第14話 全体解決、心の病。
ここで、僕が思う精神科について説明しておきます…。
主治医の精神科医Rが、僕という精神障碍者に、カウンセリングで、毎度のごとく、聞く。
「調子はどうですか?」
まるで、太陽が東から当たり前に上るように、毎度、聞く。僕は、
「いいです。変わらないです。」
と言う。これを、33年、続けていて、飽きた。つまらない。うんざりだ。全然進歩していない様子に、僕はついに、精神科医Rに聞いた。
「なぜ、毎回毎回、同じことを聞くのですか?」
僕は、同じことのしつこい繰り返し攻撃に疲れ切っていた。全然進歩しない、変わらない、当たり前で、慇懃で、御託なことだ。これでは永久に、治らない。進歩しないと思う。精神科医Rは言った。
「心のバランスが崩れると、生活が乱れます。睡眠は、自分の睡眠法でいいですが、きちんと、食事ができることが大切です。」
衣食住の病だと僕は思った。また聞く。
「では、患者の人柄については聞かないのですか?」
「病気によって、人柄が、がらりと変わることもあります。だから、そこは知っておく必要があります。」
心の病は、一生ものだと言われている。薬を飲むことと、定期的な通院は一生の義務である。僕は、いまどき、精神医療に、僕は、ゆくゆくは、海外移住をしてみたいですと言いたい。現代では、ごく、ごく当たり前なことではないか。
一方で、僕も入ったことがある33年前の精神病院の閉鎖病棟は、地獄だった。二度と入りたくはない。きちんとした生活をして、義務の薬をきちんと飲めば、普通に暮らせる。自分で、生きる工夫も必要だと思う。
精神科医は、上流階級だろう。一方、精神障碍者は、下流階級だろう。つまり、表と裏、光と影、太陽と月、つまり、両方あってよいマイノリティーである。そう世の中が認めたのである。僕は、マイノリティーという言葉に救われる。認められたからだ。マイノリティーとは、少数派の人たちという意味である。
いろいろあってよい現代の混在化社会である。光と影の双方のマイノリティーは、社会の一握りの人たちである。
精神疾患は、自然界に原因のない、人間関係の軋轢が生み出した心の病である。一般社会の中で、何らかの理由で、追い詰められて、気づかないうちに、幻聴、幻覚、妄想、思考鈍麻、無気力、などに苦しみ、時に、意味もなく、わめき暴れる心の病。患者さんは説明がついて、解っているのに、周りから見て、「異常だ。」と思われるものである。僕は、大学時代に東京の渋谷で、一人奇行パホーマンスをして回り、街中の人たちが、この人はおかしいとて、僕が、T店の前で、うずくまっている所を、警察官に取り押さえられて、精神病院に、ぶち込まれたのである。この時、僕が、ギター演奏をしているとか、絵画を描いているとかしていれば、または、ストリートダンスとかをしていれば、みんな、納得していただろう。このとき、この僕の奇行パホーマンスは、僕の中では、全部つじつまが合っていたのである。
思うに、それを、社会的に、大量の薬によって、或いは、専門の機関に隔離、収監されて、押さえつけられて、平和を保っているのではないか。僕の場合は、上の世代からの、がみがみとした説教と、下の世代からの、同調圧力に、悩む。いろいろあっていいとはわかるのであるが、相互関係の不理解は、いまだある。今や、精神障碍者は、施設やグループホームのあるコミュニティーとか、居場所やサロンのいろんなものがあっていいという混在化社会が、救いとなっている。健常者も障碍者も共に生きる平和な世界への全体解決がいいだろう。
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