*15 忌み子から神の力を得た者にされ、そして
いつから、こうなってしまったんだろうか。忌一はひどくきらびやかな装飾で埋められた、広間の上座に鎮座しながら考えていた。そこは上等な絹織物の座布団で、手触りも座り心地も良いのだが、忌一の顔色は優れない。
忌一の前には上等な朱塗りのお膳が並び、小さいながらも尾頭付きの川魚や青菜のおひたし、芋の煮物、蓋をされた椀には良いだしの使われた吸い物がある。もちろん、真っ白な米も茶碗に盛りつけられているのだが、忌一はそれらに手をつけようとはしなかった。きっと慶光から米だろうと思うと、罪悪感で食べる気がまったくしなかったからだ。
お膳だけではなく、忌一自身もまた、美しい白の着物を着せられ、顔にはおしろいを塗られて紅までひかれている。まるで桃の節句の人形のような姿をさせられ、その重みでか細い忌一の体は潰れそうだった。
それだけでなくとも、幾重にも覆われた着物以上に重たいものが、彼の胸を圧迫しているため、もはや息をする事も苦しい。
「忌一や、お客様がお見えだよ」
息をする事もままならない忌一の許に、あの父親がにこにことしながら広間に入ってきて声をかけてくる。その後ろには上等そうな着物を着た中年の痩せた女性が立っており、きょろきょろと部屋を見渡していた。お客様とはこの女性のことを言うのだろう。父親は彼女を振り返って忌一を紹介し、忌一のすぐ傍へと連れてくる。
忌一の前に合ったお膳はいつの間にか下げられ、その空いた場所に女性が風呂敷包みを差し出し、手をついてお辞儀をしてくる。
ああ、またか……忌一は頭を下げてくる女性の目的を察し、鉛を呑み込んだように腹が重たくなっていくのを感じた。父親が連れてくる“お客様”のほとんどが、忌一に頼みごとをするためにこの家を訪れているからだ。
そしてその頼み事は、忌一の力――慶光から分け与えられた神通力を当てにするものばかりだった。
「なんでもな、こちらの鈴江さんは山の向こうからおいでだ。反物屋で繁盛しているんだよ。でも、この所景気が悪くて良い反物が売れなくなっちまって、店が傾きそうだって話なんだ」
「ええ、そうなんですぅ。そこで、忌一様のお力で、我が家になんぞ金目のご縁がないかみてもらえないでしょうかねぇ。ああ、これはほんの気持ちばかりで……」
そう言いながら鈴江が風呂敷をとくと、見事な桐箱が現れる。蓋をそっと開けると、中身は上等な
忌一は最中を目にした途端、暗澹たる気分になった。こういう場合、ただ菓子折りをよこして忌一に神通力で透視して欲しい、というだけでなく、その下に潜む大枚をやるから金運を引き寄せろ、もしくは確実に金目のものを引き当てろ、と暗に示しているからだ。
「おやおやまあまあ、鈴江さん……これは見事な最中ですなぁ。忌一も好物なんですよ。なぁ?」
ねっとりといやらしい、欲に眩んだ眼で忌一を見てくる父親に、忌一は曖昧に笑ってごまかす。その胸中は暗澹たる思いを抱えながら。
数日前、鴉に家まで送り届けてもらい、両親に面会した際はひどく驚かれた。死んだも同然と思われていたのだから当然だろうとは思っていた。
突如現れた忌一に対し、祟りに来たのかとも父親から言われたが、村を助けに来た、と言いながら神通力を――試しにその時母親が手にしていた包みの中身を当ててみせ、続けてもう半刻もすれば雨が降ることも言い当ててみせた――示すと、両親はじめ家の者たちの態度ががらりと変わった。
「忌み子が神の力を得て戻って来た」
その話は瞬く間に広まり、噂を聞き付けた人々が家に押し寄せあれこれと忌一に頼みごとをしていく。失せ物探しや天気の行方、あらゆる頼みごとを一時にされて忌一は疲れ切ってしまったのだ。だからもうこれ以上はできない、と断りの言葉を口にした瞬間、忌一の頬に平手打ちが飛んでいた。
「父さん……?」
「死んだも同然のやつを迎え入れてやったんだ。それぐらいの恩を返してもいいだろう。それとも何か? いまからお前の墓穴を掘って埋めてやろうか?」
「人喰い様に喰われてようやく役に立ったと思っていたのに、死に損なってるなんてねぇ……」
「妙な力とやらが使えるなら、今度こそ役に立て。出来ないなら墓穴行きだ」
両親にそう言い詰められ、忌一は何も言い返すことができないままいいように飾り立てられ、まるで忌一が神であるかにように祀り上げられている状態だ。
はじめこそ失せ物を捜してくれだの、迷子を捜してくれだの、他愛ないものであったのだが、日を追うごとにその難易度が上がっていき、いま直面しているものは、金運があるかどうかを見極めてくれ、というものである。もはや神通力が及ぶ域の話ではなくなっているのだが、彼らには関係がないようだ。
「さあ忌一、折角の鈴江さんの頼みだ。立派に役目を果たしておくれよ」
無理難題を前にして、全身に冷や汗をかいている忌一の心中を推し測ることもない父親が、やたらと忌一の肩や腕に触れてくるのも気色が悪い。この家にいる頃は、忌一が抱っこしてくれと手を伸ばしても突き飛ばして拒んでいたくせに。
母親もまた、不気味なほど柔和な笑みを浮かべてこちらを見つめていて、忌一は視線を逸らすので背一杯だ。
それでなくとも、忌一は持てる限りの神通力をすでに総動員しており、気力も体力も底をつこうとしているほど限界に近い。
だから忌一は畳に手をついて体を支えながら、父親の方にすがるような眼を向けたのだが、鬼のような形相でにらみ返され、忌一の辛さも疲労も苦痛もすべてないものとされてしまった。
それでも、墓穴に入れられたくない一心で、忌一は慶光に倣った通りに鈴江の前に手をかざして通しを行おうとする。完全に運を探り当てられるかはわからないが、気配ぐらいは察せられるのではないか、と、どうにか考え付いたことを試しに実行している。
両親たちは忌一の気遣い屋気苦労など知らぬので、その振る舞いによってすべてが見通せるのだと思い込んでいる。過剰に期待に満ちた視線が痛いほど忌一に注がれ、心身が削られていくようでまるで生きた心地がしない。
それでも、忌一は気力を振り絞るように笑みを浮かべ、鈴江に向かって告げる。
「西……の、方に行くと、良いか、と思います……浅葱色の、着物、で……」
「浅葱色の着物を着て、西へ行けばいいんですか? いまですか? いつ行けば……」
すがるように迫ってくる鈴江の声に忌一の胸がぎゅっとつかまれたように苦しくなる。息ができない……これ以上は、もう……そう体が拒んでいるのに、神通力を使うことをやめさせてもらえない。鈴江のような依頼者の横には、常に忌一を見張っている両親の目があるからだ。
忌一は大きく息を吸ったり吐いたりしながらなんとか体を起こし、「……明日の、夜にでも」とだけ告げ、鈴江の依頼をこなし終えた。
神の力を得た忌一の言葉を聞くことができたことで、鈴江は満足そうに両親に礼を言って帰って行った。もちろん、先ほどの札束入りの菓子折りの他に、懐紙に包んだ金貨もぬかりなく両親に渡しながら。
(……そんなにお金があるのに、どうしてみんな、お金を欲しがるんだろう……)
神通力で見透かせるものはあまたあれど、どうしてかヒトの中の欲の深さまでは測れない。こっそりと昨夜、父親や母親を透視してみたのだが、二人とも見透かした腹の中は真っ黒の闇色だった。
あれはいったいどういう事だったのだろう……と、ぼんやり畳に手をついて肩で息をしながら考えていると、その手をぴしゃりと叩かれた。痛みはじんわりと広がり、いつまでも忌一を苛む。
顔をあげると、冷たく笑う母親がこちらを見下ろして呟いた。
「さあ、さっさと居ずまいを正して、シャンとなさい。今日はあと二組お見えなんだからね」
「……はい、母さん」
「しかもその内の一組は名の知れた地主様だと言う話だからな。きちっと診て差し上げるんだぞ、忌一」
父親からさらにはっぱをかけられ、強く肩を叩かれたが、その勢いが強すぎたのか、それさえも受け止められないほど忌一が弱ってしまっていたのか。兎に角忌一は父親に肩を叩かれた勢いで砂山の様に崩れてしまったのだ。その顔面は蒼白で、まったく血の気がない。
「おい! 忌一! ええい、クソ、なんでいまになって! 本当にこいつは役に立たない!!」
倒れて意識が朦朧としている忌一の頭を、父親が立ち上がって忌々しそうに蹴りつける。忌一はそれに抗うこともできず、鞠のように蹴られるがままにされていた。
蹴られてグラグラと揺れる体で、忌一はぼんやりと焦点の定まらない視界を見つめて小さく祈って呟く。
「……慶光、様……会いたい、です……」
その呟きは、家の手伝いの者たちに忌一の世話を命じる父親の怒鳴り声や、皆の足音でかき消されていく――その、刹那、それまで秋晴れの美しかった庭先が急に掻き曇り始めたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます