第9話 慮外②
チクりという言葉は、密告や告げ口などで多く用いられている、陰険でマイナス因子を多分に含んだ言葉である。それは今でも変わらない。
しかし、それが過去の事例と違うのは、ここ学生の街東海地区1番地では、学生同士の魔術事件が頻発する。そのため、「どこに」「何を」報告するのかが明確になったという点が挙げられる。
現在、チクりと言えば「未来機関」に「魔術の他人への無断行使」を報告することを指すのが主流である。これは未来機関に魔術の権力が集中していることが由来となっている。
この学生の地は魔術事件をまとめる一つの容器である。なればその魔術事件というのは大小の結晶がまじりあった一つの液体のようなものと表すことが出来るだろう。そしてその液体を溜める行為の一つにチクりが該当する。未来機関はそれらをろ過していく役割と資格が与えられているのだ。
「チクらないでくださいって、そんな必死にあなたね......。別に私は先生や未来機関にどうのこうのする気は元からないわよ。」
「まじか、ありがとう。助かるよ本当に...」
一応は助かったらしい。この件は僕と洞院とのいざこざにしておいた方が何かとまだ救いがあるだろう。七海摩耶のことがどこまで知られているかがわからないのだ。下手を打てば僕が何かする前にすべてが水泡に帰す可能性が文字通り眼前に広がっていたのだ。その彼女が何かする気がないという言葉に安堵していると――
「でもいいの?あなた...うわさ程度に広がっているってことは、それだけ一定の人たちには知れ渡ってるってことよ?私は今する気はないとは言ったけど、他の人たちも何もしないって言ってあげられる保証はないわ。」
「あ...」
当然、理路整然とした正論。予想してしかるべきであった意見である。僕は心の中で頭を抱える。
問題が僕と洞院だけで留まっているのならばまだいい。しかし現状、どこまで知れわたっているのかがわからない現状がある。どこからその情報が広まったのか、どこまで事実が確認されているのか、一番の問題は七海摩耶である。面倒ごとの権化のような人間だ。辞書で「面倒ごと」と検索したら彼女が出てくるんじゃないか。そんなくだらないことを思いながら思考を始める。
まず確認するべきことを、絞り出さなくては。
「それって、結構広がってる?例えばそれこそ風のうわさ程度だとか、それとも普通に誰かが話してた、確信めいたものだったりとか...」
「私も軽く耳にした程度だから、そこまで正確には知らないけど...そういえば、今日洞院さんがいたのよね。そこからじゃないかしら。」
「洞院がいたのか?今日の朝?」
昨日洞院を中心とした魔術のひと悶着の後、女生徒とともに医療機関に赴いた洞院が、今日の朝に学校にいた。僕は心の中に疑問符が湧く。
「そうよ。洞院さん。あのとき、「浮足立った男子たち」とともに派手に教室を飛び出した彼女が、なぜか今日の朝いてちょっと不思議だとは私も思ったのよ。」
鞍山が腰に片手を当て、少しひねりながら口に出す。彼女のスカートが靡くのを見た。
「私は直接話してないけど、神谷先生と話してたらしくてね。先生に魔術のことで質問があって職員室に赴いた際、ちらっと洞院さんの話をしてたのよ。それで軽く頭に入ってた。」
「否、否ちょっとまってくれよ。先生に直接聞いたなら、別に風のうわさじゃないんじゃないか...?」
僕は希望的観測を心に描きながら彼女に話しかける。
「直接聞いたんじゃなくて、それで頭に残ってただけよ。教室戻って自習して、その後の休憩中に外の女生徒が話しているのが聞こえてきただけ。カクテルパーティ効果みたいなものね。多分。」
「ああ、そうなんだぁ...」
なるほど、今の話は全て彼女の伝聞に相違ない。なればこそ噂を止めるには
① 洞院に直接話して偽造した噂を流した女生徒に真実として語ってもらう
② 噂を無くす何かで噂自体を塗りつぶす
ことなどが考えられる。なるほど。なんにしても次にやることは、
「...その女生徒って、1-Aのやつら?」
「いや?確かB組の人だったと思うけど。...まあ、チクリとか噂止めたいなら行くわよね。とりあえず確かめに。」
「話が速くて本当にすごいな。君は。」
「まあ、そうね。そこそこ空気分かるほうよ、私は。...じゃあ、私も行こうかしら。事の顛末は気になるしね。...ほら、行くわよ。早く。」
「お、サンキュー。また助かるわ。」
鞍山が踵を返し、後者の下駄箱へと向かう。その後をついて足を踏み出すと同時にやらなければならないことを思い出し、片手で文字を打ち込む。メッセージの送り先はもちろん彼女である。
2階の下駄箱から左に曲がり、廊下を突き抜ける。その壁や天井には様々なポスターなどが所狭しと張られている。それぞれ委員会や部活のメンバー募集である。写真部、映像制作部、そして魔術研究会などが主張しあっており、見るに飽きない現状である。
ホログラムの映像が手軽になった現在においても、やはり紙の文化はまだ残っている。それは一度印刷してしまえばそれを維持し続けるエネルギーなども不要であるためだ。さればこそたくさん印刷し、たくさんの目に触れさせることで、たくさんの部員に集まってもらおうという魂胆であろう。僕は勝手にそう解釈する。その中に――
「何をまじまじと見てるのよ、いつも貼ってあったものでしょう。先行っちゃうよ、私。」
「ああ、ごめんごめん、今行く。」
写真部の誰かが掲載していた写真の中には、どこかで見たようなモノクロの写真が映し出されていたような気がし、何か引き寄せられるような感覚を覚えた。否しかし、ここは先を急ぐ。今はやはりその彼女に話を聞くのが先である。
直進後右へ、そして突き当りをもう一度右に出た場所に我がクラス1-Aはある。そしてその隣がかの1-B教室である。ここは下駄箱の正面に位置する場所であるから、先ほど昼休憩の合間に喋る女生徒が何組か見えた。ちなみにそこから外へ出るロータリーを挟んで左に出るとC組が見えてくる。C組と断絶されているように見えるし、実際体育などのクラスもA,B組とC組で異なっている。そのため、僕もあまりちゃんとした交流関係はそちらとはない。
鞍山は凛とした姿勢を崩さず廊下を歩く。胸を張って歩くとはこのようなことなのだ。しかし、なぜ何もないただの日常を肩で風切って歩くことが出来るのであろうか。おそらく彼女自身自分の存在の大きさを把握しているのだろう。流石の万能人、背中が僕の三倍はある、と僕は心の中で白旗を掲げながら敗走兵の足取りで後に続く。別に何と戦っているわけでもないのだが。
「ああ、いたいた。ちょっといい?嶺原さん。」
そう言って鞍山はその噂を聞いた女生徒に声をかける。その言葉に呼応して、その女生徒はロッカーもたれかかっていた姿勢をこちらに向け、スマホをいじる手を止めた。
「ん。どうかしたん?千佳ちゃん。」
たしか彼女は嶺原響といった女生徒のはずだ。肩まで伸ばしたさらさらとした白や銀のような髪をサイドテールでまとめて、指定のブラウスの上に夏用の肩までの薄黄色のブレザーを着ている。その双眸には青藍の瞳だけこちらを向いていた。僕から、というか傍から見ればギャル、と呼ばれる人種であり、彼女との交流は皆無に等しい。そんなことを思いながら、僕は薄汚さを極める心のノートに彼女を記憶していった。HDのデータ移行のようにカリカリと音を立てながら。
これは僕韮谷の偏見だが、ギャルとはこういう夏の開放教室に自習に来るものなのか?心根は僕と同じ人種だと信じていたのだが...。内心同じ学生として焦りを感じてしまうのも無理なからん事であろう。
「ちょっと彼が話したいと言っててね。少し時間あるかしら。」
「一応自己紹介をば、韮谷莫邪です。良しなによろしくね。」
鞍山に紹介されながら、僕は彼女に対し軽い会釈をする。厳密には完全な初対面というわけでもないのだが、話を進めるためには「韮谷」の名前を先に出しておいた方がやはり早い。
「ああ、嶺原で~す。こちらこそ。韮谷君ってことは、あの話のことかな?」
彼女も軽い挨拶とともに手にしていたスマホをポケットにしまいながら、渦中の件について話を振ってきてくれた。かく機微を俊敏に受け取ってくれるのはありがたく、彼女の優秀さに感服する。なるほどギャップ萌え。実は勤勉なギャルとは誠に恐れ入る。
「いいよ、補習ももう少し時間あるしね。午後は魔術だけだし、さぼってもまだ取り返せると思うし、大丈夫っしょ。」
ケタケタと鈴のように彼女が笑う。勤勉なギャルとは妄想であったか。僕は自身の観察眼と妄想癖にまだまだ伸びしろがあることを確信する。日々精進というもの。
「まあ、私たちも少し話したら帰るから、あなたはきちんと補習に出なさいよ。あなたの魔術<マギア>の才能、まだまだ伸びしろがあるんだから。」
「お、天才のお墨を頂戴した。これはまだまだ私も捨てたもんじゃあないですなぁ。しかししかし......。」
ニマニマという擬音を付加した笑みを浮かべながら彼女は言う。いたずら好きな小学生が女子と交流した男子を揶揄うような、そんな表情である。
「わかったよ。じゃあ下の階の空いてる教室行こうか。ここで大きな声で話してもなんでしょ、多分。」
「ああ、そうだね。お願いします。」
あまりの察しの良さに感銘を受ける。ギャルとはかくも空気を読むことに長けている。でなければ、陽の世界を生き残ることはできないだろう。僕とは違う世界の残酷な真実に胸は裂け、目はつぶれ、脳が拒む。お前のあずかり知らぬ世界では、日々耽々とふるいがかけられていると言わんばかりに。
「そうね。場所を移しましょうか。」
「おっけ~。ちょっと待ってて。軽く荷物だけ整理してくわ~。先行ってて~」
そう言って彼女はとててっと教室に駆け出して行った。
「ふい~お待たせお待たせ。」
「ああ、こっちこっち。」
僕は鞍山とともに一階下の空き教室の角に椅子を並べ、彼女を手招きする。
「っと、その前に...。」
手を振りながら入室した彼女は教室の窓に目をやった。そしてその足取りのまま窓の方に向かいカーテンを閉めた。シャっと軽快な音が置いた教室に反響した。
「こっちの方が、密談って感じでるじゃん?」
「形から入るタイプね。わかりみって感じだ。」
まあ、正直こっちの方が僕としてもありがたかった。彼女自身が知っている情報のレベルがわからない以上、おいそれと一目につくのはこちらとしても不都合である。
それはさておき、
「来てくれてありがとう。さっき君も言ってた通り、少しその噂の件で僕もちょっと気になることがあってね。鞍山から聞いた感じ、嶺原さんが詳しそうだったから、当事者としてどんな感じになっているのかが知りたくて。少し話せないかなって思ってたんだ。」
嶺原響は椅子に座り、足を組む。その一連の仕草は流麗であり、日々この座り方をしながら友人たちと談笑に勤しんでいるのであろう。陽の特権だ。
「はいはい。..ただ別にあたしもそこまで詳しいわけじゃないからなあ...。ちょっと話声が聞こえてきて、その後少し話しただけだし。」
「少し話したのか?洞院と?」
僕は少し前のめりになる。それと同時に鞍山が腕組みを解いて、口火を切ったのが聞こえた。
「聞こえてきたって、多分職員室かしら。私の前に洞院さんがどうやら職員室にいたそうだから。」
「あ、そうそう~。千佳ちゃんもいたんだ。」
「私が行ったのは洞院さんが出て行った後だから、少し時間は異なってると思うけどね。」
鞍山が涼しい声で訂正する。その声は僕の緊張と興奮を少し呼び覚ます清涼剤のような役割を果たしてくれた。ありがとう鞍山、と心の中で感謝の辞を述べる。
「その時から少し前かな。洞院さんと神谷先生が話してて、その時に魔術がどうのこうのって言ってたの。」
魔術の話は先生に直接していたのか、と僕は心の中で話を組み立てていく。それと同時に、嶺原響は言葉を紡ぐ。
「それで、そのあとよく聞こえなくてね。でも韮谷君がどうのこうのみたいな話をしていたから、彼と何かあったのかなって。それで職員室から出てきた洞院さんと軽く話したんだ。けどね、そこで先生と何話していたのか聞いたんだけどはぐらかされちゃって。それで友達と何かあったのかなって話しただけ。」
「そうなんだ。...あれ、ちょっと待てよ。その話なら洞院と僕はあまり関係ないんじゃないか。魔術どうのこうのっていうのは、彼女自身の問題ってだけで。」
ここまでの話を聞けば、僕が魔術抗争に加わったというお話はしていないように感じる。鞍山も同じように感じたのか、彼女の話に真剣に耳を傾けている。
まあ、その実魔術を使用してドンパチやったわけだが。無許可で。
「でもさ、洞院さんに秘密があって、それに韮谷君が絡んでるってなったら、まず疑うのは恋愛と魔術って相場が決まっていない?学生の特権ともいえるしね。」
彼女は白銀の髪を右手でくるくると回しながら答える。
なんということだ。「あいつ、何かやったくさいよ」「まじ?魔術抗争とかでバカやったのかな」「ウケるね」みたいな陽気なノリで噂が流れているのか。
しかし甘く見てはならない。この噂、事実有根なのである。しかも七海という爆弾まで地雷として仕掛けられている。僕はその地雷原で、如何にして生き延びようか。
そんなことを考えていると、嶺原が軽く質問を投げかける。
「でもさ、噂程度に血相変えてどうしたのさ。本当に魔術抗争とかに行ってたの?」
「あーーーー、いや、その...」
しまった。深堀りしすぎてしまった。このアンバランスさがコミュニケーションの難しさなのである。会話の流れという濁流をどのようにして渡り切ろうか。
その質問に脂汗をにじませながら考え込む僕を見て、嶺原響は意外な言葉を投げかけた。
「もしかして、魔術じゃなくて逢引きの件が広められるといやなのかな。誰か本命の相手がとかさ。...もしかして、そのお相手は...彼女?」
嶺原響は鞍山千佳を高らかに指を指し、喜色満面で僕に迫った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます