よく似た娘
母はよく山登りをしていた。それは父がなくなってから、急に始まった趣味だった。休日のたびに、一人で近くの標高700メートルぐらいの山に登りに行っていた。私や妹には特に何も言わずに朝早く出かけて、頂上で家族のLINEグループに写真を投稿する。いつも同じ場所だったから、また行っていたんだなと思うぐらいで私も妹も適当にスタンプを返していた。
一年に一度だけ、妹と私も一緒に長野県まで出向いて登山をするのが、私たちにとって唯一の家族旅行だった。木曽駒ケ岳、乗鞍岳、八ヶ岳、御在所岳などに登った。ロープウェイやゴンドラで上のほうまで行き、5時間ほどかけて頂上まで歩く。そして帰りは麓の温泉旅館に一泊するのが決まりだった。
三人で、乗鞍岳に行った時のことだ。私は中学三年生だった。夏休みだったので一日中部活の練習があったが、家に帰ったあとは休む間もなくシャワーを浴びてすぐに出発した。疲れていたので私は車に乗った瞬間すぐに眠りについた。
4時ごろ、パーキングエリアに着き、「もう少しあるからトイレに行っておこう」と母が私と妹を起こした。私はぐっすりと眠っていたのですぐに目覚めたが、妹は寝起きが悪くていつまでたっても降りようとしなかった。
イライラしている私に母は「ちょっとあっちのほう行ってみよう」といって、小さな東屋の方を指差した。そのパーキングエリアにあった展望台だ。妹に「10分ぐらいで戻るよ」と告げ、二人で歩いて行った。
日はまだ上っていない、少しだけ暗闇が柔らかくなり始めてきたころだった。展望台につくと、だんだんと夜空の色が変わり始めた。母は柵に寄りかかって遠くを眺めていたので、私はその横に立った。すぐに空は一面が薄紫色のグラデーションになり、そのあとオレンジ色とピンク色の、水彩画のような美しい朝焼けが広がった。私は、初めて見る光景に息をのんだ。朝がこんな風にやってくることを、一度も知らなかった。
「こんなに空がきれいなんだから、今日はいいことがあるに違いないね。」
私は言った。
「いつも見ていないだけで、朝はいつもこんな風にやってきてる。だから、毎日同じだけの希望があるんだよ」
母が言った。私ははっとして母の顔を見た。どこにも焦点をあわせないで空を見上げながら、母は微笑んでいた。その横顔が、どこか寂しそうに、悲しそうに見えて私は胸がキュッと痛くなるような気がした。
私と母は、どうしてか、昔からうまく会話ができなかった。親子なのに、クラスで気の合わないクラスメイトみたいに、口を開くたびにどうしてもぎこちなくなった。きっかけは覚えていない。多分、妹が生まれた頃だったと思う。妹の世話をしている忙しそうな母に近寄るのが申し訳なくて、私は何かあるといつも父の元へ行った。それが何年も続いたので、母は私が母より父になついていると感じていたのかもしれない。私のことは父に任せることが多くなった。そして私も、母は私より妹のことを愛しているんだと感じるようになった。きっとそんなはずはなかったのに。
私と母は性格がよく似ていた。人に気を使い過ぎて、空気を読んでいるつもりで空回りすることがよくある。お互いのことを慮りすぎて、知らないうちに距離をとるようになっていた。
父が亡くなった後、私は唯一の理解者を失ったような気持になり、ほとんど家で話さなくなった。中学のクラスでは全然友達ができなかったけど。部活も勉強もうまくいっていなかったけど。母には言わなかった。中学の個人面談の後、廊下で「あんたの考えてることが全然わからない」と母は独り言のように洩らした。
遠い空を見つめる母の横顔と、薄紫色に染まった朝焼けの空を見ながら、私が母に言わないように、母も私には言わない悲しみや葛藤があるんだろうと思った。そして母は、きっとこのよく似た娘のことをわかってくれているんだろうとも。
この光景を忘れたくないと思った。一歩、二歩、後ろに下がると、母の肩ごしに、朝日が昇り始めた。
夜眠れない時、私はよく音楽アプリを開いてイルマのピアノアルバムを流す。母が夜道を運転する時に必ず流していたアルバムだ。「同じだけの希望がやってくる」その朝を待ちながら、あの日の光景を目蓋の裏に思い出す。
名刺代わりの Una @yuna0126
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