11 ショッピングモールの不審者
愛しています。
愛しています。何よりも、誰よりも。
だから、どうか。
どうか。
――――自分を置いて行かないで。
◇ ◇ ◇
真宵邸での事件から一週間経った。
ツキが襲われた事については大和守護隊の百合に連絡をしているが、襲撃者について調査の進展はまだないらしい。
聞いた話によると、あの日真宵邸を警備していた守護隊は、ツキが攻撃を受けた際に出た物音以外は何も聞いていないそうだ。
件の連中がどうやって侵入したのか相変わらず謎のままである。
(真宵邸の地下に、あの研究施設が隠されていた事を考えると、どこかに別の入り口があってもおかしくはないですが……)
そんな事を考えながら桂月は、黎明と共に買い物に出かけていた。黎明の服を新調するためである。
普段の黎明は着物を着ているのだが、ここしばらく荒事が立て続けに起きていたため、服のいくつかが破れたり穴が空いたりしてしまったのだ。
繕える程度の具合であれば黎明もそうしているが、それでも限度がある。
さすがに少々日常生活に支障が出そうなので、今日は服を買いに出かけたというわけである。
正直なところ、ここ最近の出来事で桂月は少々暗い気持ちになっていたので、こういう穏やかな時間を黎明と過ごせるのは嬉しい。
ついでに黎明の服のコーディネートが出来るというのも、桂月は楽しみにしていた。
服を買うにしても、黎明はほとんどの場合で着物を選択しているので、たまには洋服とか違う服装も着せてみたいのだ。
もちろん本人の好みが一番ではあるので、桂月が選んだ服は買わないかもしれない。けれども袖を通すだけはしてみてくれたらいいな、なんて思っている。
「桂月サン、楽しそうですね」
「ええ、それはね。黎明にどんな服を着せようかとワクワクしているんですよ」
「はぁ。俺は着物か、何ならジャージとかでもいいですよ」
「それはそれで似合いそうですけどね。まぁ、ほら、甚平とかもあるじゃないですか」
「ああ……あれは好きな奴ですね」
そんな会話をしながら二人は椿区のショッピングモールへとやって来た。
商業区でもあるこの区には多種多様な店が立ち並んでいるが、その中でもここは一番大きく品揃えがよく、建物の内装も綺麗なので桂月は気に入っている。
ちなみに自分達が住んでいる桔梗区にも服を取り扱っている店はもちろんなる。しかし少々デザインが特殊……といか派手なものが多いため、あまり桂月の趣味には合わないのだ。
まぁ、黎明であれば「あるならそれで。着れるでしょ」と気にせず着そうな気もするが。
想像して、ふふ、と笑っていると、
「……あれ?」
黎明がそんな声を出した。
「どうしました?」
「あそこ」
そう言って彼は通路の隅の方を指さす。
そこには白色の子猫がいて、所在なさげにきょろきょろと視線を彷徨わせている。ここへ迷い込んだのだろうか。
「あれ、アヤカシの子供ですね。親と離れたのかな」
子猫を見ながら黎明はそう言う。
アヤカシの子供も大体の生き物の子供と同じように、ある程度の大きさまでは親に庇護が必要になる。
人間である桂月にはアヤカシの見た目から年齢を察する事は出来ないが、あの子猫のようなアヤカシは見た目通り子供らしい。
それならば一度保護した方が良いだろうか。不安そうな顔の子猫を見ていると放っておこうという気持ちにはなれない。
確かこのショッピングモールには迷子センターもあるはずだから――桂月がそう考えた時、
「……うん?」
子猫の方へ怪しげな風貌の男が近付いて行くのが見えた。
黒色の帽子にサングラス、黒スーツに黒色の靴と、頭のてっぺんから足の先まで見事に黒ずくめの男だ。
怪しげな、と見た瞬間に思ったが、ここまであからさまに怪しいのは珍しい。あの衣装だからショッピングモール内でもだいぶ浮いている。
しかし奇妙な事に、周囲の買い物客達はその男に気付いていないのか、視線すら向けていない。ふむ、と桂月は腕を組んだ。
「桂月サン。あれ、何か妙な術を使っていますね」
「そのようですね。さてさて、こんな場所でそうする理由は何でしょうか」
恐らくあの黒服スーツの男が使っているのは、自分の気配を薄くして、周囲から気付かれなくする術だ。
ある程度の霊力を持っていたり勘の鋭い者であれば効かないが、都市国家大和にはそうでない者の方が多い。ショッピングモールなど人が多い中で使えば、術が効かない相手も誤魔化せる。まぁ、あの男の場合は服装をもう少し気を付けた方が良いとは思うが。
しかし、それにしても、あの男。
――ずいぶんと術を使い慣れている。
桂月は目を細くした。あの男の目的は分からないが、子猫の身内とはどうにも思えない。
ついでに術を使っている時点でやましい事があると疑われても仕方がない。
で、あれば、自分達は疑う側の人間でいよう。そう判断した桂月は、
「それでは黎明、助けますよ」
「はーい」
と黎明と短くやり取りをして、子猫に向かって歩き出した。
黒スーツの男は子猫しか目に入っていないのか、それとも自分の術に自信があるのか、桂月達が近付く事に気付いていない様子だ。
――では少し脅かしてみようか。
意地の悪い事を考えながら、桂月は靴音を潜めて黒スーツの男に近付く。
そしてちょうど黒スーツの男が子猫の前にしゃがんで、片手を持ち上げたところで、
「わっ!」
「うわあっ!?」
桂月は男に向かって大きな声をかけた。すると男は面白いくらいに大きく体を震わせて驚く。
「あっはっは。いやぁ、なかなか良い驚きっぷりですねぇ」
「な、な、何だ、お前! ……達、は……」
くすくすと笑う桂月を見て、振り返った男は怒鳴ろうとする。目に飛び込んできたのが、ひょろひょろして軟弱そうな桂月だったからだろう。しかし黎明が桂月を守る様に前に出たものだから、その勢いがしゅるしゅると萎んで行く。
確かに男の気持ちは分かる。黎明は背丈が大きいし、サングラスをかけている上に三白眼で目つきが悪い。表情にもあまり大きな変化が見られないので、今みたいに軽く体を倒して上から無表情気味な顔で覗き込まれると怖い――らしい。もっとも桂月は格好良いなくらいにしか思わないので、怖さについては人から聞いた感想ではあるが。
ただ、まぁ、目の前の男の態度の変化を見るに、間違った感想ではないようだ。
「何だお前、とはね。それはこちらの台詞ですよ。そこの子猫を前に怪しい動きをしている方がいれば、気になって声を掛けるのが普通でしょう?」
ね、と桂月は子猫のアヤカシに向かって話しかけると、その子は「みゃあ……」と弱弱しく鳴いて頷いた。
本当に知り合いだったら悪い事をしたなと少し考えていたが、どうやらその心配はなさそうである。
桂月は「大丈夫ですよ」と子猫を安心させるように微笑むと、男の方へ目を向ける。
「……で? あなた、その子に何をしようとしていたんですか?」
「べ、別に何も……。あー、えー、その、迷子みたいだから、迷子センターにでも連れて行ってあげようかなって……」
「ああ、なるほど。では私達と同じ目的ですね。なら一緒に行きましょうか。黎明」
「え?」
「はーい」
「は?」
ぽん、と手を合わせて桂月が言うと、黎明はスッと男の腕を取って立ち上がらせた。そして逃げられないようにがっちりと肩を掴むと「行きましょうか」と声を掛ける。
こうして立たせてみるとあまり身長は高くない。体つきも細いし、年齢も若そうだな、と桂月は思った。
男は目を白黒させた後、状況をを理解してだらだらと冷や汗を流し始める。
「い、いや! そのぅ、お、俺はいいかなって……」
「まぁまぁ、そう言わず。ね? ほら、この子もその方が安心でしょうし。それに……」
桂月はそっと男の耳へ口を近づける。
「――あなた、私達がこうして捕まえている以上は、悪さは出来ないでしょう?」
「ひいっ」
耳元でそう囁いてやれば、男はかわいそうなくらいに縮み上がった。
それを見て黎明は、
「あんたね、触れない割にはそういう事するんですから……」
「触らないからセーフですよ」
「それやられるとゾクゾクするんで、俺以外の他人にはしないでくださいよ」
「はーい」
その感覚を思い出したのか、黎明は空いている手を自分の首の後ろにあてた。
前に何かのタイミングでやった時に、その辺が変な感じがすると言っていたっけと桂月は思い出す。
黎明も可愛いところがあるものである。そんな事を思いながら、桂月は子猫の前にしゃがむ。
「君は迷子ですか? 親御さんと一緒に買い物に?」
「みゃ」
人間の言葉は話せないようだが、桂月の言葉は通じているみたいで子猫はこくりと頷いた。
なるほど、と桂月は頷くと子猫に手を差し出す。
「では、一緒においで。迷子センターまでお連れしますよ。そこなら、きっと直ぐにご両親に会えるでしょう」
「みゃ!」
桂月は優しく言えば、子猫は嬉しそうな顔をして手のひらに乗って来た。
ふわふわとした柔らかく温かい感触に微笑みながら、桂月は子猫を持ち上げて腕に抱え、立ち上がる。
「…………無自覚にアヤカシタラシなんだよな、この人」
「黎明、何か言いました?」
「いーえ、何でも。それじゃ行きましょうか」
そうして桂月達は、黒スーツの男を引きずるように、ショッピングモールの迷子センターへと向かった。
携帯電話で百合宛てに『不審者を捕まえました』とメッセージも送りながら。
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