一夜限りの遊園地

菜乃ひめ可

◇◆◇


――空に浮かぶ白い雲のように、自由になりたい。


 ふと、そんなことを思い控室の天井を見上げた私は、今日も決められた洋服と靴、小物に視線を戻す。


「お着替え終わりましたらお呼びくださーい」

「はい、ありがとうございます」


 キィ、ガチャ。


 ヘアメイクの女性は明るい声と笑顔で入口で待つと言い、一旦部屋から退室。


(気を遣わなくてもいいのに)


 シュル、シャッ。


 控室で一人になった私はそう呟き、カーテン付きのフィッティングルームへ入ると、急いで洋服を着替え準備をする。


「今日は」

(黒を基調にしたパンツスタイル。差し色が――)


 常に流行の最先端を優雅に歩き進んでいかなければならない私にとって、衣装の細かい確認は日々のルーチン。


 シュッ――。


 早着替えを終わらせフィッティングルームを出ると、今日履く予定の靴がズラリと並んだ棚が目に入る。初めて見た人は驚くが、ここに並ぶ色とりどりの靴全てが私のサイズぴったり、特注で作られたものだ。


「この色、うん。これにしよ」


 いつものように衣装に合う靴を選び手に取ると、自分の足元へ置く。今日はハイヒールの中でもかかとが十センチ以上ある、キュッと細いピンヒールにした。


 ゆっくりと目を瞑り、自分が歩く姿を頭の中でイメージ。


 カッ、コッ――コツン。


(ん、いい感じ)


 どんなに疲れていても、私の足はいつだって目の前で出番を待つ靴に、まるで吸い込まれるようにスッと入る。


「髪型はハーフアップに帽子、と。はぁ……」


 イメージの半分が出来上がった“今日の私”を姿見でじっと見つめ確認していると、思わず深い溜息をついてしまう。


(私って“誰”? なのかな)


「いけない、いけない」


 たまにそんなことを考えてしまう自分を戒めるように首を横に振って気持ちを戻す。


 本当は自分の心が赴くまま好きな格好をして、人の目なんて気にせず行きたい場所へ出かけたい。


――でも、今の私には。

「夢みたいな話だよ」




SAOKAサオカさん、本日のスタイルは知的で出来る女性という印象ですね! 控えめな小物使いに美しい色合いのスカーフ、ピアスがさりげない」


「ありがとうございます」


「わぁ今日もエレガント! こちらにも笑顔を、こっちです、お願いしまーす」


「はい、嬉しいです」



 三歳からキッズモデルとして活躍し皆に愛されてきた私は両親からの冷め止まぬ応援を背に、今日まで大切に大切に育てられ“守られて”きた。

 


 この日は起用された有名雑誌の表紙発表前インタビューが某高級ホテルで催され、私はその主役という仕事を担い立つ。


「いやぁ~いつ見ても彼女は神々しい」

「ですよねぇ! 素敵って……あの服」

「今日お召しになっているお洋服は!?」


「はい。先日の『ミライ・ロイヤルコレクション』にゲストとしてお呼ばれした際に、頂いた衣装です」


「「「おぉ~!」」」



 今年の夏、おかげさまで二十七歳になる。

 ずっとモデルとして活躍してきた私だが、もちろん他の業種に興味を持たなかったわけではない。これまで他業界からも多くの声がかかり、瞳を輝かせる場面もあった。が、その度に「当社が大事にしている“SAOKAサオカ”という人物のイメージを壊しかねない」と、事務所から丁重にお断りとの一言で終了。


――私の考えは、尋ねてすらもらえなくて。


 煌びやかな大人たちの世界。

 私はいつも、年齢とは不釣り合いなメイクやアクセサリーに髪型。着せ替え人形のように一日のうち何度も衣装を替え、それでも変わらない笑顔でいることが求められた。


 それが幼い頃から指導されたプロとしての意識であり『SAOKAサオカ』という人物。


 もちろん長年の経験で、衣装やヘアアレンジ等に関しては特に自分のこだわりと志を強く持ち意見もする。しかしそれ以外は、自己主張しない、してはいけないのだと思っていた。



SAOサオ、そろそろ」

「あっ、はい。皆様、失礼します」


 記者の方々からのインタビュー途中、マネージャーの理沙さんが呼びに来た。日々こうして時間との戦いだ。


【それでは本日の主役、SAOKAサオカさんより一言、ご挨拶をお願いします】


 パチパチ――!!


 司会進行アナウンスで会場には大きな拍手が沸き起こる。その中を颯爽と登場する私は、期待に応えられるよう今日も変わらぬ笑顔でステージへと上がり、皆が憧れるモデルの“SAOKAサオカ”として挨拶を始めた。


「皆様こんにちは、SAOKAサオカです。本日は――」



 それから数週間後。


 モデル事務所という名の宝箱で、大事に飾られてきた“箱入り娘”のような私にも、本当の“自分”が存在するのだということに気付かせてくれる出来事が起こる。


 たった一度の“夢時間”。

 それは私の人生を大きく変える、奇跡のような出逢い。



SAOKAサオカさん! 今日も抜群のプロポーションに完璧なコーディネート。それにトレードマークの美しい“ヒール”が光ってます!」


「ありがとうございます。本日はよろしくお願いいたします」



 ♪~~♫♩――♫

 キャーキャー!

 わぁ~きゃぁ!!

 待ってー!



「わぁ!」

(いろんな音が聞こえる)


 汗ばむような太陽の光を反射しながら跳ねる乗り物、はしゃぐ子供たちの笑い声、幸せそうに肩を寄せ合う人々。


「素敵……」

(ここには楽しいが溢れてる)


 この日、新規契約雑誌の撮影で訪れた現場。


 テレビも滅多に見ない私は目の前で動くアトラクションに驚き、初めての感情と湧き上がる好奇心に思わず顔が綻ぶ。それに気付いた理沙さんが少しだけ悲し気に眉尻を下げ、声をかけてきた。


「そっか。SAOサオは遊園地に来たことなかったわね」


「そう……だったかな。あぁ、なんだか平日なのに人が多いね~」


 サッと作り笑い、意識を元に戻す。

 そう、私はカッコ良くスマートに立ち振る舞う。

 何があっても動じない――『SAOKAサオカ』なのだから。


「行こう」

SAOサオ……えぇ、そうね」


 その後、遊園地スタッフの方に案内されながら撮影場所まで向かった。



「お疲れさん! SAOKAサオカちゃんさすがだよ。こっちが思った通りに動いてくれるから早い早い! おかげで良い写真が撮れた」


「いえ、佐茂さんの的確な指示のおかげです。いつもありがとうございます」


「どうも。あっそうだ。良かったら今から食事でも?」


「あ、いえ。明日も朝が早いので」


 ここ数年、屋外撮影の時は佐茂さんというアパレル界で有名なカメラマンが担当してくれている。そして撮影後に決まって言う社交辞令が食事のお誘いで、それをやんわりお断りする。これは外食に気を使う事務所の意向もあり、それを理由に返事が出来るので私は助かっていた。


 が、しかし。


 ぱしっ――。


「待って」

「え?」


 この日は少し、様子が違った。


 帰ろうとした私の腕は強く掴まれ、引き留められる。


「実は事務所から、ちゃんとOKもらってるんだ。んでSAOKAサオカちゃん。今日はぜひとも!!」


「えっ」

「まぁ気楽に。みたいな感じだから」


「……」


 そう笑いながら手を離し、冗談っぽく話す佐茂さん。


(事務所がOK? まさか、許すはずが)


 佐茂さんは食事の許可をもらったと自信満々。しかしこの状況が信じられず、声が出ない私は黙りこくったまま動揺していると、側に駆け寄ってきた理沙さんがスッと耳打ちしてきた。


『佐茂さん、ずっと前からうちの事務所に打診してたらしいのよ。貴女と食事がしたいって』


『それはとても光栄なことだけれど。でも』


『今後の仕事に響くといけないからって、今回だけ了承したの。本当よ! 今日だけだから。もちろん、うちの事務所が準備したお店に行ってもらうわ。二人きりにはならないし、信用できる場所よ。予約もしてあるから』


『そんな……』

(どうしていつも先に決めて、何も言ってくれないの?)


『気に入ってるらしいの、貴女の事』


『……』

(どんなに無理なことでも、我慢しなきゃいけないことも。事務所の意向で、今までは仕事のためだからって、笑顔で割り切れた)


『もう子供じゃないんだから』


(そうだよ、子供じゃない)

『……ぃゃ』


――どうして? そこまで決められなくちゃいけないの!?


「じゃ、後で!」


 満面の笑みで去って行く佐茂さんに背を向ける私。決して嫌いとかそういうことではない。写真家としてのセンスや技術は抜群で、人としても尊敬してる。


――でも。


SAOサオも早く着替えてね。準備しないとお待たせしてしまうわ」


 私だって!


「もぅ」

「えっ?」


「もう嫌ッ! ……私」

(操り人形なんかじゃない!)


 バッ――!


「ちょ、サオッ?! 待ちなさい」


 理沙さんの手と声を振り払い私は走り出した。

 どこへ向かうでもなく、ただただ遠くへ行ってしまいたくて。


「痛っ!?」


 しばらく走り、いつも履き慣れているはずのハイヒールが痛く、邪魔で仕方なくなる。私は途中で脱ぎ手に持つと裸足でまた走り出した。


 それはまるで。

SAOKAサオカ』という創られた人形を、脱ぎ捨てるように――。



 ガチャッ、バタン!


「はぁ、はぁ……」

(逃げてきちゃった)


 何も考えず無我夢中で走り続けて見つけた、小さな小屋。そこに逃げ込み扉を閉めた瞬間、我に返る。


(初めて、本音を言えたかもしれない)


 しかし今まで一度も事務所に逆らったことのない私は突如、経験のない恐怖心に襲われ始めた。不思議と後悔は感じないが、今日まで積み重ねてきた実績や信頼、その全てが今後どのように作用するのか? 不安な気持ちになっていく。


 扉に寄りかかったまま、するすると座り込んだ。

 この時、様々な思いが交錯し、どうしたらいいか分からない戸惑いから、目には涙が溢れる。それを必死でこらえていると、後ろから柔らかい声がしてきた。


「君、どうしたの?」

「っ?!」


 驚き振り返ると溢れそうだった涙よりも先に、周りが見えなくなっていた自分の行動に恥ずかしさが込み上げてくる。そして視線を逸らすように部屋の中を見渡すと、自分が駆け込んだ場所が園内にあるスタッフルームだということに気付く。


(大変! 私ってば勝手に)


「君、靴……裸足で歩いて来たの? 大丈夫?」

「あ、あの、申し訳ありません! その」


 扉には【関係者以外立ち入り禁止】と書いてある。

 自分でも見飽きるくらいに知っている文字だ。


 それなのに、必死過ぎてここへ入ってしまった自分の不注意に、深く反省。そんな慌てふためく私の姿を見たスタッフの方は怒るどころか、ふわっと口元を緩め「問題ないですよ」と微笑み応えてくれた。


 そして椅子を引き座るよう案内された。


「どうぞ。麦茶しか出せないけれど」

「あ、でも」


 コトン。


「……あ、りがとうございます」

「お菓子もどうぞ。食べれるかな? このおかき、美味しいですよ」

「あ、はい。いただき……ます」

(おかきなんて、いつぶりだろう)


 カリッ、サクッ、サク。



 ♪~~♫♩――♫

 キャーキャー!

 わぁ~きゃはぁ!!



「……賑やか」

「うん? そういう場所ですので」



 ♪~~♫♩――♫

 ゴォォぉ~!!

 きゃあああ!!



「あれは、何の音ですか?」


「ジェットコースターです。高い所へ上る時の恐怖、そこから流れるように落ちる瞬間の恐怖。どちらも違った感情が楽しめますよ」


「恐怖……それって、楽しいのですか?」


「あはは、まぁそう言われてみればそうですね。当然、苦手な方もいますよ。身長も決まりがありますし、高所恐怖症だと元々乗れません。それに乗った時の感じ方は人それぞれで……人生と一緒です。経験してみないと真実は解らない」


 親切で優しいスタッフの方は、この遊園地にある乗り物の種類や特徴を簡単に教えてくれた。スタイリッシュな雰囲気に似合わず、茶色がかった綺麗な瞳を輝かせながらワクワクと話す姿は、まるで少年のようだ。



  ♪~~♫♩――♫

 キャー! あはは~。



「色々あるのですね。何だか楽しそう」

「楽しいですよ! ここは『夢の時間』を過ごせる場所です」

「夢?」

「えぇ、そうです」



 ビィィー……♪

【♫~さぁ、みんなぁ! そろそろ、夕陽のアーチが見える時間だよ!】



「おっと、そろそろ行かなくては」

「えっ!? あ、あの」


 夕暮れ時の園内放送だろうか。

 それを合図にスタッフの方は立ち上がり、部屋を出ようとする。私は内心どうしようと思いながらも、ここを出なくてはいけないと頭では理解していた。


「あぁ、そうでした。お客様、もしどこかお怪我をされてるようでしたら救急箱はあちらにございますので」


「いえ! そうではなく」


 ずっとここにいたい、そう言ってしまいそうになる。それでも私には決められた仕事が山ほどあり、元の生活に戻らなきゃならない。その思いが今は苦悶の表情となった。


「おっと! そうだ、大事なことを聞いていなかった」

 何かを閃いたような顔で真っ直ぐと私を見つめ、質問する。


「君は、お酒の飲める年齢かな?」

「え……そうですが」


 その言葉を聞き「良かった!」とにっこり。


「じゃあ、迷子さんではないね!」

「ぅ、あのぉ~さすがにそれはぁ」


 なんだかふんわりと浮くような気分と、頬が紅潮するのを感じる私にスタッフの方は「いや失礼」とあどけない笑顔を向け、話を続ける。


「でしたらご自分の事は、ご自身の責任において決めることが出来る」


「自分の、責任?」


「えぇ、心赴くままに。強い意思を持てば――状況は変えられる」


「変えられる?」


 ふと顔を上げて優しい声の主を見ると、外の賑やかな様子を窓越しに眺めて、嬉しそうに微笑んでいる。


「はい。その足で一生懸命走りだした、今日のように」


――あっ。


 彼の言う通りだと思った。

 私は自分の意思で、あの高すぎる“ヒール”を脱いだのだから。



 変えられる、走り出せるはず。

――『空に浮かぶ白い雲のように、自由に』



「あぁ! 僕としたことがいけませんね。お客様に対して、何だかお説教みたいなことを。申し訳ありません」


 何の理由も話さずここに居座った見知らぬ私のために、こんなに親身になってくれる素敵な人。


「そんな、謝らないで下さい! 貴重なお話をありがとうございます」


「いえ、とんでもない。こちらこそ、ご清聴ありがとうございます」


 お辞儀し合う私たち。

 数十秒流れた沈黙の後でなんだか二人、フフッと笑う。


 ガチャ、キィ。


「あぁ、それから。ここの部屋は使いませんので、ご安心を。居たいだけここにいてもらって結構ですので」


「え……でも」

(他のスタッフさんは帰ってるってこと?)


「いいんです。僕はこの遊園地ですべてのお客様が夢のような時間を――心から笑い合える、幸せな時を過ごして頂くことが使命だと思っていますので」


 そして「ごゆっくり」と彼は仕事に戻っていった。



――使命、か。



「そうだよね……」

(私は何から逃げたかったのかな? どんな自由が欲しかったのだろう)


 それからしばらくして、痛いと感じた靴をぼーっと眺める。

 これまでの自分、これからの自分、本当の自分が求める未来を考えて。


 “カラン――……”

「あ、美味しい」


 氷の入ったグラスにつく水滴にそっと触れながら笑む。


 これまでのどんな高級なお茶や飲み物よりも、ずっとずっと心満たされ、体の奥まで沁み入り幸せに感じる。


 それぐらいスタッフの彼から頂いた麦茶は、とても美味しかった。


 部屋の冷房を弱めてくれていたのか。居心地の良さにいつの間にか気持ちも落ち着き、私は人生で初めての居眠りをしてしまった。



 ふわっ。


「ん……」


 ふと目が覚めゆっくりと瞼を開けた私は、肩にかけられた毛布に気付く。それからすぐに眠気から起きられずにいる頭をゆっくりと覚醒させてくれるような、良い香りが脳内に漂う。


「あぁ、起こしてしまいました? すみません」


「……アッ!」

(寝てた!? なんて恥ずかしいの)


 さっきまでの悩みが嘘のように心は穏やか。今までにないくらい深い眠りだったような気がした。


 こんな姿を他人に見られるのは初めてだと、自分の顔がだんだん真っ赤になっていくのが分かる。その熱を抑えるように両手を頬に当て固まっていると、目の前に良い香りの正体が現れた。


 コトン。


「珈琲は飲めますか?」

「は、はぃ」

「良かった。どうぞ」


 お礼を言い、一口。

 ドリップで入れてくれた珈琲の色は電気の光を反射し、キラッと美しい水面のようにとても綺麗に映る。すっきりとした味わいにほど良い甘さが口の中に広がり、何よりちょうど良い温かさが全身へと沁みるような感覚に、私は再びホッと安心する。


「ふぅ、美味しいですねぇ。仕事終わりは、やはり珈琲が一番だ」

「はい……ぁ」


――ドキッ!


 頑張って働き一息つく。

 それでも椅子の背もたれに寄りかからない姿勢と、珈琲に癒され幸せそうに気を抜く表情の彼を見つめ、胸が高鳴る。


「ん? どうかしました?」

「あ、ぃぇ」


 不思議そうに声をかけられ慌てて珈琲を一口、意識を別の場所へと向けた。

(もう外が暗い。音楽も、人の声もしなくなってる)


 あれからどのくらい寝ていたのだろう。

 ふと、ポケットに入れていたスマートフォンを取り出し時刻を確認する。

(大変。理沙さんに連絡しないと)


 理沙さんは私のメンタルを心配し、気を遣ってくれたのか? 電話ではなく、メールでの連絡が数通届いていて、最後のメールが一時間前。『もう閉園時間だから撤収する。サオ無事に家帰った? 現場でお世話になった皆様にはうまく言ってあるから心配しないで』――だった。


(理沙さんに余計な心配と、迷惑かけちゃったなぁ)

「ちゃんと謝って言わなきゃ。自分の言葉で話さないと」


 そうぽつりと呟いていた。


(それに……)


 目の前でくつろぐ、親切な彼。

 とっくに閉園時間は過ぎているというのに、こんなに良くしてもらって。でも、私がここにいるからきっと帰れなかったんだと思うと、迷惑をかけていることに変わりはない。


(早く帰らなきゃ)


「あの」

「ん?」

「今日はご迷惑おかけしてすみませんでした」

「はは、気にしないで下さい。あぁこれ、チョコレート食べます?」

「ぁ……」


(未だに何も聞かず、ここにいさせてくれる)


 笑いながら「ここの土産物屋に売ってるチョコ、可愛いでしょ? とっても美味しいですよ」と一つ、手に乗せてくれた。


「馬?」


「ペガサスです。ほら、翼があるでしょ? 楽しく陽気に、いつか夢に向かい飛び立てるように。当園のメリーゴーランドはそんな意味を込めています」


「とても素敵で……美味しいです」


「でしょう? 良かった良かった」


 ゆったりと、静かに流れる空間に私は自然と自分の事を話し始める。


「実は私、こういう場所で遊んだことがなくて」


「そうなんですか」


「はい。なので今日、こんなに明るく楽しい雰囲気が溢れる場所だと初めて知って。見ているだけでもなんだかワクワクしました」


「おぉ! ではまたのんびり、遊びに来たらいいですよ」


 満面の笑みでそう言ってくれた彼から思わず目を逸らしてしまい、私は言いづらい答えを口にしていた。


「いえ、たぶん。それは無理だと思います」

(きっとまた、明日からはいつもの生活に戻るから)


 すると腕を組み「う~ん」と唸り考え込む。


 そして――。


「差し出がましいようですが、一つだけよろしいですか?」


「えっ、はい。もちろんです」


「では。自分が無理だと思えば、叶わない」


「無理……?」


「そうです。やる前から無理だと諦めたり、やってもいないのに自分には出来ないとか。そんなのもったいない、可能性を潰さないで……決めつけないでほしいのです。その思いが本気なら、一度は何かしらの方法を模索し、挑戦して、努力すべきです」


「ぁ……」

(そうだ、私は)


 今までずっと。

 言われるがままに行動して、自分の目の前にある状況を受け入れるばかり。肯定も否定もせず、反発も抗うこともしないで。


――やろうとしてこなかったのは、自分自身なんだ。


「もちろん、やりたい事ばかりを主張するのは我儘に成り兼ねない。自己中心的なのはよくありません。しかし、自分が決定権を持つ人生の選択については、自信を持って主張すべきだと、僕は考えます」


「私……」

「あなたならきっと、大丈夫」


 ふと目が合った彼はにっこりと微笑み、またチョコレートを一つ手に乗せてくれた。まるで「頑張れ」と応援し、一歩進む勇気をくれるみたいに。


(最初からダメだと思って、周りと会話もせず諦めていたのかも)


――不思議。とても心が軽くなった気がする。


「あ、あの、もしかして」

(私の事。“誰”なのか知っていて、話してくれた?)


「あっ! よろしければ先程のチョコレートのペガサスに! メリーゴーランドに乗りませんか?」


「えぇ!? そんなこと」


「出来ますよ。だって僕は」



――ここに“夢の世界(遊園地)”を作った、本人ですから。



 開けた扉から差す月の光に、その綺麗な彼の瞳がキラキラと輝く。

 これが心にある本物の美しさだと、私は感じたのだった。



 ♪~~♫♩――♫


 時刻は二十二時を過ぎた閉園後。


 夢のような時間を過ごせる場所――『遊園地』で一夜限りの貸し切りで初めて乗り物体験をした私。夜遅くさすがに大きな乗り物には乗れなかったが、案内してもらいながら園内を歩く私は色々なアトラクションに乗った気分になり、誰もいない遊園地ではしゃいだ。


 子供の頃過ごせなかった時間を、取り戻すように。


 その時に履いていたのは『モデルSAOKAサオカ』が守ってきたトレードマークの“ハイヒール”ではなく、親切なスタッフさん……もとい遊園地の社長さんからお借りした、真っ白でカッコいい大きめのスニーカーだった。





SAOKAサオカさーん! 今日はまだお仕事ですかぁ?」

「え? あぁ、お疲れ様! 私、今日はこれからオフなの。明日は、カフェレストランのレポートがあって」


「いいなぁ!」

「もぉSAOKAサオカ先輩、大活躍じゃないですかぁ」

「ホントみんなの憧れ。ていうか、美味しそう」


「私も行ったことのないお店だから、楽しみで――」


 あの遊園地でのプチ騒動から、早三年。


 あの日、撮影終わりとはいえ勝手な行動で心配をかけてしまったことはさすがに叱られたが、それがきっかけで事務所には気持ちを伝えられた。

 その後は話し合い、今後もっとやってみたいことも積極的に挑戦させてもらえるような契約に変更し、色々な仕事を出来るようになっている。


 友人との繋がりも大切にしたいという意思を伝えると、事務所も私の思いに理解を示してくれて……。

(お食事やショッピングも、友人といろんな場所へ行けるようになって。毎日がとても充実していて楽しい!)



 ガチャ――。


「さぁーちゃん、お待たせ」

「あ、優さん」


「きゃー! SAOKAサオカさんを“さぁーちゃん”って! もしかしてのもしや、彼氏さんですか!?」


「なになに!? お車でお迎え~」

「いいなぁ~……はぁ」


「恥ずかしいから、もぉ」


 三歳からずっと、モデル一筋で仕事ばかりだった、私。


「えぇ~いいじゃないですかぁ、先輩! 彼氏さんカッコいい!!」

「あっ! 初めましてぇ、SAOKAサオカさんと事務所が一緒の後輩でぇす」

「私もぉー! きゃー噂の遊園地王子様ですね!?」


「はは、ありがとうございます。初めまして、西条優です」



 プチ騒動から数ヶ月経ち、事務所との話し合いも落ち着いてホッとした頃。


『夢の時間』と勇気を与えてくれた彼の存在が、ずっと自分の頭と心の中から離れずにいる事に気付いた。それから「一言でいいからお礼が言いたい、少しでも良いからまた話したい」という思いが募る。


 悩んだ末、意を決してあの遊園地へ遊びに――彼に会いに行くことにした。


 始めはお礼を伝えて、そこからゆっくりと会話を重ね同じ時を共有する時間が増えた。その後お互いを必要だと思った瞬間――自然と手を繋いだ日にお付き合いが始まり、今日に至る。



「みんな興奮し過ぎだよ。えっと……」


 私はその時ふんわりと握られた右手に安堵し顔を上げると、彼の安心できる笑顔がそこにあった。


「では、僕から。実は先日、プロポーズさせてもらいました」


「「「エッ……」」」


「あ、優さんのことは事務所公認なの。それで、えっと、来月になるんだけど。私の三十歳のお誕生日に――入籍することになりましたぁ」


――えぇぇ!?


「キャーなにそれ!? おめでとうございます!」

「これまだ身内だけの内緒? 正式発表はいつですかぁ!?」

「いいな~素敵。結婚式でたぁーい」


「ありがとう……みんなちょっぴり声、大きいよぉ」


 キャはは~!!


 突然の報告に驚きつつも、高い声を上げ祝福してくれる事務所後輩のモデル仲間たちにお礼を言いつつ、みんなで笑い合う。



――『これからの未来は、君と一緒に作っていきたい』

 夜の綺麗なメリーゴーランドの上で言ってくれたプロポーズ。


 優しく可愛い『夢の時間』が詰まった素敵な世界(遊園地)を作る彼からもらった幸せな言葉は、今もこの耳元にふんわりとくすぐったく残る。


――『はい、一緒に……よろしくお願いします』

 ペガサスの上で、私はその日嬉しくて泣いてしまった。



「そろそろ、行こうか」

「……ぅん」


 後輩たちに挨拶をして今度は指を絡め離れぬように繋いでくれる温かな手を、握り返した私の両手。これまでの伝えきれない感謝の気持ちと、言葉にならない彼への想いを精一杯込めて。


 これから、もっともっと素敵な時間を一緒に。


 新しい未来を二人で作っていきたいと、改めて心に誓った。




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一夜限りの遊園地 菜乃ひめ可 @nakatakana

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