第12話 わかって欲しい想い
たくさん商品が残っているように思えたが、レジに専念してしまえばあっという間だった。火口さんがほとんど終わらせてくれていたおかげである。ほどなく作業を終えて、消えていくお客様たちに礼をして見送る。今日の仕事も無事完了。ホッと安堵の息を漏らしてから姿勢を戻すと、後ろから呼びかけられた。振り返ると巨大な豚の上で寝そべる大雪さんが手を振っている。豚は先ほど火口さんが帰していたような気がするが、大雪さんも呼ぶことができるのだろう。フン、と呆れたため息を漏らしているように見えた。
「お疲れ様ー。お前なかなか仕事のできるやつじゃねえか。見直した」
見直したということは元々の評価が低かったということなのか。思わず苦笑する。
「あ、あはは……ありがとうございます。元々レジはそこまで嫌いではないので。……大雪さんは、レジもやられるんですか?」
「ワタシはやらないよ。めんどくさいし。それに悪霊退治の時以外はあまり外に出ないようにしているからな。小雪の負担になりたくない」
なるほど、と頷いているとどこにいたのか天使さんが俺の隣に降り立つ。
「そこまで考えられる脳は存在しているんだな。幽霊のくせに。あ、違うか。小雪の脳を借りてるだけだものな」
大雪さんの表情がこわばる。放っておけば再び言い争いが起きてしまいそうなので、話をそらすために口を開く。
「そ、そうだ! 今日の仕事はもう終わりましたし、その、えーっと、先ほど仰ってた大雪さんのお話を聞きたいなー、なんて……」
完全なる訥弁を披露することとなってしまったが、大雪さんはゆっくりと体を起こして俺に向きなおってくれた。俺のどもりまくりの情けない姿を気にする様子もない。むしろ、彼女の方が緊張しているように見えた。せわしなくポニーテールの毛先を触っている。
「あー、そうだな。ワタシも言っておきたいことが山ほどあるから、助かる。立ったままだと疲れるだろ? お前もこっちに来いよ」
彼女がぽんぽんと叩くは、豚の背中。乗れということだろうか。俺が乗ってしまっていいのか、豚さんにお伺いを立ててみるとプフー、と鼻を鳴らした。「いいってよ」と大雪さん。大雪さんがそう言うのなら良いのだろうと、お辞儀をしてから恐る恐る足をかける。上手く登れず一人焦っていると、大雪さんがひょいと俺を持ち上げてくれた。「うわっ!?」体のバランスを崩しそうになるが、大雪さんは安定した動作で軽々俺を隣に置いた。
「お前さてはヒョロガリだな。おかげで持ち上げやすくはあったけど」
「え、いや俺一応身長に対して平均くらいは体重あるんですけど……」
天使さんが地面から俺を見上げる。
「仕組みはわからんが大雪が中にいるときはフィジカルの化け物になるらしい。小雪も筋肉が無いわけではないが、こんなムキムキになんてなってほしくはないんだがな?」
どういう仕組みなのかは全くわからないが、幽霊を中に取り込んだ場合ムキムキになれるのだろうか。いや恐らくは幽霊なら皆誰でもそうなるわけではなくて、大雪さんが中にいるからこそ発現する特徴なのだろう。つまり大雪さんが俺の中に入った場合もムキムキに?
「あ? 柔道? お前ヒョロガリだからもうちょい力付けないと厳しいんじゃねえの。は、違う? お前の体に入ってサークルで無双……? めんどくせえよなんでんなことしなきゃいけないんだ。それよりも、さっさと話をしようぜ。一応、同僚には事情を知っておいてもらわないといけないからな」
俺のサークル無双は一蹴されてしまったが、その言葉をきっかけに各々居住まいを正し、天使さんもふわりと俺のそばまでやってくる。話を聞く気はあるらしい。こほん、と一つ咳払いの後。大雪さんが小さく口を開いた。薄暗い店内のぼんやりとした明かりが彼女をかすかに照らしている。
「まず聞きたいのは、ワタシが何者なのかってことと、なんで小雪に憑いているのかってことだろ? 前者について、ワタシについては簡単に説明できる。ワタシはそこそこ前に自殺した一般人の幽霊。生前のことは覚えていない。幽霊になった者の定めらしいな。……いや、死因が自殺だってこと以外覚えていないが正しいか。成仏できずに悪霊になるかどうか、って時に小雪を見つけて、傍にいるという約束をして、それ以来ずっと一心同体の関係になってる」
「自殺……そう、だったんですね」
「ああ何、今となってはもうどうでもいいことだから、そこは気にしなくていい。気に病む必要もない」
あっさりとした彼女の態度が、正直ありがたかった。気の利いたことを言うのは苦手だから。カラッとした彼女の性格からは、どうして彼女が生前自殺を決意したのか、その理由がまったく想像つかない。ふと、涙で濡れた枕に頬が触れた時の嫌な冷たさを思い出す。布団の中でうずくまりながら、クラスメイトに言われたことが頭から離れなくて、自分自身が嫌になって、耐え切れずこぼしたことがある。死にたいと。
話題を変えようと口を開き、疑問に思った点を尋ねてみることにした。
「その、お聞きしたいことがあるんですけど」
「いいぜ。なんだ?」
「えっと。幽霊になると記憶って無くなっちゃうんですか? 定めって仰ってましたけど」
大雪さんが「は?」と目を丸くする。天使さんがそんな彼女を横目で見た後、俺に説明してくれた。
「死人は生前のことを忘れる。これはどの幽霊にも共通することだ。お前がその辺で見かけている幽霊も、ただぼけーっとしているばかりだろう? 記憶がないままただ彷徨うことしかできないからああなっているんだ。目的を持ち人を害そうとするのは、悪霊だけ」
「確かに……? あれ、そうすると悪霊は何なんですか? 突然変異で生まれるもの?」
足を組み腕を組んだ不遜な態度で、天使さんがため息を吐く。
「さっき大雪が言ってただろう? 現世で彷徨い続けた幽霊が悪霊になるんだ。成仏できずにいると次第に存在が剥がれ落ちていって、自我がなくなり悪意に取り憑かれてしまう。そんなのイヤだろう? だから幽霊は悪霊になんてなりたくないから、成仏のために商品を買いに来るんだ」
ここで働いてしばらく経つが、自分が何のために働いているのかようやく詳しいことが聞けた気がする。なるほどと納得していると、大雪さんがぽかんと目を丸くしていた。
「は? お前それ今知ったのか? 知らずに悪霊と戦ったり幽霊に物売ったりしてたのか? 天使……お前ちゃんと説明しろよ。何のためにいるんだよお前は」
「ああ、確かに。その辺の話はしていなかったかもしれない。悪いな。だがお前が特に聞いてこないから」
そりゃまあ疑問に思わなかった俺が悪いのだが、もう少し早く知っておくべきだった。幽霊になると記憶を失うこと、幽霊になった後成仏できないと悪霊になってしまうこと。覚えておかなければ。
「なんか雨水はあんまり気にしてないみたいだけど、お前もっと責めてもいいと思うぜ? 高草木も説明しなかったってことだろ? 命かけて戦ってんだからそれくらいは教えといてやれよ」
「あ、ええと、いえ……全く疑問にすら思わなかった俺が悪いので。俺がもっとちゃんとしていれば良かっただけの話なので」
「だそうだ」「だそうだ、じゃねえよお前良くないぞそういうの」
どうやら大雪さんは俺のために怒ってくれているようで、なんだか申し訳ない気持ちになる。話の流れを変えようと話題を探していると「話を戻すが」と天使さんがすまし顔で俺を見た。
「ボクたちの仕事の意味もわかっただろう。幽霊に商品を売っているのは、これ以上悪霊が生まれないようにはぐれ幽霊を消すため。悪霊を倒しているのは、奴らが商品を手にするのを防ぐため」
「えーっと、前も悪霊には商品を渡すなと説明されましたけど……悪霊が商品を手にするとどうなるんでしたっけ」
俺の疑問に今度は大雪さんが答えてくれた。
「意味がねえんだ。悪霊の目的ってのは、もちろん成仏をすること。だから成仏のためにお前たちが売っている商品を奪いに来るんだが、悪霊があの魚だの野菜だのを食ったところで成仏はできない。すでに手遅れの状態だからだ。一度悪霊になってしまえば、成仏をすることもただの幽霊に戻ることもできない。あいつらに商品を渡しても無駄になるだけ。そしてそれに気が付いてしまった悪霊はさらに暴走を始める。そうなったら手が付けられないから、商品を渡さずに倒すのが一番いいってことなんだ」
悪霊たちは生前の姿の面影すらないあの体で成仏を夢見てやってきて、しかし俺たちを倒して商品を手にしても願いを叶えることすらできず終わる。俺は悪霊でもなんでもないが、あまりにも救いがないように思えた。悪霊たちは今までも、俺たちを憎んで憎悪と怒りの中で消えていったのだろうか。
「悪霊が成仏する方法はないんですか?」
天使さんは俺から視線を外して、真っ白な瞼を無機質に動かした。瞬きの間。
「——ない。悪霊になってしまったら、もうボクら天使やお前たちのようなクラークに倒される以外道はない。放っておけば生きている人間に危害を加え始めるから、絶対に倒さなければならない。そこに情は不要だ。……そもそも死んだ時に成仏することを選べば普通に逝けるんだから、そうすれば良かっただけの話なんだ。自業自得」
その言葉になぜか大雪さんがぴくりと肩を揺らす。そんな彼女の様子を見て天使さんが首を傾げた。
「死んだ後、あの世への門の前で成仏することを宣言すれば輪廻転生できる——そうだよな? だがお前はそうしなかった。記憶のない状態で彷徨い化け物に成り果てる未来を選んだ。それはなぜだ、大雪?」
大雪さんは天使さんの言葉に肩をすくめるだけだった。
「今までそんなこと聞いてこなかったのに、どういう風の吹き回しだ? お前にとってワタシは邪魔者なんだろう。知るだけ無駄じゃねえか」
「お前……ひねくれものめが。少し歩み寄ったらこれだ」
「人の傷口無遠慮にえぐることを歩み寄りとは言わねえんだよ」
大雪さんにも何か理由がありそうだが、彼女は火口さんとは違って口が固いらしい。俺たちを一瞥しただけで、その話は終わりにさせられてしまった。天使さんがむっつりと頬を膨らませている。すぐに喧嘩をするのはやめていただきたい。
「……話が逸れたな。まあ、幽霊とか悪霊の話は天使に聞け。その道のプロだからな。今はおこちゃまみたいにむくれちまってるが」
あ、それはまずい、天使さんキレるんじゃ。冷や汗を垂らしながら隣を見ると、天使はその端正な顔を歪めて舌打ちをしていた。何か言い返そうとしたのか彼が大きく口を開いた瞬間、大雪さんの体がふらりと揺れる。豚の背から落ちそうになった彼女を慌てて支えると「悪い、さんきゅ」と力なく笑った。豚も異変に気が付いたのか、顔を上げて心配そうに鼻息を漏らしている。
「もう少しで小雪が起きる。時間がないな、伝えたいことだけささっと言うから聞いてくれ。そこの天使にも、ワタシが危険じゃないってこと、伝えておかないと」
「……それ、今じゃないと駄目なのか? 話のしすぎで疲れた」
「駄目だ。お前、ワタシと二人きりだとすぐどっか行くじゃねえか。おい雨水、悪いんだが天使のこと押さえておいてくれ」
そう言われてもあまり暴力的なことはしたくないのだが。どうしたものかと困惑しながら天使さんを見ると、彼は不満そうな顔のまま豚の背に寝転がって目を閉じた。動く様子はない。どうやら話を聞く気はあるらしい。そして目を閉じたまま口を開く。
「お前は死後、悪霊になるのが怖くて小雪を利用したんだ。小雪の体を乗っ取ることで悪霊になるのを防ごうとした。だろう?」
「……私が小雪に憑いたのは、悪霊になるのが嫌だったからじゃない。そこは勘違いしないでくれ。ただ百パーセント善意なわけでもない。……目の前で自殺しようとしていたあいつを見捨てたら、自分の価値が無くなってしまう気がして怖かったんだ。死んだ後も何にもなれずに終わるのが、怖くて」
支える俺の腕をぐ、と押して大雪さんが体を起こす。しかしその瞳はすでにゆるやかに閉じられようとしており、ゆっくりと瞬きをするだけで動きは緩慢だった。
「悪霊にでもなんでも、なってしまっても構わないと思っていた。悪霊になった方が色んな人に迷惑がかかるとか、そんなこと考えられる頭も持っていなかった。とにかく自分の存在を消したくて、転生する気にも到底なれなくて。でも……ワタシにもできることがあるのなら、ワタシにでも叶えられる願いならば叶えたかった」
俺の手を借りながら体を起こした大雪さんが、天使さんと目を合わせる。
「初めは自分の死に意味を持たせたい、そう思っての行動だった。けど、アイツの中でアイツと一緒にいるうちに、なんとかして力になりたいと思うようになって……
だって小雪の願いは、一緒にいてくれる人が欲しい、ただそれだけなんだぜ。そんな願いすら叶わないから死ぬなんて、あまりにひどい話じゃないか」
天使さんはただ黙って大雪さんをじっと見ていた。精巧に整った顔は、一切の表情を浮かべない。大雪さんはそんな彼の顔を見てかすかに笑った。諦めたようなその笑みは、火口さんのものとよく似ている。もちろん顔は火口さんなのだから当たり前なのだが、この数分で俺は彼女を一人の人間であると認識していた。粗雑で楽観的に見えて自罰的で、火口さんへの暖かな優しさを持つ、一人の人間。
「ま、死人がそんなこといくらツラツラ語ったところで信憑性ないか。……小雪の体に何かあったら、お前が止めてくれよ。天使。ワタシは悪霊のなりそこないみたいなもんだから、お前に倒されるのが正しい結末だ。だろ? 小雪を襲う化け物になり下がった時には、お前の手で殺してくれ。でも、迷惑かけて悪いんだけど、それまでは、小雪と一緒に……いさせてくれないか。アイツが望む限り、ワタシは——」
大雪さんの穏やかな言葉を遮り、天使さんの鋭く突き刺さるような声が響く。
「っそんな! そんなこと言われたって! 自分勝手だ、自分のやりたいことだけ押し付けて、傲慢だ! 小雪を傷つけない、一緒にいたいだけ? そんなものどうして信用できると思うんだ、後から突然出てきただけのお前のことを、どうして!! お前なんて小雪が止めなければすぐにでも消している!!」
天使さんの慟哭を受けて、大雪さんが煩わしそうに目を閉じた。
「お前の健気な思いを利用することになっちまってるのは、本当に申し訳ないと思ってるよ。……だけど、ワタシだってお前のこと、羨ましいと思ってるんだからな。小雪が目瞑って戦えるように練習してる理由、お前知ってるか?」
天使さんが怪訝そうに眉を顰める。
「は? そんなの、小雪の素晴らしい向上心の表れだろう?」
「ちげえって。あとそういう神格化、あいつウザがってたからやめてやれよ。……じゃなくて、理由は、一回本人に聞いてみろよ。いま、変わる、から。んでそれ聞いたら、もう面倒なことをするのはやめろよな。……ワタシだって、お前みたいに、隣にいられればよかったのに——」
最後に小さく呟かれた言葉は、天使さんに届いたのだろうか。かくり。大雪さんの体から力が抜け、思わず支えた俺の両手に重みが乗る。まさか、と思って慌てて様子を見るも、眠っているだけのようだった。思わず安堵の息が漏れた。
「びっくりした……なんだか色々なことが起きすぎていて、頭が爆発しそうです。悪霊とか幽霊とか、大雪さんと火口さんのこととか。……でも、びっくりはしましたけど、大雪さん、全然悪い人じゃなかったですね。火口さんのことを本当に大切に思っていて、火口さんのためにそばにいたいと思っていることが、部外者の俺にも痛いほど伝わりました」
天使さんに話しかけているつもりなのだが返事が無かったため顔を上げると、背を向けて空中で体育座りをしていた。「天使さん?」
空中で体育座りってできるんですね、と茶化せる雰囲気ではなかったため飲み込む。天使さんは数秒黙り込んだ後、そっと羽を動かした。
「野蛮人の言うことなんか真に受けるなよ、魚屋」
どうやら天使さんは依然大雪さんのことを信用していないらしい。不機嫌そうに動く羽がバサバサ煩わしい。
「え、ええと。彼女の言葉は信頼に値すると思いますけど、天使さんにとっては違うんですか?」
俺は、彼女を信じたいと思った。火口さんのことを利用しようなどとは、きっと思っていない。天使さんのことも気にかけているように思えた。少なくとも敵対するべきではない。それを伝えるも、天使さんは俺を冷ややかな目で見るばかりだった。
「ああそうか。お前も大雪の味方をするんだな。そうだよな、八百屋だってそうだったんだから」
違います、そういうつもりじゃなくて。口にした言葉は遮られる。
「なあ、お前は、家族に幽霊が憑りついている時にもそうやって平然としていられるのか? 幽霊が自分は悪いやつじゃありません~、なんて呑気なことを言っているのを鵜呑みにできるのか? 悪霊になりたくないからお前の家族を乗っ取ろうとしているのかもしれないのに?」
「っそれは……でも大雪さんは」
「ボクにとって小雪は本当に大事な人なんだ。だから、あんな言葉一つでコロリと絆されるわけにはいかない」
真剣な眼差しが俺を見る。思わず息を呑んだ。盲目的な愛はしばしば問題視されることがあるが、その瞳は度を越した感情による狂気を孕んでいるわけではない。ただ純粋に、火口さんのことを大切に思っているのだろう。俺はこんなに他人に対して純粋な感情を持ったことがないから、何を言えばいいのかわからなくなった。だから、疑問に思ったことを単純に尋ねてみることにした。
「あの、どうして、そんなに火口さんのことを気にかけているんですか?」
天使さんは俺の言葉を受けて、気まずそうに目をそらす。
「……憧れなんだ。尊敬しているんだよ、小雪を。自分の人生を変えるために行動できる強さが、眩しくて……ボクは、もうそんな風に努力できる立場にはいないから。だから、あいつが死のうとしていたことを知った時はショックだったし、……あいつがそこまで追い詰められていたことに気が付けなかったボク自信にも失望した」
ぱさり、と翼から羽が抜け落ち、地面に落ちる前に光となって消えていく。
「あいつの隣で一緒に、これからも研鑽を重ねることができると思ったのに。あいつが選んだのは大雪の隣で、……それが、悲しくて仕方がなくて……だが大雪がいなければ小雪は自殺していた。一体ボクはどうすればよかったんだ? 小雪が望んでいるのだから認めてやればいいのか? ただ受け入れるだけの関係は、誠実だと言えるのか?」
背を向けたままの天使さんが、感情を抑え込むように縮こまる。俺は何を言うべきなのかわからず、ただ口を開いては言葉が見つからずに目を泳がせるだけだった。きっと、三人は思いを抱えすぎてお互いの感情を受け入れるだけの余裕がないんだろう。現に天使さんは火口さんの思いも大雪さんの思いも抱えきれず、一番大切な火口さんへの親愛まで揺らぎそうになっている。ああ、きっと、火口さんの言葉があれば状況は進展するのに。
「……こんなこと、魚屋に言っても仕方がないのにな。すまない、気にしないでくれ。お前に世話をかけたいわけではないんだ」
「っいえ、そんな、俺は別に」
「あなた、本当に天使なんですか? おこちゃますぎますよ」
腕の重みが軽くなる。同時に聞こえてきた声に驚いていると、火口さんがゆっくりと体を起こしていた。「ありがとうございます」受け止めていた俺に軽く礼を言って体を起こし、そっと伸びをしていた。その様子に異常はないが、先ほどまでの雰囲気とはまるで異なっていることから火口さんに戻ったのであろうことが推測できる。体育座りをしたままの天使さんが身じろぎをした。「……小雪」
「変わったのか。……体調は?」
「いつも通り、異常ありません。まあ大雪がヘマをすることはないので当たり前ですが。……それで、代わる時に一瞬だけ話を聞いたんですけど……大雪が色々話をしたみたいですね。彼女が幽霊で、私に憑いていることとか、私が自殺未遂をしたこととか」
そうだ。色々と教えられたため混乱しているが、大雪さんは途中「目の前で自殺しようとしていたあいつ」と言っていたし、天使さんも同じことを言っていた。——火口さんもまた、自殺しようとしていた。軽率に聞いていいことなのかわからず戸惑うが、本人があっけらかんとしているため「はい」と正直に答えることにした。
「すみません、こんな……部外者なのに」
「え? いえ。むしろ先に話してくれていて助かったくらいです。……過去に自殺しようとしていたからといって、痛ましい目で見られてもうっとおしいだけですから」
淡々とした火口さんの言葉に、ただ頷くことしかできなかった。すでに飲み込んだ過去の出来事として消化されてはいるのだろうが、むやみに掘り返すべきことではない。
「すみません、突然倒れたりして……悪霊は倒せたみたいですね。良かった。ご迷惑をおかけしました」
「あ、ああいえ。大雪さんに助けられたようなものなので、むしろこちらがお礼を言いたいくらいです。ありがとうございました」
二人してペコペコしていると、天使さんが背中を向けたまま呆れたため息をついた。
「お前ら二人してなに間抜けなことをしているんだ」
「お礼を言うことは間抜けなことではありません。……というか、間抜けはあなたですよ、天使。あなたに伝えたいことが山ほどあります。誤解を解きたくて仕方がありませんでしたよ」
天使さんは未だ背を丸めて宙で体育座りをしていたが、その言葉を聞いて顔だけをこちらに向けた。不満そうな表情のままだが、話を聞く気はあるらしい。火口さんは乗せてもらっている豚の背をそっと撫でながら、真顔のままちらと天使を見た。
「ちゃんと最後まで、聞いてくださいね。まず……あなたが先ほど言っていた言葉、聞かせてもらいましたけど……正直言って、嘆息ものでした。私、あなたのそういうところが苦手だったんです」
天使さんが顔をこちらに向けたままわかりやすくピシリと固まる。突然の苦手発言を処理しきれていないのだろう、普段のマシンガントークも出てこない。俺もぎょっとして火口さんを見た。その言葉は誤解を解くどころか状況を複雑にするだけじゃないのか。
「ひ、火口さん」
「勝手に人のことを神格化して理想化して、勝手に崇め奉って。正直うんざりです。居心地悪いです。……私が結果を出せなければ蔑んだ目で見てきて、それが嫌だから努力したら理想化されて……人間も、そしてあなたも本当にくだらない」
吐き捨てるように言葉を落とす彼女の苦々しい表情から、その言葉にかかる重みを感じ取ることができた。彼女の人生について俺は全く知らないが、きっと、死にたいと思うだけの理由が確かにあったのだろう。ぎゅ、と思わず拳に力が入った。
「……そう、だったのか」
だらり。天使さんが足を抱えていた腕から力を抜いた。
「そうか、ボクが……ボクが、お前を追い詰めていたのか。ボクが勝手に、勝手にお前に理想を押し付けていたから? 一緒に戦っていた時も、大雪が来る前も、ずっと……?」
力の抜けた表情でつぶやかれる言葉は途切れ途切れで俺の位置からではうまく聞こえない。まずい、なんとなくわかる、このままだと絶対にまずいことになる。どうするべきかただ慌てている間も、火口さんは眉を寄せて言葉を吐き捨てるばかり。
「そうですね。……ですが——」
「すま、ない。謝る、謝るから、だから……それ以上は、言わないでくれないか。頼む、頼むよ小雪。もうお前に近づかない、もうお前たちに何も言わないから。そうだよな、お前にはもう大雪がいるのに、ボクは見当違いの心配ばかりしてお前を傷つけて、ああ、そんな、そんなに、残酷なことをしていたのか」
天使さんがゆっくりと立ち上がり、空中から俺たちを見下ろす。悲痛そうに寄せられた眉と歪んだ瞳で、火口さんを一瞥するとそのままふわりと高度を上げた。
「待ってください、話はまだ——ッ、天使!!!」
火口さんの怒号と同時に、背筋に悪寒が走る。本能のままに悪寒の発信源を探ると、すぐ近く、上空にいる天使さんの背後に、浸食するような黒がいた。振り向く天使さんの動きが止まる。悪霊は反応の遅れた天使さんへと、真っ黒い影を伸ばした。大丈夫、天使さんに彼らの攻撃は効かないはず。そう思って俺が冷静に状況把握をしようと周囲に視線をそらした瞬間、豪熱が体を襲った。「熱っ!?」思わず体をかばい視線を戻すと、飛び上がった火口さんが天使さんの腕を引きながら悪霊へと鋭く蹴りを入れていた。下へと引かれた天使さんは焦った表情のまま俺の上へと無抵抗に落ちる。キャッチすることもできずにそのまま落下する天使さんを体で受け止めると、内臓が押される痛みに思わず醜い悲鳴が上がった。天使さん、そこそこ重い。豚がクッションになってくれていてよかった、地面だったら洒落にならない。
「て、天使さん、大丈夫ですか」
とにかく安否確認と状況把握をしなければと思い、上に乗ったままの天使さんに声をかけるとうめき声が聞こえた。なんだ? そっと体を起こして彼を支えるために腕を背に置くと同時、見えた光景に思わず悲鳴を上げた。
「て、天使さん、羽が……!」
純白の美しさを放つ天使さんの翼の一方が、少しだけ黒に染まっていた。彼もそれを確認したのか、表情を歪めて舌打ちをする。「くっそ、やられた、」
「豚さん、彼らを後方へ、距離を取ってください!」
火口さんの鋭い声が聞こえたと同時、体が慣性に引っ張られる。落ちそうになり慌ててバランスを取りながら顔を上げると、火口さんが悪霊と戦っている姿が見えた。そして俺と天使さんは、豚の背に乗ったままどこかへ連れられようとしている。距離を取ってとの指示をしていたことを考えると、俺たちを逃がそうとしているのか。
「羽にダメージをくらったそいつをまずは逃がしてください! 私は大丈夫ですから」
「ッだ、めだ、……! お前が気絶するのが一番駄目だ、大雪だってまだ出てこれないだろう!?」
天使さんが羽をかばったまま叫ぶ。
「そうですけど、でも、それでも、私だってあなたの隣で戦いたいんです!!」
火口さんの声が遠くに聞こえる。俺は歯を食いしばりなんとか立ち上がろうとする天使さんを止めながら、状況についていけない頭を必死に回すばかりだった。
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