第8話 慮外
2050年7月25日
人の体の70%近くは水分でできていると言われている。であるならば、かく夏の日差しはそろそろ人間の身体における許容量を超え、臨界点を突破し、人間の体と日差しの境界点を無くす頃合いといっても差し支えないだろう。僕こと韮谷莫邪は常夏と融合を果たし、魅惑の島で蠱惑な美女たちの肌に触れあうこととなる。なれば仕方ない。それも甘んじて受け入れよう。
かく愚劣極まりない妄想をこれでもかと垂れ流している僕を叱責するかのように、太陽はさらに熱を帯びる。此方の落ち度も多分にあるが、それでも彼方にも責任がないとは言わせない。フィフティ―フィフティ―と言えよう。僕が彼にできることと言えば日傘で遮られた影を使って、見えないように中指を立てることだけであろう。なんともみじめな反逆である。
時計の針はそろそろ午後12時付近を指している。夏休みが始まる最中、なぜこのような時間に僕は外を歩いているのだろうか。僕の夏休みのはじめと言えば、天空から舞い落ちる少女とそれを受け止めた少年の冒険記の下、高らかに開きの幕をぶち上げる。そのため本来、携帯のホログラム機能を使った大画面スクリーン映像を上映時間まで待機させておき、右手にポテチ左手にコーラの教訓の下、家で完全待機姿勢をとっているはずである。
しかし、それも去年までのこと。まるで泡沫の夢のような時間であったと言えよう。そう、今の状況に比べれば。
昨日、七海摩耶と呼ばれる少女が見せてきた写真のような絵、初めまして”だった”という発言、そして未来機関から発表された彼女の罪状。
また謎が増えてしまった、僕はため息を一つ。あれから、彼女からは特に僕が理解出来そうな話はしてもらえなかった。無論、彼女は沈黙を通すという野暮で引き延ばすだけの余分なことはしない主義なようで、その部分だけは助かったのだが。まず ① ローブはそれしかなかったということ。
②、④、⑤ 僕の自称を知り得ているのは、僕自身が教えてくれたものであり、駅で身元引受人で身分保障したのも僕、その日付は7月22日であった。
③、⑥ 帰ろうとしていたのは紛れもなく僕の家。
と、僕が前々から用意していた質問には淡々と答えてくれた。無論、僕はそのたびに「何故」が増える点が多々あったのだが。先に彼女は未来などという言葉を口にしていたことから、僕の謎の記憶喪失によって忘れていたこと、という選択肢を外しておく。まだ僕自身が知り得ていない僕の状況が彼女にわかっているのだとしたら、彼女が話してくれることをただ待つしかない状況であったからだ。まあ、それが一番の「何故」になるから気になるところなのだが。曰く「”筋”が通ってないから、私にもしっかりとした順序だてができない。すまんが待ってくれ。」とのことだった。
そして、そのことほどにも説明してほしいことももちろんあった。何を隠そう、未来機関が発表した彼女の罪状についてである。曰く国家内乱罪。彼女の言っていたことと未来機関が発表した内容に相違がない。ということは彼女に心当たりがあるのか、何をしでかしたのかなど聞きたいことがあったが、「いいのかい?もっと踏み込んでしまっても。後悔しない?」との声で思わず僕は口をつぐんでしまった。流石にこれ以上はまずい、と僕の危機管理会社が脳内に問い合わせてきている。これ以上進んだら引き返せないのではないか、と。
しかし、だからこそ現状彼女を寮につれこんで泊まらせている状況はまずい。非常にまずい。これはただのプレイボーイが彼女を寮に連れ込んでくんずほぐれつの大乱闘、もとい単なる不順異性交遊とはわけが違おう。僕が連れ込んでいるのは容姿端麗なところだけが特別ではない。なにせ国家の反逆者である。控え折ろう、衆愚たち。悪夢がとるぞ。
僕はその悪夢を払拭するかのように、交差点を左に曲がる。我が私立言ノ葉学園の寮は、学校から3キロほど離れた場所にある。歩くには絶妙に遠く、特にバスなども通っていないため、連絡道路及び自転車専用高速道路、使える魔術が移動できるものであるならば地下の魔術高速道路を使うのが主流となっている。
しかし今僕はこれらの便利な道路を使わず、陽炎蠢く真夏の道路を日傘をさして一所懸命に前進している。なぜか。
ます、連絡道路は気になることがあるため、若干憚られる。次に地下の魔術高速道路、僕にも使えなくはないが、敗走及び遁走用にカスタムされた僕の魔術はその真価を発揮せず、出力がイマイチである。そのため、それもナシである。
となると最後に残るのは自転車専用高速道路である。基本的に僕はこれを使って通学をしていたわけだ。下道と呼ばれる走路が悉く遊歩道になった影響で、同じ学校に通う初等部や中等部の子供が跳梁跋扈している。そのため、朝人通りが多くなる時間においては自転車専用高速道路が高等部の学生のほとんどを吸収合併する。さながら合併を繰り返す用済みの金融のようである。その後、学園前というはけ口に、リストラ者のようにその流れから弾きだされ学園に現着する。
そして突き当りを右に曲がる。学園まではもう少し。
さりとて僕がここまで歩いていたのは、今日その自転車専用高速道路を乗るための自転車を学園内において来てしまったためである。昨日の濃密な出会い、魔術の権限、不可思議な少女が現れたとて、おいそれと手元に自転車は戻ってこないものである。流石に電動機付き自転車がブイブイと幅を利かせ、AIによる電磁物ロックが蔓延っている昨今と言えども、流石に家まで送り届けてくれる自動機能は備わってはいない。そのため、僕はこうして取りに歩いて学園に向かっている。
と同時に彼女の頼み事もあったので、学校のカバンを持っていく。この時間に学校に向かっているとなると、夜時間に通う生徒のようで、若干の特別感もある。しかし現状はそうでもない。厄介ごとをまた言われたと辟易する。
ローファーがコツコツと地面と音の奏でるのを耳で捉えながら、僕の頭は再度回転を始める。それは無論、これからのことについてである。一人でゆっくりと考えたいということもあって歩いてきたのに、あとすこしというところまで来てしまっていた。アスファルトの道の脇に健気にも生い茂る力強き街路樹たちが少しづつ増えていく。なぜ学園近くの道路脇にはかく木々たちが増えるのだろうか、。
(整理しよう。僕の現状とやらを...。まず現状、僕は傍から見れば指名手配犯をかくまっているようにも見える。いや、そうとしか考えられないだろう。これだけ見ればとっとと僕とは無関係を示して彼女と別れてあとは野となれと言わんばかりに関係を切るのが、僕の身の保全的には最適解だろう。...しかし、彼女にはまだ秘密や重要な事実が眠っているようで、それを早々に手放すのはどうなんだ...?)
学園が近づくとともに、整頓された街路樹が増えていくのを感じとる。整理されたそれを横目に僕は思考を巡らす。
(さらに彼女は帰省という言葉を使った。さらに「駅」で、僕は知らないが僕を介した身元保証もできている。つまり第三者から見ても僕と彼女の関係は明確になっていると考えることもできるはずだ。...この場合の最もわかりやすい関係......まさか、親族とかか?)
駅やその他地域の空港などにおいて最も明確な人間関係、其れはいついかなる世であっても親族という間柄なのは間違いない。血という概念は、この2050年においてもなお健在であり、切っても切り離せず、肌身離さずついて回る。つまりは血のつながりは他から見て十分で簡潔な身分証明になる。永劫それは続いていくことだろう。それは3つ子よろしく魂のようなもので、引き継がれていくものでもあるのではないか。
(この場合、非常にまずいな...彼女と僕が知らないうちに第三者公認で親族であるということがまかり通っていた場合、駅とかから出られないぞ...。しかも、それを確認する術が現状ない。まさか彼女の写真を持って駅に伺い立てるなんてことは、土台無理な相談だ...なにが楽しくて僕のようなカモが彼女という葱を持って焼き鳥屋に行かなければならないのだ。両方捕まって二人仲良く処刑の日に聖火に包まれながら人々の話のおつまみになってしまう。そしてそのおつまみは凡そ焼き鳥だろうな...)
そんなことを考えていたら目の前に年季の割にくすんだ白い外装の建物が見えてきた。頂上に佇む大きな鐘が目印、私立言ノ葉学園高等部。そこまでもう少しである。
街路樹はいつの間にか横から消えていた。校門が近い。しかし、僕の考えはちょうどよく切れ目などなく、極めて連続的であった。
(それは勘弁してほしいな、本当に。でも僕の日常と彼女、どちらを取るかと言われると悩む。すっごく悩む。現状普通に生活して、お金を稼ぎいわゆる普通に生きていくことは目標でもある。祟りある神には触らぬ、ということが僕の行動原理でもあった。だけど、...ここで彼女を切り離してしまえば必ず後悔が残る。...と思う。彼女のことを何も知らず排斥するのは僕のポリシーに反する。現状確認が取れていない。)
思考は堂々巡り。うじうじとした鬱蒼ともいえぬ気持ちが心を侵食し、僕の足取りを重くする。
(しかし、ではどうしようか...)
どちらかを選んだらどちらかを切り捨てることになる。昨日の一件で洞院に偉そうな口をたたいた後にこれだ。やはり人は一日変化があった如きでは変わらないようで。この面倒な思考からも逃げ出したいという気持ちが溢れるが――
「何してるの、韮谷君。こんな学校の目の前で」
凛とした声が脳に響く。誰であろうか、切れ長の目に緋色を宿した瞳、それにこたえるようなうっすろ赤みを宿した髪を今日はストレートに伸ばしている。今日も今日とて無風だったが、彼女の魔術<マギア>の影響で若干薄茶色のチェック柄、いわゆる制服のスカートが靡いている。
「うおっ、鞍山!びっくりしたぁ...」
「なによ、大きな声出して。もっと堂々としていなさいよ。そんな鬱蒼を携えた表情じゃなくて」
誰であろう。そう彼女こそ鞍山千佳その人なのである。まあ言葉に棘があることあること。
「そんな悲惨な表情はしてないだろ僕は...。いつでもどこでも変わらないただ一つの御尊顔だぞ。」
僕は先ほどまでの態度とは大きく異なる、仰々しいしぐさとともに宣言する。先ほどまでのどうどうめぐりの気持ちに一度けりをつけるためにも。
「鏡とか便利よ、いろいろなことに使えるから、試してみてね。」
僕は彼女を簀巻きにします。そして海に投げ込みところまで見えました。自分やれます。やらせてください。
「...まあ、それはともかく、鞍山は今日も勉強か?偉すぎるなあまりにも。」
「暇だったからね。時間あるときにやっておいて損はないでしょ。」
「まじかよ。すっげ~...。そんな人間いたんだ。この世に。」
まるで僕は信じられるものを見るような目になってしまう。1週間後の学習合宿のことでも考えると憂鬱となるのになんとストイックな姿勢だろうか。彼女のそういう部分は本当にすごいと感じている。
そもそも一応形だけでも夏休みが始まったのだ。僕はと言えばそのようにして有意義に過ごすか。というとこが真っ先に浮かんでいる。まあ、昨日がいろいろありすぎてそのような考えをすることも忘れ悶々とした気持ちを消化できずにいたわけだが。
「意外といるのよ。あなたのあずかり知らないところで。」
「一言だけトリミングしてくれ。悲しくなってしまうからね。」
僕はちょっとだけ震えた声で伝える。この思いが届きますように。
「まあ、それは検討しておくわ。それより―」
華麗なガン逃げをしながら、顔所は続ける。
「それよりどうしたの。こんな時間に。午後に学校なんて優雅ね。結構暑かったんじゃない?」
「あ、そうだそうだ。僕自転車を取りに来たんだよ。昨日普通に帰っちゃったから早いところ取りに戻らないとって思ってたんだ。...鞍山は今帰りか?」
「ええ、そうね。帰ろうかなって。やりたいことはもう済んだし、聞きたいことろもうないからいる意味ないしね。」
流石に優雅である。流石にやることなすこと早い。僕たち凡人に足りないものと言えば凡そ速さである。無論気品や優雅さ並びに勤勉さも足りていないかもしれないが。
「でも、なんか今日意外なことが多いわね。合宿まであなた絶対に引きこもっていると思ってたし。」
「余計なお世話だよ。いいじゃん、引きこもって。ビバお家、あなお家。」
僕はかく語る。決して悪いことではない、それを知らしめねば。そんな僕を彼女はまあまあと流す。そして
「別に悪いこととは言ってないからね、私。普通に以外って思っただけ。でもね、今日もっと気になることがあったの。」
「気になること?」
僕は思わず聞き入る。「気になること」という単語は古今東西聞き手の意識をそちらに向ける、いわば会話のイニシアチブ。絶対的優位性は彼女にあり、そのことにもいやがおうにも耳を傾けざるを得なくなってしまう。悲しきかな。
彼女はその端麗な瞳を不思議そうに歪ませ、首を若干右に傾けながら言葉を発する。
「気になることって言うより、気になる噂なんだけどね。あなた昨日帰った後、どっか寄ったり出かけたりした?」
背筋がぞくりと震える。
「...いや?どこにも?」
「行ってる間だったわよ、それは。」
バレバレである。もはやここまで。
「いやね、あなたと洞院さんが暗闇の中路地裏で逢引きだとか、大喧嘩して魔術抗争に発展したとか聞こえてきたのよ。...あなたまたなにかしでかした?」
僕はしばし考えた後、嘆願の想いを込めて頭を下げ、言葉を紡ぐ。
どうか、変なことバレませんように、と。唇を濡らしながら。
「そうですね。めっちゃやりました。チクらないでください。お願いします。本当に...。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます