第4話

「名前,呼んでよ!」

リビングに,ぼく,藤堂ヒカリ(光)の声が響き渡った。

ぼくの家は母子家庭。

しかも耳の聞こえない病気だ。

だからぼくはさっき叫んだことを手話で伝えた。

それを見たお母さんは驚いた顔になった。

ぼくがこんなことをしているのは先日の運動会のせいだ。

綱引きをしている時,中学部二年生に引っ張られ全員で転けてしまった。

その時,観客の親から子供達の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。

「史!」「優くん!」「美梨亜!「ゆうな!」「剣!」「レモン!」「蒼!」

そこで…ぼく以外の二十三人全員分の名前が聞こえたんだ。

でも,ぼくの名前は言われなかった。

運動会で競技が終わった後,剣と優,それから水戸にこう言われた。

「この前の運動会の綱引き,お前の名前だけ呼ばれなかったな」

って。それが悔しくてその日から,ぼくの日常が変わった。

男子からはハブられ,女子からはヒソヒソ自分を見て噂される。

それに耐えきれず,今こんなことになってしまった。

ぼくは驚く母さんを見据えて,自分の部屋へ突っ走る。

「なんでっ!なんでぼくはっ!」

頭の中はいっぱいだ。

母さんに八つ当たりしてしまったことを後悔する気持ちと,名前を呼ばない母さんが悪いって気持ち。

どちらも混ざってもうよくわからない。

その時,急に冷たい夜風がぼくのほおに当たった。

ゆっくりと窓を見る。

するとそこには,女の子が座っていた。

ぼくより背が低いけど,大人っぽい女の子。

ブワッと白いワンピースが夜風に靡いた。


「またあの学園の人々が多いね。さっきも,同じ学年クラスの女の子に会ったよ」

きっとそれは,今ぼくと同じようにいじめられている三里だ。

同じ名前のことでいじめられている,花咲三里。

その子もこの子に何かしてもらったのか?

「君,後悔しているのでしょう?ヒカリくん」

「なんでっぼくの名前…」

そもそもこの人誰だ?

「わたしは天使」

天使…そんなの本当にいるのか?

「ヒカリくん…お母さんからお名前を言われなくて,悲しいよね。けど,自分の名前を呼ばれなくても,名前がわかるだけいいでしょう」

「え?」

「実はわたし,昔から自分の名前がわからないの。だから一度も名前で呼ばれたこともないし,その名前を自分でも知らない」

ぼくはそれを聞いたら,何も言えなくなってしまった。

「名前がわかる君は,きっと名前を呼ばれなくてもしあわせになれるよ。それに,お母さんだって実は聞こえないところで,君の名前を呼んでいたよ」

「どういうこと?」

天使はぼくに向かって手を翳した。

その時,運動会の動画が映される。

手を動かしている。

あの手話は…ひ,か,り?ヒカリ?

「おかあさん…」

そう呟いた時,映像も,天使も消えた。

でもそんなの気にせずに,お母さんのところへ降りて,お母さんに抱きついた。

『お母さん!ごめんなさい!ごめんなさい!』

手話で伝えると,お母さんは驚いたような顔をして,涙を浮かべながらぼくにも手話を見せてくれた。

『お母さんこそ,名前を呼べなくってごめんなさい。けど,お母さんは名前を呼んであげられなくても,ヒカリがとっても大事よ』

ぼくはそのまま大声をあげて泣いてしまった。


天使はゆっくりと木の上で立つ。

ひゅっと飛び降りて,また歩き出した。

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大切なものと自分の気持ち Veroki-Kika @Veroki-Kika

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