第9話 はい、ジパング通信局

ミニ新聞の中身と形が決まったというのに、名前がなかなか決まらない。

「鳳通信というのはどうかしら。鳳が発祥地なんだから」

「鳳が好きなのは分かるけど、ちょっとローカルな気がするな。この堺を拠点に、堺の内外にメッセージを送るつもりなんだぜ」

「だったら、堺通信というのはどうかしら。ピッタリじゃない」

「もう少しモダンにいきたいね。それに、堺通信だったら、すでに発行されているものがあるんじゃないか。名前がダブッたりすると、クレームが出るよ」

「そうか。‥‥‥何がいいのかな。堺の歴史に負けない重みと、二十一世紀へはばたく堺を先取りする名前、‥‥‥難しいな。温故知新‥‥‥か。そうだ! ジパング通信というのはどうかしら。黄金の日々を謳歌した町に、一番ふさわしい名前じゃない」

「それだな。‥‥‥よし! それに決めよう。後援してくれる人たちも、きっと賛成してくれるだろう」

「それじゃ、我が家はジパング通信局ということになるのね。―――源さんに、格好いい看板を描いてもらおう。源さん、絵が上手だから。‥‥‥でも、良かった」

 ようやく名前が決まり、麗子は重い肩の荷が一つ下りた。安堵の溜め息をつくと、リビングの椅子から立ち上がって紅茶の準備を始めた。

「ね、南埜さんの奥さんに君から頼んで、何とか協力してもらえないかな」

 名前が決まると、恒彦は自分の書く時事欄が気になる。ジパング通信を単なる宣伝誌で終わらせないためにも、少し硬派なものを扱う必要があるのだ。

 源治が南埜純夫に、恒彦の取材を打診してくれたが、彼の回答はノーだった。病院にはアンビバレント(両面的)な感情を抱いており、献身的ケアを尽くしてくれた医師や看護師、それにケースワーカーへの感謝の気持ちが、病院トップに対する怒りを抑えているらしい。

「病院を弾劾する記事を載せるつもりはないんだ。父親を亡くした、心の葛藤を語ってほしいんだ。そうすることで、老人医療に対する警鐘とともに、新しい医療のあり方を考える一助にもなると思うんだ。匿名でいいし、穏やかな内容の記事を書くからさ。最高のスタッフなのに、もうろくした人物のせいで、最低の対応を強いられているんだぜ。何とかスタッフの手で、自浄作用を果たしてほしいんだ。このままでは、医師会の評価も最低のままだよ」

 靖夫の紹介で、恒彦は医師としても有名な調停委員に会ってみたが、苦り切っていた。調停委員会のメンバーで、病院を疑っていない者は一人もいないらしい。

「三崎、辻井の二人がナースコールで詰め所を出て、最後の山内も詰め所を空けたことから事故が起こったんですわ。みんな知ってるのに、誰も正直に言いよらん。遺族は医師会の調停に委ねると言ってくれているのに、病院に全く誠意がない。調停ということの性質上、双方の歩み寄りがないと、満足のいく調提案が出せないんですよ。これじゃ、鼻山病院のために、医師会加盟のすべての病院が誤解されてしまう。医師会にとっても、大変なマイナスですわ。体質を変えなければ、どうしようもないが、あそこじゃ、難しいわな」

 ベテランの調停委員は、最後に侮るように口元をゆがめたのだった。

「一度、南埜さんに頼んでみるけど、あまり期待しないでね」

 麗子も期待していなかったが、二日後、ダイユウで南埜若子に尋ねてみると、

「そういう意図だったら、お話しします。夫も私も、病院の対応には許せない気持ちで一杯なんです。ただ、担当の影岡先生に迷惑をかけたくないのと、義母が荒立てて欲しくないと言うもんですから」

 昼の休み時間、ダイユウのコーヒーショップに腰を下ろすと、若子はゆっくりと正確に言葉を選びながら、麗子の問いに答えてくれた。同じ薬剤師で、パート仲間。年は六つ上だが、穏やかな口調に性格がにじみ出ていて、麗子は若子が好きだったが、相手の好意も麗子の予想を上回るものであった。

「‥‥‥そうですか。そこまで認めたのに、調停委員にはシラを切り通したんですか」

 当直医、担当医、それに病院長、総婦長との話し合いすべてに立ち会っただけあって、若子の話は真に迫り迫力あるものだった。

「総婦長が余りわざとらしく泣くので、夫が、『分かりました』と、その場をおさめたんですが、彼女は自分の演技が認められたと誤解したらしく、『損害賠償請求権があれで放棄されたと思った』と、調停委員に陳述しているんです。あんな猿芝居で、人の命を償ったと思うなんて、義父がかわいそう過ぎます。命の尊さに対する認識が無さ過ぎます。ケースワーカーの才山さんも、婦長の河村さんも道理の分かった人だと思っていたのに、どういうことなんでしょう。‥‥‥もう、信じられなくなりました」

 話し終えて、若子は寂しそうな笑みを浮かべ、小さく首を振った。

「編集長、―――主人のことなんですが、彼の取材に応じていただけないかしら。迷惑はおかけしませんから。彼、つい最近まで、新聞社の社会部勤務でしたので、十分心得ていますから」

「ええ。私はかまわないんですが、一度、夫がお断りしていますので‥‥‥」

 若子は迷っていたが、

「そうですね、帰って夫を説得してみますから、―――もし気が変われば、彼がそちらへ電話を入れると思いますので、その時は宜しくお願いします」

 立場上、無難な言葉を口にして、即答を避けたのだった。

「説得するって言ったって。―――締め切りまであと一週間なんだから。間に合わなかったら、困るよ」

「でもその時は仕方がないから、差し替え記事を掲載してもらうしかないわね。もちろん、あるんでしょう、名編集長さんだから」

「そうだな‥‥‥」

 嫌と言われれば、他の記事をあてなければ紙面は埋まらない。食い下がってでも、ネタを取るのがブンヤの習性ではあるが、恒彦は黙って待つ覚悟だった。〈動〉から、〈静〉。靖夫のように、少し、引いてみようと思っているのだ。

 次の日も、その次の日も電話がなかったので、仕方なく差し替え記事の構想を練り始めていた、三日後のことであった。ブタジュウへ出かけようと、麗子と玄関へ下りた時、

「ルルルルルー」

 と、真新しいベルが二人を呼び戻した。

「はい! こちら、ジパング通信局」

 恒彦が応接間の、通信局専用電話を取ると、

「‥‥‥南埜と言いますが」

 低い男性の声が受話器から流れてきた。大学の講師をしているだけあって落ち着いて、声に自信と威厳があった。恒彦が待ちに待った、南埜純夫からの電話だった。

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