十二通目-3

 こうして長く留まっていても、辺りからは何も聞こえませんでした。

『だからこそ自分はこのキャンプ場を好んだのだ』と改めて思いました。


 計画ありきで選んだこの場所は、看板が立ってもいない、知る人ぞ知るといったキャンプ場で、知らなければキャンプが出来るとも思えないところです。秘密基地のような感覚があり、実際人がいないのも気に入ったポイントでした。


今考えると、気に入ったポイントなどは後付けで、矢張計画の為だったのです。



 僕らは僅かに浮かんだアイデアを「こうしたら······いや、こっちのほうが」と長い時間話しました。


 俯瞰で見えるまでになった今では『寝ている令美はどういう心持ちだったろうか』と思えます。


近くで話し合われているのは「どう弔うか」ではなく「どう隠すか」「どう見せかけるか」といった内容で、死人に対して斯程の愚弄があろうかと言えます。


としても、我々にはそんな考えは無いも同然でした。見えているのは未来に対する不安と希望で、状況を判断する目などはなかった。不安を一掃し希望を訪れさせるには、おかしいとは思われない偽装を完璧に遂行するのが必然で、そちらに全能力を使っていたのです。


 令美の横たわる横で我々は話し合い、ある一つのアイデアを形にするとしました。


それは「目を離している隙にいなくなってしまった」という世間でもよくある話でした。

よくある話を用いるのが一番安全と思え、聞く側が「よくある事」と思ってくれると、殺人からイメージとして通くしておけるという結論でした。


 話し合ったうえで決めたストーリーは、こんな感じでした。


──夜近くなって晩御飯の支度をするとなった時に、大人しく待っていられなかった子供が「川で遊んで待っている」と言うので、僕もついて行って遊んだ。

辺りは暗くなって「もうご飯ができているくらいだ」と二人川から戻っていると、子供だけが先に走って行ってしまった。後から僕が元いた場所まで戻ってみると、子供はいなく、妻も見ていないと言う。

子供が川から帰った時は、偶々用を足しに行って妻は少しその場を離れていたので、子供が戻ってもその時はタイミングが悪くいなかったのだと思う。

だから、もしかすると心配になった子供が何処かに母親を探しに行ってしまったと考えられる。当初『トイレにでも行ったのか』と思ってもみたが、妻がすれ違っていないのからして、その可能性はない。

考えられるとすれば川へと行く前、晩御飯を作ろうとしていた妻が「食材を買い忘れた」と言っていたので、子供はそれを聞いて食材を買いに行ったと思って、近くの店まで母を追って行ってしまった可能性がある。

子供だから店の場所もよく解らないのに闇雲に進んで、迷ってしまったに違いない。

車通りの多い場所にいれば見つけてもらえるだろうから、そっちはさておき、迷ってしまった可能性を考え、近くだけは見に行って散々探したが見つけられていない。

あとは道路の方だけなので「警察に頼んでしまう方が早い」と連絡させてもらった──


 こんな話を二人で作ってから、我々は実際警察を呼ぼうとしていました。


が、問題なのは令美の死体はまだ此処にあるという点でした。


恐らく警察を呼べば近辺を粗方探すでしょう。だからこそ、近くに埋めたりするのは躊躇われました。


ごく最近掘った穴があれば、警察はそこを掘り返すに違いないでしょう。真っ先に疑われるのは我々です。


だからといって車の中に隠しても、見られる可能性はあり、では今から遠くに捨てに行こうとなっても、何処かの防犯カメラに映ってしまう危険性があります。近辺に防犯カメラがないのは確認しているとしても、あくまで近くだけの話です。

見落としているのもあるかもしれず、車で動き回るのは、疑いの目を向かせるきっかけになるかもしれない。


 残されたのは「川に流してしまう」という方法でした。


元々、川での出来事。

遺体がもし川から見つかったとしても、不審な点は少ないと見られるでしょう。川で見つかった遺体の死因が溺死なのは当たり前なので、疑いの目が向けられる可能性は最も低いのではないか。


 諸々から我々は「川に流す案」に納得し、実行する為に河原へと、令美を連れておりて行きました。

僕は令美を抱き、石ころを踏みしめる音を聞きながら浅瀬まで行きます。


 もう遺体を流せるとなっても二人は何故か令美をすぐ流すとはならず、川の方を向いたまま立っていました。


 気づくと二人は泣いていました。


夫婦の愛は確かにありました。一方で同じくらい大事だった子への愛があった。


それが真実なのです。


同じくらい大事だったものを捨てなくてはならなくなった人生に、我々は後悔していた。そんな心持ちがあったと言えます。


「令美の命を奪い生まれた後悔は、後も逃れることはできない」という、一つの象徴だったのでしょう。


事あるごとに思い出し、今をもって涙する日があるのですから、令美を胸に抱いていたあの時は、今以上にこみ上げるものがあったのです。




 僕はもう避けられない運命を悟り、だからこそやらなければならない行動を決行しました。


 二人は心ばかりの街灯に照らされ水に浸っていく令美の顔を、じっと見つめていました。


令美の顔は、間もなく完全に水中へと沈んで見えなくなり、同時に体は流れに乗って我々から離れていきました。


 このとき「令美はもう帰ってこない」という実感が湧き上がって、涙がますます溢れてきました。


溢れる涙は下へと落ち、次から次へと押し寄せて来る川の水に混じり、そこに僕と怜の涙が加わったのなど誰に知られるでもない、当たり前の川の景色の一部になりました。


 行き着くべきではない人生を悟ったとして、これは光を求めた結果なのです。

最悪を最悪のままにしない為には、光へ突っ走るしかない。


 まだまだ涙が止まる気配を見せない中、互いに慰め合い、次なる行動に移れるように励まし合いました。


 警察に連絡するのには、その後相当の時間がかかりました。二人で決めた話を実行するには、再度決意が必要で、一度心を落ち着かせてからでないといけませんでした。それでも遅くなり過ぎては「諸々がおかしい」と判断されかねないのです。


余計に頑張りを強いられました。


日常にないこの状況では、簡単ではありません。


 どうやっても落ち着かないとなると(おかしな話ですが)気を落ち着かせようと、我々は「カレーを食べようか」と思うのでした。

これは本能的なもので、食事というのが脳を活性化させ、日常の生活が気を落ち着かせるという効果を求めた行動でしょう。


 見るとカレーをかけていた鍋の下にある薪は燃え尽き、鍋の中を覗いてみると側面には焦げ付きが目立ちます。


印象的にも食べられそうにありませんでした。


長くかかってしまった話し合いは、こんな結果を生んでいました。


 鍋の中を見て『こんなの食べられてもんじゃない』と思うと同時に、冷静な自分が現れ『もし食べてしまうと、警察が変に思うに違いない』と急に気づきます。


恐らく世間の見方で言うと、子供を探している人間などは『心配で食事など喉を通らない』と思うに違いないのです。だとすると、食べてしまった時点でイメージに反してしまいます。


こうなってしまうと我々は、異常者に見えてしまう。これは避けなければなりません。


 実際の人間などは、どんな状況だろうと腹は減り、他人が泣いているのを見ても、他人の不幸を願うような生き物です。


僕らがしようと思ったのは、人間というカテゴリーで見れば正常な範囲であるだろうけれども、人間を建前で捉えるのが人である以上は、絶対に避けるべき行動でした。


逆を言ってしまえば残されたカレーは、我々が世間の見る「真っ当」の演出が出来るという事実でもありました。


僕が法の向こう側に行ってしまったとすれば「他人が見る真っ当」は、偽装に使わない手はなく、カレーは焦げ付かせたまま置いておくのがベストの演出です。


 僕らはお腹をすかせたまま、誰が来ても見つからない場所に移動して心の準備が出来るのを待ち、漸く携帯で警察に電話しました。


遠くから近づいてくるサイレンの音を、どんな気持ちで聞いたかは、うまく説明できないかもしれません。

言ってみれば全ては緊張。「計画をうまく実行できるか」「自分が犯人とは気づかれないか」「怜は決めた通りに話せるだろうか」等の不安から来る緊張。こんな事になるならカレーは食べなくて正解でした。食べてしまっては吐いていたかもしれません。


 この緊張が二人の向いている方向を再認識させ、不安の中でも感動に近い感情を生み出しました。言葉を交わさずして、同じような感覚があるのに互いが気づき、根底で繋がっている感覚は「今後も強く繋がったままである」という意識を生んでいました。


僕がこんな勇気を得たからか、警察がやって来ても、びっくりするくらいに決めていた話をうまく出来、向こうはなんの疑いもなく令美の捜索をしてくれました。


 当然この日は見つかる訳もなく、次の日からは大捜索という感じになっていました。


 令美の捜索は思っていたよりも大きく取り上げられたようです。知らぬところで相当騒がしくなっていました。

確かに捜索隊の人数も多かったとはいえ、僕のような一般的な家庭の話など誰も気にしないと思っていたのに、違ったみたいです。


 僕がその兆しを感じたのは、一日中落としていた携帯の電源をオンにした時です。


 まず、そもそも何故携帯の電源を落としていたかを説明しなくてはいけません。

それは誰かから電話が掛かってきたとして、うまく話せる自信がなかったのです。


二人で決めた話に於ける当事者がどういうものか、そのイメージが浮かばなかったのです。解ったとして上手く装うのは難しく、少なくとも一日二日は他人との接触を避けたい。その間にイメージをつくり上げ「その人になりきろう」と、問題を先送りの形でいたのです。


携帯の電源を入れた時点では、実を言うとイメージが固まっていたわけではないと言えます。単に長く携帯を見ていないと気づいて、日常の癖に近い感じで、電源を入れてしまったのです。


 携帯を見ると、考えられないくらいの数の着信が残されています。

見た瞬間、思わず電源を落としてしまいました。ちょっとした恐怖からです。


こうなった以上は「誰かには知れる」と何処かでは思っていたのに、実際体験するとなると当事者にしか解らないものがありました。

先々に訪れる苦難は間違いなく、それが恐怖となって襲ってきていたのです。


 僕は電源を入れてしまったのを後悔し、再び電源を切って捜索隊へと加わりました。それからは誰にも連絡を返さぬまま過ごしました。


 返信すら困難であると気づいたのは次の日です。僕には昨日よりもっと多くの連絡が来ていました。


現状から「会社は休むしかない」と会社に連絡しようと電源を入れると、見たこともなかった数字がさらに大きくなっていて、一つ一つに返事は出来ないのは確実となっていました。


 あまり知り合いの多くない僕に、こんなにも多くの連絡が入るという事実に驚き、中身を見てみると、一人が何回もかけて来ていたりだとか、知り合いでもない人からもあります。どういう伝手か、僕の携帯は簡単に連絡を取れる状態になっていると思えました。


 とりあえず上司に連絡を入れなくてはと、電話をかけてみると、既に僕のことは知っているようでした。上司から心配の言葉をかけられ「お気遣いありがとうございます」と言ってみると、改めて自分は「娘を探す父親」であるのだと気づきました。


そして、イメージしていたものがリアルに感じられ、イメージのまま話せていると思えました。


というのは、実際そうだったからです。


事実を知っているという部分以外は、実際に子供を探している人でしかなく、テレビでしか見た例のなかったその人は、実感を持って「こういう感じだったのか」と身にしみて解ったのです。だからこそ、自分でもびっくりする程に違和感がなく話せたのです。


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