第8話 放課後のBGMは『旅の宿』と『バスストップ』
朝夕の涼しい時間帯や休日になると、最近だとコードレスのイヤホンを耳にしてランニングする姿をたくさん見かける。オリンピック選手やプロ野球の選手たちも練習のお供は音楽のことが多いようだ。まあ、それが一つのファッションなのかもしれないが若者の間だけじゃなく、私たちの年代でもそんなスタイルでランニングやウォーキングする姿を見かけるようになった。
1972年、高校生だった私たちにはラジオが大切な仲間だった。スマホもパソコンもタブレットももちろんない時代、ラジオやテレビから流れる音楽が私たちの心を揺さぶることになった。「ベストヒット歌謡曲」だとか「なんとかランキング」などと言う名前を冠した番組が今以上にたくさんあって、ラジオからはその時のヒット曲が毎日流れてきていたのだ。
陸上部員として練習にも慣れてきたころの夏くらいには、放課後の練習時間に合わせるように近所の工場や民家からほぼ毎日のようにその日のベストテン入りの曲が流れて来た。
高校一年生のこの年グラウンドで汗にまみれ走り続けた僕の耳には、吉田拓郎の『旅の宿』が一番記憶に残っている。そして、三善英史の『雨』、平浩二の『バスストップ』……。そんな曲を聴きながら僕たちはグラウンドで苦しさを紛らわして走り回っていた。
親元から離れテレビのないアパート暮らしをしていたので平日の音楽情報はこの時間に得ることになった。少ししてラジカセを手にしてからはオープンエアと言っていた録音方法でカセットテープに録音してもらった曲を何回も聞くことになった。それはとても今とは比べようもなく音質のひどいものだったはずだが、そんなことは何にも気にならなかった。自分の生活の中に流行の音楽があるというだけでちょっとした贅沢な、時代の流れに乗った「若者」の一人になれた気がしていたのだ。
南沙織のファンだった私だが、高校生になって次々に若者向けの歌が流行りだすにしたがって、いろんな歌にハマりかけていた。北海道の函館ラサール出身だと言われていたあがた森魚の『赤色エレジー』なんていう変わった曲にもひかれたし、もとまろの『サルビアの花』を聞くたびに遠くなってしまった故郷の夏を思い出していた。
高校の選択音楽でギターを手にしてからは、吉田拓郎をはじめとして、井上陽水やチューリップやかぐや姫の曲を練習しようと思ったこともあったのだが、なかなかそんな時間を取れないまま上手な仲間の演奏を聴くにとどまってしまった。
髪を長く伸ばした黒い詰襟の学生服姿の仲間たち皆の好みは似たようなものだった。高校の頃に流行って(男ばかりが集まってみんなで歌う機会が何度もあったのだが)いた曲で私たちがよく聞いていた(いや歌っていた)のは、小坂明子の『あなた』、堺正章の『街の灯り』、ペドロアンドカプリシャスの『ジョニーへの伝言』、かぐや姫の『神田川』(この歌なんか修学旅行のバスの中で50人近くのムッサイ男どもが皆で歌ったのだ)、荒井由実の『ひこうき雲』やグレープの『精霊流し』なんかも、ごっつい体をしたバスケ部や野球部や年中真っ黒い顔をしたスキー部の仲間達と共に合唱(?)したくらいだった。
カラオケがまだ出てきていない時代だったし、伴奏なんかしてくれるものもない頃だけれど、そんなことは関係なく、森進一の『襟裳岬』だとか、ふきのとうの『白い冬』、そしてチューリップの『青春の影』なんかを本気でのめりこんで歌っていた気がする。
昭和の歌として、なんだか奇妙な特集で最近のテレビで放映されることが多くなっているけれど、そこで取り上げられる曲よりも私たちの中ではこんな「心をもっていかれる歌詞」の歌が今になっても心の中に閉じ込められ、取り上げられる瞬間を待ち望んでいるのだ。
『歌は世につれ……』なんて言う名文句があったようだが、私たちにとって歌は「写真」と同じで、その瞬間の自分の生活を記憶してくれるものでは無いかと思っている。だからこそその歌詞に込められている自分の心をのめり込ませる『言葉の力(言葉の魂)』が自分の心の中にいつまでも宿っていくのだと思うのだ。
自分の人生にかかわってくれた歌たちは魅力にあふれた素晴らしい力を持っていた。自分たちが高校生だった時代は二度と戻ってくることはないが、あの時聞いていた歌たちは、今でもふとした瞬間に私達の口から洩れてこようと狙っているのだ。
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『Sapporo1972』 @kitamitio
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