ラッキーチャンプルーデイ
秋冬遥夏
ラッキーチャンプルーデイ
大人になっても集まれるもんなんだなってネルシャツが歯を出して笑い、それに女性らがネーってハモる。乾杯後のそこはもう、彼らの教室で。待ってサラ垢抜けすぎってギャルが笑えば、それに比べてタナカは変わんねえなってセンター分けが小突く。
各々が好きな人と好き勝手に話してるのを、いつものカウンターから見てた僕は、今日も椎名のことを考えていた。その瞬間、思考を切るように、まだ頼んでいないはずの大皿が届いた。
「はい、エビチリでーす!」
「あ、頼んでないです」
「いーの。これサービスだから」
他の客には聞こえないよう、大将は小さく手を振って、いいからもらったもらったって、半ば強引に置かれたエビチリ。
「なんでですか」
「なんでって、お兄ちゃん。いつも来てくれるでしょう」
もうかれこれ、7年近く通っている僕は知っている。エビチリはこの中華料理店「
はじめてこの店に来たのは、高校一年の夏。サッカー部で知り合った椎名の、飯いこーぜって声に誘われて来た。壁一面に貼られたお品書きから、椎名はゴーヤチャンプルーを、自分は醤油ラーメンを頼んだ。
「あの、椎名はこのお店よく来るの?」
高野豆腐を載っけた白ごはんを、大きい口で頬張る彼に聞く。
「いや、はじめて」
「はじめて?」
「そーだよ、なんかわりぃか」
あっという間にごはんがなくなり、お母さんおかわりって立ち上がる彼。すると奥さんも喜んで、あんたいっぱい食べるね、こりゃ大きくなるわって楽しそうにする。その時にはもう気づいてた。彼にはこう、自然とまわりを笑顔にする力があった。
「椎名ってすごいね」
「あ、なにが?」
「はじめて入る店でチャンプルー頼むの」
「いや、チャンプルーうまいやん」
麺を啜ってひとつ、スパムを頬張ってひとつ言い合って、僕たちは店に入る前と比べて、ずっと仲良くなってた。
「だってここ、中華料理屋なんだよ?」
「だからチャンプルーだろ」
「チャンプルーは沖縄じゃん」
あーだこーだ言い合った最後には、しかたねえって彼が声をあげて、ひと口食べてみろよ、そしたらわかるからって箸が伸びてきた。僕はサカナのように、そのチャンプルーに食いついて、釣られた。
「めっちゃうまいわ」
「だろ? だから言ったやん」
「ありがとう」
さっきまで言い合ってのがバカらしくなり、今度は自分のラーメンもあげようとしたが、彼はいいよ、伸びる前に早く食えよって不器用に残ったごはんをかき込むのだった。
それから椎名とは、良い仲になった。高校でいう良い仲というのが、どのような定義なのか知らなかったが、椎名とはいつも素でいられた。
「椎名はさ、部活つらくないの」
いつかゴール裏でボール拾いをしてるとき、そう話しかけた。
「え、なんで?」
「だって、僕らだけだよ。サッカー初心者」
「だからなんだよ」
僕の小さな悩みすら、彼は豪快に笑ってから、飛んできたボールをキャッチした。それからそのボールを置いて、サンキューって先輩の声のする方向に、大きく蹴り上げた。
砂煙とともに上がったその軌道は、青空を切り裂いて、ギューってカーブがかかり、やがて陸上部のベンチにたどり着く。
「おい椎名、どこ飛ばしてんだよ!」
「すみません! ミスっちゃいました」
こうして見ていると、僕と彼とでは遺伝子レベルで何かが違うような気がした。生まれつき小さくて弱い僕に対して、彼は大きくて強くてヒーローみたいだった。
その日も帰りは中華屋に行った。椎名は大将ともすっかり仲良くなってて、ただいまって席に座ると、おかえりって優しい手で水を出してくれる。
「いやあ、ここの水がいちばんうまいっす」
「なあに、水道水だよ」
そんないつものやりとりのあとに、僕は天津飯を、椎名はからあげ定食を流れるように頼んだ。
「それで、椎名はなんでサッカー部に入ったの?」
僕は帰り道で途中になってた話を、また持ち出した。
「なんでって、モテるだろ」
「え、それだけ?」
「それだけだよ。サッカーうまくなったら、めっちゃモテるやん。そしたら青春って感じ」
僕は笑ってしまった。あまりにも不純な動機なのに、彼の目は澄み切っていて、そんな素直な彼が消されない世界であることを願った。
「そう言う遠野は、どうなんだよ」
「ぼく?」
「ああ、なんで高校からわざわざサッカーなんてはじめた」
なんで、サッカーを。改めて考えると、わからなかった。部活説明会のときに、いろんな部活を見た。卓球部の鋭いスマッシュ、吹奏楽部の青い旋律、ほこりが優しく舞う美術室も、僕のこころを奪うのには十分すぎた。その中で、なぜサッカー部を選んだのか、それは。
「はい、こちら天津飯とからあげ定食でーす!」
「うおー! いただきます!!」
学校のチャイムのように、時間通りで現れたからあげに、嬉しそうにかぶりつく椎名。僕の言葉にならなかった答えは、いつかちゃんと彼に伝えられるといいなって、僕も天津飯にレンゲを刺した。
結んだスパイクの靴紐に銀杏の香りが触れて、その試合はキックオフとなった。椎名がはじめてスタメンで出る練習試合。それは僕にとって、夏の総体なんかよりも大きな意味を持つものだった。
そしてそれは、急にやってきた。椎名のスパイクが大きく地面を削る音で、サイドバックの吉田先輩がボールを大きく蹴り上げる。追い風に乗って、そのボールは伸び、敵陣の最終ラインを超える――椎名へのロングパスだった。
「しいな!!」
僕はベンチから立ち上がって、その弾道を見守った。その球には、初心者とバカにされた僕たちの苦しさや、悔しさ、そして青春が詰まっている。椎名の背後には敵のバックが2枚。その3人が落ちゆくボールに飛ぶ刹那、彼はいつもの豪快で優しい笑みを見せていた。
「遠野、俺はモテるぞー!!」
大きな声が秋に響き渡る、空中戦。椎名は掴まれるユニフォームを振りほどいて、誰よりも高く青空に飛んだ。それはまるで自由を教えてくれる怪獣のようで、大きくてきれいだった。
ほんの一瞬の通り雨のようで、永遠に続く夏のような時間のあと、このグラウンドには椎名の入れた一点だけが刻まれていた。椎名はやってのけたのだ。春からずっと走って、ボール拾いをして、ようやく決めた確かな一点。僕もはやく椎名と一緒に試合に出たいって思った。
もちろんその日も、飯いこーぜって椎名の声で、いつもの「味楽」に行くことになった。自分は青椒肉絲定食を、彼はゴーヤチャンプルーを頼んでいた。
「椎名、チャンプルー好きだね」
「まあね、これがいちばんうまい」
ゴーヤを嬉しそうにつまむ箸先。椎名は心なしか、いつもより食べるペースも早い。
「椎名はすごいね」
「なんだ、チャンプルー頼むからか?」
「ふふ、違うよ」
そのとき、なにかを言おうとして、なんにも言えなくて。青椒肉絲を掬ったレンゲに水滴が落ちた。今日みたいな日が嬉しくて、悔しくて、狂おしいほどしあわせで。
「おい、おまえ。なに泣いてんだよ!」
「だって、だって」
「青椒肉絲が冷めるぞ、いいのか」
それ以上、彼は涙の理由なんて聞かなかった。いつも通り大きな口でチャンプルーを頬張って、おかわりって立ち上がる。ゴーヤの青い匂いだけが、鼻先につんって触れていた。
椎名とのことは、今になっても色褪せずに、鮮明に思い出すことができる。土と汗の匂いが混じったエナメルバッグとか、ボール磨きをしてるときに部室に差し込む夕陽とか。そういうのがすべて、いまだに生きている。
僕はサービスの海老をつまんで、椎名もいたら楽しかったなって思った。彼とずっとサッカーをしていたかったし、もっと青春を過ごしていたかった。
たくさんの椎名とのことで胸がいっぱいになった僕の上半身は、やがて大きく膨らみ、着ているTシャツを破るまでとなった。
世界に露わになった自分の上半身には、サッカーボールが埋まっている。白と黒のスタンダードなサッカーボール。それはたくさんの気持ちや思い出を溜めて、むくむくと膨らんでいく。
「はい、ゴーヤチャンプルーでーす!」
「あ、頼んでないです」
物理的に胸が張り裂けそうな僕に、大将は優しく微笑んで、世界の秘密のすべてを教えてくれた。
「あちらのお客さまからです」
大将の指さす方向には、誰もいない。誰も座ってないカウンター席だったが、確かに誰かがいるような気配がする。
「椎名、なのか?」
恐る恐る声をかけて返ってくるのは、いつも横で聞いていた、豪快で大きな笑い声だった。
「まったく、浮かない顔してんな。お前は」
店全体が見えない椎名で満たされて、僕のサッカーボールは、ぼんって音を立てて破裂した。目からは涙が流れて、ボールからはゴーヤチャンプルーが吹き出した。
店中にチャンプルーの雨が降り、同窓会メンバーも、常連のおじいちゃんも、みんな口をあけて天を仰ぐ。ネルシャツのビールも、ギャルの白ごはんも止まらない。どこからか天狗やシーサーも現れて、降り注ぐチャンプルーのなかを踊っていた。
そんなチャンプルー雨を受けて、浮かび上がって来るものがある。僕よりもずっと大きくて、強いそのシルエットは、間違いなく椎名のものだった。
「椎名!」
「久しぶりだな、遠野」
椎名の声は幽霊になっても、めっちゃ椎名ですごく安心した。
「あのさ、椎名に伝え忘れてることがあって」
「なんだよ。いまさら」
「自分がサッカー部に入った理由なんだけど、椎名がいたからなんだ。同じクラスで憧れてて、そんな椎名がサッカー部に行くって聞いたから、それで」
少しの間があいて、俺はそんな大したやつじゃねえよって椎名は恥ずかしそうに笑ってから、ぱっと消えた。静まり返った店内でひとり、来年はゴーヤの精霊馬を作ろうって思った。
ラッキーチャンプルーデイ 秋冬遥夏 @harukakanata0606
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