Double

 そっけないほどシンプルな、ドアの前で待っている。やがて音もなく、ドアが内側からひらく。出てきたのは、小柄な若い女性。すそを引きずりそうなネグリジェの上にだぼだぼのカーディガンを羽織り、長い巻き毛をくしゃくしゃかき回しながらの登場。青い瞳は眠たそうなまぶたに半分隠れている。

「なんですか……?」

 女性は目をこすりながら、首をかしげて小さくあくびする。悠長な反応だ。朝から自宅に乗り込んできた珍客の、制帽と制服は目に入っているはずなのだが。腕時計型端末を指先で操作し、女性に画像を呈示する。

「なんですかこれ……? トーマス・ブラウン……あなたのことですか……?」

「倫理警察です」

「ああ、なるほど」

 女性はのんきな声で言った。

「はあ……、それでこれが、倫理警察の身分証明ですね……?」

 興味深そうに、空中に現れたディスプレイを眺めている。トーマスは無言で画像を切り替えた。あれっ、見てたのに、と声を上げる女性に告げる。

「エマ・スミスさん、あなたについて、倫理法裁判所から逮捕状が発付されています」

「ああ……?」

 エマ・スミスに動揺する様子はない。遠慮のない大あくびをして、のんびりと言う。

「そうですか。でももうちょっと、ゆっくり来てくれてもいいのにねえ……」

 トーマスは逮捕状の罪名部分を拡大した。

「エマ・スミスさん。『ダブル』生成の疑いで逮捕します」

「そう……。どうも……、ごくろうさまです」

 エマ・スミスはトーマスを下からのぞき込み、ふっと笑った。



**



「『ダブル』って、なんでつくっちゃだめなんだと思います?」

 警察署へ向かう車の中、後部座席に並んで座ったエマ・スミスは、トーマスにそうたずねた。運転席に座る同僚の頭の向こうには、青い空路が広がっている。トーマスはエマ・スミスに対し、簡潔に回答した。

「法律で禁じられているからです」

 すると部屋着姿のままのエマ・スミスは、ゆるりと首をかたむけた。

「なんで禁じられてるんだと思います?」

 トーマスは回答する。

「『ダブル』の生成は、人間の生命身体の安全、及び社会秩序の維持にとって望ましくないと判断されたからでしょう。記憶や意識まで一致した、生物のコピーの生成ですので」

「そう……?」

「はい。それにもかかわらず『ダブル』の生成及びその依頼は行われているため、禁止は続いています。絵空事や誰も行わないことを禁じる必要はありません」

「へえ……?」

「実際『ダブル』は混沌をもたらしています。生成された『ダブル』にかんし、法分野の学界ではさまざまな議論が紛糾していますし。論点としては、『ダブル』といわゆる本体が双方同時に生存している場合、各々を単独で権利義務の主体とすることは妥当か。一方の行為を他方に帰属させることは妥当か。一方が他方を殺害した場合、当該行為は殺人にあたるのか。など」

「はあ……?」

「また我が国は、『ダブル』生成禁止条約にも批准しています」

「んん……」

「加えて複数の国際機関、国際会議が『ダブル』の生成に反対する決議や声明を発出しており、つまり国際社会も『ダブル』の生成を認めていません」

「ええ……」

「あなたには、『ダブル』生成の嫌疑がかかっています。その行為は犯罪です」

 トーマスは締めくくった。エマ・スミスは肩をすぼめて笑った。

「トーマスさん、あなたは堅物なんですね」

 トーマスは返事をしなかった。運転席の同僚がくくっと声をもらした。笑っているのか。トーマスが眉をひそめていると、エマ・スミスが言った。

「でも、いろいろ事情があると思いませんか?」

 カーテンのかかった窓のほうを見ている。

「わかってもらえます? ねえ?」

 トーマスは小さくため息をついた。

「あ、面倒なやつだなって思ったでしょう、いま」

 エマ・スミスはトーマスのほうを見て、からかうように言う。トーマスは答えた。

「思っていませんよ」

「そうですか?」

 長い髪を揺らし、エマ・スミスはふさがれた窓に向き直る。そして小さくつぶやいた。

「双方同時に生存、とかじゃない場合もありますよ」

 トーマスはうなずいた。

「はい、ありますね」

「あるでしょう」

 エマ・スミスは、窓に頭を寄せかける。

「まず完璧コピーの『ダブル』をつくって、そのあとすぐに本体はいなくなるっていうことは、その学界? の人たち考えていないんですか? 殺し合いするわけじゃないけど、生存するのは『ダブル』だけっていう場合」

「いえ」

「トーマスさんはその場合に興味ないんですか。興味がありすぎというか、関係ありすぎて、言うのがいやなんですか」

 エマ・スミスの言葉はひとりごとのようだった。トーマスは口を閉ざしていた。

「なんというか……、もうここはいやだって思ったときに、『ダブル』って便利じゃないですか。わたしがいなくなっても困る人いないけど、娘とか妹とか友達とか同僚がいなくなったら、寂しいし困るでしょう。すっかりいなくなるわけにはいかないかな、とか思うんですよ」

 エマは髪を指に巻きつけながら独白する。トーマスはそれを、聞き流したい。

「クローン人間、もいちおう禁止されてるみたいだけど、それを作ったとしたって、そいつはもとになった人間と同じ記憶や意識は、持ってないでしょう。遺伝子構造が同じで見た目が同じでも、中身は違うってことになってしまう。まあ別人ですよね、だけど、『ダブル』生成技術だと、記憶や意識までまったく同じものがつくれます、誕生した瞬間本体とまったく一緒だ。対照実験のために開発しちゃったんでしたっけ」

 どうでもいいけど、とエマはつぶやく。

「つまり、『ダブル』がいれば、もとになったほうがいなくても全然問題なくなります。便利」

 巻いた髪から指を抜き、ついでのようにエマは言った。

「トーマスさんあなた、『ダブル』ですよね。それで本体はもういないんだ」

「なぜそう思いましたか」

 即座に返したトーマスに、エマは流し目を送る。ふっと笑みを浮かべ、勘かな、と告げる。トーマスは首をかしげてみせた。

「女性の勘?」

「なんですかそれ、冗談? つまらないですね」

 そう切って捨てながら、エマは頬を緩めている。振動もしない車の窓に寄りかかったまま言う。

「『ダブル』ってただのコピーだからね。目印とかついてないし、女の勘だろうね」

「そうですね。あなたも『ダブル』である可能性がありますが」

「それはどういう勘?」

「捜査段階で、可能性が浮上しただけです」

「へえ……そう……」

 エマは窓から身体を離し、トーマスをのぞき込んできた。トーマスが目をそらすと、窓のほうへ倒れ込んだ。

「でも、同類くらいわかってもいいですよね。寄り集まればけっこう強いですよわたしたち。だって、これから一緒にがんばろうとか、おまえがわたしの罪をかぶれとかっていうならまだしも、あとはまるっと頼んださようならって、いくらなんでもどうなんですか?」

「さあ、わたしはわかりません」

「嘘……」

「嘘ではありません」

「ねえ、トーマスさんは、『ダブル』と交代する前から倫理警察なんですか? それとも『ダブル』のトーマスさんが、がんばって倫理警察になったの?」

「いきなりなんの話ですか」

「ふうん……、まあいいけど。ところで、『ダブル』をつくってても、本体とすぐ交代して『ダブル』が本体になるようにしてる場合は、罪? はどうなるんですか? 『ダブル』が『ダブル』をつくってる場合は?」

「とくにどうもなりません」

「そう、知ってました」

「いわゆる本体の存否は『ダブル』生成の罪の成立に関係しませんし、『ダブル』は『ダブル』生成の罪の主体になりえます。ただしあなたにかんしては、まだ嫌疑という段階ですが」

 エマはため息みたいに笑った。

「トーマスさんあなた、本当に堅物ですね」

 そうですね、とトーマスはこたえた。そのときふいに、車がとまった。信号につかまっていた。

「ああ……。やっぱり逮捕とかいや」

 エマがぽつりと、文句を言う。

「また『ダブル』ほしいかもなあ……そうしたら代わりに」

「『ダブル』生成は法律で禁止されています。また国際社会においても多数国間条約などにより」

「わかりました。堅物の方は黙ってください」

 エマがぴしゃりとトーマスを遮る。くくっと、同僚がまた笑う。なぜかエマもふきだした。トーマスは顔をしかめた。堅物なのは、もういないトーマスとその前のトーマスのせいである。よってこればかりはどうしようもないのである。



end

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ボーイ・メット・ガール 相宮祐紀 @haes-sal

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