四通目

思えば、直接貴方に自分の話をする機会がありませんでしたね。

前回、僕が長男で両親が共働きだったとお伝えしました。


それについてもう少し付け加えましょう。


本来ならばそういった部分を話す機会もあったでしょうが、時間を作れぬまま来てしまったので、この機会を使わせて頂きましょう。


──僕は三人兄弟(弟、妹)の長男で父が三十二歳、母が二十六歳の時の子でした。

下とは三歳、その下とは更に四歳違いで、両親が共に働きに出ていたせいで、兄弟の面倒を見なくてはなりませんでした。

この反動と言って良いでしょう。高校を出てからは一人暮らしをしてしまいました。


 さておき、両親夫婦との出会いについて話しますと、知り合いの紹介だったと言います。残念ながらこれ以上は解りません。

というのは、両親の馴れ初めなど、あまり聞きたいものではないからです。


誰でもそうかも知れませんが、特に男は一人の男と女であった両親を知りたいとは思わないと言えます。両親は両親で、他の人とは違った捉え方をしているものです。両親とは完璧であり、当たり前に欠点のある一人の人間とは思っていないところがあります。その意味で、幼い頃は神に近い捉え方も言えるのかもしれません。


多分その延長なのでしょうが、完璧な人が一般的な一人の人であるというのを受け入れない子供時分が生まれてしまうと、大人になりその辺を理解し、受け入れられても「改めて両親の馴れ初めを聞こう」とは思わないまま来てしまうものです。

従って、このあたりを詳しく書けないのは申し訳ありません。物足りなく感じるといけないので、かわりに父と母の話を少し書きます。


 まず父の紹介をしますと、父は製薬会社に勤めていたようです。

父は家からさして遠くない工場に自転車で通勤しており、近くを通った時には柵の中を指差しては「自分はこの陰になっている社屋にいて······」と話していました。

そんな事を偶に話すと思えば、他方家では仕事について何も話しませんでした。父が家では無口だったのが偶々そういう結果を生んだのかもしれません。ただ、僕が大人になってから父が良く行っていた飲み屋に偶然行くことがあり、そこの女将さんが言うには、飲んだら割と話すタイプだったといいます。ですから外の父は、僕の知っている父とは違うキャラクターがあったのかもしれません。他の家でもそういった話はあると思われ「父として」と「働く為にやりやすい形に装う自分」は別で、誰でも父としてを考える結果、家庭では別の自分が発生するのでしょう。


だったとしても、家での父が嫌だったわけではありません。父は怒ることもない、優しく朗らかな人でした。子煩悩でもあり、良く公園に連れて行ってくれました。

今思うと「休日くらいは」という考えが強くあったと想像出来ます。飲みに行き、僕達兄弟が寝てしまったあとに帰ってくる日も確かにあったからです。

理由はどうあれ、優しい父には違いありませんでした。


 一方母は、外では一歩引いて見ているような人間でした。件の父が公園連れて行ってくれた時などは、正にそういう感じでした。

けれども、それは外での話で、家に帰ってくると大概「靴が揃えられてない」とか「服が脱ぎっぱなしだ」とか口やかましく言ってくる人でした。それが一転外に出ると「一歩引いた女」になります。

母はオンオフを使い分けるタイプであったとはいえ、板についている訳ではなく、偶にレストランで兄弟がうるさくしてしまった場合などは、抑えきれず素のほうが出てくるというのもありました。


 母の仕事面や内面を更に紹介しますと、長らくどこかの会社で事務職をしていたそうです。

学生時代スポーツが出来た母は、主に陸上部で活躍したようで、全国までは無理でも、県のレベルではそこそこ知られる存在でした。

恐らくこの影響で上下関係には厳しく、今や懐かしい「スポ根アニメ」と言われるような根性論も強く持っていました。

幼い時転んでも、助けてくれるというよりは、自分で立ち上がるのを見ているタイプで、良く励ましや叱咤の声をかけられていたのを覚えています。


 こんな面を持った母ですが、ご多分に漏れずと言いましょうか、一番下の妹には甘く、僕とは随分違う対応に不満を抱く日もありました。兄弟で一人だけの女ですので、対応が変わるのは当然なのでしょう。今ならば解りますが、当時は不満でしかありませんでした。

 これは仕方がないと言え、良く言われるのは「一番上だけが何かにつけキチンとしているが、その下からは甘くなって行く」という話で、うちもそうだったのです。確かに、僕は習い事を散々やらされていたというのに、弟は何も習い事はしてなかった。なのに妹は「女だから」とピアノや水泳、公文をやらせ、客観的に見ると「世間的によく見る状態から、性別が変わったことで一変した」という話なのです。

 こんなのは珍しくもないのでしょう。

人というのは必ずではないにしても「初心」というものがあります。

はじめのうちは誰でも初心に従っているのに「突き通すには根気がいる」と段々解って、時と共に方向修正し、はじめに思っていたことは違う形になっている、というのが世間一般の正常と言えるのです。


 勘違いして頂きたくないのは、うちが多くの家の一つに当てはめられるとしても、僕ら家族が築いたものは小さくはない。

家族にとってただ一つで、大事な家族であるのは間違いないのです。

そう思えるのは、こういう状況に置かれた僕だからこそ解り、あれは幸せだったのだと感じます。


 当時あったなんでもない思い出すら「家族というものの幸せがあった」と気づくとなった今、ある日にあったこんな話も少ししてみましょう。


──あれは僕がもう小学生の終わり頃になっていたくらいか、中学生だったと思います。

あの日は兎に角暑かった。

動物たちも、ぐったりしていました。


妹が生まれてからというもの、家族で行動する時は妹を中心にした計画が常でした。

僕がもう、子どもの好きそうなものから好みが離れつつあるというのに、ある日の休日、動物園に行くと決まっていました。

確か、妹がテレビで見たカピバラを「かわいい」と言って喜んでいたのを両親が見、それを「可愛い」となった両親が、妹の可愛さ見たさで計画され、週末出掛けたものでした。

僕はもう動物に強い関心がなくなっているというのに「家族で行動したくない」と突っ撥ねるだけの反抗期でもなく「行くと言うなら行こう」とついて行ったのです。


 生意気盛りに入りつつある僕であるも、実際行ってみると楽しめる。これが今まで動物園が残り続けている理由なのだと実感しました。

人間は興味をなくしても、完全になくなったわけではなく、表出しないだけでずっと存在し続けているようです。

両親も例外ではなく、ペットも飼っていなく動物への興味もそれほど見せていない二人でさえ、隔てられた柵の前で瞳孔を大きくして、食い入るように見入っているのを端で見ると「何年経とうが人の根底にあるものは変わらない」と、漠然と思ったのを覚えています。特にライオンの檻の前では、危害を加えられない安心感があるからなのか、じっくりと見ては「大きいねぇ」とか「迫力があるねぇ」など、前から解っていたような言葉を並べます。

父は大きな動物が好きらしく、サイの前でも同じようなことを言っていました。


 そうやって様々な動物を見ながら、かわるがわる妹の手を引いて歩いて行きますと、直接動物と触れ合えるコーナーというのがありました。

僕らは興味から迷いなくそこへと入って、妹にとって人生初となる動物との触れ合いをするとなりました。

そこで触れ合えるのは、妹の希望するカピバラではなく、リスでした。

一角に仕切りがしてあって、その中へと入って触れ合えるという方式で、僕らは餌を渡され中央辺りに三人は立たされました。


すると、忽ちリスが体の周りに集まりだします。


余りにも突然に沢山集まって来たのに妹は恐怖を感じたようで、しきりに「怖い、怖い」と両親を見ながら言います。あれだけ楽しみにしていたのに、もうやめたいという雰囲気を出しています。

他方弟を見てみますと、群がるリスを怖がるでもなく一人満面の笑みをたたえています。


兄の本能とでもいうのでしょうか。僕は両親が見ている妹はさておき弟を見ていると、偶然にも丁度リスが弟の服の中へと入っていくのが見えました。

弟は腹をくすぐられたようになって、思わず体を折られます。体の動きに従って手に乗っけていた餌が下へと落ちました。

餌が落ちると、はなから弟には興味がなかったように、体の上にいたリス達は下にある餌へと集まります。


床にはリス溜まりが出来上がっています。


弟はあの楽しかったリス溜まりを、また自分の体に取り戻そうと、落ちた餌を拾おうとしました。

見えなくなっている餌を拾おうと、溜まっているリス達をどかしてみて解ったのは、餌がもうリス達の胃へと収まった後だということでした。地面には食べ残しと思われるカス同然の欠片が残るばかりです。

弟はそれを掴もうと手を伸ばします。

その僅かな時間でリスがやって来て、弟よりも早く餌を持って行ってしまいました。

目的の餌を取られ悔しくなった弟は、持って行ってしまったそのリスを追いかけます。

追われたリスは当然逃げ回りました。

弟は声まで出して執念深く追い回します。


すると一匹の行動がリス全体に伝播し、危機感が伝わって、群がパニックに陥りました。


僕の体にいたリス達も急に素早い動きで飛び降りたり、意味もなく体の周りをクルクルとしだしたりして、我々を驚かしました。


 こんなのはまだ良かったのです。


妹の方では、手の上にいたリスがパニックに陥った流れで、妹の指を噛んだのです。

妹は、はじめ何でもない顔をしていたというのに、ちょっとすると大声で泣き始めてしまいました。


 大きな声が発されると、リス達は一層動きを活発にし、右往左往している群の騒ぎを見た担当の職員達も一緒に、慌ただしくなってしまいました。

ここまでなると、追い回していた弟でさえも、リス達の様子がおかしいのと妹の泣き声で我に返り、周りを見ました。それでもすぐには理解出来ず、立ったまんまで両親を見たり僕を見たり妹を見たりを繰り返しているのでした。


その間に泣いた妹のもとへ係員が近寄って来て、理由を知ると「治療をしましょう」と促します。母は「大した事ないから」と断り、その問答が何度か繰り返されました。

このやり取りは妹の恐怖を煽ったらしく、火がついたように一層強く泣き出してしまいました。

そうなると係員は「怪我をしたからだ」と勘違いし「こちらで治療を」と更に強く促して来ます。

見て大したことはないと解っている母は「いえ、大丈夫ですから」と返します。

このやり取りに加わらなかった父は、泣いている娘を見て心配性をのぞかせ「一応診てもらおう」と意見します。母は「大丈夫だから」と突っ撥ねます。


これに係員の言葉が絡み合い、周りのリスのパニックも加わって、一帯のカオス状態は作り上げられました。


結局「診てもらうだけ診てもらおう」とその場を離れるとなって、妹が連れて行かれる方へと皆ついて行きました。

但し、専門医がいるわけでもない状況では「やっぱり大したことはない」と確認するだけになって、噛まれた場所に絆創膏を貼ってもらっただけでした。

係の人は「後で傷が悪化したり、医療機関にかかった場合はご連絡下されば」と言っていましたが、それ程の傷ではないのは既に解っていましたし、根性論者の母がこれくらいで医者には行かないのでした。


 この一件があったせいで後半、とても楽しめる雰囲気ではなくなったとしても「来た以上は」と歩き回りました。歩き回っても、さっきの件で皆がふわっとしてしまい、どこへ行っても真剣に動物を見る気にはなりません。立ち止まっても何を見ているのか、さっきまで何を見ていたのかが解らない精神状態です。そんな流れから、我々は時間をとりあえず潰しているに近い行動を取っていました。

 フワフワとしたまま歩き回っていると、閉園時間を知らせる音楽が聞こえて来、我々は音声に促され動物園をあとにすることになっていました。


 帰りの車では、原因である弟への公開説教は繰り広げられます。

母と僕は弟を怒り、言われた弟は不貞腐れる。父は「まぁまぁ」と言い、妹は何も起きていないかのように眠っている──


 こんな光景を久しぶりに思い出しました。


斯様な思い出話は、過ぎてしまえば良い思い出でしかないのだと改めて思います。

家族五人の思い出がこの他にも沢山あるのは、僕が良好な家庭に育った証です。


僕が築いた我が家庭には同じような良い思い出があり、令美には何か思い出せる記憶があったのでしょうか······

僕が親として出来ることがまだまだあったのでは······


後悔ばかりが浮かんで来てしまいます。


僕が家族との記憶を思い出すのは、他の人と変わらない人間であるからとしても、現状の立場にいる僕という人間は、他者から見れば「通常の人間とはかけ離れている」と捉えられているのでしょうね。

僕という殺人犯を誰もまともな人としては見ず『凶悪な人間にはその凶悪な面しかない』思っているのだろうと推測します。


自分としては、他者がどう言うかは別として「標準的な感性がある」と言えるのです。


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