解決編
パチパチと炎が弾け、何もかもが灰に返っていく。暗闇と虫の声だけがその場にあり、あかね以外にそれを支配するものはいない。
その静寂こそが、あかねにとっての救いだった。ここにはあかねという人間ひとりしかいない。
孤独でいるということは、そうしていられるという贅沢な現状を差しているのではないか、とあかねは思う。炎の中に消えていく木々を見ながら、それが揺れる様を肴に、ビールを煽る。
「あらやだ、もうやってらっしゃるの?」
思わずあかねは後ろを振り返った。そこには、派手なドレスシャツが炎で暖められたつばめが立っていた。
「一杯やってるところごめんなさいね。戻ってからでも良かったのだけれど、どうしても今話しておきたくて。ここ、座っていいかしら?」
つばめはズケズケそう言うと、目の前にあった切り株を指さした。あかねはふっと笑みを溢す。今更話すも何もない。全ては終わった。彼が何を話そうと、何が変わるわけでもない──木々の間から漏れるこの銀河のように。
「どうぞ。一杯やる?」
クーラーボックスからもうひとつ缶ビールを出して差し出したが、つばめはそれをやんわり手で制して断った。
「遠慮しておくわ。こういうとき刑事じゃなかったらいいわねえって思うのだけど、まあ仕方ないわよね」
「で? さんざっぱら人を追い回して、今度は何?」
「んー……とっても言いにくいことを言いに。ね、あかねさん。自首してもらえない?」
「自首?」
ぷっと吹き出してから、それが大笑いに変わるまでそう時間はかからなかった。言うに事欠いて、疑う以上──犯人だと断定し、あまつさえ罪を認めろとぬかしてくるとは予想外だ。
「なんの罪で? 冗談きついわ、三条さん。まさか私が極道の女だからってんじゃないでしょう」
「もちろん、佐藤さんを殺した罪で、よ。あの犯行はあなたの仕業」
「あのねえ三条さん。素人のわたしでも分かることよ。佐藤はそもそも私に関わりないところで殺された。料亭を出てったあとで殺されたんでしょ」
「それはどうかしら? まず、佐藤さんが殺されたのは体に付着した泥や砂利から見ても駐車場内で殺されたのは間違いない。あなたは車を駐車場に停めていた。一方佐藤さんは部下に車を運転させていた。そもそも料亭の裏側にある駐車場までわざわざ出ていく必要がないの」
「それで私が犯人? そんなの追い詰められたとか逃げた先が駐車場で、とか色々考えようってものがあるでしょ。どうせ河本派の誰かが鉄砲玉でも放ったのよ」
「それも違うわ。本当に刺客を放ったのなら、現場に凶器のナイフを残したりしないもの。そもそも、佐藤さんほど背の高い人を殺すのに首を狙うのは不自然。逆に考えれば当然、犯人には『首を狙わなくちゃならない理由』があったはずなの」
薪が爆ぜて、火花が踊る。まるで自分の動揺が形になったようだ、とあかねは思った。
「後ろから襲いかかったとか?」
「いいえ、逆よ。犯人は佐藤さんに上から押し倒されたの。それも胸のうちに潜り込むように。当然、手は動かせてナイフは握れてもそれを突き立てることができる範囲は限られる。たまたまその初撃が首だったのかしらね。運悪く失血が酷かった佐藤さんは、痛みで立ち上がった瞬間にふらついて顔から倒れた……」
「大した推理ね。小説家になったら? 応援するわ」
「あらやだ。そんなつもりじゃないのだけれど」
ビールを煽るが、すでに飲み切ってしまっていた。雫が口の中に落ち、喉を濡らす。
「女好きの佐藤さんがそんなことをするのは、当然相手が女性だったから、ということになるわ。つまり、あなたよあかねさん」
「だから! 三条さんね、あなた自分がむちゃくちゃ言ってるの分かってる? 確かに犯人は女かもしれないわよ。だから何? 私がそのナイフで佐藤を刺したって証拠があるの?」
「んー……そうなのよ。確かに現場に残されたナイフからは指紋が拭き取られてる。キャンプ用モーラナイフだからってキャンプ好きなあなたをそれだけでただ疑うのは強引すぎるわ」
「だったら……!」
「でも、今回の事件のキモはそのナイフでもあるの。現場に残されたナイフとは別に、もう一本──別のナイフがあった。そのナイフが、あなたのものだとしたら?」
思わず缶を握りしめ、キャンパーとしてあるまじき勢いでそれを放り投げる。カン、と乾いた音が、虫の声のあいだに紛れていく。
「デタラメ言わないでよ!」
「デタラメじゃないのよね。あなた、キャンプ中に木工するのが趣味の一つだって言ってたわ。……組対四課の情報によれば、あなたSNSに長い間、かわったナイフの制作日記をつけてるそうじゃない? 市場に流通する最も堅くて重い木──リグナムバイタ製のナイフの」
熱された頭に、昨日のような雨が降ってきたような気持ちだった。なんてことだ。
「切れ味はともかく、製作途中の切っ先が尖っただけのリグナムバイタ製ナイフでも、人を刺すなら十分よ。でもそれで刺してしまった以上、犯人は間違いなくあなたということになる。ね、あかねさん。暴行を受けた末の正当防衛、まして自首すれば格段に罪は軽くなるわ。だから──」
「バカを言わないで!」
あかねは思わず叫んでいた。つばめの哀れむような表情に、抱かなくとも良い怒りを覚えたからだった。何も知らない癖に、土足で人の中に入ってくる人間が、あかねは何よりも嫌いだった。
「ナイフが何よ。それに佐藤の血でもついてたっての? 大体そのナイフはどこにあるのよ? ああ、出来が悪くて刃が欠けちゃったやつなら、二・三時間前に薪にして火に放り込んだけど?」
「……あらやだ、あかねさん燃やしちゃったの?」
「私のナイフよ。どうしようが勝手でしょ。楽しい妄想披露ありがとう。私見てのとおり忙しいの。邪魔もされたくない。さっさと──」
「あの、もうひとつだけよろしいかしら?」
「何よ!? 帰りなさいよ!」
「実は堀内ユウトさんのことで。彼自首してきたの」
息が喉の奥に飛び込んできたようだった。ゆうちゃんが何故? 証拠は彼の協力で潰した。あかね自身を追い詰める方法はもはやないはずだ。だとすれば、一体──。
「それで、色々聴取した結果──嘘の供述が一つだけあったの」
「嘘? そんなの、まさか──」
「彼ね、着物を処分したって言ってたけど、ごみ袋に入ってた綴織の帯だけ拾い上げて戻したらしいの。確かに綴織の正絹着物は水濡れが厳禁らしいけど、あなたが昨日着ていたの、帯だけは新品だったそうじゃない? 最近の帯って、雨に濡れたとかコーヒー溢した程度じゃビクともしないらしいの。昨日の時点では捨てる必要が無いと思ったみたいで、着物を処分したあとにそれに気づいたそうなのよ。今更追加で処分しようにも
「自首したって、こと?」
「ま、そういうこと。もしあなたが駐車場のどこかで押し倒されたのだとしたら、帯にその痕跡──もしくは砂利が残ってるかもしれないわ。ああ、雨が降ってたから車の中かもしれないわね。どっちだとしても、何かが付着しているはずよ」
つばめはアンニュイな表情で、淡々と事実だけを述べた。佐藤の頭皮の臭いが鼻をついたような気がして、あかねは顔を歪ませる。
「本人ははじめ強硬に自分が犯人だと主張してたけど、ま、そこはうちもモチはモチ屋だから。あかねさん、あなたのためにならないってことを丁寧に説明したら、折れたそうよ」
目が左右に泳ぐ。何かを探そうと必死に思考を巡らせる。
再び薪が爆ぜて、火の粉が夜空へと上がっていった。あかねはそれを目で追うと、再び銀河が目に飛び込んでくる。
今思うべきでないようなことを脳裏に浮かばせて──あかねはついに折れた。こんなことで意地をはっても、たぶんこのしつこい男にはかなわない。
「……三条さん。あなた、いつもそんなに強引なの?」
「強引? そうかしら?」
「強引に決まってるじゃない。話したくもないことをこうやって話させて。分かったわ。ゆうちゃんをこれ以上、困らせらんないもの。あの子、いい子だから」
「それは自白ということでいいのかしら?」
「……そうよ。概ねあなたの言うとおり。佐藤を殺したのは私」
「辛かったわね」
つばめはただそれだけ言って、スマホを操作した。待機させていた他の刑事へ連絡したのだろう、とあかねはぼおっとただそれを見ていた。炎が弾けるさまを観察するように。
「どうだっていいのよ。ヤクザなんて連中は、私のことを女とか姐さんとか、
それは混ぜ物のない黒崎あかね本人の偽らざる本音だった。正当防衛だろうが殺人だろうが、人を殺して刑務所にブチ込まれるのは変わらない。理由はどうあれ、黒崎会の連中にも恨みを買うだろう。
死と不幸しか待っていない今後など、あかねにとってはどうでも良い。
「そう? 堀内さんにとってはそうでもなかったみたいよ。あの子、まだ自分が犯人だって言ってるもの」
つばめがいたずらっぽく笑うのへ、あかねはそれに目を見開く。今なんと言った?
「……あの子、自白したって」
「してない。
「じゃ、じゃあ一番キモの部分がまるきり嘘だったってこと!? なんで、そんなの……確証もなしにここに来たっていうの!? なんで!?」
「堀内さんが自首したからよ。推理上、あなたが佐藤に暴行を受けた──もしくはされかかったのは明白だった。程度はどうあれおそらく共犯である彼が
はあ、と思わずため息をつく。そんなことのために。極道として一文の得にもならないことに体を張っていたなんて。呆れるやら驚くやら困惑している彼女に、つばめは腰掛けていた切り株から立ち上がった。
「ね、あかねさん。意外と人間って、たった一人だけで生きようとするの、難しいものよ。どんな人間でも、誰かがどこかで余計なおせっかいを焼くものだもの」
「……それ、経験から言ってるの?」
「もちろん。私、意外と経験豊富だから」
あかねはキャンプチェアから身を起こす。頭上に広がる銀河と地上で燃える炎だけが、彼女の孤独を癒やしていると思っていた。誰も私を理解しないし、気にしないと思っていた。
しかし私は極道の妻だ。黒崎錦之助の妻だ。
ならば、他ならぬ自分のために体を張ろうとしてくれたユウトに恩義を返さねばならない。孤独という殻に閉じこもって、傷を舐めるだけが私の人生じゃない。
「……分かったわ。彼は何も知らない。何もしてないわ。すべて私がやったことよ」
あかねは堂々とそう言い放った。それはまさしく、極道の女──強い意志を秘めた女の決意の言葉だった。つばめは微笑み、暗闇へと手を差した。
「さすがは極道の妻かしら、ね。決断力は大したものね」
「決断力? 違うわよ。──多分私は、急いでいるだけなの」
それを聞いて再びつばめは笑みを見せた。彼を通り過ぎ、焚き火を背に暗闇を行くあかねの顔は、もう一人の極道の女になっていた。
夜へ急ぐ人 終
三条つばめ警部補のお別れ「夜へ急ぐ人」 高柳 総一郎 @takayanagi1609
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