第22話 僕の人生を託せた診察室。

今日は月に一度の精神科の通院日である。僕は、朝起きて、世話人さんの作った朝食を食べて、予約の10時までグループホームで、待つことにした。伊坂幸太郎さんの本『仙台ぐらし。』を読んでいると、部屋の戸をノックする音とともに、スタッフのYさんの顔がのぞいた。

「一緒に、行ってもいいですか。」

「うん。別に構わないよ。」

僕は、『仙台ぐらし』を、夢中で読み続けた。面白い本だ。9時半になった。僕は、表に出て、スタッフYさんを待つ。施設の玄関から世話人さんが、ぞろぞろ出てきた後にYさんが出てきた。

僕は、Yさんと車に乗って、グループホームからすぐ近くにあるT精神病院に行く。

受付を済まし、二人は待つ。Yさんは黙ってスマホをいじり、僕は、また、『仙台ぐらし』を読む。30分後、順番が来た。

診察室の中には、ドクターのT先生がパソコンに手を置きながら、笑顔で迎える。Yさんも若者であるが、Tドクターも若者だ。

「お待たせしました。」

「こんにちは。今回はスタッフのYさんも同行です。」

「はじめまして。Yと申します。支援もかねて、どんな感じなのか知りたくて同行しました。」

「はい。わかりました。ええと。調子はどうですか?」

ドクターは聞く。僕は、もじもじして、応える。

「絶望的な気持ちになり、監視カメラが見ている街を、深夜俳諧をしたり、作業所でも、なんか嫌われているような気持ちです。」

「睡眠は摂れていますか?」

単調な質問が続く。なんか嫌だ。

「睡眠時間は3時間ごとに分けて一日2~3回眠ります。」

「はい。そのくらい眠れていればいいです。自分の睡眠法でいいです。ご飯は食べれていますか。」

「はい。とても美味しく3度の食事は食べています。」

「はい。結構ですね。スタッフさんから見て本人はどうですか?」

Tドクターはこちらをみなから、パソコンのキーボードを連打する。まさに、仕事である。パソコンに向かって、体をよじり、笑顔を作っている。営業スマイルだ。僕は気分が悪くなる。スタッフは、僕を見つつ応える。

「はい。本人を見ていますと、いい時と悪い時の気持ちの持ちように差があって、悪い時には、自分がまるで不幸のどん底に居るような発言を聞きます。それの気持ちが、コントロールできなくて、その人に被害を受けたと、在りもしないのに、その人に暴言を吐いたりします。」

スタッフは随分僕を正確に表現している。しかし僕は言う。

「グループホームに住んでいると、僕に対して、意味の解らない不可解な行動をするものが大変多くて、僕に暴言を吐く者がいたり、突然机をバタンと叩いたりする者や、部屋の扉を開けて覗いて行ったりする者がいます。自分がある事を思っていると、それに関連したことをわざとらしく言う者もいます。最近僕の足取りはふらつき、『全員僕を不幸にしている。』とさえ思います。僕を精神病院に追い込んでいると思います。」

Tドクターは笑顔を絶やさず、しかし、しんみりとした面持ちで言う。

「統合失調症の症状は、見えないものが見えてしまうこと、幻覚と、最も怖いものが、聞こえていない者が聞こえてしまうこと、特に人の声が聞こえてしまうこと、幻聴です。見てもいないのに監視カメラに見られているとか、誰も思っていないのに、あなたを追い込もうとしていると、あなたが思ったり、自分を不当に傷つけるようなことも、すべて妄想です。全員敵であるはずがないですよ。安心してください。」

僕は、Tドクターに安心してしまい、頼りたくなって、自分の人生の生い立ちを打ち明けたくなった

「安心して、大丈夫なのかな。すべて説明がつくとおっしゃるのですね。僕は、産みの親と育ての親が違います。僕は、幼いころに、あるおばさんの家に、両親に、お金で託児されました。そんなことが人生で3回ありました。そもそも生まれた時から、誰を頼りにしていいのかよくわかりません。大人たちに監視されているし、取り囲まれているとさえ思いました。怖くて怖くて仕方がありません。小児喘息に大やけどを負った、かよわい弟の面倒も見なくてはなりません。実の両親は働きづくめでいません。僕は孤独でした。頼りになる人がいません。両親は、僕に、何度も何度も弟の面倒を見るようにと言いました。両親も、幼い僕に頼っていたのです。両親だけでなく、大人たちの目もありました。雪道を、咳をする幼い弟の手を引いて歩く。いつしか、僕と弟以外全員敵だと思いました。弟が泣き出すと、僕が、ぎゅつと抱きしめてやり、『大丈夫だよ。兄ちゃんがいるよ。』とささやくと、弟は、ぴたりと泣き止むのでした。二人で生きていこうと思いました。そして、僕たちの本当のお父さんとお母さんは、どこかの国の王様と女王様で、僕たちを見守っていてくれると想像しました。僕らは、王子様たちだったのです。」

TドクターとスタッフYさんは、黙って聞いていました。僕は、54年目にして、初めて、生い立ちを他人に言葉で説明できたのでした。安心したせいか、僕は眠くなります。ドクターは聞く。

「今、弟さんは何をしていますか?」

「東京で、障碍者施設の施設長をしています。僕の幼いころの恩と障害の事を思って、弟は、僕だけでなく障碍者みんなを助けることを人生の仕事にしたのでしょう。弟の愛情は広く深いと思います。」

ドクターとスタッフは深くうなずいた。僕は、肩の荷が下りて、涙が出そうになった。やっと、薬の処方を頼む。ドクターはパソコンにデータを打ち込む。そして顔をあげて、

「では、一か月後にお待ちしていますね。」と優しく言った。

僕とスタッフYさんは、診察室を後にした。僕は、Yさんに、言う。

「僕の人生の命の重荷を人に少し託せました。生きた証をこの世に残せた感じがします。よかったです。Yさん、ついてきてくれてありがとう。うまくしゃべることができました。」

Yさんは、僕に、ニッコリ笑った。僕は、Yさんに言った。

「僕は、これからも、社会のために、障碍者として生きていこうと思います。」

僕たちは、薬をもらい、病院を出て、二人で車に乗った。僕は助手席に座り、Yさんは、車のハンドルを握る。

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