちらの仕事はこれでよし、と」
つぶやきつつベッドへと腰かけると、ドッと疲労感が押し寄せてくる。
エメラルダはそのまま横に倒れた。
埃が舞う。
激務のあまり、もう何週間も私室の掃除ができていない。
「……はぁ」
エメラルダはため息を吐く。
魔国領エルデンが陥落させられてから、もうずいぶんと眠っていなかった。
「キウイ・アラヤ…… "新しい風" 、か……」
……本当に優秀な味方であればいいのだけれど。
西方エルフ国家との戦争も続いている現状、王国側の対応へと割ける優秀な魔族たちには限りがあり、その数はひっ迫していた。
ダークヒーラーの数はぜんぜん足りていないのが現状だ。
「魔族資源の配置を練り直さないと……あと部下たちからの報告も受けて……あとあと、戦争の長期化に不満を抱えた魔貴族たちへの
そこまで考えて、プツン。
理性の限界がやってくる。
もう無理だと思った。
「うぇっ……うぇぇぇぇぇん──ッ!」
エメラルダは叫び、ボロボロと涙をこぼし始めた。
慣れた手つきで親指を口にくわえる。
そして、ゴロゴロゴロ。
右へ左へとベッドの上を転がった。
「もうイヤァ、働きたくないっ、働きたくないっ、働きたくないぃぃぃっ!」
もはやそこに妖艶な美女の姿はない。
その女はただ感情のままに泣きわめく醜い大きな赤ちゃんだった。
「グスンッ。誰かに甘えて、抱きしめられて、バブりたいよぉ……」
それは誰にも見せられない、エメラルダの儀式。
ストレスに圧し潰されないためのわずかな逃避。
泣き叫び、ジタバタし、指チュパし、そうしてエメラルダは再び大人に戻る。
……三十分だけ、仮眠をとろう。
エメラルダは目の端に涙をためて、
「オギャ……」
スヤリと、静かな寝息を立て始めた。
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