第11話 もう一人の火口小雪
「火口さん!」
天使さんをその場に残し、確実な無事を確認しようと声をかけると、火口さんは振り返りそっと手を振ってくれた。俺も振り返そうと、持っていた商品入りのバスケットを片手で抱えて大きく手を振る。近づいて様子を見てみても、異常はないように見えた。火口さんは豚を一撫でした後魔法陣を呼び出す。豚はフン、と大きく鼻息を出した魔法陣の奥に消えていった。
「無事でよかったです。にしても、すごいですね! まさか目を瞑ったままで悪霊を倒すなんて」
「……ご心配をおかけしてすみません。途中まで悪霊に全く気付かずにいて、お恥ずかしい限りです。……あの戦い方は、その、自分で戦うために生み出したものなので、真似はしないでくださいね。私、幽霊を見ると気絶してしまうので、ああするしかなくて」
「幽霊を見ると気絶……って、え!? だから目を瞑って戦闘を……? あれ、でもさっきまで幽霊のお客様相手にレジ打ってましたよね?」
「ああ、あれも実は直視しないようにずっと手元を見ています。視界に入れなければなんとかなるので……接客態度を咎められることもないですし、いいかなと」
確かにお客様の方を全く見ないなとはなんとなく気が付いていたが、そういう性格なのかと思っていた。まさか幽霊を見ると気絶してしまうなんて。
火口さんはふう、と一息を吐いた後きょろきょろ周囲を見回した。
「……なんとかなって良かった……天使は、いませんね。彼女、何か言っていましたか?」
「え? ええと、火口さんのことを褒めていましたよ。一人で倒せてすごい、みたいな」
先ほどの少し様子のおかしかった彼を思い出しながら言うと、火口さんは少しだけ頬を緩めたように見えた。「そうですか……」
「もっと精進して、戦力にならないといけませんからね……」
そう言って気を引き締めるようにバンダナを結び直す彼女の真剣そうな顔を見ていると、俺なんかよりもよほど真面目な人なんだなと思える。天使さんのことを目標としているのだろうか。幽霊を見ると気絶してしまうらしいのに。しかしこんな幽霊まみれの仕事をわざわざずっと続けているのはなぜなのだろうか。失礼だが、他の仕事をしている方が色々と面倒な配慮をせずに済みそうに思えるが。
「……不思議に思いますか? こんな仕事を辞めずに続けていることを」
「え、ああ……あれ、でも確か除霊一家、なんですよね? あ、こ、これはその、天使さんが言っていたのをたまたま聞いてしまったんですけど……だからその、使命、的な理由ですか?」
「……それは関係ありません。そもそも私の家は幽霊を碌に見ることもできない私に対して、良い顔をしませんでしたから。……家のことは、正直どうでも」
実家は大分前に出た、と口にしていた時と同じ、冷めた目つきで俺を見ている。正確には目線だけを俺に向け、意識はどこか遠くに向けている。よほど嫌な目に遭ってきたのだろうか。家族との話は深堀しない方がいいだろうと思い、おずおずと話を進める。
「なら、どうして悪霊退治を?」
彼女は俺の疑問に対して一拍開けるように呼吸をこぼす。「初めはもちろん辞めようと思っていました。理由はいくつかありますが……」
「——彼女に会えるからです。私を救ってくれた彼女に」
ほほが緩み、瞳が柔らかく細められる。彼女の表情に目を奪われた一瞬の隙、背後に気配を感じた。背筋の凍るような威圧感に固まりそうになる体を動かし振り返ると、目の前に黒が広がっていた。目と鼻の先、巨大な目玉が俺を見ている。口から意味のない音が漏れた。悪霊はそんな俺を見て憐れむようにゆっくりと瞬きをすると、俺が手に抱えていたバスケットの中身——渡してはならない商品に手を伸ばした。
「……あ……っはじいて!」
ほとんど夢中でそれだけを叫ぶと、瞬時に俺の元までやってきたマグロが美しく尾びれをしならせて腕を弾き飛ばした。悪霊は少しだけ怯んだようだが、目線は依然商品に注がれている。引くつもりはもちろんないらしい。正直、不意打ちを喰らった今の状態では冷静に判断できず上手く戦えないかもしれない。体勢を整えるためにいったん距離を取りましょう。そう言おうと隣にいた火口さんに顔を向けて、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。——まさか地面にぶっ倒れているとは思わなかったからだ。地面にうつぶせで倒れ伏している彼女はその瞳を閉じており、俺の間抜けな声にも目を覚ます気配はない。先ほどまで冷静沈着に戦闘をしていたのにいきなりどうして、と考えて先ほどの会話が頭によぎる。
『私、幽霊を見ると気絶してしまうんです』
「も、もしかして気絶しちゃったんですか!? え、ええ、ちょっと火口さん!!」
突然のことに彼女も対処ができず、うっかり悪霊を視界に捉えてしまったのだろう。完全に意識を失っているようで、呼びかけても体を揺さぶっても反応はない。そんなことをしている間に悪霊は再び腕を伸ばし、商品を奪おうと攻撃をしてくる。必死に躱しながら、ひとまず悪霊から離れるために火口さんを抱き起し、マグロの背に乗せようとするも焦りで上手く力が入らない。マグロも俺の混乱が伝わってしまっているのか、せわしなく動いてしまっている。こうなったら天使さんに手伝ってもらうしかない。探そうと顔を上げた瞬間、腕の中の体がびくりと動いた。俺の肩を押し、ゆっくりと立ち上がる。良かった、火口さんが意識を取り戻したようだ。
「ひ、火口さん! 良かった……意識が戻ったんですね。そうしたら、いきなりで申し訳ないんですけど一旦ここから離れましょう。あっちに天使さんがいるはずなので、彼にも手伝ってもらって……」
「その必要はねえよ」
「……え?」
耳に届いた気だるげで粗雑な声が、一体誰から発されたものなのか理解ができず動きが止まる。悪霊がいることすらも忘れて呆然としていると、そばに立つ火口さんが煩わし気に頭を振った。目頭を押さえ「あー……」とかすれた声を発している。
「一人でもなんとかなりそうではあったけど、不意打ちにはさすがに対処できなかったか? ワタシがなんとかするからいいけど」
「ひ、火口さん……ですよね?」
ぶつぶつと何かを呟いている彼女の外見はどこからどう見ても火口さんだが、纏う雰囲気が全く異なる。鋭くとがった目つきに、少しだけ猫背になった姿勢。なぜか濃くなった幽霊の気配。火口さんが、別人に見える。そんなはずがないのに。ここには俺と彼女しかいなかったはずなのに。意味のわからない状況に震え声になりながらも火口さんを呼ぶ。火口さんは目線だけを俺に寄越し、一つ瞬きをした。
「あ? 火口? まあそうとも言えるしそうじゃないとも言えるというか……てかお前は誰なんだ? あ、いや、待て。わかる、この間小雪から聞いた。確か鮮魚のやつだよな。ようやく鮮魚に新人が入ったって」
誰だとはどういうことなんだ、今まで一緒に仕事をしていたのに。混乱するばかりの俺を見て火口さんがにやりと好戦的に笑った。大人しく真面目な彼女がおよそしそうにもない表情に驚いて目を見張る。
「よう、はじめまして、新人。ワタシは大雪(たいせつ)。火口小雪の中に存在する、まあ、所謂幽霊ってやつだ。よろしくな」
「へ、あ、えっと……? よろしくお願いします……って、幽霊?」
火口さん——ではなく大雪さんというらしい、彼女が差し出した手を握り握手に応えると、俺がよほど間抜けな顔をしていたのか彼女はケラケラ豪快に笑っていた。そしてぱしりと俺の手を叩き、横を通り過ぎて歩き出す。待て、その先には悪霊がいるはず。驚いて止めようと振り返ると、逆に彼女が俺を手で制した。そしておさげにくくっていた二つの髪ゴムを外し、右足のバンダナをするりと解く。器用にバンダナを使いポニーテールに結び直すと、髪ゴムを割れ物に触れるようにそっと手首に付けた。
「詳しいことは後で話す。とりあえず今はワタシに任せな」
顔だけで振り向き俺に目くばせをすると、火口さん——大雪さんは、その場で大きくジャンプをした。そして悪霊を眼下に見下ろした状態で、指をぱちりと鳴らす。すると、彼女の左足から炎が滲むように生み出され、やがてどんどんと勢いを増していった。空を焦がすように広がる炎は、意思をもっているかの如く揺らめく。周囲の温度が上がり、俺の額にも汗が伝う。
悪霊が危機を悟ったのか、黒い腕を叩きつけるように振り上げる。空中にいる大雪さんにも届くくらいに伸びた腕が俺たちに影を落とす。通常であれば絶望感を与えるに等しい光景だろう。しかしその攻撃は当たる前に断ち切られた。突然視界に飛び込んできた光の線が悪霊の腕を切り裂く。これはもしかして、と見上げると、天使さんが仏頂面で人差し指をこちらに向けていた。ばさりと翼を動かし、空中にとどまっている。先ほど飛んできたのは彼の弾丸だろう。ひらりと余分に抜け落ちた白い羽が落ちている。地面に着地した大雪さんも彼を見たのか、にやりと口の端を吊り上げた。
「っは、気が利くじゃねえか。さんきゅ。——さて、そろそろ終わりにしようか。弔ってやるよ」
大雪さんは悪霊に視線を戻してそう静かに告げると、一瞬で再び悪霊の頭上に躍り出た。炎をまとった左足を大きく振り上げ、そして一切の温情なく振り下ろす。炎のかかと落としが悪霊を切り裂く。女性の悲鳴のような音が耳を裂き響き渡る。彼女のかかとによって真っ二つに切り裂かれた悪霊は、悲鳴を上げながら炎の中でびくりと震え、しかしかすかに腕を動かしていた。大雪さんを殴ろうとしているのか。
「抵抗するな。受け入れろ」
眉を顰めた大雪さんが悪霊の腕を上に蹴り上げると、その足を中心としてさらに炎が広がる。悪霊は断末魔を上げて炎に飲み込まれていった。
「やり口が野蛮なんだよ、お前は」
やりきった表情で悪霊の消滅を確認する大雪さんの元へ、天使さんが降り立った。相変わらずの仏頂面で話しかけてきた天使さんへ、大雪さんはふん、と鼻を鳴らす。
「悪さをした罰は必要だろ? 所詮は不意打ちしか能のない雑魚だったがな。雑魚だろうと悪霊は悪霊だ、倒すなら最後まで全力でやらないと。というかワタシが来なかったら危なかったんじゃないのか。相変わらず態度が不遜だな」
「……お前が出てこなくても小雪とボクだけで倒せるんだからな。魚屋もいるし。今回は、状況が悪かっただけで。そうじゃなければ楽勝だった。だからお前の手柄ではない、全然。調子に乗るなよ」
大雪さんが肩をすくめた。彼女の周囲の炎は未だ揺らめいており、天使さんと大雪さんの間で燃え盛っている。焦げ臭い臭いが鼻についた。悪霊も焦げるんだ。というか豚やマグロに食べさせず倒すとは、もしかして大雪さんってかなり強いのではないか。ぼうっと考えていると、マグロが近くまで来てくれていた。よいせと跨り、二人のところまで連れて行ってもらうことにする。
視線を二人に戻すと厄介そうな状況になっていた。俺が呑気にしている間に、二人の間の亀裂は深まってしまったらしい。
「お前まだそんな幼稚なこと言ってんのか? 別に手柄を取ったなんて思っちゃいないって。ワタシが小雪に信頼されているからって僻むなよ。それはどうしようもないことなんだからさ。ワタシと小雪は離れられないんだから」
「うるさい!!!」
天使さんが翼を大きく揺らして激高する。二人に近づこうとマグロに乗せてもらっていた俺はもちろん、マグロもその声に驚いて瞬きをしていた。どう宥めようかと思いながら視線を彷徨わせていると、手に持っていた籠が目に入る。その中にはかなりの数の商品が残されており、マズいことに気が付いた。二人は何か言い争っているが、俺はこちらを早くなんとかしたい。マグロさんに視線で指示を出して近づいてもらう。
「お前が何を企んでいるのか、ボクにはわかっているんだからな。そうやって人間に憑いて体を奪って、本当に自分勝手なヤツだ。所詮は成仏し損なった抜け殻のくせに!!! というかそもそも後から小雪に近づいた不届き者の分際で生意気なんだよ!!!」
「ちょ、ちょっと待ってください!!」
天使さんの大声が店に響き渡る。止めなければ、とマグロから飛び降りてヒートアップしている天使さんの前に躍り出ると、二人から同時に視線を向けられて思わず怯んだ。片や鬼のような形相になっているし。
「ひ、すみませんでしゃばって……でも、その」
「お前が謝る必要ねえって。こいつがうるせえだけだから。つか危ないからいきなり飛び込んでくんなよ。……あ、いや、違うな、わざわざこっちに来たのか。色々話を聞きたいんだろ? ワタシのこととか、小雪のこととか……まあそりゃ当然だよな、いきなり幽霊とかなんとか聞かされても——」
「しょ、商品がまだ残っているので、これを売ってしまいたいんですけど!! また悪霊が来てしまうかもしれませんし……! なのでその、すみません! 俺、レジの続きしてきます!」
大雪さんが何かを言っていた気がするが、出てしまった言葉を止めることはできずそのまままくし立てる。お辞儀だけは最低限残してダッシュでレジへと向かうと、幽霊のお客様たちは律儀に列を作って待っていた。籠をテーブルに置くと、幽霊さんたちはするりと商品を手に取ってレジの前に立つ。俺はそっと腕まくりをして気合を入れた。もうひと踏ん張りだ。
「……あいつ、思ったより冷静なんだな。まあ確かに先に商品を売った方がいいか、話をしている途中に悪霊が来てもめんどくせえし……」
「ふん。お前がいるせいで冷静さを欠いたが、ボクでも思いついたからなそんなことは」
「あっそ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます