不思議な魔女③
二人はテーブルを挟んでココアを飲みながら、一言も言葉を発しようとしなかった。頑なな険しい表情を浮かべながら、ただ淡々とココアを胃に流し込んでいる。普段ならニコニコと子供のような笑顔を浮かべる師匠すらも、今は厳しい宗教像のような顔になっていた。
私はそんな二人の様子を横目で伺いながら、ココアを飲んでいる。気まずいと言ったらない。
そもそも私が話を促したのが原因の一つでもあるので、私にも非があるといえばあるのだが、それにしてもいい年をした大人が二人して憮然とした態度を取り続けるのは、少し納得がいかない。もう少しやりようはあるんじゃないのか? 黙っているばかりじゃ何も分からないじゃないか。
せっかくココアを入れても、誰も何も話を始めようとしないので、仕方なく私は暖炉に目を向けて、そこで違和感を覚えた。
ベスがいない。
「師匠、ベスはどうしたんですか?」
師匠は目を瞑りながらココアを啜っていたが、右眼だけを開けて私を見ながら言った。
「……ああ、ベス。あいつなら大丈夫だよ。いつも一緒だ」
私は辺りを見回す。やっぱりいない。
「でも、いませんけど」
師匠は答えなかった。カップをコースターの上に置いて、小さく息を吐いてから言った。
「いると言ったら、いるんだ。おいベス、そろそろ出てきていいぞ」
わん!
すると、師匠の一声で突然ベスが師匠の近くの物陰から現れ、元気な声で鳴くと、私にあの朗らかな笑顔を見せた。私の近くまで走ってきて、撫でるように催促してくる。私はベスを撫でてやり、師匠の方を見やる。師匠はつまらなさそうな表情を浮かべながら、顎に肘をついて宙を見つめている。
テレサがゆっくりと味わうようにココアを飲みながら、言った。
「……愛犬に、小さなお嬢さん。あなたはここでの生活を随分と満喫しているようね」
師匠は顎に肘を突いたまま答える。
「皮肉にしか聞こえんが」
テレサはカップを置きながら言う。
「そのつもりで言ったのよ。あら、賢いじゃない」
「あ、そうですかい」
「そうよ」
そこで話は途切れ、再び気まずい沈黙が流れ始める。もしかしたら気まずいと感じているのは自分だけかもしれないのだが。師匠とテレサはお互いの顔を見ようともせず、相変わらず無言の牽制のような空気を作り続けている。
いつまでこれが続くのだろう。私はちら、と時計の方を伺うと、午後三時を回ろうとしていた。
二人が何も言わないので、私も仕方なく周囲に視線を彷徨わせる。テレサはココアをゆっくりと味わって飲んでいて、師匠は早飲みで既に飲み終わっていた。普段ならおかわりを頼んでくる所だが、今は何故かテーブルの上に伸びていた。余程山道が堪えたのだろうか。
私は何気なく師匠の方を見ていて、師匠がテーブルに伸びた事で偶然、その先に置かれていた物が見えた。私はそれを指差して言った。
「師匠、それ何です?」
師匠は再び右眼だけを開けて、突っ伏しながら私の方を見てきた。そして心持ち上体を持ち上げ、私が指差した物を見ると、「ああ」と言った。
そしてそれを持ち上げると、その全部が見えるようになった。それは大きな木の棒のようで、先端になるにつれて丸みを帯び、中央に何かを嵌めるような穴が作られている。
「それは……何です?」
「木の棒だ」
「いや、じゃなくて」
「お前へのプレゼントにと思ってだな。買ってきた」
「……へえ、それはどうもありがとうございます。……じゃなくて」
「それはココノエの木の棒。魔力を増幅させる作用がある、一流魔術師御用達の木。でも近年はめっきり採れなくなった。天候不順や山火事のせいでね。どうやってそれを?」
テレサが後を継いでそう言った。師匠の方を見ると、何故か気まずそうな表情を浮かべて目を逸らしている。
私が尚も見つめていると、師匠は溜息をついて言った。
「……ああ、結構無理して買ったんだよ。四ヶ月前に隣町の素材屋に注文しておいた。殆ど無理に近い話だったが、偶然手に入ったらしくてな。大枚叩いて買ったんだよ。……その……何もないのは流石に駄目だろうと思ってな」
「師匠!」私は思わず師匠に飛び付きたくなったが、流石にそれはやめておいた。
「あなた……この子が魔術を使えないって分かってて、それを買ったの?」
師匠の目つきが鋭くなり、テレサを見据えた。
「……ああ、言われなくても分かってるさ。こいつには魔術の才能がないってことぐらい。でもな、その代わりこいつにはその魔術を凌ぐほどの潜在能力が秘められているんだ。こいつが魔術を習いたい、知りたいって思うんなら、俺はその可能性を閉じてしまいたくない。こいつにはまず自分の能力について知ってもらいたい。そうしてから、魔術と本当の力、『自然治』との違いについても把握してもらうつもりだ。俺は反対されようともやめるつもりはないからな。
ココノエの木は、一般的に世界の理の力へのアクセスを強める効果が期待できる。故に魔術師達だけでなく、呪術師や水場士なんかも使ったりもする。別に魔術師達の為だけに生えている訳じゃないんだよ」
テレサは頭を抱えるようにして言った。「いくらしたの?」
師匠は目をぐるりと回してから答えた。
「ざっと千リクルかな。まあ安いもんだったよ」
師匠がそう言うと、テレサは自然と笑みを浮かべ、それから笑みを浮かべたまま何故か私の方を見てきた。
そして言った。
「リリスちゃん、あなた、本当にお師匠に愛されているのね。その千リクルはただの千リクルじゃないわ。お師匠があなたのことを本気で想っている、その証なのよ。その杖、大事になさい。あなたが本当に一流の、いえ、世界に類を見ない魔術師になるような、私までそんな気がしてきたわ。この一番近くにいる奇人があなたのことをこれ程までに見込んでいるんだもの。私もあなたの事、本気で信じたくなってきた。
ココアを淹れてくれてありがとう。とっても美味しかったわ。
……それとシス、エマルグの皇帝陛下が、あなたと会いたがっているわ。その内手紙が来るでしょうから、行くかどうか決めるのね。まあ、行かないという選択肢はないようなものでしょうけど」
「エマルグの? 何故皇帝陛下が?」
「最近になって特に、闇の勢力の力が増してきているの、あなたも知っているでしょう? エマルグは人族の住まう西側世界を守る前哨土地のようなものだから、当然その話でしょうね。詳しいことはヒヨリバトが届けてくれる手紙に書いてあるでしょうから、よく読むことね。それと、リリスちゃんをこれからどうするのか。そのこともよく考えること。一流の魔術師に仕上げたいんなら、いつまでもこんな山奥に引き篭もらせていてはだめ。実地に出なくては。
……私がここに来た時点で、あなた達だけの時間はもう終わりを告げたのよ。
覚悟して次の段階へ進むことを考えなさい。
じゃあ、私はもう行くわね。結局私からの手紙は届かなかったみたいね。残念だけど……」
そう言うとテレサは帽子を掴んで被り、置いていた例の大きな本を手に取った。
「あなたがこれから何を為すのか、世界と一緒に見届けさせてもらうわ。リリスちゃん。私、あなたの事気に入っちゃった。今度またお話しましょうね。生きていたら」
テレサは帽子を深く被り終えた後、師匠に向かって最後の一瞥を投げかけてから、扉を開けて出ていった。開いた扉から木枯の冷たい風が吹き込み、暖炉の炎を冷たく揺らした。
「……皇帝陛下が……冗談じゃない」
私と師匠の二人だけが取り残された今、師匠の呟いた言葉だけが、部屋の中に寂しく響いていった。
元奴隷少女は魔術を習い、幸福を目指す 歩歩 @pallahaxi
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