【R15版】くちなし姫の傷痕

ニノハラ リョウ

本編


「ルディ!! 危ないっ!!」


 そう叫んだ少女の声も。

 その直後、僕の小さな身体を抱きしめた柔らかな少女の身体も。

 その背に伸ばした手のひらに感じる温い液体の感触も。

 鼻につく生臭い獣臭と金気の臭いも。

 少女の肩越しに見た正気の無い獣の顔も。


 全部全部覚えている。



 もちろん。



 ……僕の横で無様に気絶していた少年の存在も。



 だからこそ。



「俺は貴様との婚約を破棄する!

 喋る事もできない傷物令嬢など、次期侯爵たる俺の婚約者として何一つ相応しくない!

 俺は貴様との婚約を破棄して、次期侯爵たる俺に相応しい彼女と婚約する!

 傷物の『くちなし姫』など疾くと去れっ!!」


 王家主催の夜会にも関わらず、我が物顔でくだらない事を叫ぶ侯爵令息を許す事など



 到底出来そうにない。



 ざわざわと周囲の人間がその暴挙に眉を顰める中、頭の悪そうな令嬢の腰を引き寄せた愚かな侯爵令息に相対している彼女の元へ走り寄る。

 義父上の挨拶回りに付き合って、彼女を一人にしたのが間違いだったと舌打ちが漏れる。


 侯爵令息の驕った視線に晒されている彼女は、下位の子爵家とはいえ、充分な教育を受けた貴族令嬢としての矜持か、艶やかに輝く金の髪に覆われた背をぴんと伸ばして愚か者の視線を、周囲からの好奇の視線を受け止めていた。


 が、その華奢な肩は僅かに震えているのが見てとれる。


「っ! 義姉上あねうえ!!」


 僕が上げた声に、彼女の肩がぴくりと跳ねた。

 こちらを振り返ると同時に、彼女の金髪がふわりと揺れる。

 僕と同じオレンジ色の瞳を不安げに揺らし、はくりと口を開くも、その唇が音を発する事はなかった。


 それは彼女が巷で『くちなし姫』と言われる由縁。

 数年前の悲惨な経験から、声を発する事が出来なくなった、サーシャ・バルデス子爵令嬢。

 大勢の好奇の視線に晒されても凛と立つ、僕の義姉だ。


 僕が近づけば、サーシャはくしゃりと表情を崩した。

 その表情を僕に見せてくれることに内心僅かな優越感を感じながらも、サーシャを背に庇い、愚かな男、サーシャの婚約者でもあったランドン侯爵令息に相対する。

 思わず視線に殺意を込めてしまったのか、ランドン侯爵令息の顔が僅かに引きつった。


「きさ…「婚約破棄の件、確かに承りました」……っ!?」


 僕に睨まれたのが気に食わなかったらしいランドン侯爵令息の言葉に被せるよう告げれば、ざわりと周囲が揺れた。


「つきましては、この婚約締結時の契約通り、今までランドン侯爵家に義姉上の婚家という事でお渡ししていた支度金の一括返済を求めます。

 尚、契約書に記載の通り、返済は一ヶ月以内にお願いいたします」


「なっ!?

 そもそも背中に醜い傷痕のある傷物令嬢を、栄えある我が侯爵家へ押し付けてきたのはそちらだろう!

 支度金の返済無効は無論のこと、逆に子爵家へ慰謝料を請求したいくらいだ!!」


 ランドン侯爵令息の言葉に怒りが沸き上がる。

 ぎゅっと握り締めたこぶしは爪が食い込み痛みを感じるが、痛みそれを上回る怒りに思わず暴言が口を突きそうになる。


 そんな僕の思考を引き留めたのは、そっと腕に触れた彼女の手だった。

 ちらりと視線を落とせば、不安に揺れるオレンジ色の瞳がこちらを見ていた。

 そんな彼女の儚げな様子に、今まで抑えつけていた想いが沸き上がる。


 この茶番を終わらせればようやく彼女を……。


 そう思い至れば、思考はどこまでも冷静に、冷酷に研ぎ澄まされていく。

 ここさえ乗り切れば長年恋焦がれてきた、甘美な褒美が手に入るのだ。

 見物客の向こうで義父上がこちらを見ている。口角の端を僅かに上げながら。


 だから僕は告げるのだ。奴の愚行を知らしめるべく。


「随分と異なことを……。

 そもそも義姉上の傷は、野獣から貴方を庇って出来たものだと言い出したのはそちらではないですかっ!

 その責任を取るとおっしゃったのもランドン侯爵から!

 野獣に襲われた恐怖から話すことができなくなった義姉上では次期侯爵夫人を務めるのは難しいと、傷に関してもそこまで気を使っていただく必要はありませんと、身分差も大きいからと我が子爵家が固辞したにも関わらず!!

 なればこそ! この婚約締結時の契約では、そちらが一方的に婚約を破棄しようとした場合、規定額の慰謝料と支度金の返還が記載されているのです。

 しかもこの契約は家同士の内々の契約ではありません。王宮の然るべき部署で承認を受けている王家も認めた契約です。

 それをご承知の上での、今回のこの有様なれば……」


 理解わかるだろう? と、周囲の反応を窺うように促せば、令息の顔色がみるみると悪くなる。

 周囲から侮蔑の視線を浴びているのが、自分が貶めた『くちなし姫』ではなく自分だとようやっと気づいたのだろう。

 義姉上がその華奢な背に傷を負っている事も、それが王都郊外の比較的安全な場所で、唐突に現れた野獣によって負わされた事も、その時の恐怖で喋れなくなった事も。

 この社交界では広く知られているのだ。


 そして……。


 爵位は立派だが、先々代から続く浪費と領地経営の下手さから没落の一途を辿っていたランドン侯爵家が、たまたま一緒にいたバルデス子爵家と共に野獣と遭遇し、令息を庇って怪我をしたバルデス子爵家の令嬢を、それを理由に令息の婚約者とした事も。


 ……その優れた手腕と人脈で豊かな資産を築き上げたと噂の子爵家と優位につながる為に、侯爵家が野獣を仕向け、わざと令嬢に傷を負わせたのではないかという黒い噂も。


 それが真実だと、誰よりも理解わかっているのがこの僕だ。


「だ! だとしてもっ!? 俺はっ! 彼女とっ! っ?!」


 旗色の悪さを感じ取ったのか、侯爵令息に腰を抱かれていた令嬢が、身を捩り令息から距離を取る。

 それに気付いた令息が、逃さないと言わんばかりに手を伸ばすも、するりと躱されていた。


「っ!! だったらっ!! 婚約破棄は取りやめてやる!!

 その喋れない傷物を娶ってやろうではないか!

 どうせ、喋れもしない傷物令嬢など他に行き場もないだろうっ!

 例えお飾りだとしても侯爵夫人として扱ってやろう!! 所詮下位貴族! 俺の情け深さに泣いて喜ぶがいい!」


 何故か嬉々としてそう告げる令息の醜悪さに、周囲から不快を示すざわめきが止まらない。


 それに気づく余裕、むしろ知能すらないのか、なんの根拠もない傲慢さを顔に浮かべ、一歩一歩とこちらに近づいてくる。


「ーーっ!!」


 サーシャが僕のジャケットの背を掴む。

 その細い喉から引きつったような呼気が漏れ、彼女の恐怖を示す。


「っ!? 義姉上っ!?」


 慌てて振り返れば、義姉上の口がはくりと動いた。「ルディ」と。

 潤んだオレンジ色の瞳と縋るように僕の服を掴む細い腕。その庇護欲をそそる様にこくりと僕の喉が鳴る。

 そして周囲の固唾を飲む音も。


「っ?! こっちへ来るんだ! この傷物がっ!

 俺という婚約者がいるにも関わらず、別の男に縋るとはっ! お前の不義にして子爵家に慰謝料を請求してやるっ!!」


 僕の身体を押しのけるようにして侯爵令息の腕がサーシャに伸ばされた。

 青ざめ怯えの表情を浮かべたサーシャに、無作法な男の手が届く前に、彼女の身体を抱き上げれば、相手の男の顔が怒りに赤く染まる。


「っ! 貴様っ!!」


「そこまでにしていただきましょう」


 ここがどこかを忘れたのか、腕を振りかぶった令息と僕達の間に、一つの人影が割入った。


「ここがどのような場かお忘れか?

 王の御前でそのような粗暴な振る舞いをするなど、貴族としてあるまじき行為では?」


「自分の婚約者が不義を行っているのだ! それを咎め躾けようとして何が悪い!」


「……先程貴方様から婚約の破棄をいただきましたので、我が娘はもはや貴方様の婚約者ではありません。

 また、御前を騒がせてしまいました事、心よりお詫び申し上げます。このような公の場で貶められ傷心となった我が娘は、今宵は我が息子と共に下がらせていただければと……」


 後半の台詞は、この茶番を醒めた視線で玉座から眺めていた陛下に対してのものだろう。

 義父上の礼に合わせて僕も頭を下げる。サーシャを抱えたままで。ちょっと不敬かもしれないが、手放しがたいのもまた本音で。


「……そちらの令息は子爵家の跡継ぎとして引き取ったという養い子だったか。

 よいよい。令嬢の顔色も悪い。今日は下がるがよい。

 あぁ、それと。

 ランドン侯爵令息とバルデス子爵令嬢の婚約破棄、我が認めよう。……勿論ランドン侯爵家有責でな。

 婚約契約書に記載された内容、王家の名において僅かな遅滞も許さぬ。わかっているな。ランドン侯爵」


「そ、そんなっ?! 陛下っ?! そんな大金を払ってしまえば、我が家は爵位も領地も返上することになります! どうかお慈悲をっ!」


 悲鳴のような声を上げて、今更ながらに見物客の間からまろび出てきたランドン侯爵に、陛下は感情の無い視線を向ける。

 そんな二人に交互に視線を送りながら狼狽えているランドン侯爵令息の隣には、既に浮気相手の令嬢の姿はない。


「あれだけバルデス子爵家から支援を受けておいて、その有様とは……。情けないものよ。しかもこのような場で婚約破棄を宣言するような次代を育てたとなれば、全てにおいて無能。もはや貴族として生きる資格などないのが分からないのか?

 せめてもの矜持として、最後は潔く去るがいい」


 そう言って、ふいと視線を外した次の瞬間には、陛下の意識からランドン侯爵家の存在は消えたように見えた。


「そんなっ?! そんなぁぁ!! こ、この馬鹿息子がぁぁぁぁぁ!!!」


 あまりの事態に呆然と立ちすくんでいた令息を引き倒し、馬乗りになって殴り始めた侯爵を、警備の騎士達が捕縛し令息共々どこかへと連れ去っていく。


 それが公の場でランドン侯爵家を見た最後だった。


 さっと陛下が手を振ると、この茶番で止められていた音楽が再び奏でられる。

 その音に誘われて、一組、二組と踊り出せば、最早先ほどまでの騒動などなかったかのようだ。


 人々の興味が逸れた段階で、玉座に向けて一つ礼をとる。それが陛下の視界に入っていないとしてもだ。

 礼を解いて隣にいた義父に視線を投げれば、僅かだが満足げな頷きが返ってきた。

 それに目礼を返して、サーシャを抱えたままこの場を後にした。





「……?」


 メイド達の手によって皺ひとつなく整えられた寝台に、夜会会場だった王宮から抱えたまま持ち帰ってきたサーシャの身体を横たえれば、きょとんとした瞳が僕を見返してきた。

 夜会服のまま義弟おとうとの私室の寝台に降ろされれば、そういった表情にもなるだろうが、僕にとっては少し口惜しい。

 サーシャの、困惑はあれど貞操の危機など一片も感じてないような、ある意味信頼されているその態度が……。

 僕の劣情に仄暗い火を灯す。


「あぁ、やっと……やっとだね、義姉上……。やっとあの婚約が破棄された!あの無能で考え無しな男と縁が切れた!

 ……だったらもう……僕が手にしても……いいよね? 義姉上……いや、サーシャ?」


 寝台に乗り上げれば、二人分の体重を受けて寝台が僅かに軋んだ音を立てた。

 上体を起こして僕を見ていたサーシャは未だ状況がつかめないのか、きょとりと首を傾げている。

 そんなサーシャに覆いかぶさるように徐々に顔を近づけてみれば、流石に何をされるか気づいたのか、サーシャの瞳に僅かに動揺が走った。

 僕を押しのけようとでもしたのか、サーシャの小さな掌が僕の胸元を僅かに押す。


「それ本気? それとも僕を煽る作戦?

 そんな柔い力じゃ……僕を止められないよ?」


 胸元に伸ばされた手を逆に握り込み、ぐっと顔を近づければ、サーシャが愛用している山梔子の香水の香りが鼻を擽っていく。


「ねぇ、サーシャ? 僕は十分我慢したと思うんだ。

 だから……いいよね?」


 君をもらっても……。


 もちろんサーシャが言葉を発する事はできないが、僅かに頷いたように見えたのは僕の願望だろうか。

 都合よくそれを諾と受け取れば、もはや理性はどこかに吹き飛び、僅かに開いていたサーシャの甘そうな唇を、己の同じモノで塞ぐことに一片の躊躇もなかった。





 散々サーシャを貪った翌朝。

 寝台に注ぐ朝の光に照らされて、サーシャの肢体が白く輝く。

 こちらに背を向けて寝入っているサーシャからは、僅かな寝息が聞こえてくる。


 そっと掛布をめくって、サーシャの裸体に視線を落とせば、真っ白な背中に走る歪な傷痕。

 その傷痕に口づければ、サーシャの身体がふるりと震えた。

 

 この傷痕こそが、侯爵家の罪の証。

 サーシャに不本意な婚約をもたらした因果。


 ……僕のお嫁さんになるはずだったサーシャを、奪われる事になった原因だ。




 あの日は、晴れ渡った空が美しく、絶好のピクニック日和だった。

 当時、既に子爵家の一人娘であるサーシャの婿になる人間として、サーシャの父君であるバルデス子爵の年の離れた姉の孫である僕が選ばれていた。

 基本的に貴族の婚約は十五の歳を待って結ばれるものだった事から、サーシャが十五の誕生日を迎えるのを待っていただけの、ほぼ確定した話だったと言っても過言ではない。


 ……はずだった。


 ピクニックを楽しんでいた僕らの前に、偶然を装って現れたランドン侯爵家の面々が強引に合流しようとしてきた時から嫌な予感はしていた。

 身分差があるから同席は恐れ多いとのらりくらりバルデス子爵が躱している時には現れた。


 王都の貴族がそれなりの頻度でピクニックなどを楽しむ、王都郊外の草原に本来現れるはずのない野獣が現れた時、当たり前だが周囲はパニックになった。

 我先にと逃げ出したランドン侯爵子息を追いかけて欲しいと何故か縋られて、腑に落ちないながらも放っておくわけにもいかず、僕らについていた護衛と共に彼を追いかける羽目になった。


 ……この時見捨てていればと何度も思い返すが、見捨てていたらいたで侯爵家から難癖をつけられたであろうことは想像に難くない。


 そんな訳で、大きな木の下に逃げ込んだランドン侯爵令息を、何とか大人達の元へ連れて行こうとした矢先、手負いの野獣がこちらに来るのが目に入った。

 僕らについていた護衛達がなんとか対処しようとするも、その隙をついて取りこぼした野獣がその鋭い爪を光らせ唸り声を上げた段階で、ランドン侯爵令息は気絶した。


 そして……。


 飛び掛かってきた野獣からサーシャを守ろうと前に立った……はずだったのに、気づけばサーシャの身体に抱き込まれ、僕を庇ったサーシャの背には野獣の爪痕が残されていた。


 そして、その恐怖からサーシャは言葉を失くした。


 その後の展開など今となっては思い出したくもない。


 無様に気絶していただけのランドン侯爵令息をサーシャが庇った事実など一つもないにかかわらず、傷の責任を取るとかなんとか言って、サーシャとの婚約が結ばれた。子爵家が拒否したにも関わらず高位である事を笠にきてほぼ無理やりにサーシャを奪われたのだ。


 その時のバルデス子爵の様子は未だに覚えている。


 強く結ばれた拳はぶるぶると震え、歪んだ口元から憎悪の言葉が吐き出された。


『目にもの見せてやる』


 そう呟いた義父を見て、僕も心を決めた。

 なんとしてもサーシャを取り戻すと。


 その時義父の口元に浮かんでいた歪んだ笑みと同じものが僕の口元にも浮かんでいた事だろう。


 そして僕は侯爵家に嫁ぐ事になったサーシャの代わりに、跡継ぎのいなくなったバルデス子爵家を継ぐ為……という建前で子爵家の養子となった。


 侯爵家には支度金の名目で少なくない金を与え、博打のような投資に金を注ぎ込むようこっそり誘導して、無能な奴らの愚かさを増長させれば、子爵家という梯子が外れた瞬間に没落一直線の泥船が出来上がった。

 計画のあまりの順調さに義父と二人嗤いが止まらなかった。


 後は自分の立場を理解せず、サーシャを傷物の『くちなし姫』と蔑む侯爵令息に、適当なオンナを宛がえば、後は沈むのを待つだけ。


 こちらの想定よりも大舞台でその愚かさを露呈した為、陛下の後押しも受けられて万々歳の結果だ。


 後は子爵義父が、婚約破棄され訳アリとなった実娘と、自ら後継者教育を施した養い子を手っ取り早く婚姻させる事にしたと発表すれば、全て元通り。


 これで心置きなくサーシャが手に入る。

 まぁ、ちょっと順番が前後したような気もするけど、そんなの些事だ些事。


 背中の傷にもう一度慰撫するような口付けを落とし、サーシャの身体を抱き込む。


「あぁ…サーシャ……。

 君を傷物と蔑む奴は全部全部僕がどうにかする……だからもう……僕を受け止めて……?

 僕の全てを上げるから……だから……」



 僕に囚われて……?



 寝ていて聞こえないとわかっていても、あの日から秘めざるを得なかった想いをそっと口にする。

 こくりとサーシャが頷いたように見えたのは、僕の願望か都合の良い幻か。


 それでもいい。


 彼女がこの手の中にいるのであれば。


「あぁ、僕のサーシャ……」


 幸せの形をしているサーシャの身体を抱きしめて、僕の意識ももう一度夢へと誘われていった。





 ……歌が聞こえる。


 僕の耳朶を震わす微かなハミングは、流行りの歌劇の挿入歌だ。

 恋に狂った女がようやっと愛しい男を手に入れた時に歌う歓喜の歌。


 明るい曲調の筈なのにどこか仄暗い歪さを感じさせると評判の曲のハミングと共に感じるのは、僕の頭を撫でる細い指の感触。


 うつうつと夢とうつつを漂いながら、髪をくしけずる柔らかな指の感触に身を任せていれば、舞台では女優が歓喜を高らかに歌い上げる最終節の余韻を残して歌が消えて行った。


 次に聞こえてきたのは甘やかな声の囁き。

 

「ふふ。やっと……やっと在るべき形に戻ったわ。

 随分時間が掛かってしまって……。ルディの気持ちが離れてしまわないかだけが不安だったけど……。

 何ひとつ心配する必要はなかったわね……ふふふ。

 とても情熱的で素敵だったわ……ルディ。

 大好きよ。愛しているわ……。わたくしの、わたくしだけのルディ……。わたくしの方こそ貴方を離したくないの……わたくしのルディ……。


 ……愚かな侯爵令息に婚約破棄を突きつけられた傷物の口無し姫は、義弟の献身的な支えで無事声を取り戻し、そして二人は幸せに暮らしました。めでたしめでたし。


 あぁ! なんて素敵な……想定通りのハッピーエンドなのでしょう! ずっとずっとこの時を待っていたの!


 ……あぁ。わたくしとした事が興奮して大声を出してしまったわ。普段出していないせいか音量の調整が難しいわ。

 ルディ……? 起きてしまったかしら?……ん、大丈夫そうね。


 今はゆっくりと眠ってねルディ。起きたら忙しくなるわ。


 ……ねぇ、お願いよ。ルディ。一生のお願い。


 どうかわたくしに……囚われて?」


 ふわりと額に、頬に落とされる口付けに、思わず口角が上がってしまうのも致し方ないだろう。


「愛しているわルディ……」


 そう言って唇に落とされた熱に、最早寝たふりなど出来るはずもなく。


 寝ていると思っていた相手に襲い掛かられて、オレンジ色の瞳をまん丸にした君を組み伏して、さっきまで歓喜の歌を紡いでいた唇を貪ってしまうのも仕方のない事で。


 柔らかな君の肢体に溺れて、朝から貪ってしまうのも、仕方のない事なのだ。


 ……そして二人は幸せに暮らしましたとさ。永遠に。



 

 

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