第3話 決着を付ける時間はやって来て

 時刻は十五時二十五分。俺はこの小さな争いに決着を付ける為に職員室前にやって来ていた。何分前からそこに居たのかは分からないが、入り口の前には赤堂さんがいた。彼女は俺の姿を見ると慌てて乱れてもいない制服を整えると、背中を壁に預けて腕を組み、偉そうに笑う。

「逃げずに来たようだな。我が宿敵。」

 いつの間に俺達は宿敵になってしまったのか。

「ああ、そうだな。」

 否定する理由は特にないし、なにより面倒そうだったのでそのまま受け入れる。

「ここに来る前、図書室に寄っていたようだったけど、何か成果はあったのか?あの場所で起きそうな勘違い自体は、昼休みの時点で私が否定したはずだけど。」

「まあな。ちょっとだけ調べものをしてた。」

「そ、そうなのか。」

 そうか、調べ物をするには図書室が一番なんだから図書室が答えじゃなくても行く意味はあるのかと、赤堂は此方に背を向けてぼやく。それはそうと。

「そっちはどうなんだ?」

 緊張混じりに聞いてみると、赤堂さんは胸を張って自信満々に返す。

「ああ。それはもうバッチリだ。」

 苦虫を噛みたい気持ちになった。考えてみれば、彼女の出す考察が正しければ俺がここまでした動力の一切が無駄になる。その上、彼女が新設する部活動に入らなければいけなくなり地獄に叩き落される。なんて戦いを受けてしまったのか。とはいえ、この挑戦を受けなくても地獄行きだったのだからしょうがない。

 赤堂さんは、ビシリと人差し指を此方に向ける。

「見てろよ。俺はお前を倒して、必ずお前を仲間に入れてやる。」

 満面の笑顔である彼女のそれは、暗い表情の俺をかき消してしまいそうなほど眩しかった。


 こいつに悪気はない。それが心苦しかった。


***   ***   ***


 職員室に入る。大然高校の職員室はこの場所しかない。中学の頃は各学年で職員室が別々にあったが、本校に限ってはそうではなかった。この高校に関わる全ての教職員がこの場所に集まる関係で、職員室は生徒達が過ごす教室が四つ分入るような広さがあって随分と広い。職員室に入って直ぐの場所には、職員室全体の座席配置を簡略化した地図がある。その地図の中から『一年二組、数学、篠崎』と書かれた座席を模した四角い枠組みを探す。そして地図から目を離し、探した場所に篠崎先生がいることを遠目で確認すると、そのまま篠崎先生のいるところまで歩いていった。

 篠崎先生はコーヒーを飲みながらパソコンを叩いていたが、自分へと近づいて来る人物の気配に気づいてか、こちらを見て微笑んだ。

「篠崎先生、今大丈夫ですか。」

 声を掛けたのは赤堂さんだった。俺は彼女の横に並んで立つ。

「おお、赤堂。」

 篠崎先生は俺を一瞥する。なんとなく気まずく感じた。

「そうか。よかった。尾緒神は受け入れてくれたんだな。」

「いえ、先生。それはまだなんです。」

「お、おう。そうなのか。」

 ならどうして来たのか。篠崎先生はそんな分かり安い顔をした。

 赤堂さんは篠崎先生にことの経緯を説明した。篠崎先生は暫く呆然としながら説明を受けていたが、全て終わったころには「なんだか面白そうなことをしているな。」と言って笑った。

「でもそっか、赤堂と尾緒神は友達じゃなかったんだな。それはちょっと、申し訳ない勘違いをした。」

 優しく苦笑する先生を見てイケメンだなと思う。篠崎先生は、職員室の先生達の中では比較的若い年齢の方だ。実年齢は知らない。もしかすれば四月の授業始めに言っていたのかもしれないが、覚えていない。

「尾緒神には悪いことをしたな。」

「いえ、別に。たいしたことではないですよ。」

 急に話が此方に向けられたので驚いてしまう。その驚きは表情には出さずに淡々と返事をした。昔、対話の中であまり言葉に詰まってしまわないように心掛けた結果、自分が表情を変化させる回数は以前より減ってしまったように思う。此方の対応を冷たく感じたのか、篠崎先生は一瞬だけ困った顔をした。

「それで先生。時間は大丈夫ですか。」

 そんなに自分の持って来た考えを言いたいのか、赤堂さんが前のめりになる。まあ、これで俺が負けたら晴れて部員が一人増えるのだから嬉しくはあるのだろう。心臓の鼓動が早まり始めるが、冷静になるよう心に訴えかける。てんぱっても意味はない。

「おう。ええぞ。けどな、そこまでたいした理由があるわけではなから、あんまり真実に期待はするなよ。」

「チッチッチ。先生、私達は衝撃の真実を知りたい訳じゃないんですよ。」

 人差し指をくいくいと動かしながら、赤堂さんは物知り顔になる。

 それには同意見だった。俺達はなにも、どんでん返しを期待している訳ではない。これは真実を知る為の考察ではなく、あくまでもその後の『俺が彼女の部活に入ることになるか否か』が重要なのである。真実がしょうもないものであろうとそこは正直どうでもいい。大切なのは、『赤堂さんと俺の出した考察が合っているかどうか』なのだ。

「大切なのは過程なんですよ。過程。どんなにつまらない答えだったとしても、それに向かって楽しんで考えようとする気持ちが大切なんです。どうでもいいことだけど、なんか解明したい。それが子供心って奴なんですよ。」

 ……。俺の思っていた答えと違う。まあ本人が楽しそうなんだから何も言うまい。赤堂さんの考え方も悪くないと思うしな。

「お、おう。そうか。なんか急に明るくなったな。赤堂。」

 一方篠崎先生の方はたじろいでいた。普段の彼女はここまで元気ではないのだろうか。一年五組の教室に来た時、彼女の目に輝きがなかったことを思い出せば疑問に思うことでもないか。それに、そうでなければ俺が困る。

「それはそうですよ。だって私、今とっても楽しいですもん!」

「それなら、まあ良かったよ。教師としてはやっぱり、生徒には学校生活を楽しんで貰いたいものだしな。それじゃあまあ、二人の意見を聞かせて貰おうか。」

 此方に体を向けつつも、どっかりと背もたれに寄りかかった篠崎先生はコーヒーを一口だけ口にした。

 来た。このタイミングを俺は待っていた。

「それじゃあ俺が先に」

「待って尾緒神。先攻は私にやらせてくれ。」

 まさかこの女、俺と同じ考察を持って来たのか。この勝負の場合、お互いが同じ考察を持って来ていたとするなら、先にそれを喋った方が勝ちになる。それを知っていて俺と同じ様に。いや、違うな。これは早く自分の考えを言いたいという無邪気な目だ。

「でも」

「まあまあ、尾緒神。赤堂の方がやる気なんだし、ここは譲ってやってくれないか。俺からもお願いする。」

「まあ、いいですけど。」

 もうどうにでもなれだ。こうなったら、なんとか赤堂さんの考察に穴があることを願うしかない。無理矢理それを見つけて纏めてしまえば、俺の方が正しい考察だと思わせることが出来るかもしれない。また、相手の意見を含めた上で自分の考察を喋ることも出来る。そうだとするのなら、先に相手の考察を聞いて吟味出来る後攻にも得はある。後は、最初から完璧な考察が出ないことを祈るだけ。……。とんだ博打じゃないか。


 赤堂さんは右手拳を腰に、左手を右斜め上に突き出す決めポーズを決める。その自身の有りように、俺はどうしても焦ってしまう。

「それじゃあ、私の推理をお披露目しよう!」

 馴れて来たのか、篠崎先生はそんな赤堂さんを温かい目で見守り始める。

「私の推理の結論は、『やっぱり図書室だった』だ!」

 ふむ。そうか。『やっぱり図書室だった。』え?

「図書室って、それはお前自身が否定しなかったか。」

 それは職員室の前でも彼女本人が言って来たことだった。図書室は正解に成り得ないと、そんな意味の込められたことを念押しするように言っていた。いや待て。もしかしたら赤堂さんはあの時、俺の方でも最終的には『図書室で誤解が生じた』という結論に行き着いたと考えたのではないだろうか。放課後、どこから見ていたのかは知らないが、図書室に訪れる俺を彼女は見ていた。だから解答時間になるより前に俺にそれを確認しに来た。同じ解答になった場合は、先に答えを言った方が勝ちというルールだからだ。そしてそれに対して俺はなんと返しただろうか。曖昧な返事とも取れる返しをしたような気がする。

 赤堂さんが背中を向けてぼやいていたのも、もしかしたら『尾緒神が同じように図書室を結論に持って来てしまったのか』が絞れずに苦悩しただけではないのだろうか。

 そして先程の会話。つまり赤堂さんは


 俺に先に喋られると負けると思ったから先攻を取った。


 こいつ。純粋さの影に意地でも勝つという闘争心を隠しやがった。あたかもそういう意図はないように見せかけて。いや、こう考えてしまうのは捻くれすぎなのだろう。彼女には純粋な気持ちも、勝ちに貪欲な気持ちもあった。そしてそれを隠したつもりもなかった。勝手に俺が、そういう意図がないと誤解してしまっただけ。そういったことだってあり得る。これで彼女を純粋の皮を被った獣だと決めつけてしまうのはよくないことだ。

 俺はそう自分に言い聞かさせた。


「確かに私は、私自身で図書室の推理はないと考えた。なぜなら、私自身が図書室を利用することがないと考えたからだ。実際、私はあの場所にはあまり行っていない。」

 最近だと。昼休みの時は、そんなこと一言も言っていなかったじゃないか。

「だから私は、私が否定した条件を否定することにした。そしたら図書室の話が、一番信憑性が高くなるだろ。」

 そういって赤堂さんはウィンクをする。「赤堂さんの図書室の話が、一番信憑性が高いとは思ったんだけどな。」それは、俺が昼休みに言った言葉を意識されてのものだった。

 俺は唸る。今回の件で一番厄介なことは、俺が赤堂さんのことをあまり知らないことだった。つまり、相手目線での情報を集めることが難しかったのだ。勝負にしてしまった以上、お互いに相手に情報を渡したくはないのだから、それは仕方のないことだった。後になって、「やっぱり図書室に行ったことがあった」なんてことを思い出されても、俺にはそれを知るすべがなかった。図書室の先生も、一々誰が図書室に来ているのかまでは把握していないだろうし。今はもう貸し出しカードを本の背表紙裏に付いているポケットに入れるような時代でもない。俺の方で彼女が本当に図書室に来ていたかどうかを調べるのは困難だ。それが最近のことならともかく、いつの時かも分からないものなら尚更。俺が知らず、赤堂さんだけが知り得た情報があってもおかしくはない。それは赤堂さんの方も同じ条件なのだろうけれど。

「お昼休みの時間の私は勘違いをしていた。図書室を利用するのだから、本を借りる以外の用事で使うことはないだろうと。だから授業以外では行ってないだろうと思った。でもそれは違った。うちの図書室は、自分で持って来た本をそこで読んでも構わなかったのだ!」

 赤堂さんは懐から一冊の雑誌を取り出して突きつけて来た。『漢のホビー魂』とタイトルの付いたホビー系雑誌。表紙にロボットやら変身アイテムやらが載った、男の子の夢が詰まっている一冊だ。二〇XX年20XX年六月号ってことは今月発売されたばかりのもののようだ。それにしては、昔から読み込んでいる本かのようにしおれているけれど。

「私は、四月の頃にはたまに自分の好きな雑誌を図書室に持ち込んで読んでいたんだったんだよ。教室で読んでいても誰も声を掛けてくれなかったら、図書室ならもしかしたらなーっと思ってな。」

 よく分からないが、図書室の方がより声を掛けられないのではないだろうか。読書中に用もないのに話かけるのは相手に迷惑だと思うし。俺の場合にはなるのだが、俺の好きな本を読んでいる人が居たとしてもまず声は掛けない。幸せそうにその本を読む人の表情を見てどうだ、その本は面白いだろ、と思うくらいである。

 あ、でもこの人造人型決戦兵器は格好いいな。後でそのページだけ見せて欲しい。


「その時、偶然私とお前の席が隣り合っていて、それを見た篠崎先生が私達のことを友達だと勘違いをした。どうだ!」

 ドヤ顔の赤堂さんに人差し指を突きつけられる。どうだ!と俺に言われても、俺は答えを知らない。それを向けるべき相手は俺ではなく篠崎先生の方だろう。そう思って篠崎先生の方に目を向ける。


「なるほど。面白い。それじゃあ、次は尾緒神くんの方の考えを聞かせて貰おうか。」

 篠崎先生はあまり表情を変えることもなく、赤堂さんの考察が合っているのかどうかを読み取らせない表情で俺へと話を促した。


 残念ながら、勝敗はまだ分からないようだ。俺は仕方なく溜息を付いて、自分の考察を言葉にするために口を開いた。


 お願いだから、俺の方の考え方で合っていてくれ。


「先生、まず始めになんですけれど。俺達は別に、恋人関係という訳ではないですからね。」

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