二通目

前回の手紙を読んで頂けましたでしょうか。

もしかすると、我々の思い出なんかには興味がないのかもしれません。

娘を亡くした今、妻への思いが強くなっているのもあり『思い出を書き記したい』と思い過ぎているのかもしれません。

大目に見て頂いて、もう少しお付き合い頂けると幸いです。


そんな訳で勝手ながら、僕らが初めてデートした時の話なども致してみましょうか。



──我々が初めてデートをしたのは、或るシネコンでした。

色々と考えた挙げ句「ベタでいいだろう」と決めた場所です。

昼食などを近くでしてそれから行けば良い、というくらいにざっくり決め待ち合わせ場所に行ってみると、彼女はもう既にいました。その場で挨拶もそこそこに、まず「映画に行こうと思ってるんだけど」と言うと、聞いていたわけでもないのに、彼女は「映画が好き」と言います。聞くと彼女は「小さい頃から一人で映画館に行っている」と話します。

簡単に決めたデートプランが偶然にも彼女にフィットしたのを、僕は心の中で喜びました。

その後、僕なんかよりも圧倒的に映画には詳しいらしいと昼食の場で解りました。今から観に行く映画を、もう観ているのではと心配するも、幸い「観ていない」と言います。

『助かった』と思いながら色々考えていると、偶然に彼女の趣味である映画を選んだという幸運は、運命に近いのではないかと徐々に思えて来て、この後のデートをより楽しみにさせました。


 因みに彼女は、予定を知らされるのを好みませんでした。

だから、初めてのデートであるこの時も、怜は会ってからデートの内容を知ったのです。

彼女は何故だか先の予定を知りたがらず、一方僕は、予定を知らないと不安になってしまうので、全く理解できない部分でした。

彼女のこの不思議な性分から、デートをする間柄になったというのに、この日まで彼女が映画を好きと言うことさえ知らなかったのです。深い話に発展せぬ関係は、まだ先輩後輩を脱していないと言えました。


僕にとって、この謎こそが彼女の魅力に映ったのは否定出来ません。

情報をくれない彼女から情報を得ようと見ていると、普段は根暗な印象、かと思うと一転し、話出すと快活な様子。理解できない分「知りたい」という欲求が「魅力」と変換させたのかもしれません。


 この日も彼女は、一緒に話をしている時は快活、実に活気に満ちているというのに、映画を見ている時に横を見ると、まるで別人のようで驚きました。「映画を見ながら喋っている人はいないのだから変わって当然」とも言えますが「人は真剣になればそうなる」というようなものではないと僕には捉えられました。

彼女の顔は(初めて見たこの時は、あくまで印象に過ぎないのでしょうが)普段とは裏返ったような、同じ人間が作り出している表情とは思えないものがありました。

僕は当初「そういうタイプの人」と考えていました。時々テレビなどで見る、意識しないと所謂、顔が「抜いた顔」になってしまうタイプの人で、彼女もその一員なのだろうと。それが自分にとって面白くも思えていました。


 だから僕は簡単なコミュニケーションのつもりで、映画が終わるとこう言ったのです。


「映画の途中で顔見たら、すごい顔になってたよ」


予想では怒ったり、逆に恥ずかしそうにしたりするものと思っていました。

彼女は、僕の予想になかった言動を取りました。「えっ嘘」と言って、かなり不安そうに自らの顔を触ったりします。

思いがけぬ反応に『いけないことを言ってしまった』という気になり、僕は咄嗟に「嘘、嘘」と言って、言葉をなかったことにするよう努めました。

怜は僕の言葉を「そう······」と、納得する様子を感じさせず、気にしている素振りを続けました。


この様子から、もう二度とは顔については触れませんでした。

けれど、触れないからといって、その表情をしなくなる訳ではありません。直後のデートの間も、それからもずっと、怜がギョッとする表情をする場合があるのは続きました。


 ところで、我々はデートを割と頻繁にするようになっていました。

前述のデートよろしく、映画は僕らの定番となり、必ずと言っていい程プランの一部として組み込まれるまでになりました。映画が大して好きでもなかった自分も詳しくなり、観た映画に関連する作品までをも観るくらいになっていました。

彼女との会話も従って映画関連が多く、お互い好きになった作品を教え合って二人で観たりしました。


 その中で解ったのは怜がホラーを苦手としていることです。


対して僕はホラーが好きで、有名作家が原作をした作品などは絶対観に行きたいと思っていました。はじめ強く誘ってみるも、誘ってみても駄目、一人で行くしかありませんでした。

ですからデートでは、ホラーは極力避ける形で映画を決め、観に行ってました。


 その日もホラーではない作品を観に行きました。

我々は映画の話を良くするようになったとはいえ、然程深い関係にはなっていませんでした。だからといって余所余所しいかといったらそういうわけでもなく、つまらない映画に当たった時などは、他のお客さんには迷惑にはならない程度にちょっかいなどを出して、映画館内で遊んだりする日もありました。

あの日も丁度そんな映画に当たって、膝などをつつきあった流れから、僕は怜の肩に腕を回したのです。


 僕が肩に腕を回したのは、考えてみれば初めてでした。手を繋ぐくらいはあったとしてもそれ以上はまだなかった。

とはいえ、これ程までに違和感がなくいちゃつくのも出来る関係ならば「それくらいは大丈夫」とした何気ない行動だったのです。映画館という静かな環境では、無理に断りもしないとも考えていました。


ところが彼女は、肩に手がつくかどうかというタイミングで、僕の手を逃れるように席から急に立ったのです。


 僕は何が起きたか解りませんでした。

二人の関係性から言って、肩に手を回したくらいで、まさか逃げられるとは思っていませんでした。それが実際腕を回してみると、まるで忌み嫌う虫が自分のところへと飛んできたみたいに跳ね退いたのです。

当然僕は『何故』と思いました。

一方怜は「あっ」という顔をしました。

見る限り怜は考えてした行動ではなさそうでした。殆ど反応という感じで席から立ち上がったらしく、僕を見た後、他のお客さんの視線を感じる形で、席へと再度身をうずめました。

映画上映中の静かな空間では、理由を聞けるでもなく、また同じようになってもいけないという理由で、一度つまらないと判断した映画を見ながら、終わりを二人静かに待っていました。

 映画が終わっても僕は態と座ったままで居、お客さんが出ていくのを待っていました。


ほぼ人がいなくなってから、やっと尋ねたいところを話せるとなり「何故肩に手を回されるのを嫌がったか」を訊きました。


怜は気まずそうにしながら「別にあなたの手を嫌がった訳じゃなくて」とまず前置きしました。「じゃあ何故」と言うと、さらに気まずそうに「私、首が苦手で······首に他人の手が近づくだけで避けちゃうんだよね」返しました。確かに首元が「くすぐったい」と敏感な人はいます。

ですが当初、この言葉を僕との関係を遠ざける為に放たれた言葉と受け取りました。今つくった話と取ったほうが合理的です。


 合理的に考えられるにしても、僕の考えは間違っていたようでした。


当然この日気まずかったものの、次の日から彼女は僕との連絡やデートを、前よりも積極的にするようになったのです。

とても嫌がっているとは思えなく、誘われれば一応OKはしていました。

それでも、はじめは疑いの気持ちもあり、位置関係が横に来たり、彼女の背後になったりした時、態と首へと手を回してみたりしました。

すると、やっぱり彼女は僕の手を避けるようにします。動きを見ても反応でしているのは疑いようがありませんでした。

こうした彼女の動きを見ると、彼女が以前言ったのは「本当の話だったのだ」と思うしかない。

思い返すと怜は幾つかのアクセサリーは持っているというのに、ネックレスは持っていなく、ハイネックの服ですら持っていないのです。総合的に捉えると、矢張怜は「首元の弱い人」とするのが妥当でした。


 これは、時間をかけ解ったことです。

前述の件があった直後は、怜が連絡してきても「自分は嫌われているのだ」とデートの約束も躊躇われていました。彼女はこちらのそんな思いなど関係なく「気になる映画が公開された」と言っては誘ってくるので、どういうスタンスでいれば良いのか、誘いを受け入れても、多分一、二ヶ月は迷っていたと思います。

こんな僕の迷いが二人の関係に影響し、我々は「映画を見ては食事をする」という関係を未だ脱しませんでした。

そんな関係を脱したきっかけもあるのですが、置いておきましょう。

 我々の関係は最近のカップルには珍しく、牛歩的に進んでいました。にしても、長く時間を共にすると仲は深まるもので、映画の話以外に、貴方の話なんかも聞いたりしました。

身内の話を聞くとなると更に仲は深まり、何を気にするでもないパートナーという関係性にまで次第になって行きました。


こんな関係になったからでしょう。

良い所ばかりを見せ合う関係ではなくなっていました。

これは僕にとって、好ましいと言えました。


他方「大好きである彼女」としても、流石に面食らう出来事がありました。


それは彼女の家で食事をしている時です。


 前のように外食ばかりでなく、互いの家に行って仲良く料理をし合うようになっていた或日に起きたのは、自分にとって些細なことでした。

怜はその些細なことで、我を忘れるくらいに怒り、顔を真赤にし、声を荒らげる程になったのです。


 怜がこうなったのは、作った料理の皿にのっていた一枚の葉物野菜です。

所謂付け合せで、僕の中では必ず食べなければならないという訳でない食材でした。

彼女は粗方食べ終えた僕の皿を見て「それ、どうするの。食べなよ」と言いました。

皿には葉物野菜が一枚が残っており、それを指していたのは確実でしたが、こちらは指摘されるような何かは思いつかず「それって」と返しました。

 聞きように依っては、確かに反抗的にも取れたかもしれません。くれぐれも、僕は単なる疑問という感覚でしかない中での言葉だったのです。

彼女は、自分への挑戦状とでも受け取ったように、次の言葉を発しました。

「私が洗って出したんだから食べなよ」と言った怜はもう怒りの中という感じです。


 言われた僕も「そう言うなら」と受け入れていればよかったのです。

「いや、もうお腹いっぱいだから」と断ってしまいました。

自分としては本当に大した話ではなく「食べる食べないで、特別何が変わるのでもないのだし」という簡単な理屈でした。


これが彼女の何かに火をつけたらしく「いいから食べればいいでしょ」と、もう完全にキレた感じで言ってきます。

こちらは、さして怒りを買うようなものとは捉えていませんでしたから、何故こんなにも怒っているのかと「いやいや」と言いました。

怜は僕の口調が気に入らなかったのか、反発と受け取ったのか、一層大声になって「いいから食べな」と言い、無理にでも食べさせようとしてきます。

僕も意地になるとまでは言いませんが、内容からしても「意見を変える必要もない」と食べませんでした。

すると、あれだけ食べさせようとしていた野菜の乗った皿を、僕に向かって投げてきました。


 僕と彼女の間には、明らかな捉え方による温度差があり、なんで怒っているのかを理解しないまま、とりあえず二次的な被害を避ける為に怜の手を押さえました。口では怜をなだめるものの、まだ反抗してジタバタしています。

ジタバタしているうちにテーブルの横へと来ると、怜は力の差ではどうにもできないと知り、僕の足を踏みつけようとしてきます。一度足を踏まれたことで、次なる踏み付けを避けようと僕は怜の足から遠ざかります。甲斐あって怜の攻撃は当たりませんでした。


 それが彼女のフラストレーションを溜める結果になりました。

怜は下を向いて互いの頭が近くなっていたのを利用して、頭突きをしてきたのです。

偶然にも頭が離れたタイミングで放たれた頭突きは、おでこを掠めるくらいで空振りとなりました。

まだまだ攻撃してこようとする怜に「これ以上危害を加えられてもかなわない」と、僕は一気に距離を詰め、両手を握ったまま抱きしめる形になりました。それから後ろのスペースを殺す目的で、壁際まで押しやります。

怜は行動を制され余りに悔しかったのか、言葉では表せないような「クィっ」という、声とも言えぬ音を出して、最後の抵抗を試みてきたのを体で感じました。

彼女の抵抗はかなう筈はありません。

男女の力差は圧倒的で、僕は完全に体の動きを制するに至っていました。

というのに、全ての行動が制された訳でなかったのは、肩の痛みで知るとなりました。

肩には怜の歯が食い込んでいました。

勢いからすると、僕の肩を噛みちぎってしまってもおかしくなかったというのに、急に感じる歯の圧力が弱まります。かと思うと、全身を脱力させ僕に抱かれました。


 推測にすぎませんが、正気を失っている中でも、怜は精神的なブレーキをきかせたのでしょう。だとしても、完全に安心するわけにはいかないと、暫く強く抱きしめたままでいました。

結局それ以上は何もしては来ませんでした。

『もう大丈夫だろう』と顔を見てみると、怜はまるで風呂上がりであるかのように脱力感を出して、少し前までとは違う「非戦闘員」の様子を見せていました。

ちょっとした安心感を抱いて、彼女から一歩退いてみますと、怜には自分が投げた皿が当たって汚れてしまった、僕の着ている服が目に映ったようでした。


 徐ろに汚れへと手を伸ばして、近くにあったティッシュを取り、服を拭き始めます。


 瞬時の変わり様に僕は驚きました。

少しの間怜のすることを眺めていた僕ですが、段々と『助けてあげなくては』という気が湧いて来て、もう取り返しのつかない服の汚れを二人で撫でました。

 その後、二人は大した会話もないままに僕は服を脱ぎ、対して怜は床を掃除し、それから皿を洗いに行きます。全てを終えると、なんとなく共に元の位置に座りました。

彼女は小さな声で「ごめん」と言います。

僕の方は初めて見た怜の豹変ぶりに、うまい言葉が見つからず「いや······ん、まぁいいよ」と自分でも何を言っているのか解りかねる、許しているのかいないのか解らない言葉を放っていました。

怜は相当反省してるように「私、こういう所、良くないってわかってるんだよね」と言います。


言葉から、怜には激昂体質があるのだと察しました。


以前何度かそういった面を出してしまっていたのだと思って「こういう時、前はどうしてたの」と尋ねていました。こんな事があったらその場にいる人は勿論、怜自身もたいへん困る訳で、他の人や怜はどうし、どうなったかが気になったのです。


怜は「今まではどうにもならなかった」と言いました。


これは「自分も他人も」という意味のようです。

聞けば、怒ってしまうと自分を抑えられないし、怒ってしまった時には友達が去っていった日もあったと言います。このトラウマが、自ら友達グループから遠ざかるという行動も取らせ、小学生の後半あたりでは、友達グループを持たない環境を作っていたらしいのです。怒っても、その相手を嫌いになっているという訳ではないと言うので、嘗てあった友達に去られた経験が相当に影響していると思われました。


 踏まえると、僕と出会う以前の男女の付き合いでも同じようになっていたのであろうと察せられました。だから、僕との付き合いも慎重になり、牛歩的になっていたと考えると納得がいきました。

もしそうだったとすると、同じ過ちで今回も終りを迎えてしまうかもしれず、一緒に解決しなくてはいけません。僕は別れるつもりなどなかったとはいえ、これが今後に影響してくる可能性はある。ならば、怜も反省しているし、改善の可能性は大いにあると、二人で話し合って難題に挑むことにしました。


 彼女は「どうすればいいか」と言います。

僕は知っていたアンガーマネージメントを教えました。

それは「怒りを感じたら六秒待つ」という方法です。

人は怒りを感じても一時の怒りの熱は六、七秒で治まるというので「まず我慢してみよう」と言うと、怜も「解った」と返して、以後は教えた通り、深呼吸して我慢するようになりました。

これにより、怜の怒りのスイッチは察知し易くなって、怒ったらすぐ解るとなりました。


ただ、彼女が怒りを感じているポイントは、僕にとって「余りに怒りの深度が浅すぎる」と思え、他の人なら大して怒りを感じるでもないようなものでした。

怜はそんな怒るでもないことに怒り、全ての言動を停止して「フューー」と態と大きな呼吸音を立てました。


 そうまでしても沸きたつ自らの怒りをコントロール出来ず、度々物に当たるという事態が起きました。

怜も自分で良くないと思っているからでしょう。ある時は自分で自分の手を握って、右手に自らの指の跡をつける場合さえありました。

こんな日があると彼女は落ち込み、怒りが収束しても、ロクに話も出来ない状態になりました──




 こうした諸々も、貴方には話さなくてはならないでしょう。


斯様な、他の人なら別れの原因はなる出来事があっても、何故別れなかったか。


そこには愛があったからなのです。


これほどの愛の証明があるでしょうか?


それだけに僕らの子もその延長であり、愛する我が子だったのです。


愛する我が子を殺める······


そこには相当な理由があったとお察しして頂けるでしょう。


今日はこのくらいに致しましょうか。



それではまた、次に書き終えたくらいにお目にかかりましょう。

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