私の愛しの飼い狐

１０ アヤカシ研究

「人心地ついたのじゃ……」

　ただ事ではない様子のツキを室内へ迎え入れ、タオルで身体を拭いてやると、彼女は疲れた様子でそう呟いた。

　ツキは桂月達に倒された事で、全盛期と比べて確かに弱体化はしているが、それでも弱いアヤカシではない。姿形こそ小さいが、その辺のアヤカシと力比べをすれば勝てる程度には力があるのだ。

　またプライドもそこそこ高い方だ。そんな彼女がなりふり構わず助けを求めるなんて一体何があったのかと思いながら、桂月はツキに尋ねる。

「ツキ、事情をお伺いしても良いですか？」

「……うむ。あのな、わらわな。桂月達と別れた後なんじゃが……真宵邸へ行ったのじゃ。そうしたら奇妙な連中に襲われての」

　ツキの言葉に桂月と黎明は目を丸くする。

「あの後、戻ったんですか？」

「ああ、うむ。ちょっと気になった事があっての」

　ツキは桂月達と別れた後に、そのまま山吹区まで空を飛んで向かったそうだ。

　そこそこ距離があったのだが、よく行けたなぁと感心したが、同時に少し心配になった。彼女は真宵邸に対して嫌悪感を抱いていたからだ。

　大丈夫かな、と思って様子を見ていたが、ツキはその事に関しては特に気にしていなさそうだ。

「真宵邸は守護隊が閉鎖していたでしょ。よく入れましたね」

「そこはな、黎明。このわらわのぷりちーなボディでちょちょいのちょいじゃ！」

　ツキ曰く、今の身体の小ささを利用して、上手く警備の穴を掻い潜って中へ入ったらしい。

　昨日の今日で、守護隊はもう少し気を付けた方が良いと桂月は思った。

　まぁ、そんな感じで、ツキは真宵邸の中へ侵入したのだそうだ。

「何を確認しに行ったのですか？」

「あの蔦のアヤカシの力の残滓じゃ。……あの時、お前達が倒したあれが、どうにも妙での」

「妙……ですか」

「ああ。わらわ達と同じアヤカシにしては、においが少し違うておった」

　においとの言葉に桂月は黎明の方を見た。彼は顎に手を当てて少し考えるような雰囲気で、

「……確かに。あれ単体であれば、俺達みたいなアヤカシにしては、やけに甘過ぎる濃いにおいでしたね。研究施設を見た限り、何らかの実験のせいでそうなっていたのだろうと思いましたが」

「そうであろうな。……じゃが、わらわは昔、あれとよく似たにおいを嗅いだ事がある」

　ツキはそう言うと黎明の方を見上げた。視線を向けられた彼は、特に心当たりがないようで首を傾げる。

「人間混じりの半妖じゃ。……と言っても黎明の事ではないし、普通の半妖でもないぞ。わらわが知っているあれ（・・）はたまたま半妖になった人間（・・）じゃった」

　半妖の言葉に桂月と黎明は軽く目を見張った。

　しかし同時に疑問も浮かぶ。人間とアヤカシが交わると、その容姿は人間のそれの方が強く出るのが一般的だからだ。

　これは人間とアヤカシの身体の造りの違いによるものらしい。

　人間の身体はアヤカシよりも脆いが、その分適応能力がある。逆にアヤカシの身体は丈夫だが、環境に合わせて変化するという事が出来ない。

　なので人間とアヤカシが交わる際に、人間の身体を基本とした方が種を残しやすいため、人間の特徴の方が強く出る――との説が主流だ。

　まぁこの辺りは研究者毎に見解が違うため、未だはっきりと解明がされていないのだが。

　話は戻るが、そういう理由で桂月達は、ツキが言っている事に疑問を感じたのだ。

　真宵邸で見たアヤカシに人間の要素は一切なかった。

　けれどもツキはあれが「人間混じりの半妖とよく似たにおいをしている」と言ったのだ。

「たまたま半妖になった、とはどういう事か伺っても？」

「ああ。……わらわが知っている奴は輸血じゃったよ。一匹のアヤカシが、懇意にしておった人間が事故で死にかけた時、自分の血を輸血して助けたのじゃ。それがきっかけで、その人間は半妖となった」

　それは、と桂月は思った。頭に真宵樂の事が浮かんだからだ。

　彼女の研究は、事情こそ違えどまさにそれだった。

　驚く桂月達の前でツキは、ふう、と息を吐く。

「じゃがなぁ、めでたしめでたし、とはいかなかったのじゃよ。血を与えられた人間は、その変化に耐えきれず暴走し、命を落とす事となった。そのアヤカシの手によってな。あいつは泣きながらその人間を抱きしめておったよ。……わらわの友じゃった」

　寂しそうにツキは呟く。丸々ころころとした可愛らしい身体ではあるが、何となくさらに小さくなってしまった気がして。

　いつもより元気のない彼女の頭を、桂月は手を伸ばしてそっと撫でた。

　ツキは少し驚いて目を丸くしたあと、ふふ、と笑う。

「何じゃ何じゃ、桂月。今日はわらわに優しいのう」

「おやおや。私はいつも優しいですよ？」

「そうですかねぇ。桂月サンが自分から誰かを撫でるなんて、ツキくらいでしょ。ちょっと羨ましいですよ」

　そうしていると、隣で黎明がそんな事を言った。

　えっと思って顔を見るがいつも通りの表情である。冗談なのか、本音なのか、判断がし辛い。

　……本音だったら嬉しいのだけけれど。

　そんな事を思いながら桂月はツキの方へ顔を戻す。

「話を戻しますが、そのにおいと似ていたと」

「そうじゃ。黎明のような半妖も、一般的なアヤカシよりはにおいが少し甘いが、あそこまでではない。人間とアヤカシの血が直接混ざったにおいがアレじゃ」

「そうなると……あのアヤカシは……」

「わらわの予想ではアヤカシに人間の血を入れたのではないかと思う。そうしたらどうなるか、のような実験で、血を入れた後の反応を見ておったのではないかのう」

　ツキはそう話す。

　人間にアヤカシの血が注入された事で、身体に異常が起きたとも考えられるが、この国でそれをするのはだいぶ難しい。

　被験者とする人間を集める事が出来ないからだ。言い方は悪いが、アヤカシを調達した方が早い。だから、アヤカシに人間の血を、の可能性が高いのは桂月も分かる。

　桂月達のところへ来るアヤカシ退治の依頼のように、この国ではアヤカシが暴れる事件はそれなりに多い。

　退治したアヤカシを消滅させたという体で、真宵のような研究者に引き渡している者は確かに存在しているのだ。

（真宵の協力者だったと言う氷月は……まぁ、そこそこの権力があるから揉み消せはするが……）

　どう考えてもメリットよりはデメリットの方が強い。

　桂月の知る氷月家は、計算高い上にプライドも高いのだ。家の名誉を傷つけかねないそんな行為を好んで行うようには思えない。

　何か、よほどの事情があれば別だが……。

（……そう言えば最近山吹区で、アヤカシ絡みの事件が増えてたはず）

　ふと、その事を思い出した。

　先日も思ったが、アヤカシが暴れたり人を襲う事件はそれなりにあるが、ここまで立て続けに起こるのは珍しいのだ。

　しかも真宵邸と同じ山吹区だ。どうにも嫌な予感がする。

「それで真宵邸の研究施設に行ったら、そこで狐面を付けた妙な連中に襲われたのじゃ」

「においは？」

「何もしなかった。においを消す道具でも使っておったのじゃろう」

「なるほど、アヤカシの事をよく知る相手のようですね。どうやって中へ忍び込んだのかは分かりませんが……恐らく関係者か」

　頭に氷月の名前が浮かんだが確証がないため、桂月はいったん関係者と言葉を濁す。

　大和守護隊に施設の事がバレた事で、証拠隠滅か何か手を内に来たのだろうか。

　そうだとしたら情報が早すぎる。どこかで監視していたか、それとも守護隊内に内通者がいるかだろうか。

　後者はあまり考えたくはないけれど。

「……これは守護隊に伝えておいた方が良いですね。私達の手には余る」

「そうですね。ツキもそのつもりでここへ来たんでしょ」

「うむ！　わらわ、直接守護隊に話をしたくなかったからの！」

「胸を張るんじゃありません」

　腰に手を当てて器用に身体を逸らすツキを見て、桂月は苦笑する。

　まぁしかし、見た目よりも元気そうなのは良かったと思う。

（……しかし、氷月か）

　桂月の実家である雪宮家とも深い繋がりのある氷月家。

　このまま、どちらとも関わらずに生きたかったのだが、どうにもそうはいかないようだ。

（――ああ、嫌だ）

　今日の夢を思い出しながら、桂月は心の中でそう呟いた。