*3 嫁入り先は人喰い様

 父親が宣言していた通り、忌一に温かな食事が振る舞われた翌日から、屋敷では人が多く出入りし始める。忌一の嫁入りに際する準備と、それに伴う挨拶などが行われるからだ。

 飢える村のどこにあったのかと思うほどの馳走が用意され、綺麗に洗われて髪も身なりも整えられた忌一囲んで宴が執り行われ、さながら婿不在の祝言のようだった。

 宴会の翌朝早く、屋敷から輿こしの一行が出ていった。数人の屈強な男たちが担いだその輿の中には、綺麗に化粧を施された白無垢姿の忌一が静かに鎮座している。


(ヒトクイ様のお屋敷は、山の中だって聞いたけど……随分遠いのかな……)


 家を出て二刻ほどすると、それまで聞こえていた家々の音や水路を行きかう船のきしむ音などが聞こえなくなったことに気づく。川のせせらぎは聞こえるが、屋敷にいた頃のようにどうどうという腹の底に響くような音ではなく、小鳥がさえずるように穏やかだからだ。

 嫁入りする事を、蔵に閉じ込められている間すがるように頼みにしていたが、実際何をしたらいいのか忌一は一切教えられていない。あるとすれば、「ヒトクイ様の機嫌を損なうな」ということだけだ。

 蔵の中と屋敷のごく一部、そして明り取りの窓から見える切り取られた水路だけがこれまでの忌一の世界のすべてだったせいか、あまり難しく物事を考えたり察したりすることが苦手だ。そのため、輿に揺られている内に考えが霧散してしまったようだ。

 やがて輿が大きく揺れて止まり、担ぎ手から下ろされていくのを感じた。


「さあ、俺らが付いてこられるのもここまでだ」


 ヒトクイ様が現れるまでついていてくれると思っていたのに、山の荒れ野にひとり置き去りにするという。

 話が違うではないかと言わんばかりに輿から顔を出すと、それまで輿を担いでいた担ぎ手の屈強な男たちと、案内役だという村から派遣された老爺が呆れたような顔をしてこちらを見下ろしている。その目は冷たく、忌一は自分が忌み子であることを思い出し、怯む。


「ヒトクイ様に会えるまで、一緒にいてくれるんじゃ……」

「そんなことしたら俺らまで喰われるだろうが」


 吐き捨てるように言われた言葉に、忌一は瞠目して驚く。


「お嫁さんって……喰われるんですか?」

「ああそうだ。だから、“人喰い”様なんだ。せいぜい無駄死にならないようにするんだな」


 冷笑され、忌一はようやく自分がただ嫁入りしたというのではなく、人喰いの神様の機嫌を取る生贄となれと言われて差し出されたのだと気付く。

 しかも生贄になったからと言って、それですべてが丸く収まるわけではないようで、人喰い様に気に入られなければただ無駄死にするだけだという。

 十八になって、いままでの償いに神様というこの上ない相手へ嫁がしてもらえるのだ、などと考えていた己の暢気さを、忌一は今更に悔いた。しかしここまで連れてきた男たちは皆足早に去ってしまい、すでに山の荒れ野の小さな石のほこらの前には忌一と彼が載せられてきた輿が残されているばかりだ。


「そんな……俺、喰われるために、ここに連れてこられたの……?」


 屋敷に戻ろうにも、初めて屋敷の敷地外に出たこともあり、忌一はここからの帰り道がわからない。何より、人喰い様の機嫌を取って来いと両親に命じられて盛大に送り出された以上、あの家に自分がのこのこと帰れる気がしなかった。

 涙があふれてはたはたと白無垢の袖にこぼれていく。拭うことも忘れ呆然と祠の方を見つめながら涙を流していると、祠の石の扉の奥で何かが光った気がした。

 まるで水路の水面のきらめきを何百も集めたような強い光だ、と、忌一が思ったその時、光は一層大きくきらめきながら忌一を輿ごと呑み込んでいった。



 目がくらむような眩しい何かに包まれ、忌一はその場に蹲って震えていた。

 もしや今しがたの光で自分は人喰い様に喰われてしまったのではないだろうか――忌一はそう考えたのだ。

 しかし、しばらく経っても手足がもがれるような様子も、痛みもない。腹や頭を喰われるのかと震えていたが、何かが触れてくる気配もない。

 これは一体……? 忌一が恐る恐る両手で覆っていた頭をそっとあげると、『よう来たな』と、野太く低い声が聞こえた。

 声の迫力に驚いて首をすくめつつその方に目をやると、山の様な体躯の男がこちらを見下ろしている。通った鼻梁びりょうに、双眼は深い闇の色、同じ色の荒々しく長い髪を後ろで束ね、口元からは鋭い牙が覗く。ひと際忌一の目を惹いたのは、男の両耳の辺りから覗く三角の大きな犬のような耳だった。


「……あなたは、人喰い様?」

『っはは……相変わらずヒトは儂をそう呼ぶか……愚かなものよ』


 人喰い様は忌一の言葉に苦笑し、『まあ約束通り生きた嫁をよこしたのだから良しとするか』と言いながらへたり込んでいる忌一を肩に担ぎ上げる。人喰い様の上背は乗ってきた輿よりも高く、忌一は思わず悲鳴を上げて身をすくめた。

 すると、人喰い様は肩に担いでいた気地位の痩身を赤子にするように抱え上げ、横抱きに変えてくれた。


『どうだ? これで恐ろしくはないか?』

「は、はい……ありがとうございます……」


 てっきりその場で頭から食べられてしまうのかと思っていた忌一は、思いがけない丁寧でやさしい扱いに返って戸惑いを覚える。それでなくとも、いままで誰からもこんなに丁重に扱われたことがないからだ。

 忌一を抱えたまま、人喰い様が二人を包む光の中を歩きだすと、辺りの白い光景がぐにゃりと歪む。歪んだ景色は、やがて美しく豊かな緑の広がる庭先に変わった。色鮮やかな花々が咲き誇り、様々な超や鳥が飛び交っているそれに、忌一は目も言葉も奪われる。

 惚けたように呆然としている忌一に、人喰い様が、『気に入ったか?』と問い、忌一は大きくうなずく。


「俺のいた家の庭よりうんと立派で綺麗です……すごい……見たことがない鳥も蝶もいる」

『そうか。ならばここにするか』


 人喰い様の言葉の意味を問うように見上げると同時に、人喰い様は指を鳴らす。するとたちまち庭先のすぐそばに立派な造りの縁側を持つ十畳ほどの広い座敷が現れた。それだけではなく、座敷の奥にもいくつも部屋が広がっているのが見える。どうやらこれは人喰い様の住まいである屋敷のようだ。


「お屋敷が……!」

『儂はいかなる場所でも住まいを呼び寄せることができる。お前がここを気に入ったというなら、ここに暫く住んでも良かろう』

「ここに、俺も住むんですか?」

『そうだ。お前……忌一はここが気に入ったのだろう?』


 名乗ってもいないのに名を呼ばれてさらに驚いていると、人喰い様はくすりと微笑んで忌一をそっと真新しい縁側へ下ろし、綿帽子の上から忌一の頭を撫でた。


『お前を嫁にする約束だったからな。待っておったぞ』

「え……」


 人喰い様の言葉に顔をあげると、その深い色の眼はやさしく忌一を見つめている。その眼差しのやわらかさに、忌一は遠くしまい込んだ記憶が甦ってくる。


「あなたは……あの時の……?」

『約束をしただろう? 十八になったら嫁にする、と』


 人喰い様はそう片頬をあげて笑い、それから縁側を上がって屋敷の奥へと入っていく。その際、屋敷の中にいる誰か――おそらく従者のような者に――声をかけ、忌一への処遇を指示しているのが聞こえる。

 うららかな春の陽射しが降り注ぐ縁側にポツンと座ってそれを聞きながら、忌一はひとつ謎が解けたような気分でいた。そして同時に、それにより腹の底が冷たくなるような覚悟が固まっていく感触も覚える。


「……そうか、俺、人喰い様に食べられるために嫁にしてやるって言われたんだ……」


 四つになるかならないあの晩の約束は、そういう意味だったのか。それを、自分は唯一の拠り所にして、なんとか十八の今日まで生きてきた。その愚かさに忌一は我ながら呆れて言葉も出ない。

 喰われるための嫁入りを拠り所にしなくてはならないほど、自分は憐れな人生を歩んできたのか。そう考えが至り、庭先を映し出している視界が滲んで揺れてくる。


「忌一様ぁ、すみません、お待たせしました! おいら、お世話をさせて頂きます馬食ばしょくと申しま……忌一様?!」


 縁側に座っていた忌一の許に、人喰い様よりは若干小柄な、茶色の細くピンと立ち上がった耳を生やした細身の若い男が駆け寄って来たのだが、忌一が声もなく泣いている様を見て飛び上がらんばかりに驚く。


「ああ、すみません! ひとりぼっちで心細かったですよね? いますぐ美味しい甘味をご用意しますんで!」


 馬食はそう言いながら忌一を屋敷の中へと促していく。小さく嗚咽している忌一は、馬食に手を牽かれながら新たな住まいとなる広大な屋敷の中へと踏み込んでいくのだった。



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