月の戦争

87.

月の戦争

そこは、一面黄色い大地が広がる場所だった。空は暗く、地上は静寂に包まれていた。無機質な建物が建ち並び、彩りもないその村に、私は生まれた。

私の村があるその惑星は、長い間、夜空の大海にぽつんと浮かぶように存在している。

長い間、村には子供が生まれなかった。空の無数の光に何度も祈った末、ようやく待望の子が生まれた。それが私だった。

村の希望として、厳重に守られ、育てられた。

幼かった私はそんな期待に応えられるはずもなく、好奇心とヤンチャさで村を駆け回っていた。

ある日の夜中、村の倉庫の奥の方にある少し埃を被った箱を外に持ち出した。今思うとそれが全ての始まりだ。

その箱を開けると、中には地面と違う色をした棒があった。それは初めて見る色だった。それは私の唇と似た色をしていた。私はこの時人以外で黄色とは異なる色の物体を初めて見た。それが赤色だと知るのはずっと先のことだ。

唇と同じ色をした棒を持つと、棒に触れた部分が唇と同じ色に染まった。しばらく考え込んだ後、半信半疑で地面にその棒を擦った。すると、黄色一色で殺風景だった景色は、棒で擦ったところだけ唇の色に染まった。黄色の地面が唇の色に変わるのが私は楽しかった。ただひたすら線を引いた。体にも地面にも模様を書いた。世界がどんどん色づいた。

いつの間にか夜が明けた。辺りを見回すと、唇の色でウサギやカメ、さまざまな模様で埋まっていた。

客観視をしたことによって、私はとんでもないことしたと気がついた。以前、村を駆け回ってこっぴどく叱られたばかりだった。それなのにまたこんな悪戯をしてしまっては堪忍袋から溢れ出してしまうかもしれない。悟った私はどうにかこの事実を隠そうとした。必死に服で擦ったり、地面を掘ったり。とにかくこの事実を隠すことに全力を費やした。

しかし、どう頑張っても隠しきれなかった。時間が来たのだ。遠くから足音が聞こえる。私にはどうすることも出来ない。足音がどんどん近づいてくる。この後怒られてしまう。ただ気づかないでくれと願った。

願い虚しくその足音は私の背後で止まった。誰か確認する勇気もなくただ私は足元にある、唇と同じ色の線を見つめた。

私の近くにいるはずの人は何も言わない。ただ不安だった。しばらくすると遠くから、一人、二人と足音が近づいて、増えて、私は怖くなった。

それらは私の前で足を止めて数秒無言になった。もう殺されてしまうかもしれない。いやきっとそうだ。私は覚悟を決めて顔をあげようと、一つ息を吸った。顔を上げたらごめんなさいを言おうと心の中で誓った。

私は今までの人生最大の覚悟で顔を上げた。「ごめんなさい」全て言い終わって顔をあげきる前に、「お前、これはどういうことだ」頭上で怒号が聞こえた。今までの比にならないくらい恐ろしかった。

「村の大事な子供に何をした」予想にもしていない言葉に私は戸惑った。当時村の子供は私しかいない。私に対して叱っているならそんな言い回しするはずがいないのだ。

怒号を放った主は、さっきとはうってかわって特段優しい声で「怖かったな」と私を撫でた。困惑して中途半端に上がった頭を動かすことも出来ず、私はこの先の言葉が予想できずにいた。

私を撫でながら、怒号の主は「お前の村とは貿易はしない。さっさと帰れ。戦争だ」そう叫んだ。

背後からは「私は何も知らない。とばっちりだ」と叫ぶ声が聞こえた。しかし怒号の主は聞く耳を持たず、私を村の集会所に優しく手を引きながら向かった。

その夜、私は包帯を巻かれた状態で布団に寝た。ひどく怖く寂しい夜だった。

次の日からは悪夢だった。村の皆は地面を抉って、何か大きい機械を作り出した。家を壊して代わりに塀を作り出した。一年後には、地面は穴だらけになって、貿易を破棄した村との戦争が始まった。たくさん村の人が居なくなって、綺麗な黄色の大地が、唇と同じ色に染まった。この時やっとわかった。村の人が私ではなく、貿易に来た人に怒った理由が。唇の色は、体が傷ついたときに出る液体の色とよく似ていたからだ。つまり、貿易に来た人が私を傷つけたと勘違いし、貿易を破棄し、村を守るために戦争を始めたのだ。

気づいた時には遅かった。戦争を止めることもできず、ただ村の皆に守られるばかりだった。

数年の長い月日を経て、私は背も伸びて声も低くなり、すっかり立派な大人になった頃、遂に私一人になった。辺り一面唇の色をしていた。私がまだ精神的に幼い赤子の時に見つけた色だから、私はその色を赤色と呼ぶことにした。

私は誰もいなくなって赤色に染まった大地を見て、元の黄色の大地が恋しくなった。赤色が嫌いになった。

赤色を落とそうと、雑巾で拭き始めた。丁度赤色で遊んでから8年後の事だ。

私のせいで村の皆がいなくなった罪悪感からか手は沢山動いた。終わりの見えない作業でもこれで罪悪感が無くなるならと考えると、苦ではなかった。

それから何年経っただろう。黄色い大地を取り戻したのは手はしわくちゃになり足腰にガタがきたころだった。

村は戻らなかった。残ったのは、穴だらけの黄色い大地だけだった。罪悪感も村の人が消えた悲しみも残ったまま。


これが私だけが知っている月がクレーターだらけになった理由だ。

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月の戦争 87. @87hanamaru

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