第12話 慮外⑤
「まだか。まだなのか、鞍山。」
がやがやと少し騒がしい、ドレッシングルームの角で僕は彼女に問いかける。かれこれ30分は経過している。
「もうちょっと待ってよ。今のままじゃ韮谷君試着室借りれないでしょ。嫌がって。」
「嫌がるというか、気恥ずかしいんだけど...自分が行ったこととはいえ、なんていうかな...お酒の勢いのような一種の高揚感というか...」
「ごちゃごちゃうるさいわよ。もうすぐできるから。ほら目をつむって口閉じて」
彼女はぶうぶういう僕を黙らせるかのように、強引に瞼と口を手で閉ざした。なんとも暴力的ではあるが、かくいう僕も自分で言い出したことなので強く文句は言えない。
僕は今、慣れない服に着替え、顔に慣れない塗料を塗られ、慣れないウィッグを頭に乗せている。これもすべて彼女のなされるがままになった結果である。さながら女子が子供の時、一度は手すると言われているリカちゃん人形の気分である。是非とも丁重に扱ってほしいものだ。自分は壊れても修理は電話一本どころではないのだから。
そんなことを考えていると、瞼の上がちょっとくすぐったくなる。目がぐにぐにと刺激に応じて反応するが、しばし我慢すること3分。「こんな感じでいいかな。うん。」との声。処置が終わったようで、鞍山が少し離れていくのを気配で感じる。
「ほら、いい感じに目元も終わったわよ。もう大丈夫そう。」
「ありがとう鞍山。それで...」
僕はゆっくりと目を開く。蛍光灯の光が若干まぶしいが、目を細めるほどでもないため、そのまま放置して鏡を見る。
「それで鞍山。本日のこのメイクのテーマをお聞きしてもよろしいか?」
僕は頭に乗せている、肩まで伸ばした金髪をサイドで結んでいる、所謂サイドテールのウィッグの前髪をくるくると回しながら責任者に問う。
「いいわよ。今回のテーマはギャル。」
「ギャル?ギャルってあの旧東京にいたとされるアレか?」
「別に今でもその辺にいるわよ、普通に。まあ、韮谷君が想像してるギャルの方は確かに今はいないかもしれないけど。」
僕の中のギャルに対する解像度の低さまで見事に指摘されてしまう。情報のアップデートを怠ってきたのでこんな間の抜けたことを口走ってしまったのだろうか。次からはギャルのことも勉強しよう。
「教えてあげるわ韮谷君。ギャルってのはね、心からなの。ふわふわと刹那的な刺激に身を投じていようとするその姿勢こそが、ギャルをギャルたらしめるのよ。」
「なるほど、すごく勉強になるな。聞かなかったことにするよ。」
僕は彼女の話を小耳に差し置き、ズバンと乱麻に一振り。今の彼女の言うことなすことは冗談半分でできていると考えて差し支えないだろう。今の状況の方が冗談に近しいのだから。
僕たちは現在、ここ東海地区1番街における学生たちの遊び場兼観光場所兼バザールである「興宴」にいる。 饗宴とは、一言で言ってしまえば学生専用のデパートのようなものである。日用品や食べ物系は勿論、本屋や自習室、映画やゲームセンター、洋服店や制服売り場、スポーツ用品やキャンプなどの趣味用品や飲食店、果てはペット売り場やカフェまで備わっている。
僕たちはその饗宴の21階、洋服店売り場のドレッシングルームに鎮座する。とはいっても、ここでは服を試着したり採寸を図ったりするような場所ではなく、どちらかというと化粧直しや汗をかいた生徒が、制汗剤や魔術で身だしなみなどを整える場所に当たる。僕はそのような場所を使うのは女子しかいないと偏見でくくっていたが、その実、男子諸君らの姿も散見された。美に無頓着なものとそうでない者の分水嶺は、いま、この瞬間ここにあるのだ。まっこと関心感服。
僕が学校から自転車を取りに行く帰りに、鞍山の「スカート至上主義」に付き合う形で僕たちはこのデパートに入った。しかし、僕の姿を見て思うのは――
「まさかここまでするとはね...どうしてこんなことになったんだ。興でも乗りに乗ってしまったのか?」
僕は鞍山に言われるがまま、のこのこと謂れもない場所に赴き、阿呆な面を大改造されていた。まるで顔だけ人造人間製作所である。世の多くの女性や一部男性はこんなことを日夜していると思うと、頭が上がらなくなるのも無理なからん事であろう。人の顔がキャンパスとするのなら、メイクとは絵具であり、表現したいことが筆に乗り形を成す。つまりはみな表現者である。クリエイティビティ極まれり、と呼ぼうか。
とかく僕の顔は現在、鞍山の手によって魔改造を受けている。ファンデーションやパウダーをふんだんに使い、美麗なそれに仕上げる。柔らかな丸みを帯びた逆三角の形を成したそれは、まるで輪郭まで変わったかのようである。さらに目元を重点的に陰影とまつ毛の形を整えることでぱっちりとした印象の目に代わる。普段の希望とは無縁の漆黒の瞳には、彼女の購入した青色のカラーコンタクトが入っている。更に、肩まで伸ばした金髪をサイドで結んだウィッグを被る。そうすることでようやく彼女の思う理想のギャル、というものの形になったのだろうか。
一仕事終えた彼女は「ふう。」と一息。
「興も乗るわよ。メイクばっちりしたらスカートばっちり決まる素材だと思っていたのよね、韮谷君。」
機嫌よく口に出す鞍山に対して、僕は心の中で首をかしげる。それ、褒めているのか?と。彼女曰く、「スカートにはかわいいメイクで以て相見える。形から入りなさい、心はその後についてくるわ。」とのことである。なるほど、逸る心を抑えれば必ずそれに適応できるということだろう。それまで僕が僕であれば。
「...さいですか。でもスカートのいろはは心ってやつ、僕は信じれる段階にはいないみたいだよ。」
仕立てが終わったと思うや否や、僕が椅子から飛び出すと同時に彼女は「あらそう?本質情報よ、これ。」と僕の耳に最後の添え物を加えた。比喩的表現ではなく、実際に彼女が僕の耳に何かしたのを感じたのと、バチンっという音が鼓膜に響いたのは同時だった。遅れて若干の痛覚を覚える。
「あて!...え、なになに。もう終わったんじゃないの?」
僕は鞍山の方を振り返り、耳朶に感じる違和感を問う。
「最後のギャルポイント、なんちゃってピアスよ。やっぱりギャルと言えばピアスでしょ。」
得意げに彼女は言う。僕のギャルの解像度も大概だが、奴も人のことを指させるような状況にいるのだろうか。耳に指を添えて感触を確かめると、ぐにぐにとした耳たぶの中心、楕円の原点とも呼べるような場所に、それが鎮座しているのがわかる。
「そのピアス、別に校則違反とかそんなものでもないから、普段でもつけたいならつけてていいわよ。便利だしね。」
「便利って、何がさ。普通のピアスじゃないのか。」
そう問いかけて彼女の方を見れば、彼女も僕の耳に刺したものと同じピアスを彼女の耳にも刺していた。
「いや、普段使いとかもできるからね。派手すぎないし。後はまあいろいろあるけど...って韮谷君、こっち見すぎよ。私の麗しき耳に興奮を隠せないのはわかるのだけど、気恥ずかしいわ。」
そう言って鞍山はピアスをつけ終わるや否や、赤みを帯びた髪を耳元から静かに払う。ファサっという擬音を残し、髪は肩の後ろに戻っていくのが見えた。
「ああ、ごめんごめん...って鞍山、そっちは恥ずかしいとか言うんだな。僕が昨日パ...下着見ようとしたときは、覚悟がどうのこうの言っていたのに...普通逆じゃないのか?」
「あら、そうね。昨日韮谷君がその血を瞳に集めて、極限まで視力を高めようとしてたわね。」
「ごめんって...」
くすくすと揶揄うように、彼女は蠱惑の笑顔を見せる。あゝどうか慈悲の心を。当方まっこと反省と懺悔を繰り返していますゆえ、なにとぞご容赦をば。
「それはまた後でいじるとして...そろそろ服を買いに行くわよ。韮谷君今のままじゃアンバランスですっきりしないでしょ。」
鞍山はそう口に出しながらすたすたと席を空ける準備を進める。その手際の良さたるや。流石に普段使いしていることがよくわかる。
「まあね。まだ着替えてないから、顔と服があまりにも合致していない気はしてるよ。これは男装のギャルではなくて、ギャルの顔した男の娘だ。...いやまて、それはそれでニッチでエッチな需要があるか?」
「ずいぶん尖ったフェチね。おいてくわよ。それ以上うだうだ言うなら。」
僕もちょっとやりすぎたかなという心に、冷たい目線と鋭利な言の葉の刃で、後悔という名の急所をグサリ。自分から蒔いた種が懺悔を肥料としてすくすく育ち、後悔という花が咲いたのだ。あなや頭のてっぺんから足のつま先、へその中点から臀部の穴に至るまで自身の後悔でずぶずぶである。後悔におぼれる僕と、それを指すナイフ。僕たち十代にとっては近しいものがあると感じてしまったら、おそらく明日には僕はなめろうになり、朝食でおいしく頂かれることになる。
「まってぇ...」
そんな弱音を吐き、鞍山の方を振り返ると――
「きゃあ!」
奥の方から歩いてきた麗しき女学徒とぶつかる。
その女性は白銀の髪を後頭部あたりで結んでいるが、その髪は留まることを知らず腰あたりまで携え、サイドの一部を三つ編みにして頭の側面に走らせている。瞳は惑溺させるような薄い赤色をしており、肌の白さとも相まってアルビノのような印象を受ける。白のブラウスと黒を基調としたワンピースが彼女をピシッと引き立たせている。
しかし、それよりもその髪を止めているヘアピンが特徴的であった。円の中に何重もの星が編み込まれているのだ。僕の(主に下着をのぞくときに使われる)瞬発的な洞察視力が、情報を吸い寄せる。
いやそれよりもまず、純然たる不注意の結果を目の当たりにしている自分に、反省と警告を謝罪を促す。
「あ、ごめんなさい。怪我とか...ありませんか?」
転ばしてしまった責任と、その謝罪の意味も込めて、僕は跪き手を伸ばす。
「はい。大丈夫です。ご心配おかけしてすみません...て、あら?」
ぱんぱんとほこりを払いのけ、僕の手を取って彼女は立ち上がる。と、同時に違和感に気が付いたのか、ポカンと阿呆面を晒す。整ったその顔は、崩れ知らずに美しかった。しかし、年頃の乙女が口を半開きにするような奇怪な出来事が最近あっただろうか。...否、この身を以て。
生きる阿呆面生産工場管理職こと韮谷莫邪である。給料は無償。くたばれ。
「......がんばれ!まだまだいけるよ。」
彼女は腕を胸元に持ってきて、ぎゅっと拳に力を籠める。艶やかな手の甲と、静かに見える血管が力の入れ具合を表している。
そこで僕は自分の現在の状況に頭が回り、誤解を知らせる狼煙を上げようとするが
「ち、違うんです!あの...」
「おーい。英理~~?」
おそらくは彼女の友人の声に遮られる。なんとも僕にとっては間の悪い話である。このままでは、僕は彼女にとって変態の烙印を背中に背負った罪人としての暗雲立ち込める道を一人歩むことになる。いや、もちろん力尽きる前に僕のことなぞ明日には忘れているだろうが。
誤解を解くべく彼女の方を、子犬のような目(本人談)で見つめる。しかし彼女は無慈悲にも親指をぐっと持ち上げ、うなずき、そして声のする方に駆けていく。なんということだ。これが男子学生らが殴り合い蹴落としあいの末にたどり着く、言葉はいらないというものなのか。しかし、僕たちにはまだ必要であるように感じる。まだ喧嘩というプロセスを踏んでいない。そこが砂金よりも需要だというのに。
「あぁ...」
膝から崩れ落ち、力なく怨嗟を吐き出すしかできない僕に、鞍山は振り返る。
「泣くな。メイクが落ちるだろ。」
アニマギア バター醤油 @butter-soyA
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