第8話 記者魂

弾み―――と、一言で片づけるのは、多くの人たちの尽力を無視するようで抵抗があるが、弾みがついて、トントン拍子に事が運んだのも事実であった。麗子の企画に鳳商店会も賛同し、タブロイド判の新聞発行が十一月中に可能となったのだ。紙面は一枚とじの、四面である。

「一面は、品格を示す意味でも、当然、時事問題に割きたいね。そうでなきゃ、名編集長に依頼する意味がないだろ」

 得意満面笑顔で、恒彦が第一面を早々と取ってしまった。

「‥‥‥まぁ、仕方がないか。しばらくはお給料が出ないんだから、編集長には譲歩しないとね。―――それじゃ、局長は第二面をいただいて、ミニ通信をここへ移すわ。本当は第三面も頂戴したいんだけど、それだと、広告は一面しかとれなくなっちゃうから、商店会とダイユウの援助をもらっても、赤字になっちゃうんだ。‥‥‥うん。ま、当面は、ミニ通信は第二面だけってことで、仕方ないな」

 一度は納得したものの、

「―――でも、堺には紹介したい名所、旧跡が一杯あるのよ。旧市内には黄金の日々の、ニュータウンにはモダンでナウイところがね。おじいさん、おばあさんの連絡通信欄はもっと充実させたいし‥‥‥」

 麗子は不満タラタラで、容易に収まりそうになかったが、

「そこは、それ、局長としての君の腕の見せどころじゃないか」

 恒彦におだてられ、渋々引き下がったのだった。

「さあ、今日は二時に谷口印刷の社長と、カクテルコーナーで活字の打ち合わせがあるから。早めに出て、源と三人で豊のとこで寿司でもつまみながら、源治サンの頼みとやらを拝聴しようじゃないか」

 十一日の土曜日、早番の麗子が帰宅すると、恒彦が玄関へ出迎えて誘った。

「こんにちは」

 ブタジュウのドアを開けて、二人そろって挨拶する。

「こんにちは、いらっしゃいませ。どうぞ」

 今日はぎこちない挨拶の主が店内にいて、恥ずかしそうに顔を赤らめ二人を迎え入れる。亡くなった妻の妹で、今日から手伝いに来ていた。

「へぇー! 良かったじゃないか、源」

 恒彦は思わず声を上げてしまった。色白の美人で、仕草がなんとも初々しい。源治の後添いに、これ以上の女性は望むべくもないだろう。

「‥‥‥おい、冷やかすなよ。―――小百合ちゃん、悪友の百瀬恒彦と、奥さんの麗子さん」

 よほど照れくさいのか、頭をかきかき、源治もぎこちない紹介だった。

「それじゃ、小百合ちゃん。一応、定食の準備はしといたから、分かってるね。なくなったら、『今日は売り切れで、ゴメン』って言や、お客は納得してくれるから。何かあったら、おかめ寿司にいるから、―――電話番号はここに書いてあるから」

「はい、分かりました。行ってらっしゃいませ」

 小百合が店外まで三人を見送り、深々と頭を下げる。

「―――おい! 『行ってらっしゃいませ』だって! このー!」

 小百合が見えなくなると、恒彦がヒジ鉄を見舞うまねをして、源治をからかう。

「もう! 恒彦さんったら。私だって、あんな時があったんだから。―――あっ! 源さん、赤くなって。いいわねぇ、新婚生活」

 結局、麗子も源治を冷かしてしまった。

「―――な、そんな訳で、俺はお前さんらに、仲人をしてもらいたいんだ。ごく内輪だけで、ひっそりとしたいんだが、一応、形だけは整えとかないとな」

「何だよ! 俺らは一応、形だけの仲人かよ!」

 二階の座敷に腰を下ろすと、源治は恐縮しながら本題を口にするが、またまた、恒彦に言葉尻をとられてしまった。

「―――ま、いずれにしても、めでたいことだ。俺らで良かったら、仲人でも何でも引き受けるから。さ、―――それじゃ、乾杯」

 恒彦の音頭で、三人がそろってビールを口に運ぶ。

「ところで、初版の時事欄、もう何を書くか、決めたのか?」

 冷やかされっぱなしだったので、一息ついたところで、源治が話題を変えた。

「‥‥‥そうだな。ミニ通信がお年寄りに好評だったんで、老人問題を扱おうと思ってるんだ」

「ね、恒彦さん。鼻山病院、老人医療に積極的に取り組んでて、お年寄りの評判もいいから、あそこのスタッフの方の特集を組むのはどうかしら」

 鼻山病院というのは、医療法人耳原会グループの病院で、革新団体の一翼を担い、機関誌発行による積極的な政治活動と、政府ないし資本主義体制への批判を展開している。

「鼻山病院! あそこはやめとけ! 最低だ!」

 源治は顔をしかめて、吐き捨てた。

「どうしたんだ、源。お前らしくないじゃないか」

 温厚な源治とは思えない非難に、恒彦も驚いている。

「いや、これはオフレコにしてもらいたいんだが、以前、医療ミスというか看護ミスがあったんだ。しかし、その隠し方が最低で、お粗末としか言いようがないんだ」

 源治は知人の父が亡くなった医療事故について、目と口元に不快をにじませ話し始めた。

「総婦長が、『看護婦が悪いんです! 許してください! ご家族の悲しみを思うと、何とお詫びをしてよいのか‥‥‥。でも、これは理由になりませんが、看護婦は忙しいんです! 本当に一生懸命なんです!』と、延々二十分近くも泣きながら謝ったのに、医師会の医事紛争調停委員会では、『あれはミスとは思っていません。泣きながら謝ったのは、長い間、お世話をしていた人が亡くなったので、悲しくなって泣いただけです』と陳述しているんだよ」

「―――すると、医師会の調停にかかったんだな」

 恒彦が身を乗り出してきた。医療過誤事件には、新聞記者として許しがたい事例が枚挙にいとまがないのだ。

「うん。病院長も謝罪して、総婦長も《泣き女》さながらの涙だったんだが、その後、一向に病院から連絡がなく、ナシのつぶてだったんだ。そこで被害者の息子さん―――ウチのお客さんなんだが、病院へ出向いて、『慰謝するという気持ちはないのか』って尋ねると、事務長の村木、これは医療法人耳原会の常任理事なんだが、彼が出てきて、『慰謝料をお支払いするためには、医師会の調停にかける必要があるんです』というので、病院の誠意を信じて調停にかけたところ、病院側は嘘八百を並べ立てた、というわけんなんだ」

「で、調停案は出たのか」

「いや、構成員が医師の調停委員会も、さすがに病院側の嘘八百には呆れ果てて、明確な調停案というべきものは、伝達されなかったらしいんだ。有名な調停委員がね、『病院は、どうしてもミスを認めようとせんのですよ。このままでは六十万円くらいの金額しか出せないんですよ。訴訟にかけられたらどうですか』って、息子さん夫婦に伝えたらしいんだ」

「医師会は、六十万円の支払命令は出すと言ったんだな!」

 恒彦は声に力を込めた。調停委員会の心証は、明らかにクロなのだ。

「何か証拠になるようなものは無いのか?」

「うん。担当医師がカルテに、人工呼吸器が外れていたのは数分と記入しているんだ。それに息子さん夫婦に、看護婦がナースステーションを空けていたのは、五分間くらいだったと打ち明けているんだ。もちろん、医師会の調停でも、明言しているんだ。―――それとな、友人の弁護士にいわれて、病院とのやりとりを克明に記録し、証拠として残してあるんだ。医療ミスがあった場合、ほとんどといっていいくらい、病院側は嘘をつくらしいから」

「‥‥‥そうだな」

 恒彦も、眉間にシワを寄せてうなずいた。

「でもひどいわねぇ、無茶苦茶じゃないの。どうして、息子さんは訴えないの?」

 麗子も怒り出してくる。薬剤師で、看護師の資格保持者でもあるのだ。

「うん。お母さんが、訴訟を嫌っているらしいんだ。何度も命を救ってもらったことは事実だし、それに、訴訟になると一番世話になった、担当の先生が窮地に立たされるんだ。彼は息子さん夫婦に正直に打ち明けているからね」

「な、源。テープやメモを見せてもらえないかな。何とか、息子さんに会えないかな」

「ほら、そういうだろうと思って、お前には黙っていたんだ。‥‥‥でも、無理だろうな。一度、南埜さんには話しておくけど」

「―――南埜さんて、ダイユウの薬局にパートに来ている、南埜若子さんの親戚の方かしら」

「彼女、南埜さんの奥さんだよ」

「えっ! 南埜さん、そんな素振りを、おくびにも見せないのに」

「それがますます腹立たしいんだよ! 病院への感謝の気持ちがあるから、南埜さん、黙っているんだよ。しかしね、人の命だよ! しかも苦しんで死んだことは、『当然でしょう』って、医師会の調停委員も認めているんだ。一体、何ていう病院なんだ! 病院に勤務している者は皆、ミスを知っているんだ。それなのに、総合医療センター院長の一声で、みな右へならえらしいんだ。オウムと一緒じゃないか。組織って、あんなもんなのか。俺には信じられないよ!」

 よほど腹に据えかねているのか、源治の怒りは治まりそうになかった。

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