小説「月を実装する」

藤想

月を実装する


 中古で買ったファービーの様子がおかしくなって「モグモグシターーイ」しか言わなくなったので、僕はファービーを川に捨てに行った。

 

「ゴミを捨ててはいけないのよ」

 ファービーを投げ捨てる直前で踏み留まって振り返ると、部長だった。腰まで届く長い黒髪とスカートがかすかに揺れる。やわらかなシトラスの香りが鼻孔を突く。美しい女子高生のイデアがそこにあった。

「壊れたんすよ。もう食欲しか無いんです、コイツは」

「修理しましょう。部室に行っているわね」

 川はキラキラと輝いていた。


 14時頃、部室に到着すると部屋は散らかっていた。僕はバイトで稼いだ金を全てこのゲーム開発部に投資して、ゲーム開発専用のマシンを購入し、ゲーム開発に必要なソフトウェアもデバイスも全て僕の財産によって揃えた。それが部長によって無造作に扱われて部屋のそこかしこに散らばったり、捨てられたりしている。

 部長は窓際の部長席に座り、扇子で顔を仰いでいた。そしてファービーは、別に修理したりしなかった。この部長が自分の手を動かすわけがない。


 今開発しているインディーズゲームのコンセプトとなるアイデアを出したのは部長で、僕はその斬新的なローグライクの可能性に魅了されてしまった。ローグライク、デッキ構築、そしてレーシング要素。更にディレクターである部長はそれらのバランスを取るために次々と革新的なアイデアを盛り込んだ。夢のゲームだった。

 しかもメインビジュアルはあの『煮凝る』(我が校が誇る天才イラストレーターで、16歳にして商業依頼をこなしまくっている世界的・超売れっ子絵師)だ。

 これはひょっとするとヴァンパイアサバイバーを超える人気作になるかもしれない。


 僕は夢中になってゲームを作っていったが、気が付けば他の部員はいつの間にか皆飽きて退部していた。こうしてめでたく部長と僕だけの国は生まれた。

 ゲーム開発で実際にゲームを組むのは相変わらず何もかも僕の仕事で、部長は時々僕の開発状況に口を出し、その度にアドバイスの的確さに舌を巻いてしまう。口を出すことに関しては天才なのだ。


 僕がテストプレイを動かしていると、部長がモニターに顔を近付けて言った。

「ここ、巨大な月があった方が良いと思うのだけれど」

「月?」

「そう、ムーン」


 部長が指摘したのは夜空ステージの背景で、僕は珍しく部長の意見に反対した。


「デカい月があったら情報過多では?もう画面の情報を最小限に絞ってるのに」

「ここに月を追加するためにUIを絞っているのではないの?」

「なんでデカい月なんですか?理由を聞いてもいいですか」

「moonという名作ゲームを知らないのかしら。月は偉大なのよ。いいから巨大な月を配置なさい」


 部長が珍しく理に適っていないことを言っているようで、僕はなんだかムズムズした。部長に噛みつく僕も変だし、非合理な部長も変だ。その後も話し合いを続けたがいまいち話が噛み合わない。二人ともファービーのように暑さで気がおかしくなってしまったのかもしれない。


 それで、現在時刻20時。場所は同じく部室。とうとう頭のおかしくなった二人は、「なら月の実物を見てゲームに実装するか決定しよう」と、奇妙な月見を決行した。夜に窓から部室に忍び込んで、近隣住宅の通報を警戒して部室の照明は付けなかった。月光が眩しく照らす部室は移動するだけなら十分な光量が差し込んでいた。


 僕と部長はジメジメと汗ばんでいたので小型扇風機を付けようとしたが、扇風機は壊れていた。そういえばこの扇風機はソーラー電池で動くんだった。月光では動かない。


「昔の人は、月の光で頭がおかしくなってしまうことを信じていたの」

「へぇ、それでこんなことしてるんですね。僕ら」

「そうかも知れないわね」


 綺麗な月を見ながら部室で蒸される二人。ただぼーっと暑い部室の席について、僕はゲーム開発を続けていたが、部長は窓の外を向いてやはり顔をパタパタ仰いでいた。

 僕はカチャカチャとキーボードを打ちながら、部長がおもむろに僕に見えない角度で、シャツのボタンを外し始めたのを横目で確認した。ボタンを外しては手でパタパタと仰ぎ、また外す。おいおいおいおい。カチャカチャカチャカチャ、キーは打ち続けながら固唾を飲んで部長の方に目を向ける。ここで、脱ぐのか?


 カチャカチャカチャカチャ、部長がボタンを外していく。カチャカチャカチャカチャ、遂に部長がシャツを脱ぎ始めた。カチャカチャカチャカチャカチャカチャ、


「そろそろ手を休めたら?小鳥遊くん」


 僕は動揺し、ピタリと指を止めてしまった。心臓も止まりそうだった。慌ててマウスを数回クリックする。


 カチ、カチ。


 クリック音が、バカデカく部屋に響く。

 一呼吸すると僕の意識が、視覚に全て集中する。部長が月光を背にして立っている。が、シャツらしきものが見えない。部長の肩は素肌のようだ。ということは今、部長は……。

 部長と目が合っている。気がする。


「いざ辿り着いた月の世界は、空気の無い死の世界よ」


 部長の横顔が神々しく輝いて、心臓が止まりそうになった。


「小鳥遊くん」


 僕が最後に聞いたのは、部長が呼ぶ僕の名前だった。


***


 結局それからどうなったのか。僕の記憶は途切れている。部長曰く、僕は突然気絶して部室の棚に頭を打ち、日が昇るまで気絶していたという。


 月を実装する問題がどう解決したのかというと、そこは月は月らしく、半月を小さく実装するということで部長と僕は手を打った。


 完成したゲームは秋の文化祭で一般公開され、その後Steamで配信が開始された。売れ行きは……言わずもがな、だ。

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小説「月を実装する」 藤想 @fujisou

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