第11話 慮外④

 ガーガーとまあ前時代的な音を鳴らしながら、機械は必死にインクを滲ませる。なんとも勤勉な態度であろうか。僕も少しは見習わなければならない。


 コポポポとなんとも間の抜けた水の落ちる音を出しながら、給湯器はその頭をコップに捧げている。ハラスメントを受けたサラリーマンとはかくいうものであろうか。さすれば給湯器とはさながら轆轤と表現できよう。おお、先人よ、巨匠よ、歴史とはかくありけり。


 僕の横にいる謎の彫刻や造花はなんとも雄弁に僕に語り掛けるようだ。曰く「お前、本当に何したんだ?」「ちゃんと正直に話しなさい」と。いやはや勘弁してくれ。僕だって混乱の最中なんだ。わからないことはわからないし、言えないことは言えない。心で唱えるは般若心境ではなく責任転嫁のいろはだ。


 職員室。それは教室や廊下とは断絶された一つの隔離空間、または孤島とも呼べよう。否、もちろん実際にはそうではない。ちゃんと陸路でつながっており、そこに行くのに僕たち学生が必要なものはパスポートなどではない。「覚悟」と「理由」。なんとシンプルなのだろう。


 僕がいるのは、そんな職員室を入り右手のドアの向こう、所謂応接室というものだ。座り心地が良すぎるがゆえに腰が沈みすぎる椅子を何とか乗りこなしながら彼女を待つ。


 ちなみに彼女とは鞍山ではない。奴は「じゃあ外で待っている」と足早に駆けてしまった。別に意識などしていなかったが、この状況における奴は意外と心の支えであったと表現せざるを得ない。スカート履かせてくるけど。


「お待たせしましたぁ~」


 パタパタという擬音とともに、僕らの担任である神谷凛月がこちらに迫る。肩まで伸ばした黒髪が先の擬音に呼応する。白いブラウスに黒のスカートを膝まで伸ばしている。暑くはないのだろうか。


「いやー暑いねぇ。やっぱりお昼はさ?もうちょっと涼しくなってくれるといいんだけどねえ。」


 どうやら暑かったようだ。パタパタと駆けてきたと思ったら、パタパタと手やスカートを仰いでいる。そのうちパタパタと倒れてしまわないようにだけ気を付けてくれ。


「まだまだ暑くなりますよ。これからこれから。普通に勘弁してほしいですけどねえ。」


「本当にねぇ。」


 何事もない他愛ない会話で前座。僕たちの戦いはこれからである。


「それで...どのようなお話でしたっけ。」


「ああ、そうそう。洞院さんのお話でちょっとね。韮谷君に聞きたいことがあってね。」


「はあ...」


 曖昧な返事の裏に、逸る心が解放を求めているのがわかる。


「洞院さんからね、魔術<マギア>を未来機関の許可なく使用しちゃいましたって相談が今日あってね。そのことでお話を聞いていたら、途中で韮谷君のことも少し出てきたの。そのことで韮谷君からもお話聞きたいなって思って。緊急魔術報告書の作成に詳しい状況が必要だったからね。」


 そう、洞院が来たのは先にこれを作っておきたかったからなのだ。


 緊急魔術報告書とは、その名の通り緊急で魔術事故やそれに付随するような何かがあった旨が、学生から申し出があったときやほかの学生からの報告があった際、担当する教師などが未来機関宛てに作成する報告書である。それは日時や場所、自分の使用する魔術などが報告書に記載され、それにおける処罰を未来機関が定めるというものだ。


 先述したチクリは、この過程をすっ飛ばして第三者の学生が直接未来機関に報告することを指す。


 緊急魔術報告書も未来機関にとってはチクリと同様に、事件を収集し、判断や処分を下す一つの判断材料に外ならない。しかし、一応チクリという行為を未来機関が認めているのは、これも魔術事件発生の抑制のためである。


 学生それぞれが周囲の目でみて魔術を自制する、それによって互いを思いやることが出来るような実直で素直な心を育てる。彼らの言い分ではあるが、つまりは互いが監視者という立場になることで押さえつけているだけであろう。まことに嘆かわしい制度である。性格が悪い。


 ほかにもやれ通知表に裏の名目があるだの、チクリを一定回数すると未来機関直属のスパイに認定されるだのよくわからない噂が多々ある。知らぬ存ぜぬが仏と呼べようか。答えは誰にもわからない。


 反面、いわゆるやらかしてしまった生徒は先の洞院のように実直に教師などに連絡をして報告書を作成、その判断を待つというのが一般的である。この彼女の何が問題なのかというと、やはり――


「やっぱりその件でしたか。...洞院さんと僕は別に争ってとか、魔術抗争に発展して爆発とか起こしたりとかはないと思うんですけど。」


「そうそう、彼女もそう言っててね。別に韮谷君が危ないことしてるからってわけじゃなくて、他にも何かあったのかとか、報告の聞き漏らしとかあったら教えてほしいなって思って。つまりは擦り合わせね。」


「あ、そうなんですか。わかりました。」


 ぼくは心の中で大きなため息をつく。これは幸福を排斥するものではない。次の大きな呼吸で大小さまざまな幸福を吸い取り一歩歩むためのものである。それはそれとして――


(しかし、これからの話の内容によってはあまりいい顔はできないぞ...おそらく話の主導権は僕にある。話せる内容はある程度僕が決めれるからな。でも...)


 中肉中背のなよっとした背を伸ばし、神谷と向き直す。


「あとは他にはかかわってる人の話とか聞きました?洞院さんから。」


「そうね。洞院さんからは彼女自身と韮谷君、あとは御影さんね。一応病院で治療を受けているらしいけど、命に別状はないようで本当に安心したわぁ。」


「それは本当によかった、安心しましたよ。」


 御影という少女も回復しつつあるという報告と、人間爆弾こと七海摩耶の存在がバレてはいないようで、僕は二つの意味で安心した。これは絶対に嘘ではない、と。


「あとほかの人から聞いた話だと、小さな女の子がいたらしいんだけど、韮谷君知らない?」


「あー...そうですね...」


「知ってる間だねぇ...」


 なんとも嘘つき。アイドルかあなたは、と心の中で大いなる地団駄。キラキラのフリルの衣装とマイク握ってステージの上れ。天下だって夢じゃない。


(誰かから洩れた!ほかの人って言ってたからあの場にいたメンツの誰かか?!...クソ!マジで思い出せないし、思い出してもしょうがないのがやるせない!!)


 事ここに至っては、誰を責めることもできまい。ほかに僕にはするべきことがある。


「その女の子、知ってると言えば知ってるんですけど、知らないと言えば知らないんですよ。何言ってるかわからないと思うんですけど...。」


「本当に何言ってるかわからないときって本当にあったのねぇ~。方便だと思ってたわ。先生。」


 なかなかに辛辣。凡そ生徒に向けるそれではないだろう。言の刃が僕の体を突き刺す。偶にこういうところあるんだよな、この人。


「まあ、それは置いておいて...。あの人は別に魔術使ってませんでしたよ。報告するようなことは特に。未来機関の報告をしてもしなくても同じじゃないですか。」


「ああ、そうなの?先生もそこに女の子がいたって話しか聞いてなかったから、報告するかどうか迷っていたのよね~。でももしその子の魔術の残滓を未来機関が見つけたら、先生、管理不行き届きって怒られちゃうのよね~。」


「んぎぎ...」


 声が漏れる。そこではないのだ。僕にとっての問題は。


 緊急魔術報告書やチクリを受けた未来機関は、過去の警察と同じようにその真偽を明らかにするための捜査を行う。その際に判断の基準となるのが魔術の残滓である。


 魔術の残滓は、個々人間で異なっている指紋や耳紋のようなものである。基本的に学生たちは魔術の残滓を未来機関に記録させられている。ゆえに事件の場所が一致すれば、魔術の残滓から個人を特定することが出来るのだ。


 ちなみに、その方法もまた個人の魔術によるものらしい。なるほどお抱えの探偵とも呼ぶべき人間が、かの機関に眠っているらしい。


 ともかくとして、問題は――


「まあ、そうですけど...その人らも言ってないと思いますよ。その女の子が魔術使ったなんてこと。」


「そうねえ。先生もその女の子について詳しい状況がわかるわけでもないから、書こうかどうか迷ってたし...」


「だから書かなくても僕らがいれば十分だと思いますけどね。やらかしたのと、処分を受けるのは結局僕らなんだから。多分魔術の残滓からも未来機関はそう判断すると思いますけどね。」


 深々と座った椅子から身を乗り出して熱弁した僕は、そのクールダウン状態とばかりに腰を引く。それに合わせて気合の入った熱も霧散していくかのような錯覚を覚えた。ここでタバコでも吹かすかのように、僕は淡い一息。


(魔術の残滓がどうのこうのは、さして大した問題にはならない。だって、本当に七海摩耶は魔術を使ってはいないのだからな。......問題は、そこに七海摩耶がいたという事実を報告されること!それだけは...)


 事実確認こそ僕の中で行われてはいないものの、曰く彼女は内乱罪。その罪はそこいらの魔術抗争とはわけが違う。相手も違う。規模も違う。そんな彼女をかくまっている僕はどうなるであろう。共謀として見られてもおかしくはない。最悪彼女と同罪の判決を受けるかもしれないのだ。


(それだけは!避けなくてはならない!!)


 確固たる思いを新たに神谷の目を見る。端正、しかしその大きな瞳が応接室の空を舞う。その後、視線を流し、謎の彫刻や造花にあいさつ回りを済ませた彼女は、その足で僕の目線と交差する。


 深呼吸した彼女は言葉を紡ぐ。それは純粋にて純朴にて純情、さらに真摯であり、説法とはかく言うものであるという手本のようなものである。


「韮谷君、書いても書かなくても、とかしてもしなくても、みたいな言葉はね、本当してほしくないことを、あえて相手に選択権を与えることで選択肢を萎める言葉なのよ。無意識かもしれないけど、先生わかっちゃうからさ、そういうの。だから―――」


(詰み―)


 僕の心が敗北を認め、膝を折ろうとした最中、


「だから、先生と約束してください。決して危ないことに首を突っ込まないと。洞院さんからもその子の魔術関係の報告はなかったから魔術の残滓云々は本当なんでしょう。だけど、それ以外に何か理由があるんでしょ。君をそうさせる何かが。」


 ここで次は神谷が一息。爛々としていた彼女の目は、いつの間にか髪の色よろしく黒く染まっている。その双眸がまっすぐ僕を見る。さながら選手宣誓のようだ。


「だから、約束してください。生徒を守ることは、私たち教師の役割です。」


 そこまで真摯に伝えられる力というのは、それ自体が一つの魔術のようなものである。言葉をデコレーションする日本語、その婉曲的な表現が跋扈する中での彼女の一閃は介錯のような慈愛と残酷さを持っていた。


 覚悟には、覚悟を持って相対する。それが義理というものであり、責任である。僕は迷いに迷って言葉を紡ごうとするが―――


「...理由ならあります。でも、だからこそ約束できません。僕にもまだ、わからないことが多すぎて判断が付きませんから。」


 偽りのないことを離せば、中身がなくなる。なんとも僕の言葉には、偉人たちのような足跡はできないようだ。足跡をつけるには、僕の言葉は軽すぎるようで。


「そうですか...。わかりました。一応、報告書には、彼女のことも記載だけはしておこうかと思います。......あとは、洞院さんとのお話のすり合わせだけお願いできますか?」



「あら、遅かったじゃない。待ってる間に19アイス食べ終えちゃったわよ。ちょっと豪華なヤツ。」


2階の玄関から1階に降り、階段裏に回り込んで自販機へ。そこで飲み物を買おうとしていた僕に高飛車な声が鼓膜に劈く。


「さいですか。」


 力なく答える僕に「覇気が足りないわよ。」と罵り、アイスの棒を軽く投げる。空で舞った棒は見事な弧を描きながら加速し、見事にゴミ箱にシュート。お見事、彼女の魔術出力の調整は絶好調のようだ。


「今日は、じゃないわ。今日も、よ。」


 鞍山千佳は颯爽と答える。うっすらとした赤色を宿した髪やチェック柄のスカートが風に呼応してゆらゆら揺れた。


 そんな彼女が僕の顔を覗き込む。緋色の瞳が僕のそれを覗き込む。こうして何気なく見ると本当に美人という表現が似合うな、とふと考えた。瞳の緋色と比べて薄く、それでいてピンと張られた唇や、もちもちとしていそうな大福のような頬。なるほどさすがの高嶺の花。しかし身長的には僕が上だ。高嶺の僕とでも呼ぼうか。


「......聞いてる?私の話。」


「すまんな。あんまり聞いてなかった。」


「でしょうね。私の目を見て全然動揺していなかったもの。...ほら、シャキッとして。自転車取りに行くんでしょう。」


「ああ、そうそう、自転車自転車。」


「大丈夫かしら。韮谷君...」


 ポヤポヤと歩みを進める僕の足はおぼつかない。現実逃避という言葉が表現として適当だろう。しかしそれもやむなし。先ほどされたのはもはや死刑宣告と同義である。応接室の扉も心なしか重かった気がしてきた。なぜそんな扉が開いたかと聞かれれば、油がしっかりと刺さっていたとしか言いようがない。


 ゆらゆらとしながら僕の足は駐輪場まで僕の体を運ぶ。一応彼女からの頼みごとのあったが、今はそれより先に、これからのことを考えなければならない。


(こんな状況で、他のこと考えるのは本当に難しいな......一気に脳に負荷がかかりすぎてる。こんな気分を吹き飛ばす何かがあればいいんだけど...)


 そんなことを考えていると後ろから鞍山がまたしてもあの勧誘をする。


「ねえ、韮谷君。背中曲がりすぎよ。猫背とかじゃなくて、ひねくれてる。多分先の話とかでいろんなことに巻き込まれて疲れてるんでしょうけど、そんなときにこそ、心の褌ならぬ、覚悟のスカートが必要な頃じゃないかしら?」


 彼女は右手人差し指を立てながら、冗談交じりに呟く。その真意はおそらく気遣いと興味が1:1の割合でブレンドされているだろう。だからこそ


「......ああいいよ。」


「ん?なんて言ったの?韮谷君。」


「いいよ。いいじゃん、スカート。魅せてあげるよ。男子高校生の煌めきってやつをさ。」


 自嘲を浮かべる僕とは裏腹に、彼女は囁く。


「非常にいいわよ。韮谷君。覚悟を決めた男なら、こうでなくっちゃね。」


「諦観だろ。どう考えても。」


 呆れた声を漏らす。それを気にすることもなく彼女は歩き出した。


(人の気も知らないで機嫌のよいこと...だけど、ちょっとだけ、ほんのちょっと気分が楽になったな...鞍山の気遣いかはわからないけど、ありがとう。鞍山。)


 僕も鞍山の後を追う。ひねくれていた背骨は、少しだけ太陽に近づいていた。






 


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