第11話 人に勝つ必要のない暮らし

僕は、小学生のころ、授業中に良く騒いで、先生に廊下にひとりで立たされた。そして、先生がしかめっ面をして、僕の前にしゃがんで、言う。

「なんで、お前は、騒ぐのだ?」

「つまらないからです。」

先生は、怪訝そうに、納得がいかず、繰り返す。

「なんで、お前は、騒ぐのだ?」

「つまらないからです。」

この時、僕は、先生が仕事をしていることをすでに理解していた。実は、母親が、中学校の理科の教師をしていたのだ。僕は、母親から

「教師は大変よ。」

と、よく生徒の悩みに、自分なりに答えていた。だから、この先生の苦労もわかっていたのであるが、先生が、本意でなく、つまらなそうに授業をしていたので、僕は、本当に、つまらなかったのである。「好きなことを仕事のする。」現代では考えられなかったことだ。仕事は、自分のやるべきことをやってこそ、お金をもらえる時代だった。努力を楽しんだり、楽しさを頑張っていた時代。反面教師が、少なからずあった。だから、言われるものなら、「なにくそ!」と頑張れた者もいた。

しかしながら、現代では、6歳くらいの子どもが、

「生きずらい。」とか、

「もう、死にたい。」と言う。

僕は、この事を新聞で知って、驚くとともに、悲しくなった。子供がもうこんなことを言うなんて、表で、サッカーとか、野球とかして、友達と一緒に、遊ぶことを知らない子供だろう。まるで、精神疾患者みたいだ。

「家庭内監禁されている可能性がある。かわいそうに。閉じ込められて、先生や両親から、がみがみ言われて、ああしろこうしろと、いじくりまわされているかもしれない。伸びるものも伸びない。笑うことを忘れた大人になってしまう。今すぐ、この子には安心できる居場所が必要だ。」と僕は思った。今の子供達がストレスを感じていたとは…。夜は、子供達が、安心して、ぐっすり眠れることを、僕は願う。

僕は、障碍者施設のグループホームに住んでいるが、同じ精神疾患者が、7人シェアする安心できるのんびりとしたホームである。ひとりひとり個室が、割り当て与えられて、昼間、各作業所で、働いて、夜は、グループホームで、好きにできる。キッチンで仲間とコーヒーを飲みながら、お喋りをしてもいいし、飽きたら、個室で、趣味をしてもいい。眠ってもいい。スキルを伸ばしてもいい。コンビニまでちょっと行ってもいい。グループホームは、安心できる居場所である。施設の理事長の配慮で、Wi-Fiも完備してもらった。施設の工賃と、国から出る、障がい者年金や、国民年金、共済年金や、生活保護で暮らしている。贅沢はできないが、競争もない、足の引っ張り合いもない、夜は落ち着けるグループホームである。食事は、世話人さんが、ローテーションで、宅配サービスの食材で、調理してくれる。豪華ではないが、家庭の主婦の味が出ていて、個性的で美味しい。朝と晩、廉価で、済む。定期的に精神科に通院して、薬を毎日、服用しなくてはならないが、普通に暮らせる。お風呂や、洗濯は、順番である。コミュニティーとしては、最高だと思う。人に勝つ必要がないのが、僕のお気に入りの暮らしだ。金曜日になると、夕方に音楽を鳴らしながら、移動スーパーの車がやってきて、好きな物を買える。子供たちのいるマイホームを持った一般人と比べなければ、のんびりとした、猫の生活の様なグループホームの毎日である。

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