第10話 慮外③

 含み笑いをし、何か期待している目をしている嶺原と対照的に、鞍山の瞳はいつもの緋色を帯びたものではなくなっていた。


 その瞳はどこまでも黒く暗く澄んでいる。凡そともとの会話でする”それ”ではない。その瞳の色が許されるのは、師を惨殺され、復讐にもゆる男の特権である。こんなところでおいそれとつかっていいものではないぞ、と僕は心の中で思いながら隅っこに縮こまる。比喩表現ではなく。


 空気が十分に冷えわたるには十分な時間が過ぎた気がする。思わず時計の針を覗くとそれは午後12時20分。秒針が心臓を焦らせるように、カチカチと等間隔並びに機械的な声で僕らの耳を通過する。


「...おっと、めちゃくちゃ滑っちゃった?」


 僕の額に脂汗が流れるように、彼女の頬にも一粒の透明な彗星が流れ落ちる。まさに冷や汗というものだろう。彼女とて、否彼女のようなギャルだからこそ、人一倍空気には敏感なのだろうか。


 それを確認した鞍山はいつもの緋色の瞳を取り戻す。


「いえ、いえ、とても面白い諧謔でしたよ。とても興味を惹かれました。思わず聞き入れてしまうその言葉の力、ぜひご教示賜りたいものでした。」


「これはバチ切れってやつですか?」


 彼女は此方に問いかける。


「これはバチ切れってやつですね。」


 僕は彼奴に答えを示す。如何せん切れ味が良すぎるだろう、言葉の端々。やはり鞍山にはぜひあの国民的推理漫画を読ませ、早急に言の葉の鋭利さについて学ばせなければならない。


「まあ、恋愛の切った腫れたくんずほぐれつは兎も角として...んで、その洞院さんと韮谷君のうわさについて私がわかっているのはこの辺かな。」


「なるほどな。つまり、現状としては何となく僕と洞院の間で”なにか”があったみたいってところから流れてきて、まあ、何となくで魔術関係とかでしょって言ってただけだったんだな。」


「ええ、あとは峰原さんみたいに恋愛が好きな人はそっち方面にも噂を拡げたがっていたってところだと思うわ。」


 横からいきなり言葉で刺された峰原は「たはーっ」っと額を左での掌で抑え、倒れこむような仕草をする。


「まあ、結局洞院さんに直接連絡とってみたほうが速いと思うよ。私も詳しく聞きたかったくて、おいそれとはならなかったけど、韮谷君本人なら色々話してくれるんじゃない?本人同士でさ。」


 嶺原がまたその白銀の髪をいじりながら言う。それはその通りだ。彼女に何を離したら直接聞くことに越したことはない。


「その話、本人同士でまとまったら私にもあとで教えてよ。地味に気になっていたんだよね。」


「ああ、そうだな......。」額に汗をまた滲むような気持ちだ。大丈夫だよな?いろいろと。


「まあ、なんにせよ洞院と話してにるよ。僕の話も出てきてたし、心当たりがないわけじゃないからね、正直。」


 僕はこめかみを搔きながらばつが悪そうに答える。


「心当たりがないわけじゃあないんだ~。...ふ~ん。」


 彼女はまた、にまにまとしながら僕に目線を向けてきた。青藍の双眸をいやらしく曲げ、おもちゃを見つけたいたずら好きの小学生の如き目である。秘めたる邪気を澄んだ瞳でごまかしている、眩き闇のそれだ。


「たぶん、峰原さんが期待しているようなことはないわよ。こんな人に限ってね。」


  真に惨憺たる言いぐさであるがしかし、彼女がそのような言葉を発する心当たりは、僕にはあまり余っている。昨日彼女のスカート覗こうとしたという事実が、僕の喉から反論の弁を奪い取って肥えているようだ。このまま成長したら、窒息してしまうかもしれない。


「...ははは...そうかな...そうかも。」


「でしょう?」


「そうなの?」


 結果、乾いた笑い。生気を感じぬそれに対して、各反応はそれぞれの状況を顕著に表していた。


 焦り、誤魔化しを交えながら情報の確認をこそこそしていく僕。情報の出所から話を聞くという結果を得られて少し満足げな鞍山千佳。またしても何も知らない嶺原響。


 そんな会話の中に生まれた少しの静寂の最中、ビィーという振動音がその静けさを打ち破った。おそらく携帯のバイブ音。「あ、ごめん。」といいながらその音の主である嶺原が携帯の画面をパッと見る。その一連の仕草の最中、マナーモードという発明に勝てるものはおそらく、2100年まで出てこないと僕は考えた。これ以上携帯電話の通知音としてわかりやすいものはないためだ。少なくとも僕には想像できない。


 一方、画面の確認をし終えた嶺原がこちらに手を合わせて謝罪をした。


「ごめん、急用できちゃったわ~。事の結末、あとで聞かせてね。いったん戻るわ~。」


「わかったわ。いろいろお話聞かせてくれてありがとう。」


「マジでありがとう。洞院と話し終えたら伝えに来るよ。多分...」


 僕らは口々に彼女への謝辞を述べる。流石に事の全容を今ここで確約することはできないため、僕は語尾になけなしの免罪符の一言を添えてみる。


「なんだそりゃ~」


 彼女ははにかみながらも席を立つ。その後教室を後にする背中を見ながら僕たちは「じゃあね」「さよなら」「んじゃ」などと口々にした。


「じゃあ、私たちもそろそろ帰る?多分あのうわさ程度じゃチクりしようって発想にはならないでしょ。話が創造的かつ飛躍に富んでいたわ。あれは本当に噂が噂を呼んでいただけね。」


「ああ、そうみたいだな。焦って損したよ。」


 そう言いながら僕は心の中で安堵する。その程度ならば、彼女の言う通りチクリはないだろう。それなら僕に変な疑いがかかることもなく、僕の家にいる七海摩耶の存在も隠し通せるはずだ。


 借りてきた椅子をあるべきところに戻した僕たちは教室を後にする。その後2階に上がり、1-Aの教室の前に立ち、横目で1-Bの教室をのぞく。そこには先ほどの嶺原響の姿が――


「いない?」


「どうしたの?韮丹君。また覗き?」


「あらゆる意味でちょっと待ってね。」


 彼女の言葉に嘘偽りなし。僕はまた(教室の中を)覗いている。ここだけ見れば、ではあるが。しかし、あまりに語弊を招く言い方である。見れば、女子女子とした女生徒たちがこちらを見ながらひそひそとしているところが目に入る。助けてくれ、誤解ではないが事実でもないんだ。


「あ、鞍山さんと韮谷じゃん。さっき嶺原といなかった?」


 陽気な男子の声が僕らの耳に届き、鼓膜を揺らす。相変わらず声がでかい。


「大きな声出さなくても聞こえてるわよ。姫谷くん。」


「元気すぎるだろ。なんかあったか?」


 姫谷斗真。黒髪短髪でサイドを刈り上げた、いわゆるツーブロックをこよなく愛するそこそこ筋肉質な男。制服の隙間から学校の指定ではない丘色のシャツが覗いているのが特徴で、彼曰く「赤は全てに勝る色」らしい。僕と同じ1-Aのクラスメートである。


「ああ、いま弁当とパン食べたからな。」


 姫谷は筋肉でできた腹をポンとたたきながら答える。炭水化物中心の弁当に炭水化物のパンを腹にぶち込んでおいてなんだその硬い腹筋は。筋肉オタクめ。


「少年過ぎないか。」


「これは少年ね」


 そろそろ僕たちも息が合ってきた。そこまで時間がたっていないというのに、彼女の適応能力は目を見張るものがある。


「少年少年っておまえらまた息ぴったりだな。そっちもなんかあったのか。」


「こっちは何もないわよ。少し私と韮谷君と嶺原さんで話してただけ。」


 鞍山が淡々と答えて、僕も続けてうなずく。


「それよりも、そっち”も”って?姫谷君の方は何かあったのかしら?」


「ああ、そうだそうだ。そっちで嶺原見なかったか?あとちょっとで補習始まるんだけど、午前いた嶺原いなくてさ。何か知らんかなって思って。」


「あれ、さっきまでいたけどなぁ。僕らちょっと前までこの下の教室で話してたよ。」


「あ、この下にいたのか?トイレ行った後探してみるわ。あんがとな。」


「ん?いやそれはさっきまでで、今いるかどうかは...」


 姫谷は僕の肩をバシッとたたいた後、突き当り左手側にある通路を足早に消えていった。


「わからないよ...って、あーあ、行っちゃった。話聞けよな~。」


 だから魔術補習になるんだぞと、僕は力なく肩をうずめながら悪態をつく。


「追いかければいいじゃない。そこまで遠くじゃないでしょうに。」


「当然の意見だけど、行ってもいかなくても結果変わんないよ。僕たちだって嶺原さんの居場所知ってるわけじゃないからね。時間になってもいなかったら帰ったんじゃないかってなるだけじゃないか?」


「まあ、それもそうだけど...あなた友達少なそうね。直観だけど。」


「いいんだぞ?ぼくはここで大声出して泣いても。響き渡る泣き声をメロディーに乗せて歌ってやる。喉がつぶれてもダカーポの如く...おいてかないでぇ!!喋ってるでしょうが!」


 ぺらぺらと喋る僕を一瞥した彼女は廊下を歩きだした。流石に一人で喋っているとまで思われたくない。それこそ友人がいない証明になり、彼女の言葉の真実味が増してしまう。そのような恐ろしいことにはしたくない。


 彼女に追いつき、僕は「そういえば」と口火を切る。


「何となくで聞いていたけど、魔術の補習て何やるんだろうな。使用魔術の確認は初中等部とかで終わってるだろうし。」


「私も詳しくは知らないけれど...多分魔術<マギア>の暴発とか機能不全の対策のための出力調整じゃないかしら。魔術で不都合が出てくるのってそのあたりだしね。私はなったことはないけれど。」


「流石万能人。」


 魔術の機能不全の出力調整、まず常人であるならばここがかなりのネックとなることは間違いない。魔術にはそれ専用の回路が体にめぐっており、それを各々の形で放出する、というのが初中等部などで教わる常識である。その後中等部後半までにかけて、発現したものをコントロールする技術というのが出力調整に当たる。


 「まあ、私もそれなりに苦労はしたけどね。魔術回路が人より多くある分、自分の能力把握が難しかったから。いままでなんとなくとか無意識化でやっていたものを体系化に落とし込るのって、意外と難しいのよね。」


「僕はその労力の半分で済んだわけだけど、まあすげえわかるな、あれで躓くの。普通呼吸するときどこから入って何が抜けるかなんて考えないしな。」


「その例えは合っているのかしらね...。お箸の正しい使い方とかの方が私はしっくりくるけど。」


「どっちでもいいよ。本当に。」


 僕らはだべりながら、突き当りの廊下を右に曲がる。


 ともかく、学生の魔術の単位は、外国語や物理のそれよりも重要なものとなっている。その単位数や前期後期合わせて6。普段の単位が合わせて4単位なことを踏まえるとその異常性が見て取れるだろう。それだけ重要であり、かつ難しいのだ。


 これは、2030年代前半に未来機関の頭である東雲が各教育機関に通達したものが発端となっている。当時、特に学生における魔術事件が頻発していた。そのほとんどは、自身の魔術回路における暴走であり、それに付随する故意なき自傷行為であった。これの原因を未来機関は、出力の調整不足による不慮の魔術現象であると断定し、それの調節を徹底するよう厳命した。


「あなたの魔術的にあんま苦労するとこ想像できないけどね。」


 鞍山が地上から数センチほどの空気を足場にして歩く様子を見せる。そのまま4歩ほど歩いてまた降りる。


「こっちもとこっちでいろいろあるんだよ。出力ミスったらロケットみたいにどっか飛ん出っちゃうかもしれないよ。あとすげえなやっぱそれ、便利そう。」


「でしょう?」鞍山がふふんとその高い鼻を鳴らした。「まあだとしてもスカート覗いた後逃げるのに使うのはやめた方がいいと思うわ。やるなら...」


「覚悟ね。ごめんて昨日のその件は...」


 僕は肩を落としながら答える。もうちょっとだけこれはいじられそうだ。しかし、否しかし僕は後悔していない。スケベの本懐を見事に成し遂げたと言えよう。


 しかし、この話ばかりではばつが悪い。せめてほかの話題はないものか...。


「そういえば、嶺原さん本当にどこ行ったのかね。あの後普通に教室行ったものだと思ってたよ。」


「さあ、私もわからないけど、あの時嶺原さん”急用”って言ってたから、なにか補習とかよりも優先することがあったんじゃないかしら。それこそ事情があって普通に早退したとかね。」


「んまあ、そりゃあそうか。」


 まあ、そんなところだろうな、と僕も心の中で納得する。単位数6の科目を積極的に捨てることはまずない。しかし、何か異常があれば、未来機関からの通達と言えど譲歩して折衷案が出てくるものだろう。そんなことを考えていると職員室前の十字路にたどり着く。ここは左に曲がれば体育館、正面が職員室、右手が昇降口となっている、学校におけるインターチェンジである。


 僕たちはそのインターチェンジを右折し、先ほどと同じ見るに飽きないポスターをまた眺めようとすると、うしろの職員室からぱたぱたと足音が聞こえた。と同時に「あらあら」という声も耳に入る。


「あらあら、鞍山さん、と韮谷君じゃない。今日学校に来てたのねぇ。」


「ああ、いや......自転車取りに来ただけですけどね...」


 胸の前で手を合わせ、神谷はまた朗らかに笑った。大きくて端正な瞳が慈愛の兆しを覗かせる。と同時に僕は彼女の話を思い出した。確か洞院が職員室で話していたのは――


「ああそうだ、韮谷君。今日洞院さんが来てお話してたんだけど、それで昨日の件であなたのお話も聞きたいなって思ってたの。少し話す時間、ありますかぁ?」


 




 



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