勇者の拳
月這山中
召喚された勇者の拳によって、ダークドラゴンは墜とされた。
勇者は巨人であった。
民のおよそ4倍の背丈で、性格は穏やかであった。
勇者は上着の中から箱を取り出した。その箱より紙片を抜き取り、両手で恭しく差し出す。
「
紙片は銀盆に載せられ、魔術的な力がないと判断された後、王に献上された。精緻に漉かれた紙の表面には黒、赤、青のインクで異界の字が刻まれている。
王は勇者アユムに、ダークドラゴンを打ち堕とした秘密を訪ねた。
「私は今年で五十六歳、五歳の頃から中国拳法を習っています。先日も自宅で劈拳の練習をしていたのですが、ここは……日本ではないようですね」
宮廷魔術師の中でも一等若い魔術師が前へ出る。
「ダークドラゴンは執念深い。必ずや復讐しに来るでしょう」
魔術師が忠告する。
「勇者よ、もう一度戦ってくれるか」
王に懇願され、アユムは両腕を身体にぴたりと付けて頭を下げた。
「私でよければ」
三日後、ダークドラゴンは来た。民は騎士たちに守られ街外れの丘に避難していた。
アユムは城砦の前で、足を畳んだ姿勢で座っていた。
立ち上がった。アユムは2.8トール(アユムの世界では1.64メートルとなる)、3トールにもなるダークドラゴンに迫る身長である。羽根と尻尾の分ウエイトはアユムが劣る。
両腕を上げ、三才式に入る。
三日前にアユムに忠告した魔術師が頭上を飛ぶ。
「いかに勇者の魔法であっても、心を操るダークドラゴンと戦うのは難しいでしょう。サポートします」
「お気持ちだけいただきます」
魔術師にアユムの言葉の真意は測りかねた。
功夫は魔法ではない。身体から生じた勁を伝える技術である。
そして意功の形を成す、心を鍛える武術が形意拳なのである。
ダークドラゴンが吠えた。人の心を砕く咆哮である。
勇者はひるむことなく、横拳によってダークドラゴンの懐へと進み入った。鋭い爪を払いのけ拳を捻り入れる。しかしダークドラゴンは人間とは異なる身体構造、硬い竜骨突起に阻まれ急所へは届かない。
「やはりか」
「弱点は二つの心臓です!
魔術師が叫んだ。ダークドラゴンの胸と頭が赤く光るのをアユムは見た。
第二撃は左脇の関節を外す。ダークドラゴンの武器は爪だけではない。大きく開いた咢がアユムの顔に齧りつく。
靠撃が炸裂した。アユムの肩甲骨がダークドラゴンの肋骨を折る。アユムの顔に大きな傷ができた。
再度アユムは三才歩で踏み込み、鑚拳で牽制したあと、足でダークドラゴンの膝を押さえ、劈掌を放つ。右の鎖骨を外す。
三才から五行は発し、十二の獣が生まれる。
そのうちが一つ、龍形拳。
「本物の龍、参考にさせていただきます」
ここでダークドラゴンも本気になった。今まで渡り合える相手がいなかったために驕っていた、この生き物が、である。翼を大きく広げ、もう一対の腕のように左右からアユムの背中を打つ。
打たれながらアユムは体を沈めた。隙となったダークドラゴンの左側へ移動する。蓄積した勁を拳に載せ、蛇のごとく胸に突き入れた。
一つ目の心臓が破裂した。
ダークドラゴンが咆哮する。左足を蹴り上げた。酒場を破壊しながら倒れるアユム。
「ひとつ」
転がりながらアユムは呟く。技の拙さを悔いながら、それでも己を奮い立たせる。
太い尾の追撃を躱して、伸びてきた首を両足で捕らえる。逆立った鱗でスラックスが破れたが気にすることはない。
猿のごとき軽業で胴体を持ち上げ、ダークドラゴンの鼻面を砕いた。そのまま首投げをしようとしたが天然の膂力によって振り払われる。鐘楼に掴まる。
ダークドラゴンはアユムを見失う。姿勢を極限まで低くしたアユムは土煙に隠れていた。そして、飛翔。燕子抄水、燕の素早さでダークドラゴンの目を打つ。
攻撃は止まず、鷹の足で踏み込み、虎の掌で羽根を折る。
ダークドラゴンの喉が鳴った。決して降参の合図などではない。
「逃げてください!」
魔術師が
闇の咆哮は炎となり結界を焼いた。腕を上げ身を護るかに見えたアユム。しかしそれは砲撃の準備である。
結界を突き破り、炎を纏いながら火行・炮拳を発射する。
「ふたつ!」
ダークドラゴンの頭にある、二つ目の心臓を正確に狙い撃ち、破壊した。
丘の上から民は勇者に祝福を送った。
魔術師は勇者の肩に乗る。
「ダークドラゴンの炎息は生ける者の心を灰にしてしまう。なぜ逃げなかったのですか」
魔術師の問いかけにアユムは頭を振る。
「毎日を必死に生きてきたあなた方に比べれば、私の心など……」
魔術師は少し考え、時間逆転魔法をアユムにかけた。そして祈りの言葉を唱える。
「あなたに祝福を」
アユムの身体が光に包まれる。
勇者は元の世界へと還っていった。
歩は自宅のソファで目を覚ました。自主練中に寝てしまっていたらしい。鏡を見ても顔に傷跡はなかった。スラックスも無事である。
時計を確認して、朝食のトーストと卵を焼き、一人の食事を始める。
妻には先立たれ、子供たちも自立していった。
玄関に置いた妻の写真に挨拶をする。
「いってきます」
自転車をこいで職場のオフィスに辿り着く。
「おはようございます、課長」
「おはようございます」
部下の挨拶にも綺麗に両腕を揃えお辞儀をする。
部下はコンビニのコーヒーを片手に、朝からフライドチキンにかぶりついていた。
「今朝は変な夢を見ました」
「へえ、どんな?」
「異世界でダークドラゴンと戦う夢です」
部下はコンビニのコーヒーを噴き出した。
「ガラじゃないですね」
「そうでしょう」
笑いながら、午前の業務を始めた。
あなたに祝福を。
魔術の言葉が歩の心に反響する。
終
勇者の拳 月這山中 @mooncreeper
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