第15話 子供のスマートフォンは、水や空気の様なもの。

1970年代生まれのバブル世代は、現在、パソコンや、インターネット、スマートフォンを、道路、信号機、横断歩道、橋、公共機関という当たり前のインフラのように見ているのではないか。もしくは、道具、ツールのように見ているかもしれない。

それ以前の両親世代は、デジタル機器を、難しい機械、追いついていけない機械、高価な機械とみているのではないか。遠慮して、しり込みしてしまう。固い頭は、老化現象を進める。使わなくてもいいから、お守り代わりに、スマートフォンを持つのはいかがだろう。

一方で、1980年代以降の若い世代は、パソコンや、スマートフォンを、水や、空気や、火や、土と、生きる上で欠かせない普通の生活に溶け込んでいると思われる。無いと死んでしまう基本的な生きる要素である。

我々世代が仕事をして、得たお金で買ったスマートフォンを、若い世代は、水や空気のように見ている。生まれたときには目の前にすでにあったからだ。子供も器用にスマートフォンになじんでいる。それを見た、大人は、

「全く、若者はスマートフォンばかりいじっている。」

怒り出す。取り上げたりする。子供からすると、水や空気を取り上げられるようなものだろう。命にかかわることかもしれない。スマートフォン依存症とは、子供を見ていない頭の固い大人が、勝手に、決めつけたものではないか。子供にとっては、スマートフォンは、空気のようなもので、常にないと死んでしまうライフラインだ。スマートフォンを頭の固い大人に禁止された子供は、恐らく、

「死にたい。生きずらい。」

と苦しむのではないか。大人の事情で、子供が苦しむのは、将に、人間の業だ!今すぐ、みんなで、スマートフォン依存症何て言う、子供を見ていない仕事大人の勝手な人間の業を、もう一度、考えてみてはどうだろう…。

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