第9話 人は優しい文学を好むと思う。
僕は、亡き母親の遺族年金と父親の支払う国民年金で生きる。亡き母親の遺族年金は僕に結婚を禁止している。父親の支払う国民年金は、僕に、退屈な父親の敷いたレールの上をただ進んで行けという奴隷列車に乗るようなものだ。また、父親は、自分の亡きあと、僕にお墓の管理はできないからと、墓上げすると言っている。つまり僕の入る墓はない。しかしながら、全部、僕が社会不適格であり、精神疾患者であることをよく考えた、両親の愛情から、僕にお金に苦労を掛けさせたくないという計らいでのことである。しかしそれは、両親が、精神疾患者の僕を実家の座敷牢に監禁するようなものだ。それがいやだったら、僕が、社会関与して、社会で働けばいいだけの事である。しかし、今いる、障害者施設を出て、社会で働く勇気が出ない。僕は、40歳で、社会で働くことに疲れ果て、社会に負けて、この施設に、たどり着いたのである。現在、54歳である。もう一度やり直して、みようか?しかし、もし失敗すれば、再び、地獄の精神病院に入るか、ホームレスになるかである。いずれにしろ、この先、僕の未来は暗い。ならば、好きなように生きればいいではないか!だから、好きな文学をしているのだ。悔いなく生きたい。文学に生きて、社会関与したい。今、早速、パソコンや、スマートフォンや、インスタグラムや、アプリや、書籍を使ったり、施設に作品を提出して工賃をいただき、また、数々の文学コンテストに作品を投稿したり、無報酬であるが、R出版社に作品を掲載してもらって、必死になって、社会関与している。傍からは、僕は恵まれていると見えるはずだ。しかし僕は、必死である。夜も、あまり眠れない。出来れば、両親のお世話にならなくてもいいように僕はなりたい。好きなことで両親から自立できればいいのだが、やりたくないこともやる必要があるのも事実だ。施設のルールを守ることや、グループホームの当番をすることは、絶対である。施設で孤独に文学をしていてもだ。最近、施設のスタッフや世話人たちの孤独に文学をする僕に対する心の暴力が激しさを増している。他人に無勢。自分以外全員敵。四面楚歌である。一人で、文学を初めて、この7年間ずっとそうだった。ある世話人さんから「文学をしているならこの施設から出ていけ!」と言われたり、「精神病院に、入院しなさい。」とも言われたり、世話人さんが束になって迫害したり、同調圧力という心の暴力をしてきたり、「刑務所でも入ればいい!」と怒鳴られたり、無理矢理、僕の部屋に侵入してきたり、また、書いた作品を見せようとしても、誰も、読もうとしないし、僕を、仲間はずれにするし、施設の作業所では、劣悪な環境の物置部屋に僕を閉じ込めるし、先日、心底疲れ果て、持病の喘息が悪化して、2週間入院してきた。しかしながら、退院してきても、誰も心配していなかった事実に、僕は、心底、がっかりした。みんな僕が入院していたことを知らなかったのである。僕の孤独な戦いは続くと思った。しかし、上の世代には、僕は従い、若い世代は、僕に優しくしてもらいたいようである。よって、生きるのは優しい方がいいということに気づいた。今までは、「僕は、文学のためなら死んでもいい。」と思っていたが、戦いの文学より、優しい文学をした方がいいようだ。人は、優しい文学を読みたがるかもしれない。
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