とどけぬ恋文

 つめたくふかい、夜だった。とおくの細い月がこぼす、澄んだひかりが、なみだのように感じられてならなかった。そのなみだを、ぬぐってさしあげることはできないから、せめてもと。てのひらを差しだしてそっと、受けとめようとしていた。けれどこの手にはやはり、なにもふれない。ふれられない。手を膝において、かるく目をとじる。背後の御簾のむこうの、けはいにこころを寄せる。

 ちいさな音がする。こまかくふるえ、しずかにくずれる音がする。やわらかな紙を、すこしずつていねいに、ていねいに、ちぎっていく音だ。やさしく、やさしく、いちまいの紙を、ちいさなかけらにしていくのだ。その紙は、ひとがしたためた文。文を、こまかくするのは、たべるため。

 御簾をへだてたところにいらっしゃる、姫は文をめしあがる。

 たべるとき姫はいつも、そばにひかえていてほしいとおおせになる。わけは、おききしていない。ただ、御簾のそと側、板敷きの床に座り、姫のおそばにいるだけ。

 近くにはいても、姫が文をめしあがるおすがたを、じかに目にしたことはない。そもそも文をどうこうするときでなくとも、おすがたを拝することじたいがまれだ。それでもこころをかたむけて、姫のごようすをえがく。えがいてしまう。いまも。

 燈台のゆらめくあかりのなか、文机にむかっている。袿のすそと黒髪が床にながれ、そのうえを淡いひかりがすべっている。黒い珠のような瞳はすこしうるみ、そのまなざしは、細い指先にそそがれている。

 ゆっくりと。ゆっくりと、ゆっくりと。姫は文をやぶっていく。いたわり、なぐさめながら。ふいに、風がふう、とふいて御簾をゆらす。文机のうえのかけらがちって、袿のそでに、すそに、広がる。姫はそれをひとつひとつ、かけがえのないたからもののように拾いあつめて、また文をさく。そしてすっかり、文をちりぢりにし終えてしまう。文机にならんだかけらを、姫はそっと、ほほえみをうかべて見つめる。

 だれかがだれかへ、宛てたはずの文たち。とどかなかった文。とどけられなかった文。とどけないつもりで書いた文。手放せなくて、手放したい文。そばにいてほしくなくて、でもこの世のどこかに、ずっとのこっていてほしい文。姫のもとにあつめられるのは、そういう文たち。

 姫はそのひとひらを、手にとる。桜のはなびらのような唇へはこんでいく。ふわり、睫毛が伏せられて、姫はだれかのかけらにくちづける。

 ちいさく口をひらき、そのなかへいざない、とかしていく。こくりと、白いのどをうごかして、のみくだす。くりかえす。残さずくらう。

 どんなあじが、するのですか。

 それを、うかがったことはない。これからもきっと、おたずねすることはない。

 目をひらく。薄衣のような雲が、月のおもてにかかるのが見える。月は雲を透かしても、ずいぶんまばゆい。つめたくふかい闇のなか、なみだをこぼしているように見えて、しかたがない。


<結>




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