第7話 韜晦

 寮の指紋認証に僕の指紋を認証させるとエントランスの扉が開く。その後、エレベーターで十階に上がり、1024とかかれた部屋の前に立つ。扉に触れ、液晶画面を動かすように右に手をスライドさせると、パスワードの入力画面と打ち込むためのキーボードがホログラムに現われる。もちろん手元を完全に隠すのぞき見防止の壁のような映像も映し出されるため、外に漏れだす可能性は低い。今のご時世、家に帰るのに部屋の鍵なんぞは使わない。もっぱら指紋認証か、防犯意識が高い人が稀に網膜認証システム、そして玄関などに電子パスワードを導入しているくらいである。昭和の金属の鍵しかり、ちょっと前までのカード認証式の鍵なんて、紛失した際のリスクにしかならないためである。


「「ああ~、ただいま...。」」

「...ふう...」


 疲れて大きなため息を吐き出す。さながら日々の仕事に辟易としたサラリーマンのような親父臭い、そしてどこか物悲しいそれは、僕の年とはかけ離れたものであると信じたいものだ。


 廊下を突き抜け、リビングに到着する。そして僕は電気をつけ、窓を覆うカーテンを人差し指分だけ空け、瞳をそこに当てはめる。するとベランダを通り越して街の様子がうかがえる。そこには栄えた建物が半分、人の気配を感じない寂れた建物が半分映る。

 

 てちてちてちという足音と、バタンという音もした。気のせいであろう。風もたまには粋ないたずらをする。


 ここ旧名古屋では特に学生の魔術のための再開発が行われた影響もあり、大通りには比較的新しい建造物が並んでいる。まあ、先ほどのラーメン屋「花丸亭」などのいわゆる「路地裏」的な部分も多く残っているのが現状ではあるが。


 僕はそれを見て思う。この町全般を一目で見渡したら、なんとも歪にて滑稽に映るだろうかと。人口の関係で大通り周辺の再開発は理解できるが、なんともあからさまなものである。旧名古屋駅周辺を中心に建物が一新され、学生のための施設などが急増した。例えば、旧名古屋駅に沿う車道のほとんどは遊歩道となり、建物内を自由に行き来する連絡通路が増えた。更にその上を自転車専用高速道路、その下を魔術高速道路としている。地下の魔術高速道路が地下なのは、魔術の暴発によって地上でのけが人が出るのを防ぐためである。旧とはいえ、名古屋に車がないのは勿論、学生の街に車は必要がないと判断されたため、再開発とともに姿を消した。しかし、東海地区1番街以外、例えば旧春日井市や旧多治見市をはじめとした中央地区3番街などでは逆に、車道を中心とした開発が進んでおり、車がなければ行動できない僻地となっている。このように必要に特化した地区を作り合わせることで、過剰な需要供給の歪つぶしていく施策は、凡そ無駄を排斥することを趣味としたそれである。先の洞院とは真逆の果断なものである。なんともわかりやすい。


 そしてこれを行ったのは誰であろうか。そう、未来機関なのである。彼らから見れば、路地裏のラーメン屋がつぶれた所で、風のうわさ程度にしか聞かないだろう。得てして、耳から入る風は東風に吹き抜けていくのがお約束である。知ったことではないのである。僕にとって由々しき問題だが、マジョリティには到底太刀打ちできない現状である。需要がないものには断固として救いはない。全くもって嘆かわしい。人は必要だけで生きているものではないのだぞ。


 閑話休題。さておきそんな再開発が行われた東海地区1番街であるが、その中でも我が私立言ノ葉学園高等部の寮は、再開発が行われた地域とそうでない地域の狭間のような場所に設置されている。僕が先のような思考に陥っていたのも、開発された土地と、されず寂れていく街を両方見ることが出来た寮に住んでいるためであろう。


 そんなことを思いながら服を着替えて部屋着になる。いろいろと汚れてしまったためだ。洗濯物の多さは心労の多さである、僕は心の中でそうつぶやく。さて、今日のそれは、いつものよりかなり多いぞ。まず学校での一件で臀部が洪水の如く濡れ帰ってしまったズボンをはじめとした制服。次に先ほどまで着ていた、魔術トラブルに巻き込まれた疲れで水を含んだスポンジになってしまったオキニの鋸男Tシャツとズボン。そして―――


「ニーラ、洗濯物ここにおいてくで後で回してくれよ」


 ふてぶてしく心労の極致たる彼女は言う。なんということだろうか。僕は彼女に対し、遺憾の意を露にする。


「まてまてまて、まず先に否定させてくれ。僕はそんなにおじさんじゃない。そんな思春期の娘が父親と一緒に洗濯されるのを嫌がるそれと同じようにされても、受け止めきれないからぞ。もっと優しくしてくれ。僕だって思春期真っ盛りなんだぞ。」


 僕はびしっと指をさしながら宣言する。これを認めてしまうにはあと15年は早いと信じている。


 そんな僕をジトっとドアの隙間から覗き、彼女はいたずらをする子供のような、邪気を含まず、それでいて人を子馬鹿にするような表情と仕草で答える。そしてひらひらと手を振りながら。


「そりゃそうだ。もちろん冗談だよ。そんなおじさんにはまだ早いって必死に否定しなくてもまだ若いよ、ニーラは。...おじさんになるまであと15年はかかると思うよ。多分ね、多分。」


 彼女は答える。そしてそのまま、僕の憩いの場である風呂場の、半透明のドアを閉めてゆく。よし、僕は高校生としての矜持を取り戻すことに成功したようだ。同じ思春期として気持ちはわからなくもないが、いざ自分にその凶刃が降りかかるとなれば看過できないものが確かにある。それはさておき――


「遠慮ってのがないな、本当に君は...」


 僕はさすがに苦言を呈す。この家にやってきた時彼女は一人てちてちと音を立てながら颯爽と風呂場に向かっていた。僕はなぜそんな厄介ごとを招いてしまったのかと現実逃避をしていたが、これがまぎれもない現実ということを彼女自身や、彼女が着ていたローブなどが洗濯籠に入っていることがこれでもかと証明している。


「はあ...」


 本日2回目の悲しい溜息。この速度では溜めていた幸福は、それこそ体という牢獄から解き放って日常の各場面にて有効活用されるだろう。小さな幸せ見つけた、とは各人から逃げ出た幸福が形を得たものであり、その分だけ誰かの不幸と釣り合っているのだろう。まさに幸福の質量保存。この世は等価交換であると、どこぞの錬金術師もそう言っている。


「まあまあ、そう言うなよ。一緒にシャワー浴びる?」


 禍福は糾える縄の如し。センキュー錬金術。否しかし、ここでともにシャワーなんぞ浴びたら、先ほど取り戻した矜持というものを再びゴミ袋に結んでゴミの日に出してしまうのと同じ行為であろう。もう元には戻らない。人間としての一線という見えないゴールテープは、確かにそこにあるのである。


「身に余る光栄ですが...遠慮しておきます。後で死にたくなるので...」


「ああ、私もよかったよ。どうやらお前を殺すことにはならなそうで。」


 半透明の扉の向こうで、彼女はホームランでも打つような仕草をしているのがわかる。シャワーヘッドをバットと見せたてて素振りをしているのだ。おそらくのこのこと入っていったら、僕の二つの絶好球はたちまちのうちに観客席にinすることとなっただろう。そんな血なまぐさい惨劇は本当に勘弁してほしいものである。賃貸だぞ、寮ってのは。



 服がない、というので仕方なく僕のシャツを貸す。中学の頃の上下セットの青いジャージである。一応、男たるものの夢として、彼シャツなるものも試してみた。しかし結果は、彼女に「ぜんぜん隠せない。却下。」と一蹴され、夢は朽ちてしまった。夢は見ているときが最も楽しいのだろう、そんなことを考えがらシャワーを浴び、二人分のコップを用意する。そしてお茶をなみなみ次ぐ、最初の駆け付け一杯、というものだ。風呂上りには牛乳であったりジュースであったり何でもよかったのだが、この後のことを考えるとやはりお茶がしっくりくる。それはさておいたとして――


「さて、僕は君に聞きたいことがたくさんあるぞ。マジで。」


 声のトーンを落とし、僕は机を介し、彼女に向き合う。


「おう、本当にたくさんあるだろう。答えられる範囲で答えよう。」


 くぴくぴとお茶を飲み名がら彼女は答える。僕としては勿論、その答えられる範囲とやらを撤回し、包み隠さずすべてを話してほしいというところが本音である。しかし、それができないだろうな、という予想も彼女の服装や報道からできて当然であったともいえる。そのため僕は軽く首を縦に振る程度ですまし、続けた。


「まず僕との認識の齟齬についてだ。僕のことをよく知ってるようだけど、どこで知り得たんだ?僕は君との面識はないはずだ。」


「...それを確認する前に、何か紙とペンはないか?ノート位のサイズと鉛筆とかがいいんだが...お前高等部だしそれぐらいあるだろ?」


 紙とペン、学生を学生たらしめる3種の神器の一つ。当然余りある。ほかの二つは制服と魔術である。


 「ああ」と僕はうなずき、机から離れる。そして自身の本棚から予備のノートを、筆箱からHBの鉛筆と消しゴムを持ってきて彼女に手渡した。


「ありがとう。あ、消しゴムはいらないかな。」


 と言って彼女は消しゴムを机に置くと鉛筆を左手で持ち、ノートを拡げる。そして――両手の親指と人差し指をぴょこんと立たせ、他の指を折る。それは、まるでフレミングの法則のようにそれぞれ90度ピンと立っていた。そして、左手の親指と右手の人差し指をくっつけ、その後残った指同氏をくっつけると、ちょうど長方形だ出来上がる。さながらカメラのファインダーをのぞくような行為である。


 そのカメラのピントを合わせるかのように、ノートをのぞき込む。その後、尋常ではないスピードで絵を描き上げていく。その動きは正に正確無比、一点の迷いもない。おそらく魔術であろうか、その動きに目が離せない。


 暫くしたのち、彼女は「ふう」と一息つくとともにページを完成させた。どうやら僕が至高の傍観を決めているうちに一枚の絵を仕上げたようだ。なるほど、消しゴムがいらないわけである。この速さ、正確さでは常人が消しゴムかけをしているうちに彼女は2枚でも3枚でも絵を完成させるだろう。草葉の陰で数々の芸術家志望が泣いている姿が目に浮かぶ。


 さておき、彼女が完成させた絵を覗きこんでみる。それは放課後の教室をモノクロのカメラで撮った写真を現像したかのようなものであった。なんてことない日常の一コマのような写真の中には、僕やクラスメイトが写っている以外には一見して普通の絵ではあるのだが...



「いやちょっと待て、それはおかしくないか。なんで僕の教室のような風景が、今日初めて会った君に描けるんだ?」


 当然の疑問である。なるほど教室で会ったことがあるのなら、僕のことを多少は知っていてもおかしくはない。まあ、僕の自称などの件はまだ疑問として当然残り続けるわけだが。


 それを見た彼女は続ける。


「なるほどな。だから帰省って言葉にもピンと来ないわけだよ。覚えてないんじゃなくて知らなかったんだな。...じゃあ私とは初めましてだったのか。」


「よくわからないけど、あの時も言ったように僕は君とは面識が本当にないんだよ。」


「そうか...。...じゃあちょっと今から説明するとややこしくなるかもな。...文字通り”筋”違いだったのか。だからだったのか。」


「一人で納得するなよ。僕にもわかるように説明してくれ。」


 心からの願いである。そちらには家賃代わりの説明責任を果たしてもらわなければ割に合わない。


「だから、いまから説明しても”筋”が通らないんだよ。ニーラ、いきなり私は未来人です。って言われてもふざけるなって一蹴するでしょ。」


「そりゃそうだ。」


 まさにおっしゃるとおりである。そこでこんなふざけた回答をしようものなら、僕は彼女を外に放り出す。そこに一点の陰りもない見事な投げ技を見せてくれよう。


「正確には未来人ではないんだが...私はネコ型ロボットよろしくタイムマシンで来たわけじゃない。普通に現実の駅通ってきたわけだしね。」


 まあ、その辺の話もちゃんと聞きたいところなのだが、それよりも重要そうな話がこれから始まると空気で感じた僕は、口をふさぐ。


「でもね、私と出会うのは多分、これから先。私の罪状は、まだ見てないけど多分、内乱罪とかじゃないかな。」

 



 




 


 

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