『欠片』〜夜〜

音無

ある日、とある部屋で。

 「相変わらず、暗いね」


 寂れたビルの、狭いワンフロア。最低限の明かりに、装飾の欠片もない。ただ、そこにいることだけを目的としたその空間の主である男は、ノックもなしに入ってきたこの訪問客を咎めることはしなかった。


「……扉くらい閉めろ」


 男はおもむろに立ち上がり、訪問客が開けっ放しにしたドアを片手で閉めた。


「なに、嫌味?」


 訪問客は楽しそうに笑う。男は半ば諦めていた。この訪問客に、この程度の攻撃が通るわけがない。


 その訪問客は、男が机に置いていたノートパソコンをじっと見つめていた。


 「……へえ、やっぱり難しそうなことやってるんだね。全然わからない」


 男は答えず、また椅子に腰掛ける。雑にノートパソコンを取ると、窓から見える景色に目を落とした。


 そこに広がっているのは、ネオンが眩しい夜の街だった。多種多様な人種の人々が、止まることを知らずに歩いている。


 「フウは、この街が好きなの?」


 フウと呼ばれた男は、気だるそうに視線だけ動かし、訪問客を見やる。なんと答えたらいいか、いや、別にどんな答えでもいいということは分かっていた。


 「さあな」


 「そう」


 訪問客は、それ以上聞かなかった。しかし、鋭い、まるで全て見透かしているような視線をこちらに向けてくる訪問客を、フウは直視することができなかった。


 「なんの用で来た」


 「用?ないよ。強いていうなら、フウの顔が見たくなったってだけ」


 わかっていた。この訪問客に、理由なんか求めてはいけない。


 しばらく無言が続く。やがて飽きたのか、訪問客はするりとフウの膝に乗った。視線だけでいいでしょと語りかけてくる。


 「…好きにしろ」


 訪問客は満足そうに、なおんと鳴いた。

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『欠片』〜夜〜 音無 @Otonashi_write

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