あの子はドッペルゲンガー

辰砂

あの子はドッペルゲンガー





 

 ああ、殺さないと、と思いました。


 

 夕暮れの図書館は、人気も少なく、暇そうな高齢者と、黙々と赤本を解いている学生がチラホラと居るだけでした。クーラーもよく効いているため、帰宅部の私にとって、誰にも会わずにゆっくりと出来る、丁度良い穴場スポットでした。


 けれど、お腹がぐぅと鳴りました。お腹空いた、そろそろ日も暮れるし帰ろうかな、と私が席を立つと、後ろから「あれ!?田中さんや!」と声を掛けられました。


「この図書館で会うのはじめてやね?よく来るの?」

「え、あ、うん、1人で過ごしたい時に来るの」

「へ〜、意外!なんか、そんなタイプやとは思ってなかったわ〜、けど、分かるよ!やっぱ1人になりたい時って、誰にもあるよね〜」


 ぺちゃくちゃ喋るな、と私は顔を引き攣らせながらも「あ、じゃあ、私そろそろ帰るね」と話を遮り、そそくさと鞄を持って帰ろうとしました。


「あれ、けどさっき…」

「……え、どうしたの?」

「あ、いや!?なんか、さっき隣のクラスの彩瀬君と一緒に帰ってるところ見ちゃった〜っ!て思ってたんやけど、人違い、やったんかなぁ?」

「…私、学校終わったら直ぐに此処へ来たよ?」

「あ、そうやんな!?ごめん、変なこと言うて…」


 両手を合わして「ほんまごめん〜!」と謝る彼女が少し可愛くみえてしまい、思わず「ねえ、イン⚪︎タやってる?」とスマホを手に持ち尋ねました。


「あれ!?田中さんってインス⚪︎やってたん?!フォローしていい?」


 私が言いたかったことを、そのまま言ってきた彼女に、思わず笑ってしまいました。

 それから少しの間、談笑した後、彼女、中堂さんとは帰り道の途中で別れました。そして、首を傾げながら考えました。さっきの彩瀬君と帰ったという話、他人の空似だったいいけど、嫌だな、変な噂になったら、と。

 私じゃないけど、けど、うーん、と悩み、最終的に中堂さんへ「彩瀬君のこと、あんまり皆に言わないでほしい汗」とDMしました。返信は数秒で届き「おけ!うちのことルミって呼んで!」と私にはないコミュニケーション能力に吃驚しながら、帰路につきました。


 次の日、私はいつも通り図書館に行こうと横断歩道を渡っていたら、後ろから「田中さん!」と大きな声で声を掛けられました。吃驚して思わず肩を上げつつも、そのまま振り返りました。


「あ、驚かせてごめん…」

「あ、ううん、大丈夫」

「あー…昨日、一緒に帰れて嬉しかったからさ、出来たら今日も、って欲張っちゃった」


 そう頬を掻きながら照れている彼に、頭の中がハテナでいっぱいになりました。申し訳ないけれど、身に覚えがなかった私は、どう返答していいか分からずに、右往左往としながら戸惑いました。けれど、昨日のルミと話した会話を思い出し、冷や汗がつぅっと、頬を伝いました。


 

「えっと、私と、一緒に帰ったんだよね?あ、ごめん…変なことを言って」

「え、う、うん、そうだけど…、あ、そう!それで、イ⚪︎スタやってないって昨日言われたけどさ、だったらLI⚪︎Eしても良いか聞きたくって……」

「私、イ⚪︎スタしてるよ?」

「え?でも昨日…」

「…昨日は、……その、ちょっと照れちゃって、彩瀬君ってほら、女子からも人気あるし、なんか、ね?」


 必死に話を合わせながら、私は彩瀬君のインス⚪︎をフォローしました。彩瀬君は嬉しそうにスマホを見つめていましたが、私は内心、心がざわついて仕方がありませんでした。誰かが、私を騙って過ごしている、その気持ち悪さが全身を駆け巡り、私を襲うのです。けれど、彩瀬君に、それは私じゃないと言い退ける勇気はありませんでした。


 それからも私は、見知らぬ私に合わせながら日々を送る生活を過ごしました。私じゃない、って、皆に言いたかったけど、変な子と思われたくなくて言えずにいたのです。けれど、事態は改善するどころか、悪化していきました。  まるで、私が偽物で、本物は彼方の私なのではないかと錯覚してしまうほど、見知らぬ私が、私の生活の中に侵食してきました。


 みんな、偽物を私と思っているのではないか、そんな疑心暗鬼に陥ってしまった私は、誰にも相談など出来ず、いつもの図書館で『自分のそっくりさん』とスマホで検索しました。すると、一番最初に出てきたのは、世界には3人のそっくりさんがいる、というサイト。そして、その次に出てきたのは

 

『ドッペルゲンガー』というお話でした。

 

 自分のそっくりさんが徐々に日常の中へ侵食し、最終的に出会ったら死んでしまう、というお話。


 そのお話は、まるで自分を見ているようでした。今の現状はまさしく、この『ドッペルゲンガー』という物語と同じなのです。けれど、だとすると


 私はもうすぐ、死んでしまう


 蝉がみんみんと五月蝿くて、殺してやりたいと思ったことを、今でも思い出します。


 

 昼下がりのスーパーで見てしまったそれは、紛れもなく私の後ろ姿でした。母と仲良さげに談笑し、今日の晩御飯はカレーが言いと曰う、その横顔。恐怖で心臓が早鐘を打ち続け、気持ち悪さで吐き気と震えが止まりませんでした。


 

 私はそっと、母とあれが離れたタイミングを見計らって、母に近付き、恐る恐るスーパーのカゴにチョコミント味のアイスを入れました。「これも買って」と私が強請ると、母は少し困った顔をしながらも「仕方ないわね」と笑いました。母は、私たちの区別などつかないようでした。


 怖くなった私は、家に帰れなくなりました。けれど、無常にも夕暮れの18時を示す音楽が公園に響き渡り、泣きたくなりました。家に帰りたい、帰りたいのに、私の偽物がいるかもしれない、当たり前のようにリビングの椅子に座って、母と笑って話していたらどうしよう、と怖くて仕方がありませんでした。

 お腹がぐうと鳴りました。こんな時にもお腹って減るんだと自嘲しながらも、心細さもあり、思わずブランコの写真を撮り、たすけての四文字を添えてイン⚪︎タのストーリーに載せました。その後、すぐに後悔しました。こんなことしても、意味なんてないのに。


 俯きながらブランコを漕いでいると、足音が聞こえました。ざっざっと音を立てながら近付く足音に、私は震えが止まりませんでした。偽物だったらどうしよう、私を殺しに来たのだろうか、怖くて動けない私に、近付いてくるそれは、肩を叩いてきました。怖くて怖くて、私は振り解くように手を退け、思わず後ろを振り返ってしまいました。


 そこにいたのは、彩瀬君とルミでした。2人は私の顔を見て驚きながらも「何があったん?!」「大丈夫?!」と優しい言葉を掛けてくれました。私は、今まで溜め込んできた涙が、まるでダムが決壊したかのように溢れて止まりませんでした。2人に、今までのことを泣きながら話すと、信じられないと顔に出しながらも、心当たりがあるのか、うんうんと話を聞いてくれました。


「ドッペルゲンガーってさ、偽物の顔を見たら死んでしまうんだよね?」

「え?そうなん?うちてっきり、偽物が殺しに来るんやと思ってた〜」

「けど、段々と近付いてきているから、もう時期…」

「え、ちょっ、…怖いこと言わんといて!」

「……結局、会ったら終わりって、ことだよね」


 そう言い、落ち込んだ私に対し、彩瀬君とルミは視線を落としました。私、死んじゃうのかな、まだまだやりたい事、いっぱいあったのに、目に留まっていた涙が、はらはらと頬を伝いました。沈黙が3人を襲いました。

 それを打ち破ったのは、彩瀬君でした。彩瀬君は口元に手を当てながら、ボソっと呟きました。小さな声、いつもなら聞き取れないような声も、この静かな公園では、よく響きました。


 

 殺される前に、殺そう、と



 私たちは、閉店時間ギリギリの百均で、必要なものを買いました。結束バンドと、カッターと、麻紐、ガムテープ強力粘着のり、タオル、それからブルーのレジャーシート。彩瀬君は家から軍手とスコップを持ってきてくれました。


 あとは、どうやって誘き寄せるか、3人で話し合いました。公園のジャングルジムの上で、日が昇るまで、ずっとずっと話し合っていました。


 

 次の日、私は学校の裏山にある、誰も来ない古びた小屋の横で1人、黙々と穴を掘っていました。この季節は熊が心配だったので、熊よけの鈴をスコップに付けて、チリンチリンと音を鳴らしながら、懸命に穴を掘り続けていました。ある程度、深く深く掘ったら、私は土埃など気にせず座り込みました。1人でいると、とても心細く、彩瀬君とルミ、早く来ないかなと、アンテナが1本しか立っていないスマホを見ながら、2人が来るのを待ちました。


 2人がやってきたのは、夕日が暮れた頃でした。ざっざっと木の葉を踏みながら来た2人は、汗だくになりながらも、懸命にそれを運んできた。ブルーシートに切り込みを入れ、麻縄を通し、まるで、サンタクロースの袋の様に、それを運んできました。2人は私を見て驚き、目を見開きながら「やっぱり、すごいそっくり……」と呟いていました。彩瀬君は背中の通学バックを背負っていたためか、全身汗だくで、はあはあと息を荒らげながら、額の汗を手で拭っていました。


「え、カートはどうしたの?野球部の倉庫から借りるって言ってたやつ…」

「途中で置いてきた、砂利道でコマが動かしにくくって」

「あ、そっか、ごめん、そこまで考えてなかった……それ死んでるの?」

「いや、気を失ってるだけ。時期に目を覚ますと思うから、その前に埋めてしまおう」

「……なんか、偽物って分かってても、なんか、ぐろい」



「ぐろいね、うちらがやってること」と呟くルミに、何も言えずにいました。けれども、もう、此処まで来てしまった、その思いは皆、同じでした。

 

 夕暮れ、私たち3人しか居ない山で、ブルーシートの端と端をガムテープではっつけて、それを麻縄でぐるぐる巻きました。見ないように、見ないようにと、皆、必死でした。包まれた大きな芋虫のようなそれが、人の形をしていたから。ルミは青白い顔をしながら、震える手で、一生懸命ガムテープをぺたぺたしていました。ああ、震えているのは私もか、そう思いながらも、黙々と作業をする手は止まりません。早く終わらせたかったのです。


 やっと、やっとその作業が終わり、私たちは早く早くと、急いでブルーシートに包まれたそれを、ゴロゴロと転がし、穴に落としました。穴の底から、頭がゴッと打ち付けられたような衝撃音と共に「ムグゥーーー!」と言う唸り声が聞こえました。ルミも彩瀬君も、恐怖で青白くなっていた顔が、更に血の気が引き、死人の様な顔をしながら互いを見ていました。私はスコップを手に取り、芋虫のようにウゴウゴと動いているそれに、土を被せていきます。

 山の中はとても静かで、虫や鳥の鳴き声すら聞こえませんでした。土の臭いと、スコップをざくざくと使っている音、動き曰うそれ、私は何をしているんだろう、どうして、こんな事になったんだろう、気がおかしくなったのか、それとも脳が私をおかしくさせないようにか、好きな

アイドルの曲が頭の中でぐるぐると流れてきました。

 そして、不思議と、重かった身体が軽くなっていきました。それは、頭の中で陽気な夏の音楽が流れていたこともありましたが、それ以上に、もうブルーシートが見えなくなり、もう直ぐ終わる、この悪夢から覚めるのだ、という気持ちが大きくなったからでした。


 こうして私たち3人は見事、ドッペルゲンガーを殺しました。夕日が暮れる前に、家に帰ろうと、彩瀬君が言うまで、私はずっと、スコップのシャベルを、それが埋まった地面に向かって叩きました。チリンチリンと鈴の音を鳴らしながら、一生懸命叩きました。土から出てきませんように、死んでいますようにと願いながら。


 

 …………あれ?


 

「めっちゃ泥だらけや〜」

「学校の近くに、誰も行ってなさそうな銭湯があったけど」

「銭湯!?うち行くのはじめてー!」

「俺もはじめて笑」

「え、そうなん?田舎では放課後とか銭湯行く人が多いって、ネットで見たんやけど〜」

「どこ情報?それ、騙されてるよ中堂さん」

「がびーん!」


 「ふっるいなぁ」と笑う彩瀬君、それにけたけた笑うルミを後ろから見てると、今まで起きていたことが、まるで夢だったかのような錯覚を覚えました。


「私も行きたい」

「当たり前やーん!」

「あ、換えのジャージ持ってきた?」

「無いかも…」

「じゃあ、俺の貸すよ」

「ありがと」

「え、うち、もしかしてお邪魔虫?」

「そんなんじゃないよ笑」


 下らない話をしながら、私たちは下山しました。

途中で、蝉がみんみんと鳴いている声が聞こえました。まだ秋は当分先だなと思いながら、スコップを片手に歩き続けました。蝉の抜け殻が落ちていたので、そのままスコップで潰しておきました。チリンチリンと軽快な音が響きます。抜け殻はぐしゃりと音を立てて、お腹を中心に粉々になりました。それをスニーカーの踵で踏み躙ります。

ああ、良かった。本当に良かった。


 銭湯で身体を洗った後、私たちはそれぞれの家に帰りました。家に帰ると、母が「遅かったね〜」とのんびりした声で話しかけてきました。カレーの匂いが台所から漂ってきます。お腹がぐうと鳴った私を見て、母は笑いながら夕飯の準備に掛かりました。


「遊びに行ってたの?」

「うん、そう」

「誰と遊びに行ってたの?いつもの子たち?」

「ううん、ルミちゃんと彩瀬君」

「はじめて聞く子たちね、お友達になったの?」

「そうだよ、とっても良い子たちだから」

「ふふ、そんな疑ってないわ。ただ、あなたは明るいけど交友関係が狭い内弁慶だから、心配になっちゃうのよ〜」

「大丈夫だよ、もう子どもじゃないし。あ、お母さん、アイス食べたい」

「もうカレーできちゃうわよ?」

「カレーも食べるけど、アイスも食べたいの」

「我儘ね〜、チョコの奴で良い?」

「チョコミントが良い」

「あ、そうそう。母さん不思議に思ってたのよ。チョコミント、歯磨き粉みたいな味がしそうだから嫌だって、ずっと食わず嫌いしてたじゃない、どうしちゃったの?」

「……好きになったの、最近」

「え〜、急にどうしちゃったの〜」





「ふふ、内緒」


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あの子はドッペルゲンガー 辰砂 @Sinsyasan

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